お茶会と手紙
季節は進み、四月になった。帝都ガルガンドーもいよいよ春めいている。麗らかな日差しを浴びつつ、ジノーファは宮殿に向かっていた。いつも通り、図書室を利用するためである。
「ジノーファ殿、いいところに来たな!」
ジノーファが宮殿の廊下を歩いていると、不意に誰かが彼に声をかけた。声のした方を振り返ってみると、放蕩皇子ことシュナイダーが手を振りながら大股に近づいてくる。ジノーファも彼の姿を認めると、笑みを浮かべて小さく会釈した。
「お久しぶりです、シュナイダー殿下」
「おう、久しぶりだな、ジノーファ殿。それで、さっそくだが卿には貸しがあったよな。返してもらえないか?」
そう言うなり、シュナイダーはジノーファの首に腕を回した。どうあっても逃がさないつもりだ。この時点でジノーファは図書室へ行くことを諦めた。それに借りがあるのは事実。利子が膨れ上がる前に返しておくのは、やぶさかではない。
「構いませんが、何をすればいいのですか?」
「なに、大したことじゃない。こっちだ」
そう言ってシュナイダーはジノーファを引きずるようにして歩き出した。そしてずんずんと宮殿内を進む。彼がジノーファを案内したのは、暖かな日差しが差し込むガラス張りのサンルームだった。
サンルームの中には、いくつか鉢植えが置かれていた。背の高いものもあって、外からは中があまり見えないようになっている。小さな花をつけている鉢植えが多く、サンルームの中は華美と言うよりは可愛らしい雰囲気だった。
そして、その可愛らしい雰囲気に相応しい人物がサンルームの中にいた。ピンクブロンドの髪をしたお姫様、ダンダリオン一世の末娘であるマリカーシェル皇女だ。シュナイダーの姿を見つけると、彼女はパッと笑顔を浮かべた。
「シュナイダーお兄様!」
「よう、マリー。今日はジノーファ殿を連れて来た。いろいろ話を聞かせてもらうといいぞ」
そう言うが早いか、シュナイダーはさっさと踵を返してサンルームから出て行く。その背中をマリカーシェルとジノーファはやや呆然としながらその背中を見送った。
「お二人とも、ひとまずイスに座られてはいかがですか?」
メイドにそう勧められ、マリカーシェルとジノーファはサンルームの真ん中に用意されたイスに座った。丸いテーブルの上にはお茶とお菓子が用意してある。ただ二人ともそれに手を伸ばそうとはしない。特にマリカーシェルは傍目にも明らかなほど緊張していた。
「お久しぶりです、マリカーシェル殿下。新年のパーティー以来ですね。覚えておいででしょうか?」
「は、はい。覚えて、います。ダンスを、踊っていただきました……」
その時のことを思い出したのか、マリカーシェルはわずかに頬を赤く染めながらはにかんでそう答えた。可愛らしいその様子に、ジノーファも頬を緩める。ただ、内心では焦ってもいた。
アンタルヤ王国の王太子であった頃を含め、ジノーファの周囲にいるのはみな年上の人物ばかりだ。同性で同年代の友人さえ、彼にはほとんどいない。年下の少女など、ほとんど未知の存在である。どう接すればいいのか、皆目見当もつかなかった。
「ジノーファ様、お茶をどうぞ」
ジノーファが話題を探していると、メイドがお茶を淹れてくれた。彼女に礼を言い、それからふとこう思う。彼女も細作なのだろうか、と。そんなことを考えつつ、ジノーファはお茶を啜った。
「……今日は、シュナイダー殿下とお茶会の予定だったのですか?」
「はい。異国のお話を聞かせていただくつもりだったのです。それなのに……」
逃げ出したシュナイダーの背中を思い出したのだろう。マリカーシェルは可愛らしく頬を膨らませた。そして彼女はテーブルの上のお菓子に手を伸ばしてポリポリと食べ始める。どうやら緊張は少し和らいだらしい。
皇女や王女といった、いわゆるお姫様というのは、基本的に籠の鳥だ。もちろん学ぶことは多いし、人によっては公務もあるだろう。しかし自由はほとんどない。自由な時間はあっても行動の自由がないのだ。お忍びで街へくりだすなどということも、マリカーシェルはしたことがないに違いない。
それを彼女が不満に思っているのかは分からない。ただ、今日のお茶会でシュナイダーから異国の話を聞くのは、とても楽しみにしていたようだ。代役を連れて来たとはいえ、約束をすっぽかされてマリカーシェルは少々お冠だった。
「殿下。ジノーファ様も異国の出身であらせられます。お話を伺われてみてはいかがですか?」
「そうね。ジノーファ様、アンタルヤ王国にはどのようなお花が咲くのですか?」
メイドに勧められ、マリカーシェルはジノーファにそう尋ねた。その展開に、ジノーファはかえって内心で安堵の息を吐いていた。質問してもらえたのだから、あとはそれに答えればいいのだ。
「アンタルヤ王国はロストク帝国よりも暖かな気候の国です。そのためか、花の種類もロストク帝国より多いように思います。なかでも……」
アンタルヤ王国の王城。そこに咲いていた花のことを思い出しながら、ジノーファは語った。語りつつ、彼はふと疑問に思った。どうして自分は、こんなに花のことを知っているのだろうか、と。
(ああ、そうか……)
そして思い出す。いま彼が話していることは、すべて姉のユリーシャから教えてもらったことだった。
『いいこと、ジノーファ。このお花はね……』
ユリーシャの声が耳の奥でこだまする。胸にこみ上げてくるものを笑顔で隠しながら、ジノーファは話を続けた。
「……殿下、そろそろお時間です」
どれくらい話しただろうか。話題は花のことから移り変わり、御伽噺や言い伝えのことを話していたとき、メイドがマリカーシェルに声をかけた。どうやらそろそろお開きらしい。だがマリカーシェルは少し不満げな顔をしてメイドにこう言った。
「もう少しくらい、いいでしょう?」
「ジノーファ様のご迷惑になってしまいますわ」
実際のところ、多少お茶会が長引いたところでジノーファは少しでも迷惑ではない。今日は図書室を使いに来たのだが、それはもう諦めている。お茶会が終われば帰るだけで、この時間帯ならばいつもよりむしろ早い。
だからお茶会を長引かせるわけにいかないのは、むしろマリカーシェルの側の事情なのだろう。ジノーファも王太子として教育を受けていたことがあるから分かるが、王族や皇族というのは学ぶことが多い。予定はいっぱい詰まっていて、その生活はきっちりと管理されているのだ。
「ジノーファ様、今日はお話を聞かせてくださり、ありがとうございました。また今度、続きを聞かせてくださいませ」
不満を飲み込み、マリカーシェルはそう言った。ジノーファも「はい。また機会がありましたら」と無難に応じる。そしてサンルームから退出する彼女を見送ったあと、ジノーファはメイドが呼んでくれた案内の兵士に連れられ、宮殿の中、来た道を戻った。
宮殿を後にして屋敷に帰るまでの道すがら、ジノーファは先ほどのお茶会でのことを考えていた。彼がお茶会で話したことのほとんどは、実はユリーシャから教えてもらったことだ。彼女にはたくさんのものを与えてもらっていたのだと、ジノーファは改めて気付いた。
(いつか……)
いつか、恩返しがしたい。そう思えるようになったのは、あるいは一つの成長であるのかもしれない。
□ ■ □ ■
五月の初頭。ジノーファの屋敷に珍しい来客があった。尋ねてきたのは二人の男。しかも、片方はまだ少年で、もう片方は隻眼なのか眼帯をしている。
先触れはなかったし、面識もない。いわば不審者である。当然だが、そのような得体の知らぬ客をいきなり主人に会わせることなどできない。まずヴィクトールが対応し、彼らに用件を尋ねた。
「ジノーファ様に宛てて、手紙を預かってまいりました」
そう答えたのは少年の方だった。ヴィクトールが手紙を確認すると、差出人の名前はクワルドとなっている。それがジノーファと一緒に戦った隊長の名前であることを、ヴィクトールはもちろん知っていた。
「手紙は、直接手渡すように言われています」
「……どうぞ、お入りください」
結局、ヴィクトールは二人を屋敷に招きいれた。客間に通してシェリーに監視を頼み、ヘレナに言ってお茶を用意させる。その間に彼はジノーファを呼びに行った。彼から事情を聞くと、ジノーファは一つ頷いてから二人に会うことにした。
「遠路はるばるご苦労様。わたしがジノーファだ。それで、手紙は?」
「はい。こちらになります」
そう言って少年は手紙をジノーファに差し出した。ジノーファは手紙を受け取ると、さっそく封を切って中身を改める。
手紙は確かにクワルドからのものだった。兵たちを無事に王都まで送り届けたことがまず記されていて、ジノーファは胸を撫で下ろす。そしてクワルド自身も家族と再会できたことへの感謝、それから彼の近況と手紙は続いた。
さらに手紙を読み進めると、手紙を運んできた二人についても書かれていた。詳しいことは二人から直接聞いて欲しいとしつつ、彼らをジノーファに仕えさせて欲しいと書かれている。どうやらこれが本題らしかった。
「クワルド殿は、どうしておられた?」
手紙を読み終えると、ジノーファはまずそう尋ねた。その質問に対して、少年が神妙な顔をしながらこう答える。
「父はいま、地方都市の守備隊長をやっています」
それは手紙にも書かれていた。形の上では栄転だが、実質的には左遷である。だが手紙からはそのことへの不満や鬱屈は伝わってこなかった。そしてそれを裏付けるかのように、少年はさらにこう言った。
「父はきっと、王家に愛想を尽かしたのだと思います。ジノーファ様がお戻りになる日を待っているのではないでしょうか」
「聞かなかったことにしよう」
ジノーファは苦笑してそう言った。彼は国外追放されたのだ。その彼がアンタルヤ王国に舞い戻るとすれば、それはつまり王家に叛旗を翻すと言うこと。そんなことをする気にはなれなかったし、そもそもそんな日が来るとはとても思えなかった。
「……それで、二人はここで働きたいらしいが、それは本当だろうか?」
話題を変えて、ジノーファは本題に入った。彼がそう尋ねると、二人は真剣な顔をしてこう答える。
「はい。お願いします。ぜひ、ジノーファ様にお仕えさせてください」
「アンタルヤに未練はありません。ここに骨を埋める覚悟で来ました」
「……まずは、二人のことを教えてくれ。名前はなんというのだ?」
「し、失礼しました。ぼく、いえ、わたしはユスフと言います」
「自分はカイブです」
ユスフと名乗ったのは、少年の方だった。亜麻色の髪をしており、歳は今年で十四。ジノーファよりも年下だ。クワルドのことを父と呼んだように、彼の息子で三男だという。彼はジノーファに仕えたい理由を、こう説明した。
「父はジノーファ様に救われました。その大恩を少しでもお返しするよう、父に言われております」
「クワルド殿に言われたから、わたしに仕えたいのか?」
「それも、あります。ですが、それだけではありません! 父からジノーファ様の下した決断と武勇について聞きました。ジノーファ様こそまことの英雄です。わたしはそんなジノーファ様のお役に、少しでも立ちたいのです!」
ユスフは切々とそう訴えた。一方のジノーファは英雄と持ち上げられて少しこそばゆい。あの時だって結局は捕虜になってしまったわけだし、彼は自分のことを英雄だなどとはまったく思えなかった。
「そう、か。……それで、カイブのほうはどうなのだ?」
ユスフへの返事は保留し、ジノーファは次にカイブへ視線を向ける。歳は今年で二五。髪は黒だが、あまり光沢はない。背丈は平均的だが、身体はよく鍛えられている。彼は自分の身の上について、まずこう説明した。
「自分はもともと、クワルド隊長の部下でした。……実はあの戦場をジノーファ様とご一緒しておりました」
「それは……、すまない」
「いえいえ! 直属の部下であったならともかく、自分なんてあの場にいた雑兵の一人。覚えておられなくて当然です」
名前と顔を覚えていなかったことをジノーファが謝ると、カイブは逆に恐縮したようにそう言った。そしてさらにこう説明を続ける。
「あの戦いで、片目を失いましてね。これはもう兵士を続けられないと思い、クルシェヒルに戻ってから退役したんです。その時、クワルド隊長のところへ挨拶に行ったら、意外なお誘いを貰いまして」
曰く、「しばらくウチで働かないか」。この時にはすでにクワルドも地方都市への栄転、もとい左遷が決まっており、「引越しなどで人手が必要だから」と誘われたと言う。
「退役金を貰ったとはいえ、敗戦の後でしたからね。所詮はすずめの涙。次の仕事もまだ決まっちゃいなかったので、まあちょうどいいかな、と。庭仕事ならできるので、もしかしたらそのまま雇ってもらえるんじゃないかと、下心もありました」
そう言ってカイブは笑った。そしてクワルド一家は地方都市へ引っ越したのだが、そこに到着してからしばらく後、彼はさらにまた意外な頼み事をされたという。
「ジノーファ様が帝都ガルガンドーでお屋敷を貰ったと言う話は、アンタルヤ王国でも広がっています。それで、隊長もその話を耳にしたようでしてね。ユスフ坊ちゃんをジノーファ様のところへやるので、道中の護衛をしてくれないかと頼まれたんです。報酬も、まあ、結構いい額を提示されました」
しかしその時、カイブはこう答えた。
「報酬はいいので、自分の分もジノーファ様に口添えをしてほしい、と。そうお願いしました」
「なぜ、そうまでしてわたしに仕えたいのだ?」
もう一度、ジノーファはそう尋ねた。報酬を貰い、馬か牛でも買って農村へいけば、それだけで歓迎されるだろう。嫁を貰い、子供を作り、苦労は多いだろうが人並みの人生を送れたはずだ。それを後にしてまで、なぜジノーファに仕えたいと思うのか。それをカイブはこんなふうに説明した。
「正直、ユスフ坊ちゃんほど、強く思っているわけではありません。ただ、兵士だったころ、自分は上官も戦場も選べませんでした。幸運にも自分は上官に恵まれ、生きて退役することができましたが、死んじまった奴もたくさんいます。……つくづく思いましたね、生き残るためには上役が肝心だ、って。それでもし自分で上官を選べるなら、ぜひジノーファ様の下で働きたいと、まあそう思ったわけです」
そこまで言うと、カイブは背筋を伸ばして姿勢を正した。こう言葉を続ける。
「もとは、しがない庭師の三男です。庭仕事くらいしかできませんが、どうかここで働かせてください」
「お願いします!」
そう言ってユスフとカイブは揃って頭を下げた。それを見てジノーファは少し困ったように苦笑する。それからヴィクトールの方を見ると、彼に意見を求めた。
「よろしいのではありませんか」
ヴィクトールはそう答えた。今の財政状況であれば、使用人が二人増えてもなんら問題はない。この屋敷にはまだ専属の庭師がいないので、カイブを雇えればちょうどいい。
またヴィクトールは自分自身のことも考えていた。まだ引退する気はないが、しかし彼はジノーファよりかなり年上だ。いつまでも家令職に留まれるものではないだろう。そう遠くない未来、後任を用意する必要がある。そこで、ユスフだ。
「カイブ殿は庭師、ユスフ殿は執事見習い兼従者、ということでいかがでしょうか?」
「ふむ……。ヴィクトールがそういうなら、そうしようか」
少し考えてから、ジノーファはそう言った。それを聞いてユスフは顔を輝かせ、カイブはほっとしたように表情を緩める。喜ぶ二人に、ジノーファは笑みを浮かべてこう言った。
「改めて、ようこそ、二人とも。歓迎する。下層のドロップ肉もあるし、今日はパーティーにしよう」
この日、二人のアンタルヤ人が使用人に加わった。
シェリーの一言報告書「同僚が増えました」
ダンダリオン「別命あるまで要警戒で」