表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
商人の国のダンジョン
29/364

髪留め


 三月に入り、帝都ガルガンドーは少しずつ春めいていた。今日は空も晴れわたり、暖かな日差しが降りそそいでいる。その日差しを浴びながら、ジノーファは街を歩く。彼の首に巻かれているのはシェリーお手製のマフラー。そろそろ季節はずれだが、帝都の気候は彼にはまだまだ寒く感じた。


 そんなジノーファの隣にいるのは、専属メイドのシェリーではなく、放蕩皇子ことシュナイダーである。例によって彼に連れ出されたのだ。彼はジノーファのことを気に入ったらしく、こうして誘っては連れまわしていた。ただ、あまり良くない遊びを教えられるのではないかと、シェリーなどは気が気ではないらしい。


 そんな彼女の心配をよそに、ジノーファもこうしてシュナイダーと遊ぶのを楽しんでいた。また、少々世間知らずなところがある彼にとって、シュナイダーは頼れる相談相手でもある。今日も、露店でハチミツをたっぷりと使った甘い焼き菓子を食べていたとき、ジノーファはふとシュナイダーにこう尋ねた。


「シュナイダー殿。その、シェリーにプレゼントを受け取ってもらうには、どうしたらいいでしょうか?」


「ん? 普通に渡せばいいんじゃないのか。ジノーファ殿からなら、シェリーも喜んで受け取るだろう?」


「いえ。たぶん、固辞されるような気がします」


 シュナイダーの返答に、ジノーファは苦笑しながらそう答えた。身の回りの世話だけでなくダンジョン攻略に関しても、ジノーファはシェリーによく助けてもらっている。そして今では男女の仲になっていて、頻繁に閨を共にしていた。


 ジノーファがシェリーにプレゼントを贈りたいと考えたのも、そういう理由があるからだ。しかしながら、シェリーは確かにジノーファの専属メイドであるものの、その給料はダンダリオン(国)が出している。さらにその正体は細作であり、ジノーファの監視を命じられているのだ。


 シェリーの任務についてはジノーファも知っているし、特別気にはしていない。ただ、まったく無いことにはできない。以前、彼女がダンジョン攻略の分け前を固辞したのも、監視対象から金銭を受け取るのは良くない、という判断からだろう。そして同様の判断をプレゼントについてもするのではないか、とジノーファは思っていた。


「なるほどねぇ……」


「何か良い知恵はないでしょうか、シュナイダー殿」


「なら、こういうのはどうだ?」


 にやりと笑みを浮かべ、シュナイダーはジノーファに一つの策を授けた。いや、策と言うほど大それたものではない。つまり、対象を多くしてその中に本命を紛れ込ませるのだ。具体的にどうやるのかも教えてもらい、ジノーファは「なるほど」と呟きながら何度も頷いた。


「んじゃ、早速プレゼントを買いに行こうぜ」


 露店で買った甘い焼き菓子を食べ終えると、シュナイダーはジノーファをそう誘った。しかしジノーファは少し恐縮した様子で首を横に振る。


「いえ、そこまで付き合っていただくわけには……」


「いいか、ジノーファ殿。プレゼントってのはな、思いがけずに貰うとさらに嬉しいものなんだ」


 やれやれと首を振りながら、シュナイダーはまるで出来の悪い弟を教え諭すかのようにそう言った。そしてそうするためには、相手に知られないようプレゼントを用意する必要がある。ただジノーファの場合、それが少々難しかった。


 繰り返しになるが、ジノーファがプレゼントを贈りたいのはシェリーだ。だがジノーファが外を出歩く際には、たいてい彼女がお供をしている。これでは彼女に知られずにプレゼントを用意することができない。


 しかし今ならば、ここにシェリーの姿はない。さらにシュナイダーは遊びなれているから、その中で女性にプレゼントを贈ったことも数多い。お店もいい所を知っている。経験皆無のジノーファにとっては、得難いアドバイザーだ。彼もそれを認め、少し悩んだものの、最後には協力してもらうことにした。


「それじゃあ、よろしくお願いします」


「任せておけ。まずは何をプレゼントするかだな。ジノーファ殿は何を考えているんだ?」


「……やはり、アクセサリーの類でしょうか?」


「妥当だな。予算は?」


「金貨一枚くらいで」


 自分の手持ちと相談しつつ、ジノーファはそう答えた。こんなことになるならもう少し持ってくれば良かったと後悔するが、同時にあまり高額な品物ではかえってシェリーを萎縮させてしまうかもしれないと思い直す。それに、これから屋敷に戻ってお金を取ってくるわけにもいかないので、今回はこの予算で行くことにした。


「なら、あそこがいいな」


 そう言ってシュナイダーはとある宝飾品店にジノーファを案内した。余談になるが、帝都ガルガンドーにはこのような宝飾品を取り扱う店が多い。その理由の一つはダンジョンである。ダンジョンからは貴金属や宝石類も採掘されるので、それを取り扱う店も増えたのだ。ジノーファが換金した貴金属や宝石類も、この帝都のどこかで売られていることだろう。


 逆に言えば、無いモノは取り扱うことができない。それで、宝飾品がどれほど出回っているかは、ダンジョン攻略がどの程度行われているかを測るバロメーターの一つ、と言ってもいいだろう。


 閑話休題。シュナイダーに紹介されたのは、日当たりのよい通りにある比較的こぢんまりとした宝飾品店だった。店内は明るく落ち着いた雰囲気で、幾つもの商品が見栄え良く展示されている。シュナイダーはここの常連らしく、彼が店内にはいると、すぐに店主が笑顔で出迎えた。


「いらっしゃいませ、シュナイダー様。本日はどのようなご用件でしょうか?」


「今日はコイツの付き添いだ。金貨一枚くらいで、いろいろ見せてやってくれ」


 そう言うと、シュナイダーはさっさと窓際に置かれたソファーに座ってしまった。さらに慣れた様子でお茶を一杯所望する。そして少し困った様子のジノーファを見ると、小さく笑ってこう言った。


「まずは、自分でいくつか選んでみろ。俺が選んでいちゃあ、意味がないからな」


 楽しげにそう言うと、シュナイダーはお茶を一口啜った。そして実に自然な仕草で、お茶を運んできてくれた女性店員を口説く。その様子に苦笑しつつ、ジノーファは言われたとおり自分の眼でプレゼントを選び始めた。


「こちらのお品など、いかがでしょうか?」


 そう言って、店主は店頭に並べられていない商品も見せてくれた。ジノーファは予算と相談しつつ、それらの中からまず五つを候補に選んだ。ブローチ、ネックレス、イヤリング、髪留め、手鏡である。


「どれどれ……」


 そこへシュナイダーがやって来る。機嫌がいいので、女性店員とはばっちり約束を取り付けたらしい。彼はジノーファが選んだ五つの候補を見比べ、満足げに一つ頷く。どうやらデザインは全て合格らしい。それから彼は「色がシェリーには似合わなそう」と言ってその内の二つを除外した。


 残った三つの候補の中から、最終的にジノーファは髪留めを選んだ。銀細工の髪留めで、シェリーの濡羽色の髪に良く映えるだろう。彼がその髪留めを選ぶと、店主も笑みを浮かべてこう言った。


「さすがにお目が高い」


 店主が言うには、この髪留めには少量のミスリルが混ぜられているそうだ。銀製品は放っておくと黒ずんでしまうのが難点なのだが、ミスリルを混ぜておくことで黒ずみを抑え、いつまでも輝きを保つのだと言う。それを聞いて、ジノーファはますますその髪留めが気に入った。


「それじゃあ、これを貰おう。包んでもらえるだろうか?」


「はい、畏まりました」


 店主に頼み、髪留めを化粧箱に入れてプレゼント用に包装してもらう。最終的なお値段は金貨一枚を少し超えてしまったが、良いプレゼントを用意することができてジノーファは満足だった。


「じゃあな、ジノーファ殿。こいつは貸しだぜ?」


 そう言ってにやりと笑うシュナイダーと別れ、ジノーファは屋敷へ帰った。帰ってきた彼を、シェリーが出迎える。


「お帰りなさいませ、ジノーファ様」


「うん、ただいま、シェリー。ヴィクトールを部屋に呼んでくれないかな?」


「はい、畏まりました」


 シェリーの返事に一つ頷いてから、ジノーファは二階にある自分の部屋へ向かった。部屋の中に入ると、彼はすぐ懐に忍ばせていた化粧箱を棚の引き出しに片付ける。それから楽な格好に着替えていると、ヴィクトールが部屋にやってきた。


「旦那様、ヴィクトールです」


「入ってくれ」


 ヴィクトールは部屋の中に入ると、折り目正しく一礼した。そんな彼にジノーファは早速本題を切り出した。


「使用人たちにボーナスを出そうと思うのだが、どうだろう?」


「私を含め、すでに全員が十分な給金をいただいておりますが……」


「うん。だけど、皆は本当に良く働いてくれている。そのことへの、わたしの感謝の気持ちだと思って欲しい」


「過分なお言葉をいただき、恐悦至極にございます。旦那様がそうまで仰られるのでしたら、私に否やはありません。どうぞお心の赴くままになされますように」


 ジノーファの言葉に、ヴィクトールは感激した様子だった。彼は深々と腰を折って一礼する。もしかしたらジノーファの本心を見抜いているのかもしれないが、しかし使用人たちに感謝しているというのも彼の本心。それを察してくれてのことだろうと、ジノーファは思った。


「ありがとう。それで、ボーナスは一人当たり金貨一枚にしようと思うのだけど、どうだろう?」


「よろしいかと存じます。ただ、金貨よりも銀貨にされた方が、皆も使いやすいかと存じます」


 ヴィクトールはそう即答した。現在屋敷の金庫には、銀貨一〇〇〇枚と金貨二五枚、それと幾つかの宝石が保管されている。ジノーファが雇用している使用人は全部で四人だから、保管してある分だけで十分にまかなえるだろう。


「じゃあ、そうしよう。いつまでに用意できる?」


「今日の夜までには、十分に」


「それじゃあ、夕食を食べてから皆に渡そう」


 ヴィクトールの返答を聞いて、ジノーファは満足そうにそう言った。少し急な気もするが、こういうのは早い方がいいだろう。


「畏まりました。……それで、その、シェリーの分はいかがいたしましょうか?」


「シェリーの分はいい。彼女も、金銭は受け取らないだろうし。シェリーの分は、わたしが用意しておくよ」


 ジノーファがそう言うと、ヴィクトールは「了解しました」と言って一礼し、部屋から去った。扉が閉じられ一人になると、ジノーファはベッドに身体を投げ出して横になる。そして天井を見上げながら、「ふう」と息を吐いた。


 使用人たちにボーナスを出すのは夕食後と決めた。であれば、シェリーにプレゼントを渡すのはさらにその後だ。シュナイダーに相談してからここまで一気にことが進んでしまい、ジノーファはなんだかちょっと落ち着かない気分だった。


(だが、これで良かったのかもしれない……)


 シュナイダーも言っていた。「プレゼントってのはな、思いがけずに貰うとさらに嬉しいものなんだ」と。ジノーファでさえこのタイミングでプレゼントを渡すことになるとは思っていなかったのだから、シェリーにとってはさらに意外であるに違いない。


(喜んで、もらえるだろうか……)


 楽しみで、少しだけ、不安だった。


 さて、夕食後、ジノーファはヴィクトールに言って使用人を客間に集めさせた。そして少し緊張した面持ちの彼らに、穏やかな笑みを浮かべながらこう言った。


「皆の日々の働きには心から感謝している。それで、少しだがボーナスを用意した。受け取って欲しい」


 それからジノーファは銀貨が一〇〇枚入った皮袋を、一人ずつ手渡ししていく。その際、個別に声をかけてやるのを忘れない。最後にヴィクトールにボーナスを手渡すと、ジノーファはさらにこう言った。


「また、明日からもよろしく頼む」


 使用人たちが大きな声で返事をするのを聞いてから、ジノーファはシェリーの姿を探した。彼女は部屋の隅っこに控えていて、少し拗ねたような顔をしている。立場上、ジノーファから金を貰うことはできないと分かっていても、それでもやっぱり面白くはないのだろう。その様子がなんだか可愛らしくて、ジノーファはつい小さく笑ってしまった。


「……なんですか、ジノーファ様。人の顔を見て笑われて」


「いや、すまない。良かったら、部屋に来てくれないだろうか?」


 ジノーファはそう言ってシェリーを部屋に誘った。シェリーは不承不承を装いつつ小さく頷くと、ジノーファの後ろに従って階段を上る。二人の背中を使用人たちは温かく見送った。


「……まあ、おこぼれってところですねぇ」


 二人の姿が見えなくなると、リーサが少し羨ましげにそう呟いた。ヘレナも「そうですね」と言って同意する。


「おこぼれであっても、旦那様の気前がいいことに変わりはない。この際、重要なのはそこだろう」


 ボロネスはそう言ってにやりと笑った。仕えるならば気前の悪い主人より、気前の良い主人の方がいいに決まっている。そして、貰うものを貰ったからにはまた明日から美味い飯を作らねば、と改めて意気込んだ。


「貴方たち、『感謝している』という旦那様のお言葉は本心です。それは忘れないように」


 ヴィクトールはそう言って他の使用人たちを窘めた。そして軽く手を叩いて彼らを解散させる。明日もまた、早い。


 一方、部屋に戻ったジノーファは、早速棚の引き出しからプレゼントを取り出した。そしてそれを持ってシェリーに向き直る。彼女は少し驚いたような顔をしていた。


「ジノーファ様……」


「シェリーにはいつも助けてもらっていて、とても感謝している。だけど、シェリーはきっとお金は受け取らないだろうと思って、こんなものを用意してみた。どうか受け取って欲しい」


 そう言ってジノーファが差し出したプレゼントを、シェリーは少し戸惑ってから受け取った。そして苦笑を浮かべ、嘆息したようにこう呟く。


「これは、報告書に書かなければいけませんね……」


「ぜひ書いてくれ。シェリーにやましいところはないのだから」


 ジノーファが大真面目にそう言うものだから、シェリーはなんだかおかしくて笑ってしまった。そしてひとしきり笑った後、彼女はジノーファにこう尋ねた。


「開けて見てもよろしいでしょうか?」


 少し緊張した面持ちでジノーファが頷くのを見て、シェリーは化粧箱を開けた。そして中に収められた美しい銀細工の髪留めを見て「まあ」と感嘆の声を上げる。彼女は丁寧な手つきで髪留めを手に取ると、大切そうに両手で胸元に抱えた。


「本当に、ありがとうございます。大切にしますね」


「うん。それで、良かったら髪につけてみてもらえないだろうか?」


「はい」


 シェリーはまずどこからか櫛を取り出して髪を梳いてから髪留めを手に取った。そして頭の後ろに髪留めを付ける。それから、やはりどこからか手鏡を取り出して位置を微調整し、それからジノーファに向き直った。


「どう、でしょうか?」


 少し恥ずかしげにはにかみながら、シェリーはジノーファにそう尋ねた。月明かりに照らされて、彼女の濡羽色の髪と銀細工の髪留めが美しく輝く。その光景にジノーファは一瞬だけ見惚れた。


「うん、良く似合う。思ったとおりだ」


 嘘である。思った以上だった。



シェリーの一言報告書「シュナイダー殿下、グッジョブ! でも変な遊びは教えないでくださいね」

ダンダリオン「釘を刺すのは忘れない」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ