援軍派遣3
大統歴六三六年七月十九日、ルドガー率いる遠征部隊は同盟関係にある隣国、ランヴィーア王国に入った。その数、騎兵五〇〇、歩兵二〇〇〇。イブライン協商国で起こったスタンピードに際し、その対応のために援軍を求められたのだ。
スタンピードを起こしたダンジョンは、ロストク帝国とイブライン協商国の国境にも近い。ランヴィーア王国を経由するルートで向かうとかえって遠回りなのだが、それでもわざわざこのルートを採用したのは、ひとえにロストク帝国の立場のためだった。
今回、ロストク帝国はイブライン協商国と直接事を構えるつもりはない。スタンピードは捨て置けないが、あくまでもランヴィーア王国の同盟国として事態に関わる、と言うのがロストク帝国の立場だった。
だが直接国境を越えれば、それはイブライン協商国への侵略行為、宣戦布告に等しい。それを避けるために、わざわざ遠回りをしてランヴィーア王国側からイブライン協商国へ入ることにしたのだ。
そのことはランヴィーア王国も承知している。彼らにとってもその方がむしろ都合が良かった。同盟国としての立場を崩さないと言うことは、つまりロストク帝国は新たなダンジョンに関して権利を主張しないということ。当事者は増えない方が、物事が複雑にならずに済む。
ただ、いかに同盟国とはいえ、他国の軍勢が自国の領内で勝手自由に行動するのを認めるわけにはいかない。それでロストク軍が国境を越えると、案内役のランヴィーア軍が彼らを出迎えた。
「ロストク帝国の来援に感謝します」
「いえ、同盟国として当然のこと。それにスタンピードの脅威は我が国にとっても見過ごせませぬ」
形式的な挨拶を済ませると、ロストク軍はランヴィーア軍に先導されて、まずはヘングー砦を目指した。そして同日の夕刻に到着する。いつもならとっくに野営している時間だが、同日中に到着できる距離であったし、なによりベッドで寝られるならそちらの方がいい。それで時間を気にしつつも、移動を優先したのだ。
「見えてきました。あれがヘングー砦です」
そう言って案内役の士官が指さす。辺りはすっかり薄暗くなっていて、松明の明かりがなければ、隣を歩く同僚の顔もはっきりとは見えない。そんな中で、煌々とかがり火が焚かれたヘングー砦は、ひときわ頼もしく見えた。
現在、ヘングー砦は新たなダンジョンを攻略するための後方基地としての役割を果している。ただ、城砦司令官のアルガムはイブライン協商国領内でダンジョン攻略の指揮を取っているため、ここにはいない。それでオトマールという士官が、城砦司令官代理として後方での業務を担っていた。
そのオトマールから、ルドガーは状況の説明を受ける。彼の説明を要約すると、どうやら攻略は行われているものの、状況はあまり芳しくはないらしい。
「やはり、イブライン協商国も軍を出してきましたか」
「ええ。ですが彼らにしてみれば、当然の行動でしょう」
アルガム率いるランヴィーア軍によるダンジョン攻略が、思うように進んでいない理由。それはイブライン軍の存在だった。アルガムがダンジョンに到着してから、遅れること三週間。イブライン軍がダンジョンの近くに布陣したのである。現在は両軍が睨みあう、膠着状態だという。
イブライン軍が動いたのは、オトマールの言うとおり、彼らにとって当然の行動だった。何しろ、スタンピードによってすでに被害を出しているのだ。ダンジョンを放置しておけるはずはない。
またランヴィーア軍もまた、イブライン協商国にとっては頭の痛い問題であろう。彼らの目的はダンジョン攻略であると、すでに大使を通じて通告はされている。だがそれだけで済むと一体誰が信じるだろうか。
ダンジョン攻略のための戦力が、そのまま侵略軍に早変わりする。イブライン協商国は最悪の展開として、当然それを想定しているに違いない。仮にこれ以上侵攻しなかったとしても、ダンジョンとその一帯は奪われてしまうのだ。これだけでも立派な侵略行為。見過ごすわけにはいかない。
布陣したイブライン軍の数は一万弱。ランヴィーア軍とほぼ同数である。それを聞いてルドガーは「おや?」と思った。そして感じた疑問をそのまま口にする。
「数が、少ない?」
その呟きを聞いて、オトマールは表情を険しくしながら重々しく頷いた。イブライン軍の数の少なさ。それこそが事態を膠着させてしまった最大の原因なのだ。
「仮に、イブライン軍が三万程度も一気に動員していれば、我々も撤退せざるを得なかったでしょう。しかしたった一万弱では……」
そう言ってオトマールは嘆息した。要するに、イブライン協商国の本気具合が窺えないのだ。本気でダンジョンを奪還し、攻略し、管理するという、国家としての気概が見られない。
そうなると、ランヴィーア王国の側にも欲が出てくる。このまま新たなダンジョンを奪取できるのではないか、という欲だ。特に前線で指揮をしているアルガムなどはその傾向が強い。それで彼は部隊の一部を動かして防衛線を構築させた。イブライン軍をダンジョンに近づけさせないためだ。
しかしそれは同時に、ダンジョン攻略のための戦力を削るということでもある。それが、攻略が思うように進んでいない原因だった。睨み合いのために戦力を割かねばならず、肝心のダンジョン攻略が滞ると言う、建前から考えれば本末転倒な事態に陥っている。それを聞いてルドガーは眉をひそめた。
「ランヴィーア軍としては、これ以上の動員はされないのですか?」
「増援の要請は出しています。ですが……」
そう言ってオトマールは肩をすくめた。当然、アルガムは本国に対して増援の要請を出している。しかしこれ以上の増援に、オーギュスタン二世は消極的だった。それで、なかなか増援は送られてこない。手持ちの戦力でやりくりするよりほかなく、膠着状態を打開するための手立てがなかった。
要するに、ランヴィーア王国もイブライン協商国も、この新しいダンジョンを手中に収めるという国家としての意思を、この時点ではまだしっかりと固めていないのだ。ともかく再びスタンピードを起こしてはならないし、できる事ならダンジョンの確保もしたい。けれどもそのために隣国と全面戦争になるかもしれないと思うと、二の足を踏む。両国ともそういう状況だった。
一方で危機感を募らせているのは前線である。両軍は決して、静かに睨み合いを続けているわけではない。決定的な衝突はないものの、小競り合いは頻発している。そしてそれが、両軍の緊張を高めていた。
このままではまたスタンピードが起こるかもしれない。双方ともそれは分かっている。分かっているが、退くにひけない。建前があり、欲があり、保身があり、危機感があり、義務感がある。いろいろなものに縛られて、身動きが取れなくなっているのだ。
「なかなか、面倒な状況ですね……」
「ええ。まさに」
ルドガーとオトマールはそれぞれ苦笑を浮かべた。こうなるとロストク軍はジョーカーになりえる存在だった。二五〇〇と数はそれほど多くない。しかし援軍には間違いないし、その政治的な意味も考えれば、状況を変化させる力は十分にあるといえるだろう。
(これは、慎重に判断を下さなければならないな……)
ルドガーは気を引き締めた。一歩間違えば、泥沼化した状況にロストク帝国を巻き込んでしまうかもしれないのだ。それだけは絶対に避けなければならなかった。
(まずは当初の予定通り、ダンジョン攻略に全力を挙げるのが得策だな)
ルドガーはそう方針を定めた。つまりランヴィーア軍とイブライン軍の睨み合いには関わらない、ということだ。そもそも彼らはダンジョン攻略のために呼ばれた援軍であるし、ロストク帝国も再びスタンピードが起こることを懸念して援軍を出したのだ。攻略に集中したいと言えば、恐らくその希望は通るだろう。
そこから先は、状況を見ながら判断していくしかない。ロストク軍二五〇〇がどのような影響を与えるのか。現時点ではまだ誰にも分からなかった。
さて、ヘングー砦に到着した次の日。ルドガー率いるロストク軍は砦を出立して、一路ダンジョンへと向かった。ダンジョンへ向かうのは、彼らだけではない。案内役が先導しているし、補給物資を届けるための輜重部隊も同行している。
ルドガーの目から見ても、輜重は十分な量があるように思える。これだけの輜重が、しかも定期的に補給されているなら、これから戦線に加わる者にとっては心強い。腹をすかせる心配がないというのは、兵士はもとより指揮官にとってもありがたいことだった。
「よくぞ参られた。ロストク帝国の来援に感謝しますぞ」
「同盟国として当然のこと。共にスタンピードの脅威を取り除きましょう」
ランヴィーア軍の本陣に到着すると、ルドガーはすぐさまアルガムのもとへ通された。アルガムは彼を丁重な態度で向かえ、二人は握手を交わす。状況説明がなされ、最後にアルガムはロストク軍の配置についてこう言った。
「ロストク軍には、この辺りの出入り口から、ダンジョン攻略を行ってもらいたいと考えている」
そう言ってアルガムが示したのは、ロストク帝国との国境に近い場所にあるダンジョンの出入り口だった。
現在攻略が行われているこのダンジョンは、かなり大規模なものだ。ちなみにここでいう「大規模」とは内部構造のことではない。出入り口がたくさんあるという意味だ。一つのダンジョンが複数の出入り口を持つことはよくあるが、ここはその数が特に多い。ただイブライン軍と睨み合いをしているせいもあり、今は一部の出入り口からしか攻略がされていない状況だった。
スタンピードを起こさないためには、全ての出入り口から攻略を行わなければならない、というわけでは決してない。ただ、一つの出入り口に戦力を集中させても、中で混み合うだけで効率は悪い。
それで、半ば放置されている出入り口をロストク軍に担当してもらいたい、というのがアルガムの考えだった。ただ、見方を変えれば、これはロストク軍を隔離するための方便でもある。
ランヴィーア兵とロストク兵をごちゃ混ぜにして攻略を行えば、ダンジョンの中で衝突が起きる可能性が高い。それで最初から担当する出入り口を分けたのだ。
さらに、ロストク軍をダンジョン攻略に集中させることで、ロストク帝国の政治的な意向をなるべく排除したいという思惑もある。主にイブライン協商国との関係において、ロストク帝国を事態の決定的な部分には関わらせない。交渉をするにしろ戦争をするにしろ、自分たちが物事の主導権を握るためである。
要するに、いざダンジョンを手に入れたとき、その運営にロストク帝国を関わらせたくないのだ。謝礼だけ支払ってお引取り願うというのが、ランヴィーア王国にとっては理想的であるに違いない。
そういうアルガムの思惑は、ルドガーにとってはむしろ好都合だった。もともとダンジョン攻略に注力するつもりであったからだ。担当する出入り口が祖国の側を向いているというのであれば、むしろ望むところである。
「了解しました。全力を尽くしましょう」
ルドガーは異論をとなえることなくそう答えた。それを聞いてアルガムも少しほっとした表情を浮かべる。最後にもう一度握手を交わしてから、ルドガーは本陣を辞した。そして輜重を受け取ってから、案内役に先導されて担当する出入り口の付近まで移動する。野営の準備をしていると日が暮れてきたので、攻略は明日の朝から始めることになった。
さてその夜、ジノーファはルドガーに呼ばれた。彼のテントに赴いてみると、そこにはロストク軍の主だった者たちが集められており、さらに夕食の支度がなされていた。どうやら食事がてら、明日からの攻略について諸々話し合うつもりらしい。
それぞれにワインが配られ、乾杯を合図にして夕食が始まる。食事の内容は悪くない。ただ、これは自分たちで用意してきた分の食糧。ランヴィーア軍が用意してくれた食料がどの程度のものなのかはまだよく分からない。これくらいのものが毎日食べられればいいのだけれど、とジノーファは思った。
「……さて、明日からの攻略のことだが、我々が担当することになった出入り口は全部で三つ。それで、部隊を三つに分ける」
食事が始まって少ししてから、ルドガーはやおら口を開いてそう言った。そして考えておいたのであろう、部隊の編成を幕僚たちに告げていく。戦力はおおよそ均等に割り振られていて、幕僚たちからも不満は出ない。ちなみにジノーファはルドガーが指揮する部隊に割り振られた。
「まずはマッピングを進める。初めてのダンジョンだ。迷子にならないよう、気をつけるように」
ルドガーが冗談めかしてそう言うと、幕僚達の間からは笑い声が起こった。ただ、ダンジョンとは文字通りの迷宮。不慣れなダンジョンならなおのこと、迷子になってしまう危険性は高い。
そして一度迷子になってしまえば、出口を求めてダンジョンの中を果てしなく彷徨うことになる。モンスターに殺されるのか、食糧が尽きて餓死するのか。いずれにしても、迷子の危険と命の危険は同義だ。
それは居並ぶ幕僚たちも十分に理解している。それで笑い声を上げつつも、彼らにその発言を侮る様子はない。兵士たちにも同じように注意喚起がなされることだろう。
「攻略は上層を中心に行う」
「深さよりも広さ、というわけですな。エリアボスはいかがいたしましょうか?」
「基本的には、それぞれの隊で対処してくれ。ただ、出入り口ごとに大広間の配置が偏っていることも考えられる。その場合、隊ごとに戦力の融通をする必要もあるだろう。遠慮なく申し出てくれ」
ルドガーがそう答えると、幕僚たちは揃って頷いた。続いて、魔石やドロップアイテムの扱いについて話し合いが行われる。基本的には手に入れた者たちのモノだが、なにぶんお金が絡むのでこういう事柄はきちんと決めておかなければならない。
「……最終的には一括して取り扱うことになりそうですが、本国まで持って帰るのですか?」
幕僚の一人がそう尋ねると、視線がジノーファに集中した。もしそうするのなら、シャドーホールに収めていくことになるだろう。しかしルドガーは苦笑しつつ首を横に振り、こう答えた。
「いや。よほど貴重なものは別として、基本的にはランヴィーア軍に買い取ってもらう形になる」
そしてランヴィーア軍はそれをまた転売して軍資金を稼ぐのだ。軍を動かせば当然金がかかる。その分を、こうして補填しているのだろう。世知辛いなとも思うが、しかしそうやって稼いだ軍資金が輜重を揃えるために使われているのだから、実際のところ切実な問題である。働きが悪ければ、飯の量が減っていくかもしれない。
加えて、これはジノーファのシャドーホールを知られないための偽装工作でもあった。いや、知られて困るのはシャドーホールというより、そこに収められている予備の輜重である。つまりロストク軍に余裕があることを知られ、それを理由に輜重の分配を減らされないようにする意図があるのだ。
無論、ランヴィーア軍にとってロストク軍は大切な援軍。露骨に無礼な態度を取るようなことはしないだろう。しかしここでロストク軍がランヴィーア軍の補給線に依存していることもまた事実。兵が腹をすかせないよう、心を砕く責任がルドガーにはあった。
「それと、あとは水だな」
真剣な口調でルドガーはそう言った。水も食糧と一緒に分配されているが、しかしなにをするにも水は必要。それで独自に水源を確保することができれば、かなり安心できるだろう。そして今回、確保できる水源と言えば、ダンジョン内の水場がまずあげられる。
「手ごろな場所に水場を見つけた場合は報告してくれ。状況によっては、給水部隊を組織して、水汲みをすることになる」
ルドガーがそう言うと、再びジノーファに視線が集まった。どうやらこのダンジョンでも、やることはあまり変わらないらしい。そう思い、彼は苦笑した。
「水汲みはまあ、構いませんが……。それはそうと、わたしが保管している物資はどうしましょうか?」
「しばらくは、そのまま保管しておいて欲しい」
「……いいのですか?」
ジノーファは少々訝しげにそう尋ねた。もしも彼が死んでしまったら、シャドーホールに収められている物資はどうなるか分からない。しかしルドガーは笑ってこう言葉を続けた。
「ジノーファ殿なら大丈夫だろう。信じている」
「……微力を尽くします」
気恥ずかしさを隠すようにして、ジノーファは小さく頭を下げた。
ともあれ、明日からはまたダンジョン攻略である。
シェリーの一言報告書「せっかく外国に来たのに、デートする暇もなし」
ダンダリオン「デートと言い切ったな」