総括とお説教1
「陛下。ベルノルト殿下をお連れしました」
「入れ」
案内役がジノーファの執務室の扉をノックすると、中から彼の声がしてそう言った。案内役がドアを開けて中に入ると、机に向かって書類仕事をしていたジノーファが顔を上げる。彼はベルノルトの顔を見ると、少し驚いたように目を見張ってから、優しげな微笑みを浮かべてこう声をかけた。
「おや、ベル。いい顔をするようになったね」
「そう、でしょうか。自分ではよく分かりません」
ベルノルトが首をかしげながらそう答える。ジノーファは「まあ、そんなものかも知れないね」と言って楽しげに笑った。そして続けてこう言う。
「ベル。ともかくよく戻った。無事で何よりだ」
「はい、父上。お陰様で無事に帰ってくることができました。何事もなく、とはいきませんでしたが」
「ははは。確かにいろいろあったようだね。詳しい話はこれから聞かせてもらうとして、良くサラ殿下を守ってくれた。彼女に何かあっては一大事だったからね。おかげでイスパルタ朝の威信は守られた」
「大人しく守られてくれていたら、わたしも楽だったんですけどね」
ベルノルトがそう言って肩をすくめると、ジノーファは楽しげに笑った。ただメフライルは「どの口がそれを言うのか」と言わんばかりに、呆れた視線をベルノルトに送っている。彼に言わせれば、ベルノルトもサラも、無茶をした程度に大差はない。
ひとしきり笑うと、ジノーファはベルノルトをソファーに座らせた。それから軽食の用意をさせる。食べながら話をしよう、ということだ。そして「長くなるだろうから」と言って、人払いをする。メフライルも部屋の外へ出ようとしたが、ジノーファがそれを引き留めた。
「君も残ってくれ。ベルの話を補足して欲しい」
「了解しました」
ジノーファに残れと言われれば是非もない。メフライルは大人しく執務室に残った。しばらくすると軽食が運ばれてくる。メフライルがそれを受け取り、机の上に並べた。本格的に話をする前に、ジノーファとベルノルトはそれを食べる。メフライルも勧められて少し食べた。そして小腹を満たしたところで、ジノーファはやおらこう切り出した。
「……さて、と。ではそろそろ話を聞かせて貰おうか。ダンジョンを使ってヴァンガルを脱出したところまでは、シェマルから報告を受けている。ダンジョンを抜けた辺りから、一通り聞かせてもらえるかな?」
「はい。ダンジョンを抜けてから、わたし達はまず山の頂上を目指しました。周囲の様子を確認するためです。そして幾つかの黒煙がたなびいているのを発見しました。黒煙は火事によるものと思われ、遊牧民の略奪隊が暴れ回っていると推測されました」
ベルノルトはスラスラと説明を始めた。話す内容については、ヴァンガルに到着するまでの間に頭の中でまとめてある。所々でメフライルに補足してもらいながら、ベルノルトは話を続けた。
「……馬と馬車を調達し、わたし達はさらに西を、マデバト山にいる山守衆のところを目指しました。我々に友好的で、かつマドハヴァディティアの目が行き届かない場所というと、そこしか考えつきませんでした」
ジノーファは聞き上手だった。話の腰を折らず、さりとて聞き流しているわけではない。むしろ相づちを打ったり時々質問をしたりして、しっかりと関心を持ってくれていることが伝わってくる。
「……山守衆の里では、どんな生活だったんだい?」
「ダンジョン攻略ばかりしていました。クルシェヒルにいたころより、ずっと気楽でしたね。あと、山守衆の人たちにも、ドロップ肉は好評でしたよ」
ベルノルトがそう言うと、ジノーファはまた楽しげに笑った。さらにメフライルの収納魔法を見せたことを伝えると、彼は面白そうに「ほう」と呟いた。
マデバト山では食料を自給自足できない。しかし収納魔法があれば、ダンジョンからドロップ肉を調達してこられる。また単純にダンジョン攻略においても役立つ。その有用性は彼らにとって切実だろう。
「今頃は使える者が増えているかもしれないね。落ち着いたら、スカウトできないか人をやってみようかな」
ジノーファは思案気にそう呟く。その声音は結構本気だ。ただスカウトするとは言っても、あそこは一応他国なのだが。ベルノルトは若干頬を引きつらせたが、賢明にも深入りは避ける。そして一つ咳払いをしてから、話をこう続けた。
「……マデバト山での潜伏生活は、順調で平穏でした。敵は我々がそこに居ることに全く気付いていなかったでしょう。ですがわたし達の事情とは無関係のところで問題が起きてしまいました」
「盗賊団だね。報告書にあったよ」
「はい。幸い、盗賊団は無事に追い払うことができました。ですがその後、盗賊団の攻撃にはカリカットの代官が絡んでいたことが明らかになりました。他でもない、盗賊団の首領からの情報です」
山守衆はこれを重く見た。カリカットの代官がいよいよ彼らを排除する気になったと考えたのだ。そして彼らは「やられる前にやるしかない」と考え、奇襲を仕掛けて代官を討ち取った。
カリカットの街を取ったことで、山守衆は否応なく第二次西方戦争に関わることになった。どれだけ端っこにいるとしても、歴としたプレイヤーの一人になってしまったのである。そして彼らはすぐにそのことを思い知らされた。
「イシャン軍の襲来、だね」
ジノーファがそう言うと、ベルノルトは大きく頷いた。幸い決戦にはいたらず、イシャン軍がほぼ自壊する形で戦いは終わった。こうしてアースルガム解放軍はメヘンガル城に入ったのだが、それで万事めでたしとはならなかった。
「それまでアースルガム解放軍は山守衆が中心になっていました。ですが山守衆は解放軍の中で主流とは言いがたい。要するに組織が大きくなったことで、それを統率する体制のほうが追いつかなくなったんです」
「ふむ。こう言ってはなんだけど、ありがちな話ではあるね」
「はい。そしてそれが、わたしとサラが名乗りを上げることに繋がりました」
サラは「アースルガム再興の意思を示す」などの理由を口にしていた。ただ、ベルノルトとしては、「急造のまま大きくなってしまったアースルガム解放軍の手綱を取るため」というのが、名乗りを上げる大きな理由だった。
さて、ベルノルトとサラが名乗りを上げたことで、アースルガムの再興は一気に進んだ。そしてシークリーの太守が逃亡したことで、その流れは決定的になる。解放軍はシークリーに入城し、サラはアースルガムの再興を宣言した。
そうこうしている内にもたらされたのが、マドハヴァディティア軍北上の一報である。ただその時点ではまだ、ベルノルトらの危機感は薄かった。ガーバードからシークリーまでは距離があるし、補給路の問題もある。先にイスパルタ軍と合流できるだろう、という見込みでいたのだ。
しかしバラット軍が攻め込んできたことでその見込みは崩れた。彼らのその動きはどう考えてもマドハヴァディティア軍と連動しているようにしか思えず、実際バラットは働きかけを受けていた。もっとも彼には彼で別の目的があったわけだが。
ともかくベルノルトらはバラット軍に対処しなければならなくなった。そこで彼らは全軍で出陣。一計を案じてバラット軍を降伏させた。
「聞いているよ。土埃を起こして、大軍を偽装したんだってね。ベルもなかなかの策士じゃないか」
「ありがとうございます。父上」
ベルノルトはそう答えて、少し照れながらはにかんだ。父王に褒められたことは彼も嬉しい。ただ彼はこの時のことを、「完勝だった」と無邪気には喜べずにいる。なぜならバラット軍を降伏させたその日の夜、シークリーにマドハヴァディティア軍の別働隊が迫っていることが判明したのだ。
ハッタリをかましてバラット軍を降伏させたことで、アースルガム解放軍は動くに動けなくなってしまっていた。もしもシェマル率いるイスパルタ軍の先行部隊がそのすぐ後に合流していなければ、シークリーは陥落していただろう。かなりの綱渡りだった、とベルノルトは思っている。
その後はバラット軍を戦力として組み込み、シークリーに後詰めしたわけだが、彼らが実際に敵と戦うまでベルノルトは彼らの裏切りに神経を尖らせなければならなかった。正直に言って、西方で戦った中でも一番精神的に余裕のない戦いだった。「裏切るなら叩き潰す」と決めてはいたが、それでも不安なものは不安だったのだ。
「不安な時に『不安だ』と口にできない。兵を率いるのも人の上に立つのも、楽ではないだろう?」
「はい。本当に」
ジノーファの言葉に、ベルノルトは苦笑を浮かべながら頷く。そんな二人の会話を、メフライルは礼儀正しく聞かなかったことにした。
シークリー救援後の事は、あえて詳しく語る必要はない。エクレムと合流した後、ベルノルトらはアルアシャンの指揮下に入った。そしてアースルガム方面軍を率い、マドハヴァディティア軍との戦いに身を投じていくことになる。
その辺りの事はすでにジノーファのもとへ詳細な報告が届いている。補給の際に情報のやり取りも一緒にしていたからだ。それでベルノルトはジャムシェド平原でアルアシャンと合流するまでを簡単に話して説明を終えた。
「なるほど。ところで、例の系図はどうなったんだい? 話に出てこなかったが……」
「あ、忘れていました」
「おいおい、忘れてもらっては困るよ。アレは発端の一つなのだから。報告書にも何も書かれていなかったし、是非教えてほしい」
そう言ってジノーファは目に好奇心を浮かべながら身を乗り出した。彼のいう系図とは、アースルガム一族の本当の系図のことである。そもそもサラはこれを確保するために、弔問団に紛れ込んではるばるヴァンガルへと赴いたのだ。
「結論から言うと、系図は本当にありました」
そしてそこにはなんとルドラの名前があった。そのことを告げると、ジノーファは「ほう」と呟いて何度も頷く。そしてさらにこう尋ねる。
「それで、その系図は?」
「焼きました」
ベルノルトがそう答えると、ジノーファは少し驚いた様子を見せ、しかしすぐにその理由を察して深く頷いた。同時にその後のサラの行動について、色々な部分がすとんと腑に落ちる。系図を見たこと、そして焼いたことが、彼女の覚悟を定める一因となったのは間違いないだろう。
「なるほど、ね。ふむ……」
ベルノルトの話を聞き終えると、ジノーファはそう呟いてしばし考え込んだ。ベルノルトはそれを少し不安げに見守る。それから少しして、ジノーファは視線を上げるとゆっくりとこう話し始めた。
「……わたしはずっとヴァンガルに居たわけだし、現場の判断は尊重したいと思う。けれどそれを踏まえて言うけれどね、もう少し大人しくして居られなかったのかい?」
「うっ……」
ジノーファが苦言を呈すると、ベルノルトがたじろぐ。その横ではメフライルが「うんうん」と何度も頷いている。そんな二人を見比べながら、ジノーファはさらにこう言葉を続けた。
「特にね、サラ殿下と二人で名乗りを上げたと聞いた時は、こちらでも大変な騒ぎになったのだよ?」
その時のことを思い出したのか、ジノーファは眉間にシワを寄せながらそう言った。何しろ外れとはいえ敵勢力の只中で、自国の王子と亡命中の王女が名乗りを上げたのだ。その衝撃と混乱は想像に難くない。
「上を下への大騒ぎだったよ。何しろ確認を取ろうにも報告書が一枚だけだ。最悪の事態に備えようにも、状況がほぼ分からない。大聖堂がひっくり返るかと思ったよ」
「げ、現場の判断というやつで……」
「そうだとしても、だ。事前にアルのところへ根回しをしておくことくらいできただろう。そうすれば部隊の合流だってもう少し早くできたかもしれない」
ベルノルトの拙い言い訳を、ジノーファはバッサリと切り捨てる。指摘されてみれば全くその通りなので、ベルノルトは黙るしかない。「時間がなかった」とも言えるが、名乗りを上げたあとはより迅速に動かなければならず、つまりもっと時間がなかった。それなら最初から根回しをしておいた方が、結果的にタイムスケジュールには余裕があったかもしれない。
「その後もシークリーに入ってしまうし……」
「あの、拙かったでしょうか……?」
「現場の判断は尊重する、と言いたいところだけどね。ここからだと、敵に囲まれながら国作りを始めたように見えたよ」
なるほど、それは異様だな。ベルノルトは人ごとのようにそう思った。実際、シークリーに入ってからやったことは、国作りとそう大差ない。今にして思えば、良く横やりが入らなかったものだ。もしかしたらジノーファが裏から手を回していてくれたのかも知れない。ベルノルトはふとその可能性に思い至った。
「まあ、シークリーに入ったのはいいんだ。拠点は必要だったろうし、太守が逃げ出したのなら放っておく訳にもいかなかったろうからね。だけどその後の再興宣言はもう少し考えて欲しかった。アレは全方位に喧嘩を売ったようなものだよ」
再興宣言とはつまり、「独立して主権を行使する」という宣言だ。しかもイスパルタ軍が西征を進める中でそれを行っている。下手をすればイスパルタ軍さえ敵に回しかねない行為だ。父王にそのことを指摘され、ベルノルトはさすがに顔色を悪くした。
「いえ、ですが父上。それはさすがに……」
「言い過ぎだと思うかい? だとすればそれは考えが足りないよ。少なくとも自分の血筋や兄弟の仲をアテにして行うような事ではなかった。逆に聞くけれど、そんなものを基盤にして国を再興するだなんて、危なっかしいとは思わなかったのかい?」
厳しい視線を向けられ、ベルノルトは何も答えられなかった。彼はイスパルタ軍と敵対する可能性を微塵も考えていなかった。彼はイスパルタ朝の第一王子なのだから。だがその認識は甘い、とジノーファは言う。
「いいかい? 西方の仕置きについては王太子の存念次第、というのがイスパルタ朝の方針だ。そんな中でベルはアースルガムの再興宣言をしてしまった。越権行為と指摘されたら分が悪いだろうね」
それどころか、下手をすれば謀反や造反を疑われかねない。またそこまでいかずとも、自分を通さないで行われた再興宣言にアルアシャンが不快感を示したらどうなるのか。イスパルタ軍との敵対や、そうでなくとも緊張関係に陥ることは十分にあり得た。ジノーファからそのことを指摘され、ベルノルトは顔を青くした。
「再興宣言はせめてイスパルタ軍と合流してからにするべきだったね。形式的なことだと思うかも知れないけど、形式的なことほど後で帳尻を合わせるのが大変なんだ」
父王にそう諭され、ベルノルトは力なく「はい」と答えた。
「それで、その……」
「後始末かい? まあ、問題はないよ」
ジノーファは小さく笑ってそう答えた。「アースルガムの再興はイスパルタ王の約束であり、その履行は西征軍総司令官の権限よりも優先される」と解釈を示して、越権行為についてはなかったことにしてある。
さらに彼は「ベルが無茶をしているようだから助けてあげて欲しい」とアルアシャンに手紙を送り、それによって兄弟の仲がこじれることを防いでいる。その他諸々を含め、彼の後始末に手抜かりはない。
もっともジノーファはそういう骨折りをベルノルトに恩着せがましく語ったりはしなかった。王であり、また親であるからには、このくらいのことは当然と思っている。とはいえベルノルトもそんなに鈍くはない。父王にずいぶんと迷惑をかけたことを察して、彼は小さくなって「すみませんでした」と謝るのだった。
ジノーファ「う~ん、73点!」
ベルノルト「意外と辛い!」




