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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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新生アースルガムの船出


 サラはシークリーに入城した。彼女にとっては、およそ四年ぶりの帰還である。


 祖国を落ちのびたあの日、サラは自分が生きてシークリーに帰れるとは思っていなかった。逃げることで精一杯で、将来の展望など少しも描けなかったのだ。捕まってはならない。万が一の時には、自分も自決する。彼女の頭にあったのはそれだけだった。


 幸いにも亡命は成功し、サラはイスパルタ朝の庇護を得た。ジノーファはアースルガムの再興を約束した。彼女がシークリーへの帰還を考えたのはこの時以降だ。ただしそれはずっと将来のことで、こんなにも早く帰還が叶うとは、彼女自身考えてもいなかった。


 街の様子は少し変わっただろうか。歓声に手を振って応えながら、サラは内心でそんなことを考えた。見た限り、戦火に焼かれた痕跡はない。マドハヴァディティアはずいぶんと無体を働いたというが、その後はシークリーが戦火に巻き込まれたことはない。それだけは良かったと彼女は思った。


 さて、シークリーに入ったサラは、真っ直ぐにかつての王城へ向かった。これまでは太守がここで政を行っていたが、彼は家族共々すでに逃げ出している。主なき城へ、サラは凱旋を果たした。


 城に入ると、たちまちサラの胸に懐かしさがこみ上げてくる。彼女にとって、この城こそが自分の家だった。あれこれと思い出がよみがえり、サラは思わず泣きそうになった。それを何とか堪えて、彼女は謁見の間に向かった。


 謁見の間の最奥には玉座がある。そこに座る父王と、その周囲に立つ家族の姿を幻視して、サラはついに一筋の涙を流した。そんな彼女にベルノルトが手を差し出す。サラは乱暴に涙を拭うと、彼の手を取って玉座に向かって歩き始めた。


 ベルノルトにエスコートされて、サラは玉座に近づく。彼女は一瞬躊躇ってから、ベルノルトに促されてそこに座った。そしてリリィからアースルガムの旗を受け取る。少々不格好なその旗を、サラは王笏のように手に持った。


 その瞬間、玉座に座るサラに、そしてその傍らに立つベルノルトに、謁見の間に集まった者たちは揃って跪く。それを見て、サラは口元に力を入れた。ベルノルトが彼女の肩に手を置く。サラは少しだけ力を抜いて、そして口を開いた。


「わたしは今ここに、アースルガムの再興を宣言します」


 サラの声は謁見の間に良く響いた。そしてこの後、歴史の中にも響いていくことになる。とはいえこの時の彼女はまだ、目の前のことで精一杯だった。



 ○●○●○●○●



 アースルガムの再興を宣言した後、解放軍はその活動をさらに活発にしていった。シークリーの掌握を完全なものとし、さらにアースルガム全体の掌握を急ぐ。数カ所、兵を用いなければならない場所があったが、サラはオムに命じてこれを制圧させた。


 流れた血の量が多かったのか少なかったのか、それは後世の歴史家が判断すれば良い。サラもベルノルトも、そしてアースルガムという国自体が、この時はまだ立ち止まることを許されてはいなかった。


 余談になるが、アースルガムが再興されたのに「アースルガム解放軍」という名称を用い続けるのは少し違和感がある。ただ解放軍はシークリーでサラの下にいる分だけではない。


 司令官のアーラムギールはヴァンガルにいてイスパルタ西征軍に協力していたし、なにより解放軍の真髄はその広範なネットワークにある。そしてそのネットワークにはイスパルタ朝の息が色濃くかかっていた。


 そしてサラの下にいる軍がこれらから独立していたかというと、決してそんなことはない。むしろその一部であったと言うべきで、するとこの時シークリーにいたのはやはり「アースルガム解放軍」とするべきだろう。


 まあそれはそれとして。国内の掌握を急ぐと同時に、サラとベルノルトは国外に対しても手を打った。アースルガムの再興とイスパルタ朝の後ろ盾を広く喧伝したのだ。これは当然、クリシュナやラーヒズヤ、そしてマドハヴァディティアの耳にも入った。そしてここからまた歴史が動いていくことになる。


 さて、アースルガム国内の掌握がほぼ完了すると、サラはこれまでの論功行賞を行った。まず山守衆に対しては、マデバト山とカリカットの街を正式にその所領として認めた。


 領主はユブラジとなるが、彼はカリカットに息子のアサーヴを置いてこれを治めさせた。これはルドラの推薦である。次の領主となる彼を鍛えるのが目的だった。アサーヴは躊躇いを見せたが、ルドラは義弟に厳しくこう告げたという。


「カリカットを治められないというのなら、次期領主の地位を今すぐに返上しなさい」


 カリカットの早期攻略を声高に叫び、山守衆のなかで主戦論者の筆頭となっていたのがアサーヴである。そして時勢という要因はあったものの、おおよそ彼の主張した通りに攻略は行われ、山守衆はカリカットを手に入れた。


 だが攻略が終わると、アサーヴはさっさとマデバト山へ戻ってしまった。悪戦苦闘して戦後処理を行ったのはルドラたちであり、言ってみれば彼はそれを放り出したのだ。ベルノルトは内心でそれを無責任だと思っていたが、ルドラも思うところがあったようだ。今度ばかりは彼も義弟を逃がさなかった。


 もっとも、ルドラもアサーヴ一人に全てを背負わせたわけではなかった。自分の配下の三分の二をアニクに与え、彼をアサーヴの下に付けてその補佐をさせた。アニクはカリカットで戦後処理に奔走した内の一人で、その後もルドラの下で働き着実に能力を伸ばしている。将来的にはアサーヴの右腕になるだろう。ルドラはそう期待していた。


 さてそのルドラだが、子飼いの戦力を大幅に減らしたことで、彼は解放軍の指揮官の地位を降りることになった。代わりに彼はサラの顧問官となり、その傍で主に内政についての相談役となった。ちなみにリリィは残りの三分の一を預かり、サラの身辺警護をすることになった。


「サラ、良かったな」


「ええ、すごく助かるわ」


 ベルノルトが意味ありげに声をかけると、サラは満面の笑みを浮かべてそう答えた。実のところ、彼女にとってルドラは叔父であり、リリィは従姉妹にあたる。もちろんその関係性を表に出すわけにはいかないし、また証拠となる系図もすでに燃やしてしまった。ルドラはもしかしたら承知しているかも知れないが、彼が自分からそれを言い出すことはないだろう。


 だから表向き、ルドラとリリィの親子はどちらもサラにとって臣下の一人に過ぎないし、またそう接しなければならない。多少浅からぬ縁があるとはいえ、それを信頼以上のモノに結びつけてはならないのだ。


 だがそれでも。家族を喪い天涯孤独だと思っていたサラにとって、二人が傍にいてくれることは強い安心感に繋がった。この当時サラが強いストレスにさらされていたことは間違いなく、その中にあって二人の存在は彼女の心の均衡を保つ一助になっていた。


 さてルドラに代わり、指揮官の地位に就くことになったのはオムである。この頃になると解放軍の兵士の大半はいわゆる非山守衆で占められており、この人事はそういうバランスを考慮した結果でもあった。


 カビールはメヘンガル城の城主になった。重要な軍事拠点を任されたのだから、相応に信頼されていたと言っていい。またこれはよそ者だからといって差別はしない、という意思表示でもあった。


 アースルガム族の騎馬隊については、これまでの分の報酬を与えてひとまず彼らの居留地へ返した。その際、サラは彼らに手紙を持たせていた。昨今の情勢からして、遊牧民に対するマドハヴァディティアの影響力は弱まっている。それをふまえた上で、他の遊牧民の部族に働きかけを行い、また騎馬隊を雇い入れられるように準備を頼んだのだ。


「心配するな。金は払う」


 そう約束したのは、サラではなくベルノルトだった。いざとなればイスパルタ朝が立て替えると約束したのだ。同時にそれは、「アースルガムの後ろ盾はイスパルタ朝である」という保証の言葉でもあった。


 傭兵が心配する事と言えば、「勝てるか否か?」であり、「報酬が支払われるか否か?」であろう。つまり勝てる見込みが高く、報酬もきちんと支払われるのであれば、それは傭兵にとって上客であると言っていい。「お任せあれ」と頼もしい言葉を残し、アースルガム族の騎馬隊は北へ戻った。


「ベル。その、大丈夫?」


 少々心配そうに顔色を窺いながら、サラはベルノルトにそう尋ねた。名乗りを上げたことで、彼はイスパルタ朝の介在を隠していない。しかし彼がこれまで利用してきたのは、いわばその看板だけだった。


 だが報酬を約束するとなると、そうはいかない。契約が成立すれば、当然ながら将来的には実際の支払いが求められることになる。


 それがベルノルト個人の資産で賄える範囲であれば、問題はない。だがそれを超えた場合は、イスパルタ朝という国家のお金で支払いをすることになる。とはいえ当然ながら、その分の予算はまだ確保されていない。イスパルタ朝のお金を本当に使えるのか、それはまだ分からないのだ。


 使えなかった場合、もしくは不足分が出た場合、その差額は借金をするか、父王ジノーファにお願いして支払いを肩代わりしてもらうことになる。ただ借金をするとしても、王子が民間の金貸しからお金を借りるのは外聞が悪い。それで借金をするとしても、その相手はジノーファである可能性が高かった。


 それで言ってみれば、ベルノルトは勝手に国や父親の名前を使って買い物をしているようなものなのだ。彼自身、かなり勝手な真似をしている自覚がある。だが現実問題としてアースルガム解放軍にはさらなる戦力の増強が必要であり、そのためには遊牧民の騎馬隊を雇うのが最も簡単で効果的なのだ。それでベルノルトはこう答えた。


「心配するな。ここで解放軍が踏ん張れば、その分だけイスパルタ軍は動きやすくなるんだ。なら、必要経費だよ、これは」


「そう……」


「あと、いざという時にはアースルガムに付け替える」


「ええっ!?」


「良かったな。借金返し終わるまで、潰したくても潰させてもらえないぞ。これで一〇〇年くらいは安泰だろう」


「借金まみれは安泰とはいわないわよ……」


 むしろ暗澹(あんたん)だわ、とサラは机に突っ伏してぼやいた。それで付け替えを拒否しないのは、その借金は本来アースルガムで引き受けるべきモノだと理解しているからだ。「節約しなきゃ」と呟くサラに苦笑しながら、ベルノルトは自分の歳費(お小遣い)がどれだけ残っていた脳裏で計算するのだった。


 ちなみにベルノルトはこの先、戦力の増強以外にも、アースルガムのために多額の資金を投じていくことになる。再興したばかりのアースルガムに十分な軍資金があるわけがないからだ。それで、主に武器や兵糧を購入するために金を使ったのだが、彼もそう多額の現金を持っているわけではない。


『イスパルタ軍が来たら必ず支払う』


 そう言って物品を先に用意して貰うのが常だった。実質的に借金と変わらないのだが、開き直ったというべきか、必要と思えばベルノルトは躊躇しなかった。自分の肩書きを最大限に利用して、彼は物資の調達に奔走した。


 ただ同時に、この時期、隠密衆やアースルガム解放軍のネットワークを通じて、イスパルタ西征軍の動向に関する情報が素早く拡散されていた。商人達は当然それらの情報を耳にしており、「本当にイスパルタ軍は来る」と確信できた。それもまた彼らが代金後払いの取引に応じた理由の一つだった。


 何にしてもベルノルトがシークリーにいたことで、解放軍は物資の不足を心配せずとも良かった。この一事を持って、彼は一万の兵に勝る働きをしたと言っていい。なお、彼が使ったお金の総額は、事業としては相応で、王族の消費としては莫大だったと言っておく。


 さて、そのベルノルトはサラから恩賞を受けることはなかった。彼はサラの臣下ではないからだ。ただしベルノルトは同盟者としてサラと同等の権限を認めさせた。つまりサラの勅命であっても、ベルノルトが否定すれば取り消せるのだ。


 本来であれば混乱を引き起こすだけの強権だが、これに反対する者はいなかった。ここでベルノルトが、イスパルタ朝が手を引けば待っているのは破滅であると、解放軍の全員が分かっていた。


 いや強権どころかむしろ控え目であるとさえ思われていた。アースルガムとイスパルタ朝の力関係を考えれば、同等以上の権限を要求されてもむしろ当然であったろう。それを同等で抑えたのだから、ベルノルトがサラの顔を立てたと好意的に評価された。


 それで、この強権はむしろ歓迎されたと言っていい。控え目であったこともそうだが、それ以上に関与する意思があることの表明であり、見捨てないという約束の証と受け止められたのだ。解放軍の将兵には何よりの保証であったと言っていい。


 アッバスとメフライルも、サラから恩賞は受け取らなかった。二人はベルノルトに従っているからだ。ただベルノルトが名乗りを上げたことで、周囲の目や態度はかなり変わっていた。そういう意味では、二人の周囲でも変化は確実に起きていた。


「まさか、本当に貴族だったとは……」


 メフライルの正体を知って、リリィは無意識のうちに険しい顔をしていた。やんごとない身分なのかもしれない、と予想はしていた。だがいざその予想が当たってみると、やはりと思うよりはむしろ、騙されたという気持ちが先に立つ。礼儀知らずのがさつな女だと自分の事を内心でバカにしていたのだろうか。そう考えると無性に腹が立った。


「貴族と言っても、もう家は出ているからな。今の私は一介の近衛軍士官だよ」


 肩をすくめながら、メフライルはリリィにそう告げた。それからさらに、自分の身の上について軽く説明する。幼い頃に当主たる彼の父が早世し、叔父が兄嫁を娶る格好で家を継いだ。二人の間に男子が生まれたので、彼は相続権を放棄して家を出ることにしたのだ。


 それを聞いたリリィは、とても面倒くさそうな顔をした。彼女の反応を見て、メフライルも苦笑する。彼自身、当事者でなければ同じように思っただろう。一般論でいえば、彼は殺されてもおかしくない立場にいたのだ。とはいえすでに終わった話でもある。それで彼はあえて軽い口調でこう言った。


「まあ、本国から遠く離れたここでイスパルタ貴族だなんだと言っても馬鹿馬鹿しいだけだろう。私は殿下の参謀になったけど、そっちは言ってみればサラ殿下の親衛隊の隊長なわけだし、今まで通りに接してくれ。その方が私も肩が凝らずに済む」


「分かった。そうさせてもらう。……それにしても、もう家族に会うつもりはないのか?」


「さあ? 顔を合わせる事くらいはあるんじゃないのか」


 気のないメフライルの返事を聞いて、リリィは思わずは眉をひそめた。彼女にとって家族とはもっと大切で尊いものだ。だがメフライルが同じように思っているようには見えない。彼女が覚えた違和感は大きかった。とはいえここで深入りしても何かできるわけでもない。それでリリィは小さく頷くに留めた。


 一方でアッバスだが、彼はベルノルトとサラに頼まれて軍事顧問官になった。主に軍事について、二人にあれこれと助言するのが仕事だ。兵の調練などにも大きく関わることになっており、つまり今までと大きく変わらない。ただ軍事の専門家である彼への期待は、今までより大きくなっていた。


「本当なら、アッバスを解放軍の指揮官にしたかったんだけどな」


「たかだか百人隊長でしかない小官には分不相応です。それに兵達も納得しないでしょう。軍事顧問官あたりが最も収まりが良いかと」


 アッバスの忠誠はあくまでもジノーファに捧げられている。彼はベルノルトのために戦うつもりはあっても、アースルガムのために戦うつもりはなかった。そのような者が指揮官になっては、兵たちの士気に差し障りがあろう。彼はそう考えていた。


 ちなみに軍事顧問官の仕事にはオムを筆頭に解放軍の士官の教育も含まれており、この後アッバスは鬼教官として味方に畏れられていくことになる。またそのために解放軍の軍制は、イスパルタ近衛軍のそれと類似したものになった。


 この他にも必要な論功行賞が行われ、これにより解放軍だけでなく、アースルガムという国家を運営していくための人事が固められた。こうして新生アースルガムは船出した。



今話におけるサラのかつら着用率:80%(たぶん)

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― 新着の感想 ―
[良い点] ベルノルトの散財とアースルガルムの新体制の構築 空手形で買い物するなら徹底的にやったほうが協力した商人たちも腹をくくって一蓮托生するので良い(やばくなったら全力で実家まで送り届けて代金+謝…
[良い点] ベルが成長したなぁって感じがします。 王子って名ばかりで帝位を継げるわけでもないし、何をしたら良いのかって感じでしたが、頑張ったなぁと。 生まれる前から読んでる私としては微笑ましいです。 …
[一言] バカ息子やりたい放題だなぁ笑 ジノーファやシェリーが優しいから縁を切られないだろうが、冷徹な王や上層部ならばアッサリ廃嫡されて勝手に名前を使った事を避難されてアースガルムは潰されるよね。そ…
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