三人パーティー
六月。ユスフとカイブが新たに屋敷で働くことになってから、およそ一ヶ月が経った。ジノーファの生活は賑やかさを増している。特にユスフは歳が近く、また執事見習い兼従者として雇われたこともあり、何かと一緒にいることが多い。ジノーファはまるで弟ができたかのようにも感じていた。
「ユスフ、ここでの生活にはもう慣れた?」
「はい。ヴィクトールさんにもよくしてもらっています」
そう答えるユスフの表情は明るい。彼は現在、ヴィクトールの下で執事の仕事を覚えるために奮闘中だった。さらにヴィクトールは彼のことを自分の後任、つまり将来の家令にするつもりでいる。いずれはその仕事も教えるつもりで、今はそのための準備期間といったところだった。
さらにユスフはダンジョン攻略も行っていた。ジノーファがシェリーと一緒に攻略を行っていることを知ると、彼もダンジョンに同行することを志願したのだ。ジノーファは二つ返事で了解したのだが、しかしそのためには一つ問題があった。
現在ジノーファとシェリーが攻略を行っているダンジョンは、直轄軍によって厳重に管理されている。中に入るためには、特別な許可票が必要だ。そしてこの許可票は基本的に直轄軍の兵士でなければ与えられないものだった。
ジノーファにはダンダリオンから直接、貴族用の許可票が与えられている。シェリーは本職が細作なので、訓練でダンジョンを使うべく、直轄軍の許可票を持っている。だがユスフはジノーファに仕える使用人でしかない。どうやって彼の許可票を手に入れればいいのか、それが問題だった。
『シェリー、何とかならないだろうか?』
『お任せください』
ジノーファに頼られ、シェリーは力強くそう請け負った。そして後日、彼女は本当に直轄軍の許可票を手に入れてきたのだ。間違いなく正規品で、そのドックタグにはちゃんとユスフの名前が打刻されている。
『すごい……。でも、どうやって……。ダンダリオン陛下にお願いしたのかい?』
『陛下にも報告はしましたが、手続き自体は正規のものですよ』
シェリーが言うには、ジノーファが持っている貴族用の許可票、それが鍵らしい。
この世界においては、貴族たちも「高貴な者の義務」としてダンジョン攻略を行っている、と言う話は以前にもした。そして炎帝ダンダリオン一世のお膝元、ここ帝都ガルガンドーにおいては、特にその傾向が強い。
さて、貴族たちがダンジョン攻略を行う場合、パーティーメンバーは自分たちで揃えなければならない。そしてその中に、いわゆる平民が含まれることも珍しくはなかった。
しかしこれら平民は貴族用の許可票はもちろん、直轄軍の許可票も持っていない。許可票がなければダンジョンには入れない。それでは貴族たちが困る。それである制度が作られた。それが「護衛同伴許可制度」である。
この制度を使って申請すると最大で六人分、直轄軍の許可票を交付してもらえるのだ。その許可票を使うことで、貴族が自分で集めたメンバーをダンジョンに入れることができるようになるのである。今回シェリーが使ったのは、この制度だった。
ちなみに、これらのメンバーは当然、直轄軍の名簿には記載されない。言ってみれば、シェリーたち細作と同じ扱いなわけだ。というより、彼女達の存在を紛れさせて隠すために、この護衛同伴許可制度が生まれた側面も否定できない。
まあ、それはそれとして。制度についての説明を一通り行うと、シェリーはジノーファに一枚の紙を差し出した。直轄軍の許可票を交付してもらうための、申請用紙だ。
『次の報告のときに持って行きますので、必要事項を記入しておいて下さい』
『うん、分かった。でも、順番が逆なんじゃ……?』
ジノーファは少し困惑した様子でそう尋ねた。普通、申請を行い許可が下りてから許可票が交付される、というのが自然な流れだろう。しかし今回はすでに許可票がこの場にある。どう考えても順番が逆だった。
『メイドですから』
清々しい笑顔でそう言われ、ジノーファは肩をすくめた。まあ、大方コネの力だろうと想像はつく。だいたい、恩恵を受けている側があれこれ異議を唱えるのもおかしな話だ。ジノーファはそれ以上なにも言わなかった。
なにはともあれ、こうしてユスフがダンジョンに入るための準備が整った。ただ、実際に攻略を始める前に、ジノーファは彼に確認しておかなければいけない事があった。
『ユスフは、今までどれくらいの場所で攻略を行っていたのだ?』
『……上層と中層の境目、いえ、中層には踏み込んでいたはずです』
少し言いにくそうにしながら、ユスフはそう答えた。ジノーファが聖痕持ちで、シェリーと二人で下層の攻略を行っていることを、彼はすでに知っている。自分がそのレベルに届いていないことを、ユスフは認めなければならなかった。
『必ず、必ず追いつきます! ご一緒させてください!』
ユスフは必死な様子で懇願した。そんな彼の様子にジノーファは苦笑する。ジノーファもいまさらユスフを置いていこうとは思っていない。彼に合わせて主戦場を中層に変える必要はあるだろうが、それさえも好都合な事情が二人にもあるのだ。
そんなわけで、ユスフを加えた三人でのダンジョン攻略が、およそ二十日前から始まっていた。目的地は中層の水場。そこで水を汲んでくるのが、とりあえずの目標である。廃墟エリアの探索と攻略は一時中断。下層の水とドロップ肉については、しばらく我慢してもらうよりほかない。
攻略が始まるとすぐ、ユスフは何度も驚くことになった。主に妖精眼とシャドーホールのせいだ。特に驚いたのはマナスポットの存在で、最初に教えられたときは、三回説明されてもまだ信じられない様子だった。
『懐かしい反応ですねぇ……』
しみじみした様子のシェリーに、ジノーファは苦笑して肩をすくめる。彼としてはこれが普通なのだが。人間、誰しも自分の常識が世間の常識だと思うものなのである。
さて、攻略の表の目的が中層の水を汲むことであるなら、真の目的はユスフのレベルアップを促すことだ。それで魔石のマナは頭割りだったが、マナスポットのマナは彼が独占的に吸収していた。
『ぼくだけ、そんな……、悪いですよ!?』
『いいから。頭割りにしていては、いつまでも追いつけないぞ?』
ユスフは固辞しようとしたが、ジノーファはそう言ってやや強引に彼を説き伏せた。実際彼の言うとおりで、ユスフは恐縮しながらもその方針に従った。その代わりというわけではないのだろうが、彼はダンジョン攻略の報酬については決して受け取ろうとしなかった。
『シェリーさんも貰っていないじゃないですか。ぼく……、わたしも受け取れません』
ユスフは強硬にそう言い張った。「そこまで気にしなくていいのに」とジノーファは思うのだが、彼がどうしてもいらないと言うのであれば、無理に押し付けるわけにもいかない。ヴィクトールに言って、給料に危険手当をつけることにした。装備品もシェリーに準じる扱いで、つまりジノーファが全て用意することになる。
ユスフが使う得物は弓と短剣。短剣はともかく、ダンジョン攻略で弓を使うのはなかなか珍しい。
弓を使うためには、矢が必要になる。そして矢は消耗品だ。常に補充しなければならないので、その分のコストがかかる。さらにダンジョンに持っていける量が限られるし、使い切ってしまえばダンジョン内での補充は難しい。
以前、ジノーファがダンダリオンらとダンジョン攻略を行ったとき、イーサンが弓を使っていたが、これは複数の要因が重なったからこその選択である。第一に後衛を担うメイジがおらず、第二に攻略範囲が上層に限られており、第三に外へ出れば矢の補充には困らなかった。
だが普通であれば、このような条件が重なることはまずない。個人でダンジョン攻略を行っている者ならなおさらだ。しかしユスフはそれでも弓を使っている。それを可能にしているのは彼の魔法だった。
彼の魔法は「ライトアロー」という。つまり魔力で矢を形成し、それを射るのだ。これなら、魔力の続く限り矢を射ることができる。現在のユスフの魔力量であれば、およそ二〇〇発程度放つことができる。休憩などを挟めばもっと使うことができるだろう。
もちろんユスフは普通の矢も携えているが、それはあくまでも予備だった。しかも今はジノーファもいる。シャドーホールの中にはさらに予備の矢が収納してあり、おかげで矢が尽きる心配はほとんど無かった。
そして肝心の弓の腕だが、「悪くない」というのがジノーファとシェリーの評価だった。動いているモンスターを相手に、一発で急所を射抜くほどの腕はまだない。しかしともかく当てることはできる。そして当てればモンスターの動きは鈍る。そこを仕留めればいいのだ。
「何より、飛んでいるモンスターへの対処が楽になりましたね」
翼を射抜かれたコウモリのようなモンスターに止めを刺し、その魔石を回収してからシェリーがそう言った。その言葉にジノーファも同意して頷く。ユスフが加わったことで最も恩恵を感じる分野が、これだった。
どれだけ弱いモンスターであっても、攻撃が当らなければ倒すことはできない。翼を持ち空を飛ぶタイプのモンスターはまさにその典型で、中層といえどもジノーファとシェリーはこれまで苦労させられてきた。
しかしこうして翼を射抜いてしまえば、飛ぶことはおろか、素早く動き回ることももうできない。倒すのは容易だった。
もちろん空を飛ぶ相手を射るのは、ユスフにとっても簡単ではない。だが一度で決める必要はないし、当らなくても接近してくれれば、あとはジノーファやシェリーが何とかしてくれる。なにより役に立っていると実感できるので、彼も気合が入った。
「もっと腕を磨いて、確実に射抜けるようになって見せます!」
「うん。頑張ってくれ。期待している」
意気込むユスフをジノーファはそう激励した。ちなみに短剣の腕のほうは、シェリー曰く「平均的」。ただ、ダンジョンの中で彼が短剣を使うことはほとんどない。中層ということもあり、短剣の間合いに入ったモンスターは、だいたいシェリーが先に始末してしまうのだ。
「ユスフくんばかり活躍していては、わたしの鍛錬になりませんわ」
シェリーは苦笑を浮かべてそう言った。彼女の手には、新しい短剣が握られている。直轄軍の支給品、ではない。シェリーと相談しつつ、ジノーファが工房モルガノの店主に依頼して打ってもらった、一点ものの逸品である。
この短剣には、以前にジノーファが廃墟エリアで倒したワイバーンの爪が素材として使われている。これほどの素材はなかなか手に入らないので、換金せずに取っておいたのだ。嵩増しはしておらず、完全にダンジョンの中でのみ使うことを想定していた。
普通に短剣に慣れるだけなら、シェリーは鍛錬など必要としない。彼女が精を出しているもの、それは伸閃の習得だった。
『やはり、ナイフだけでは間合いが狭すぎますから』
伸閃を覚えたいとジノーファに頼んだとき、シェリーはそう言っていた。これまでの攻略を通じて、特にワイバーンとの戦いを経て、自分に足りないものを痛感するようになったのだ。
シェリーは細作である。つまり正面切って戦うのは本業ではない。訓練のためにダンジョン攻略を行っていたとはいえ、それは主に身体能力強化のためであって、純粋な戦闘訓練のためではないのだ。
しかしこの先もジノーファと一緒にダンジョン攻略を続けるなら、そんなことは言っていられない。なにしろ廃墟エリアを抜けた先は深層かもしれないのだ。ダンジョンで戦うための術を身につける必要があった。
そこで、伸閃である。伸閃は斬撃を伸ばす剣技であり、初歩的で習得も比較的簡単と言われている。それはつまり、技量が低くても使う分には使える、ということだ。しかしシェリーが目指すのはそのレベルではない。ジノーファと同じレベルで使いこなせるようになることを、彼女は目指していた。
ジノーファに教えを乞うたのは、彼が最も身近な伸閃の使い手であったからだけではない。彼こそがシェリーの目標だったからなのだ。
ジノーファもシェリーに伸閃を教えることに快く同意した。大切な仲間が強くなりたいというのだ。断る理由はどこにもない。加えて、彼は彼でシェリーに教えて欲しいことがあった。
『浸透勁を教えてもらえないだろうか?』
ジノーファにそう頼まれたとき、シェリーは少し驚いた顔をしたと言う。自分がジノーファに何かを教えるという発想がなかったのだ。そして困惑したままこう尋ねた。
『構いませんが、果して必要でしょうか?』
『もしかしたら、徒手空拳で戦うこともあるかも知れない。そういう時、打拳が通用しない硬い相手には、やっぱり浸透勁が必要だと思うんだ』
本当にそんなときが来るのかと思いつつ、シェリーは浸透勁を教えることに同意した。自分だけ伸閃を教えてもらうことに引け目を感じていたのは事実。なによりジノーファが学びたいと言うのであれば、断る理由はなかった。
こうしてジノーファとシェリーは、お互いに伸閃と浸透勁を教えあうことになった。さきに形になったのは、やはりというかシェリーの方。彼女は軽い身のこなしを生かしつつ、モンスターを次々に伸閃で切り裂いていく。
最初は上手くいかず、切ると言うよりも叩き付けるといった具合だったのだが、この頃はちゃんと鋭い斬撃が放てるようになってきた。中層のモンスターであればまず問題ないレベルに仕上がっている。少なくとも、ジノーファがシェリーに教えることは何もなかった。
しかしシェリーはまだまだ満足していない。彼女が見据えているのは下層であり、そしてその先の深層なのだから。
一方のジノーファだが、彼も浸透勁を使えるようにはなった。ただ、実戦で使えるレベルとはいい難い。そもそも浸透勁は難易度の高い技なのだ。しかしだからと言って、使わなければ練習にならない。それでどこで使っているのかと言うと、主に採掘ポイントで練習をしていた。
「あ、ジノーファ様! 採掘ポイントです!」
笑顔でそう報告したのはユスフだった。彼が指差した先を見ると、側面の岩肌に結晶と思しき透明な鉱石が埋まっている。ジノーファが妖精眼で確認してみると、確かに採掘ポイントだった。
見つけたのは、中層の水場からさらに範囲を広げて探索を行っていたその先。採掘ポイントの規模としては、比較的小さいものだ。ただ、これまでジノーファたちが採掘していたような極小規模よりは大きい。ユスフが見つけたことからも分かるように、鉱物等が露出しているので、肉眼でも見つけることができる。
この採掘ポイントは、肉眼でも見つけることができる、ぎりぎりの規模だろう。これより小さくなると、妖精眼を駆使しなければ、見つけることはできない。そしてコレくらいの大きさがあれば、同じ場所にポイントが回復することも期待できた。
「まあ、最低でも一ヶ月はかかるだろうけど……」
苦笑気味にそう呟いて、ジノーファは採掘ポイントに手のひらを当てた。それから丁寧に魔力を練り上げる。イメージするのは細い糸。その糸を岩肌の内部へ伸ばしていく。そしてそこへ一気に多量の魔力を流し込む。
ビギィ、と軋むような音がして岩肌にひび割れができる。ジノーファはそれを見て、しかし顔をしかめた。思ったほどひび割れが大きくならなかったのだ。ぽろぽろと崩れはするものの、やはりまだ浅い。
はあ、とジノーファはため息を吐いた。なかなか上手くいかない。たっぷりと時間をかけてコレなのだ。到底、実戦で仕えるレベルではなかった。
「練習あるのみ、ですわ。ジノーファ様」
「うん、そうだな」
シェリーに励まされ、ジノーファはもう一度岩肌に手のひらを当てた。そして浸透勁を放つ。結局、採取ポイントから資源を全て取り出すまでに、計五回、浸透勁を放たなければならなかった。
シェリーの一言報告書「しばらく下層はおあずけ」
ダンダリオン「肉が……」