教皇の最期1
アースルガム方面軍がペシュガルモの街を救援した、その翌日。敵軍の追撃を命じられたエクレムが、イスパルタ軍一万を率いて戻ってきたのは昼前のことだった。彼は昨日、日が暮れるまで敵を追撃し続け、そして夜が明けてから街へ戻ってきたのだ。
「それでエクレム。首尾は?」
「上々です。少なく見積もっても、二〇〇〇は討ち取りました」
「そうか。良くやってくれた」
エクレムの戦果を聞き、ベルノルトは満足そうに頷く。その姿を見て、エクレムはベルノルトの成長を感じ取った。
ベルノルトの初陣の際、彼に与えられた一隊を実質的に率いていたのがエクレムだった。あの時の彼は、自分が手柄を立てることで頭がいっぱいになっていた。だが今は違う。
目先の武功には拘らず、より高い視点で部隊を統率している。一つの戦場だけではなく、より大きな戦局を見ているのだ。エクレムはそれが嬉しかった。
「……? どうした、エクレム」
「いえ殿下。立派になられましたなぁ」
エクレムはそうしみじみと答える。ベルノルトは一瞬きょとんとした顔をしたが、彼はすぐに苦笑を浮かべた。彼としては目の前の問題に必死に取り組んでいるだけで、とても自分が立派になったとは思えなかった。
「まあ、世辞でもそう言ってもらえて嬉しいよ。ところで流民の件だが……」
ベルノルトはエクレムに領主と話し合ったことを告げる。エクレムは概ね頷くだけだったが、話が志願兵のことになると、少しだけ表情を険しくした。訓練を受けていない、農兵となんら変わらない者たちがどれほど役に立つのか、と思ったのだ。
「……まずかったか?」
「……いえ、致し方ありますまい。領主の懸念も理解できます」
よそ者が大勢押し寄せてくるのだ。しかもその数は地元の住民よりも多くなる公算が大きい。領主がその取り扱いに神経をとがらせるのは当然で、その数を少しでも減らしたいと思うのは自然なことだ。
「それに考えてみれば、何も実際に戦わせる必要はないのです。物資の輸送や、何かしらの土木工事など、仕事など幾らでもあるでしょう。要するにそれらの者たちをイスパルタ軍で雇用する形にすれば良いのです」
生活の基盤を全て失った流民達は、大きな不安を抱えているだろう。流民が起こす問題は、そこに端を発していることが多い。だが働いて収入を得ることができれば、その不安も少しは和らぐだろう。治安も落ち着くに違いない。
また今後、ペシュガルモはアースルガム方面軍の根拠地となる。エクレムの言うとおり仕事はいくらでもあるだろう。流民を問題とではなく労働力と見るなら、これをアースルガム方面軍のために使うという道も開けるのだ。
「なるほど。確かにその通りだ。よし、その方向で領主ともう一度相談してみよう。我が軍からも参謀を何人か同席させて、後はその者たちに任せれば良いだろう」
「はっ。ただ何にしても、武器の回収は早めにされた方がよろしいかと」
エクレムが指摘したのは、討ち取った敵兵らが持っていた武器についてだった。彼は帰還を優先したので、死体と武器はそのまま野ざらしになっている。そして今後、ペシュガルモには流民達が集まってくる。では彼らが野ざらしになっている武器を見つけたら、どうするだろうか。
当然、拾うだろう。前述した通り、彼らは不安なのだ。何でも良いから身を守る術を求めている。その点、武器は分かりやすい力だ。彼らはそれを持つことで、自分や家族を守ろうとするに違いない。
だが武器を持ったからと言って不安がなくなるわけではない。中には気が大きくなる者もいるだろう。そこへ慣れない環境というストレスが加われば、暴発するのは目に見えている。つまり流血や殺人事件だ。
問題を予想できるなら、早めに対処しておくべきだろう。この場合は武器の回収だ。流民が拾う前に回収してしまえば、問題は起こらない。いや、問題は起こるのだろうが、数を少なくし規模を小さくできるだろう。
「そうだな。バラットの部隊にやらせよう」
エクレムの進言に、ベルノルトはすぐにそう応じた。エクレムは志願兵を「実際に戦わせる必要はない」と言っていたが、それでも武器は必要だろう。後方で物資の輸送をさせるにしても、武装していなければそれこそ流民に襲われかねない。鹵獲した敵の武器をそこに使えれば、一石二鳥だろう。
ベルノルトはすぐに命令を出す。それからエクレムと数名の参謀を連れて街の中へ、領主の屋敷へ向かう。もうしばらくすれば、流民がこのペシュガルモの街へ集まってくるだろう。それまでに可能な限り、受け入れ体制を整えておかなければならない。戦の後の方が忙しいな、とベルノルトは心の中でぼやいた。
○●○●○●○●
アースルガム方面軍がペシュガルモの街を救援してから五日後。街の周囲にはすでに大勢の流民が集まっていた。この短期間で流民が集まってきたのは、もちろん偶然ではない。アースルガム方面軍がペシュガルモへ向かっていた際、これとは別に動いて流民を街へ誘導していた者たちがいたのだ。
彼らを指揮していたのは、アーラムギールだった。彼は各地に残るアースルガム解放軍のネットワークを活用し、また実際に方々を巡って流民をペシュガルモの街へ誘導したのである。
恐らくアーラムギールにとっては不本意な仕事であったろう。だが彼の仕事のおかげで、流民の誘導は上手く行った。ベルノルトは彼の仕事を評価している。これでアースルガム方面軍は次の作戦行動に移れるだろう。
さてペシュガルモの街に集まった多数の流民であるが、事前の取り決め通り、流民の大多数は街の中に入れていない。流民達もそのことに不満がないわけではなかったが、今のところ暴動などは起こっていない。
食べ物があり、テントとは言え雨風を防ぐことができ、さらにはアースルガム方面軍が周囲の警戒を行っているおかげで安全。これまでずっとお腹をすかせたまま不安な夜を過ごしてきた彼らにとって、街に入れない程度のことは十分に許容できた。
なにより高貴なお方、イスパルタ朝の第一王子様までが街の外で野宿をしているという。そのようにやんごとない身分の方が、自分たちと同じように寝起きをしている。そのことが流民達の不満を和らげていた。
もっともベルノルト本人にそんな意図は少しもなかった。領主はベルノルトを屋敷に招いていたが、彼がそれに応じなかったのは、主に兵士たちに不満を持たせないためだった。士気を下げるような行動を、司令官がするわけにはいかなかったのだ。
……あと、メフライルから「きっと、きれいどころが夜這いに来るでしょうね」と言われたのもちょっとある。
まあそれはそれとして。そしてこの日、流民達とアースルガム方面軍とペシュガルモの人々が、つまり全ての人々が待ち望んでいたモノが到着した。イスパルタ西征軍の本隊が送ってきた、食料を中心とした多量の物資である。
これで当面飢える心配はない、と流民達は喜ぶ。これでようやく本格的な軍事行動に移れる、とアースルガム方面軍は喜ぶ。これで都市の食料を食い尽くされることはなくなった、とペシュガルモの人々も喜ぶ。ともかく人々は喜んだのだ。
「早かった、な」
喜ぶ人々の中、ベルノルトは小さくそう呟いた。本隊から物資が届くのが、彼の予想よりも早かったのだ。しかも「取り急ぎ送った」という量ではない。当面不足しないだけの量が送られてきたし、またすでに次回以降の計画が立てられている。本隊の本気度が伝わってくる力の入れ具合だった。
(そう言えば……)
そう言えば、アルアシャンは一時期、兵站計画部で仕事をしていたと聞く。もちろん短期間で兵站の仕事をマスターしたわけではないだろう。だが兵站の重要性はしっかりと叩き込まれたらしい。それを弁えている者が軍を率いる。心強いな、とベルノルトは思った。
もっとも、本隊の素早い仕事はそれだけが理由ではない。そのことをメフライルがこう指摘した。
「それだけ、本隊もこの計画には期待しているのでしょう」
メフライルの言葉に、ベルノルトはゆっくりと頷いた。ペシュガルモが流民を受け入れてくれれば、イスパルタ軍は煩わされずに済む。もちろん全ての流民をペシュガルモが受け入れてくれるわけではない。だが引き受けてくれたその分だけ、イスパルタ軍の負担は軽くなるのだ。物資ぐらい、いくらでも用意するというものだ。
「これは補給部隊の者から聞いた話ですが、本隊でも似たような計画を立てているという話ですよ」
メフライルの話に、ベルノルトはもう一度頷いた。ただ忘れてはいけない。彼らはこの西の最果てへ、流民を保護しに来たのではない。マドハヴァディティアを討つために来たのだ。流民対策はその一環であり、決して最重要課題ではない。それでベルノルトはこう言った。
「流民を食わせていく目途は立った。アーラムギールも近々こちらへ合流するだろう。彼の合流を待って、我々も動くぞ」
「御意」
ベルノルトの言葉に、メフライルが背筋を伸ばして答える。この二日後、アーラムギールが合流した。前述した通り、彼は流民の誘導を担当していた。
アーラムギールがイスパルタ西征軍に加わったのは、「アースルガム解放軍の実戦部隊の指揮を任せたい」とユスフに言われたからである。彼自身、それに相応しいのは自分だけだという自負があった。
それで、アルアシャンがアースルガムのベルノルトのところへ先遣隊を送ることにしたとき、アーラムギールがそこに加わることを望んだのは当然と言えるだろう。アルアシャンはそれを許したが、しかしその後の展開は彼の思うとおりにはならなかった。
バラットの謀反が明らかになり、シェマルの部隊が先行することになった時、エクレムはアーラムギールがそこに加わることを許さなかった。この時点でアースルガム解放軍の実質的な指揮官はオムだったのだが、そこにアーラムギールが出しゃばって現場が混乱することを危惧したのだ。
シークリーでサラと再会したとき、アーラムギールは涙を流して彼女の無事を喜んだ。サラも彼が駆けつけてきてくれたことを嬉しく、また心強く思った。しかしその一方で彼女は、ベルノルトと相談した上で、アースルガム解放軍の指揮権をアーラムギールに預けることはしなかった。そんなことをすれば、オムが不満を持つことが目に見えていたからだ。
それからしばらくの間、アーラムギールは軍事顧問としてサラとベルノルトに仕えた。彼は解放軍のネットワークを握っていたから、ハシムとも協力して諜報畑で大いに働いてくれた。ただそれは彼が望む活躍の仕方ではなかった。
アースルガム方面軍が動くことになった時、アーラムギールの内心は複雑だった。マドハヴァディティアを討つ意義は理解しているし、またそれを望んでもいる。しかし彼には戦力が与えられていない。そして任された任務は「流民の誘導」だった。それでも彼は不満を呑み込んで任務を全うしてくれた。
ベルノルトはそんなアーラムギールの働きを高く評価しているつもりだ。それで彼に一隊を与えるつもりでいた。オムの指揮権を取り上げるわけではない。新設の一隊である。流民の中から募った志願兵を、彼に任せることにしたのだ。
志願兵は全部で四〇〇〇強も集まった。ベルノルトが「支度金を出す」と触れを出したので、それを目当てに人数が集まったのだ。それでこの全てが戦力になるわけではない。明らかに年若い者、もしくは老いた者たちが多数混じっている。それでベルノルトは志願兵を二つのグループに分けた。
一つは敗残兵や従軍経験のある農民など、即戦力として期待できる者たちだ。数としては、半分弱の約二〇〇〇。志願兵を鍛えている時間などない。となれば実際に伴うのは、それなりに戦える者でなければならなかった。
もう一つのグループは、上記をさっ引いたその残りである。こちらは主に後方で働くことになる。兵士というよりは、アースルガム方面軍に雇用される労働者と言った方が、実態に即しているかも知れない。
ちなみにベルノルトは両者に対し、支度金では差を付けなかった。ただし戦争後の恩賞は、「働きに応じたものになる」と明言している。命がけで働いた者たちの方が恩賞が良くなるのは自明で、実戦部隊の者たちにも不満はなかった。
さてベルノルトはこの二つのグループの内、実戦部隊の方をアーラムギールに任せた。そして実はこの部隊、というより流民達の中には、アースルガム解放軍の構成員も混じっていた。そう言う縁もあり、アーラムギールはベルノルトの命令を喜んで引き受けたのだった。
もう一方の後方部隊はオムに任せた上で、彼の部隊ごとこのままペシュガルモに残らせる。彼らは難民キャンプの治安維持や、本隊から送られてくる物資の管理などを行うことになる。
こうしてアースルガム方面軍が動けるだけの条件は整った。だが闇雲に兵を動かすわけにはいかない。兵を動かすには目標が必要だ。そしてベルノルトはその目標をすでに定めていた。
『ラーカイド城を取らねばなりませぬ』
シークリーから出陣する前、エクレムは軍議でそう説明していた。反対の声は上がらない。ベルノルトも地図を睨みながら大きく頷いていた。
ラーカイド城は交通の要衝に建てられた城砦である。ペシュガルモから南下してクリシュナの支配領域の中央部を目指す場合、最初の関門となるのがこの城だった。
クリシュナ方がこの城を守っているなら問題はない。だがラーカイド城はすでにマドハヴァディティア方に奪取されていた。それでこの城を攻め落とさなければ、南下に際して補給線が危険にさらされる恐れがあった。
『ハシム。ラーカイド城のこと、調べておいてくれ』
『了解いたしました』
ベルノルトはあらかじめハシムにそう命じていた。その命令に従い、ハシムはペシュガルモ救援前からラーカイド城の情報を集めていた。その中間報告を聞いたとき、ベルノルトは思わず眉をひそめることになった。
『殿下。現在ラーカイド城を占拠しているのは、ミールワイス率いるルルグンス人部隊です』
その名前を聞いたとき、ベルノルトはそれが誰なのか一瞬思い出せなかった。そしてルルグンス人から連想してようやく、法王を裏切りマドハヴァディティアに通じた枢機卿のことを思い出す。彼は思わずこう呟いた。
『生きていたのか』
ベルノルトはミールワイスと親しかったわけではない。だがヴァンガルで彼と会ったとき、こうして西の果てでまみえる事になろうなどとは、夢にも思わなかった。そしてそれはきっと、ミールワイスも同じだろう。
(いよいよ……)
いよいよ煮詰まってきたな、とベルノルトは思った。マドハヴァディティアによるヴァンガル強襲に端を発した第二次西方戦争。その終幕が近いことを、彼はこの時予感したのだった。
メフライル「アーラムギール卿が不遇なのは、だいたい全部殿下のせいですよね」
ベルノルト「つまりサラのせいだな」(すっとぼけ




