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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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312/364

ニルギット会戦1


 これまで西方諸国においては、クリシュナとラーヒズヤがその覇権を争っていた。そこへ突如として割り込んできたのがマドハヴァディティアである。しかも五万の大軍を引き連れて。


 クリシュナとラーヒズヤはマドハヴァディティアから敵視される理由に、山ほど心当たりがあるだろう。また両者とも動員できる戦力は二万に届かない。それで、この二人が手を結ぶのは必然だった。


「それでアーラムギール。両軍はもう雌雄を決したのか?」


 アルアシャンがそう尋ねると、アーラムギールは首を横に振った。彼の得た情報によると、決戦はまだ行われていない。ただその機運は急速に高まっているという。実際、クリシュナにしろラーヒズヤにしろ、マドハヴァディティアの存在感がこれ以上大きくなる前に叩いてしまいたい、というのが本音だろう。


「ふむ。しかしそうなると、勝敗の行方次第で西方の情勢は大きく変わるな」


 ハザエルがそう呟くと、幕僚たちがあちこちで頷く。西方の情勢が変われば、西征軍の戦略もそれに合わせて修正が必要になる。それでまずは西方における戦いの行方を注視することになった。


 もちろんその間、西征軍はただ待っているだけではない。マデバト山までの進軍ルートを検討したり、調略できそうな有力者をリストアップしたりと、やることは多い。いずれにしてもアルアシャンが戦略方針を定めたことで、西征軍はいよいよ本格的に動き始めたのである。



 ○●○●○●○●



 西方へ舞い戻ったマドハヴァディティア軍は、連戦連勝で急速に支配領域を拡大していた。当初は士気が上がらず表情が暗かった兵士たちも、最近では意気軒昂としている。その筆頭とも言うべきなのがミールワイスで、彼は慣れない甲冑を身に纏って戦場に立つことまでしていた。


 勢いに乗るマドハヴァディティア軍ではあったが、当のマドハヴァディティアは戦況を楽観してはいなかった。彼の足下は未だ脆弱だ。五万の大軍とはいえ、一度敗北すれば兵の多くは四散するだろう。また何より、遠からずイスパルタ軍が西へ出張ってくる。それまでに十分な支配領域を確立しておく必要がある。


(やはり……)


 やはりヴェールールを、少なくともその王都を奪還しなければなるまい。マドハヴァディティアはそう考えている。彼の権力基盤はそこにあるからだ。今後、戦い続けるためにはやはりしっかりとした権力基盤が必要であろう。


 また本拠地を失った王というのはいかにも惨めである。それどころかマドハヴァディティアは息子に臥所を暴かれている。彼の面子は丸つぶれであり、彼は己の矜持にかけて面目を施さねばならない。それをなす唯一の方法はクリシュナを討つことであり、その彼がいるのがヴェールールの王都だ。マドハヴァディティアに進軍を躊躇う理由はなかった。


 さて、マドハヴァディティアの動きに合わせてクリシュナとラーヒズヤも動いていた。二人は休戦条約を結び、共にマドハヴァディティアと戦うことで一致した。二人は兵を参集させつつ、注意深くマドハヴァディティア軍の動きを探り、決戦のタイミングを窺った。


 マドハヴァディティア軍の動きに関わる情報は、意外なところからももたらされていた。イスパルタ軍である。停戦条約を結ぶ際、マドハヴァディティアは西方でどのように動くつもりなのか、その予定を明らかにしていた。その情報をイスパルタ軍がクリシュナ軍に流したのである。


 クリシュナ軍とラーヒズヤ軍はその情報を共有していたが、当然ながら頭から信じているわけではなかった。イスパルタ軍の謀略を疑っているわけではない。だが相手はあのマドハヴァディティアなのだ。交渉を利用しての情報操作くらい幾らでもやるに違いない。二人ともそう考えていた。


 考えていたのだが、マドハヴァディティア軍の動向について調べるにつれ、二人は別々の場所にいながら揃って首をかしげることになった。イスパルタ軍から伝えられた行軍予定のほぼその通りに、マドハヴァディティア軍は動いていたのである。しかも大きく逸脱するのを避けているようにさえ感じられた。


 こうなると、マドハヴァディティア軍は今後も予定表通りに動く可能性が高い。そして伝えられた情報によると、マドハヴァディティア軍が目指しているのはヴェールールの王都ガーバードである。二人としてもこの目標は納得できるものであり、それでこの情報を基に迎撃作戦が立案された。


 決戦の地として選ばれたのは、〈ニルギット平原〉。小高い二つの山に挟まれた、谷間の平原である。動員戦力はクリシュナ軍一万六〇〇〇、ラーヒズヤ軍一万四〇〇〇、合計三万。両軍は二つある小高い山の上にそれぞれ陣を張り、マドハヴァディティア軍を待ち構えた。


 マドハヴァディティア軍がニルギット平原を通過するには、当然のことながらこのクリシュナ-ラーヒズヤ連合軍を排除しなければならない。迂回ルートは他になく、無視して通り過ぎようとすれば挟み撃ちに遭うからだ。


 それでマドハヴァディティア軍の基本戦術としては、クリシュナ軍かラーヒズヤ軍のいずれか一方を先に叩き、しかる後にもう一方を叩くと言うことになるだろう。よって連合軍としては最初に標的とされた方が敵を受け止め、もう一方がその背後か側面を突く、という作戦になる。


 もちろん、マドハヴァディティアが軍を二つに別け、両軍を同時に攻撃することも考えられる。だがその場合、一方に割ける戦力は二万から多くても二万五〇〇〇。高地で防御を固めれば耐えられないほどではない。つまり長期戦になる。


 長期戦は連合軍に有利であると、クリシュナもラーヒズヤも考えていた。理由は兵糧だ。マドハヴァディティア軍は大軍だが、だからこそ多くの兵糧を必要とする。そしてそれを賄うだけの権力基盤がマドハヴァディティアにはまだない。そして兵糧が尽きるとき、マドハヴァディティア麾下の兵士たちは彼に愛想を尽かすだろう。


 何より、いたずらに時間をかければその間にイスパルタ軍が動く。イスパルタ軍について言えば、これを連合軍の味方と安易に考えることはできない。同盟を結んだわけでも、条約を結んだわけでもないからだ。話を持ちかけてはいるものの、今のところ返答ははぐらかされている状態だった。


 しかしながら連合軍とマドハヴァディティア軍のどちらにより好意的かといえば、それは間違いなく前者であろう。情報を流すなどの協力姿勢は見せているからだ。つまりイスパルタ軍が動けば、連合軍とマドハヴァディティア軍のうち後者のほうがより追い詰められるに違いない。


 ゆえにマドハヴァディティアは短期決戦を挑むしかない、というのが二人の見立てだ。そのためには戦力は集中して運用する必要がある。実際、一方が撃破されればもう一方も撤退するしかないのだから。


 そのようなわけで、クリシュナ-ラーヒズヤ両軍はニルギット平原に集った。両軍はそれぞれ小高い山の上に陣を張り、さらに時間の許す限り壕を掘って塁を築き、柵を立てて防御を固めた。二人ともマドハヴァディティアの恐ろしさは重々承知している。手抜かりはなく、むしろどれだけやっても足りないように感じられた。


 そしていよいよ、ニルギット平原にマドハヴァディティア軍が現われた。これもまたマドハヴァディティアがイスパルタ軍に明かした、その予定に沿った進軍である。


 連合軍としては思惑を外されなかったことを喜ぶべきだろう。だがここまで予定表通りだと、二人としてはいっそ薄ら寒いものを感じる。マドハヴァディティアはこんなに素直な人間だっただろうか。いや、そんなはずはない。では一体何を企んでいるのか……。


 さて半ば要塞化された二つの小高い山を見て、マドハヴァディティアは不敵に顔を歪めた。彼が率いる戦力は四万五〇〇〇。制圧した各地に配置してある守備隊をのぞき、動かせる兵の全てを動員している。


(ここまでは予定通り、だな)


 マドハヴァディティアは内心でそう呟いた。ここで連合軍を退ければ、ヴェールールの王都ガーバードは目と鼻の先と言っていい。何よりクリシュナとラーヒズヤに土をつけるのだ。西方諸国はマドハヴァディティアこそが「王の中の王」であることを思い知るだろう。日和見している者たちも、彼の下に馳せ参じるに違いない。


 そうなれば西方諸国の再統一も現実味を帯びてくる。いや再統一ではない。史上初の統一だ。もはやマドハヴァディティア以外の王はいらぬ。彼は西方において唯一絶対の王となるのだ。


(初めから……)


 初めからそうしておけば良かったと思いつつ、マドハヴァディティアは後悔の気持ちに蓋をした。今はそのようなことを考えている場合ではない。


「全軍、攻撃開始!」


 マドハヴァディティアは命令を下した。ラッパが吹き鳴らされ、銅鑼が打ちたたかれる。鬨の声が上がり、マドハヴァディティア軍は動き始めた。


 クリシュナとラーヒズヤが予測したとおり、マドハヴァディティアは敷かれた二つの陣の一方に対して戦力を集中させた。彼が矛先を向けたのはクリシュナ軍の陣。そしてこれも予想された事でもあった。


 イスパルタ軍から伝えられたマドハヴァディティア軍の進軍予定は、明らかにガーバードを目標としていた。クリシュナ軍を標的としていたわけである。これはクリシュナがマドハヴァディティアの臥所を暴いたためであり、より大きな恨みを買っているためと思われた。


 その予測を裏付ける噂も流れている。マドハヴァディティアが「クリシュナの首を取った者に金貨一万枚、生きたまま捕らえてきた者には金貨三万枚を与える」と約束したというのだ。


 マドハヴァディティアの狙いはクリシュナの首である。クリシュナ本人もラーヒズヤも、もはやそのことを疑わなかった。二人はそれぞれ自分の役目に集中する。クリシュナは敵を迎え撃つ準備をさせ、ラーヒズヤは打って出る用意を調えさせた。


 そしてマドハヴァディティア軍がクリシュナ軍へ襲いかかる。マドハヴァディティア軍は怒濤の如くに押し寄せた。マドハヴァディティアがクリシュナの首と身柄に多大な懸賞金を掛けたことは、末端の兵士にいたるまでが知っている。マドハヴァディティア軍の兵士たちは欲望を刺激されてクリシュナ軍へと襲いかかった。


「押し返せ!」


 クリシュナ軍もそれに応戦する。数の上ではマドハヴァディティア軍の方が多い。しかしクリシュナ軍はしっかりとした準備を整えていた。それで怒濤のごとき敵の猛攻を、花崗岩の如くに立ちはだかって受け止める。双方一歩も退かない激戦となった。


 その様子を、ラーヒズヤは自軍の本陣から眺めていた。より正確に言えば、彼が見ていたのは猛攻を仕掛けるマドハヴァディティア軍のほうだ。彼らは全軍が一心不乱にクリシュナ軍へ襲いかかっている、わけではない。


 およそ一万の兵が割かれてラーヒズヤ軍の動きを警戒している。それを見てラーヒズヤは苦笑気味に口の端を歪めた。つまりこれを突破しなければ、敵主力の脇腹を突くことはできない、というわけだ。


(楽に勝たせてはもらえぬ、か……)


 頭に血が上っているようで、しかし冷静な判断を忘れない。流石はマドハヴァディティア、手強い相手だ、とラーヒズヤは思った。とはいえ彼は「突破は難しくない」とも思っている。


 彼はほんの数ヶ月前までマドハヴァディティアの配下にいたのだ。その麾下にいる将たちのことは当然よく知っている。あの一万の兵を指揮しているのは誰なのか、それは分からない。しかし誰であったとしても、恐れるには足らぬ。ラーヒズヤが恐れるのはマドハヴァディティアただ一人だった。


 やがて用意が整うと、ラーヒズヤ軍は一気に山を下った。彼らの狙いは立ちはだかる一万の敵であり、その先にいるマドハヴァディティア軍主力の脇腹である。今はまだ大丈夫だが、クリシュナ軍もいつまで耐えられるか分からない。早めに援護する必要がある。そうでなければ勝利はおぼつかない。


「全軍突撃せよ!」


 敵との距離が詰まってきたところで、ラーヒズヤは麾下の全軍に突撃を命じた。ラーヒズヤ軍一万三〇〇〇が、マドハヴァディティア軍の別働隊一万と激突する。前者の方が数が多く、また勢いもあったが、しかし後者もさるものでそう簡単には突破させない。激しい鍔迫り合いのような戦いになった。


 別働隊がラーヒズヤ軍を受け止めたところで、マドハヴァディティア軍の最後尾にいた部隊が突如として反転した。ミールワイスが率いるルルグンス人部隊である。その数、およそ三〇〇〇。彼らは東向きに大きく弧を描くように移動し、ラーヒズヤ軍の側面へ襲いかかった。


「進めぇ! ラーヒズヤを殺すのだ! 奴こそが我らに辛酸をなめさせた、その元凶である!」


 ミールワイスは唾を飛ばしながらそう叫んで兵たちを鼓舞した。ルルグンス兵たちも声を上げてそれに応える。


 彼らが故郷を追われて西へ流離わなければならなかったのは、ひとえにラーヒズヤがミールワイスをたぶらかしたからであり、つまり全てはラーヒズヤのせいである。少なくともミールワイスとルルグンス人たちはそう信じていた。


 ラーヒズヤが知れば、「お門違いだ」と冷たくあしらったことだろう。そもそも彼がミールワイスを調略したのは、マドハヴァディティアの命令であったのだ。恨むならそちらを恨むべきだろう。またたぶらかしたのが彼であるとして、たぶらかされたミールワイスにも責任がある。そこから目をそらすなど、まったくもって笑止でしかない。


 だがそのような正論、マドハヴァディティアもミールワイスもルルグンス兵も必要とはしていない。マドハヴァディティアがクリシュナを憎むように、ルルグンス人たちはラーヒズヤを憎んでいるのだ。怒りと憎しみに突き動かされ、彼らは敵軍に突撃した。


 反転してから敵軍に突撃するまでのルルグンス人部隊の動きは、必ずしも俊敏とは言えなかった。彼らの練度は決して高くないのだ。その間にラーヒズヤは多少なりとも手を打つことができた。そのおかげで、側面を突かれたとは言え、ラーヒズヤ軍が崩れることはなかった。


 しかしながらルルグンス人部隊の士気は高い。彼らはへばり付くようにして猛攻を続けた。するとラーヒズヤ軍のほうも、次第に片手ではこれをあしらいきれなくなる。そのために前進するための力が殺がれた。


 その瞬間、別働隊の後方でラッパが吹き鳴らされた。それを聞き、ラーヒズヤは「すわ反転攻勢か」と身構える。彼の予感は当たっていた。だがその前に彼の思ってもみないことが起こった。


「〈王の中の王〉マドハヴァディティア!

〈王の中の王〉マドハヴァディティア!

〈王の中の王〉マドハヴァディティア!」


 別働隊の兵士たちが突然、口を揃えてそう叫びだしたのである。後世の戯曲や演劇などでは、ここに詩的な文章を追加して物語に荘厳さを加えている。だが実際に叫ばれたのは「〈王の中の王〉マドハヴァディティア!」だけであった。


 戯曲や演劇に比べれば荘厳さには欠けるだろう。だが一万人もの兵士が口を揃えてコレを叫んだのである。その叫びは地鳴りのように響き渡り、ラーヒズヤ軍将兵の心胆を寒からしめた。


 そしていよいよ、マドハヴァディティア軍別働隊一万が反転攻勢に移る。ラーヒズヤ軍もそれを迎え撃とうとするのだが、側面にルルグンス人部隊がへばり付いていて正面に注力することができない。ずるずると押し込まれた。


「何をしている!? 退くなっ!」


 ラーヒズヤが味方を叱咤する。しかし敵の猛攻は激しく、味方の後退は止らない。かくなる上は自らが先頭に立って味方を鼓舞するより他にない。彼は覚悟を定め、直属の部下達を率いて前線へ飛び出した。


 雑兵相手に武勇を振るったところで、今更ラーヒズヤの勇名がさらに高まるわけではない。だが主将が戦ってみせることにはそれなりに意味がある。ラーヒズヤ軍は勢いを取り戻した。だがそれも長続きしなかった。なぜなら……。


「戦場の勘は衰えておらぬようだな、ラーヒズヤよ」


「な、なぜあなたがここに……!」


 マドハヴァディティアが現われたからだ。


ラーヒズヤ「げぇ!? マドハヴァディティアっ!」

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― 新着の感想 ―
[良い点] こんな殺伐とした状況の中でもイスファード氏は不法侵入罪で収監中なのですよね。犯罪は割りに合わないものだと国民への啓蒙に使えそうですね。 [一言] 新月先生の文末の一言が毎回面白すぎます。
[一言] 抑圧されていたとしても所詮裏切り者の寄せ集めの軍でしか無いからなぁ…… 裏切ったクソガキと各国の女達と元腹心だけは殺さないと気がすまないわ。
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