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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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アルアシャンの初陣2


 父王の不興を被ってしまったと思ったアルアシャンは、その対応にひどく頭を悩ませることになった。放っておくことはできない。下手をすれば、初陣が取りやめになってしまう。しかしだからといって妙案は浮かばない。結局、彼は取りなしをしてくれそうな人物を頼ることにした。母親の、王妃マリカーシェルである。


 マリカーシェルにとって、アルアシャンは可愛い息子である。その息子から頼られれば、悪い気はしない。むしろ何とか力になってやりたいと思う。だが彼女はアルアシャンから話を、それこそ彼が隠そうとした事柄も含めて全てを聞いた後、思わずため息がこぼれるのを堪えることができなかった。


「まったく、本当にあなたという子は……。ジノーファ様の、陛下の言うとおりですよ。なぜベルノルト様のことを心配して差し上げられないのですかっ?」


「母上っ、わたしは別に兄上のことを心配していないわけでは……!」


 母親の叱責に、アルアシャンは必死になって反論する。ベルノルトのことは、結局のところジノーファが何とかするしかない。アルアシャンにできることはないのだ。それなら自分にできることを、初陣のことを考えた方が良いではないか。彼がそう言うと、マリカーシェルはもう一度ため息を吐いた。


「そのように浮かれていては、初陣に出ても怪我をするだけです」


「わたしは浮かれてなどいませんっ」


「いいえ、浮かれています。いいですか、ベルノルト様を窮地に追い込んだのは、マドハヴァディティアなのですよ。そしてあなたが初陣に出れば、そのマドハヴァディティアと戦うことになるのです。


 どうして自分の事として考えられないですか。陛下があれこれとお尋ねになったのは、あなたがその立場に置かれたときに、どうするべきかをあらかじめ考えさせるためだったのではありませんか?」


「そ、それは……」


 アルアシャンの目が泳ぐ。そのようなことは考えもしなかった。そのことはマリカーシェルにもはっきりと伝わり、彼女はまたため息を吐きたくなった。


「……あなたは自分のことしか考えていません。血の繋がった兄のことを顧みず、敵のことは侮っています。初陣、初陣とせがみますが、戦なのですよ。あなたは遊びにでも行くつもりなのですか?」


「そ、そのようなことは、決して! ……母上、わたしは早く父上のお役に立ちたいのです!」


「ならば陛下がお尋ねになったこと、お尋ねになりたかったことをしっかりと考えなさい。今のあなたでは、お役に立つどころか邪魔になるだけです」


 そう言ってマリカーシェルはアルアシャンを追い返した。悄然として部屋を出て行く息子の背中を見送るのは、母親として胸が痛い。だがここで甘い顔はできない。彼は王太子なのだから。


 とはいえマリカーシェルはアルアシャンを突き放したままではいられなかった。彼女はまずアルアシャンの教師たちに事情を伝え、彼の「宿題」を手伝ってやってほしいと頼む。これで彼の方はひとまず落ち着くだろう。


 次にマリカーシェルはジノーファと話をすることにした。もちろん彼女は、ジノーファがこの件でアルアシャンを見限ったなどとは考えていない。ただジノーファもアルアシャンの初陣については考えているはずで、その辺りのことを確認しておきたかったのだ。


「ジノーファ様。アルアシャンのことですが、申し訳ありませんでした」


 ジノーファと話をする機会を得ると、マリカーシェルはまずアルアシャンのことを彼に謝った。するとジノーファは苦笑を浮かべ、彼女にこう聞き返す。


「どうしてマリーが謝るんだい?」


「わたくしは、あの子の母ですから……」


「それを言うなら、わたしはあの子の父だよ?」


 ジノーファはそう言って小さく笑った。マリカーシェルはそれを見て、ジノーファがアルアシャンのことを不快には思っていないことを確認する。彼女は内心で安堵の息を吐き、少し固くなっていた表情も緩んだ。


 それからマリカーシェルはアルアシャンに取りなしを頼まれたことをジノーファに話した。彼女がアルアシャンに厳しい言葉をかけたことを聞き、ジノーファは少し意外そうな顔をする。ただ彼女はそれに気付かなかったようで、少しプリプリしながらさらにこう言葉を続けた。


「本当にもう、あの子ったら自分の事ばかりで……。例え自分にできることがなかったとしてもそれでも、いえだからこそ心配するのが家族の情というものではありませんかっ。それなのに……」


「それを言うなら、わたしはベルの危機を教材代わりに使おうとした、悪い父親だね」


 ジノーファが冗談めかしてそう言うと、マリカーシェルはワタワタと慌てた様子を見せた。それを見てジノーファはおかしそうに笑う。からかわれたことに気付き、マリカーシェルは少々不満げな表情を浮かべる。その様子がまるで十代半ばの少女のように思えて、ジノーファはますますおかしそうに笑った。


「もう、ジノーファ様。わたくしは真面目な話をしているのです」


「ああ、ごめん、ごめん。マリーが家族のことを大切に思ってくれているのが、嬉しくてね」


「と、当然ではありませんか。……そ、それよりもジノーファ様。アルアシャンの方はあれで良かったでしょうか?」


 マリカーシェルが照れを隠しきれないまま話題を変える。ジノーファも少し表情を引き締めてこう答えた。


「ああ。わたしが言いたかったことは、だいたいマリーが言ってくれたよ。あとは、アルのレポート待ちかな」


 ジノーファはそう言って小さく笑った。アルアシャンが教師たちと頭を悩ませていることは、彼も先ほどマリカーシェルから聞いた。諸々レポートにまとめるという話なので、ジノーファはそれを楽しみにしていた。


 そもそもジノーファがあの時にベルノルトの話題を持ち出したのは、アルアシャンに現実を教えるためだった。大国イスパルタ朝の王子と言えど、事と次第によっては窮地に陥る。そのことをしっかりと印象付けて彼の慢心を取り除ければ、とジノーファは思っていた。


 さらに対応策を練らせる中で、マドハヴァディティアがどう考えるのかについても考えさせる。そうすれば、彼が容易ならざる敵であることもまた分かるだろう。そのマドハヴァディティアと戦うのだと思えば、アルアシャンも緊張感を持って初陣に臨んでくれるに違いない。


 要するに、あの話はアルアシャンの初陣のためのものだった。マリカーシェルもそれを察した上で、息子に厳しいことを言ったのである。ただ彼女は自分の推察が当たってもあまり嬉しそうではなかった。彼女はどこか思い詰めたような表情をしている。そして彼女はジノーファにこう尋ねた。


「ジノーファ様は、此度の戦で本当にあの子に初陣を飾らせるおつもりなのですか?」


「レポートの出来次第だけど、今のところはそう考えているよ。……マリーはどう思う?」


「……ベルノルト様の初陣は十五歳でした。アルアシャンはまだ十三歳です。少し早いのではありませんか。せめてベルノルト様と同じ歳、十五歳を過ぎてからでも良いのではありませんか?」


 マリカーシェルはジノーファにそう訴えた。彼女はベルノルトの名前を出したが、それが後付けの理由であることはジノーファも分かっている。要するに、彼女はまだアルアシャンを戦場に出したくないのだ。


 マリカーシェルは自分の子供を慈しんで育ててきた。その彼女からすれば当然の反応だ。それにベルノルトの件もある。彼は安全であったはずの都市で、しかし危機に陥ったのだ。まして戦場であれば、手柄首である王子が危険にさらされることは、より起こりえることと言わねばならない。


 自分の大切な子供を、危険な目に遭わせたいと思う親はいない。むしろマリカーシェルとしては、このままずっと安全なところにいて欲しかった。しかしそれが無理であることも彼女は分かっている。いや無理ではないのかもしれないが、アルアシャンのためにはならない。


 自分がアルアシャンを引き留めてはならない。マリカーシェルはそう思っている。そうすればきっと、自分は際限なく息子を守ろうとしてしまうから。彼女はそれを自覚していた。しかしその一方ではやはり、息子を戦場へなどやりたくないと思ってしまう。それで彼女はジノーファの判断という形で、彼の初陣を先延ばしにしたかったのだ。


 縋るような目を向けるマリカーシェルを、ジノーファはそっと抱き寄せる。マリカーシェルもそれに逆らわず、彼の胸に身体を預けた。二人とも、お互いの考えはおおよそ分かる。それくらいの時間は一緒に過ごしてきた。だからマリカーシェルはジノーファの次の言葉が、自分の望むとおりのものではないことをすでに分かっていた。


「……今回の戦で勝つにしろ負けるにしろ、マドハヴァディティアと決着がつくわけではないだろう。だからまあ確かに、今回どうしても初陣を急ぐ必要はないのかもしれない。だけどね、その分はやっぱり経験を逃すことになると思うんだ」


 初陣というのは特別なものだ。しかしその一方で、得られるものはあまり多くない。ジノーファはそう思っている。結局、必要なのは場数だ。場数を踏んでこそ、つまりある程度慣れてはじめて、あれこれと考える余裕ができるのだ。


 そしてマドハヴァディティアと決着がつけば、恐らくはその後、大きな戦はしばらく起こらないだろう。別の言い方をすれば、戦の回数には限りがある。初陣を先延ばしにすれば、その分だけアルアシャンは学びの機会を失うことになる。


「早いほうが良い、とは言わない。だけど、これ以上遅らせても良いことはないと思う。それに今回なら、わたしが傍で助けてやれる。前線ではすでに部隊が展開しているから、いきなり敵に襲われる心配はない。必要とあらば、さらなる増援も可能だ。なかなか良い条件が揃っていると思うのだけど、どうだろう?」


 最後は少し冗談めかして、ジノーファはそう言った。マリカーシェルも小さく笑ってこう答える。


「……あの子が無茶をしないよう、しっかりとつかまえておいて下さいませ」


「はは、そうだね。そうしよう。……そう言えば、ベルも初陣の時は、放っておけば飛び出してしまいそうだった。男の子というのは、そういうモノなのかな?」


「まあ、ジノーファ様ったら」


 マリカーシェルはクスクスと笑った。ジノーファの冗談だと思ったのだ。確かに彼は冗談を言っていたが、その内容は実のところなかなかきわどい。


『自分は初陣の時、飛び出したくなるような衝動はなかった。それは自分が例外なだけで、初陣に臨む男の子というのは、そういうモノなのだろうか』。要するに彼はそう言っていたのだ。


 マリカーシェルがそれに気付いたのかは分からない。いずれにしても彼女は楽しげに笑っただけだったので、二人の雰囲気が微妙になることはなかった。そういうところは彼女の美徳と言っていい。


 さて、ルルグンス法国へ増援の兵を送る計画は、着々と進行していた。計画ではまず、歩兵一万を船でヘラベートへ送ることになっている。この増援が現地のウスマーン将軍と合流すれば、イスパルタ軍の戦力は三万になる。


 さらに総督府からも後詰めの兵が出るはずで、それも合わせれば戦力はほぼ四万。それだけの戦力があれば、ヘラベートを保持しつつ本隊の到着を待てるだろう。


「この増援は、時が要だ」


 ジノーファはそう考えていたし、ハザエルも同様である。それで船の手配は速やかに行われた。そして、それよりも前に増援の第一陣は港での待機が完了している。船が港に到着すると、兵士たちは次々に船に乗り込んだ。


 さらに本隊の準備も同時進行で進む。数は五万。さらに予備戦力としてさらにもう一万が動員された。その上、ジノーファ自身が率いることがすでに決まっている。クルシェヒルと王宮はにわかに活気付いた。


 その中で焦りを募らせている者がいる。アルアシャンだ。彼はまだ初陣に連れて行ってもらえるかどうか、父王からはっきりとした回答を得ていない。全てはレポートの出来次第だ。だがどこかに模範解答があるわけではなく、彼は教師たちの助けを借りつつ頭を悩ませていた。


「早くレポートを仕上げないと……」


 アルアシャンがレポートに手こずっている理由は主に二つ。一つはマドハヴァディティアが先に有利な状況を作り上げてしまったこと。もう一つはダンジョンを抜けた後のベルノルトの行動だ。


 マドハヴァディティアはまったく厄介な敵だった。法都ヴァンガルの強襲は、突発的な軍事行動に見えてその実、綿密に計画されている。総督府からの報告をもとに対策を考えているアルアシャンは、そのことを認めなければならなかった。


 そして異母兄たるベルノルトの行動だが、こちらは完全に予想外だった。総督府からもたらされた報告の第二弾によると、彼はなんと東ではなく西へ、百国連合のほうへ向かったと言う。アルアシャンは兄がまっすぐ本国を目指すものだとばかり考え、その前提でレポートを作成していたため、その努力は一瞬で無駄になってしまった。


 また一から考え直しだ。アルアシャンはやや虚ろな目をしながら内心でそう呟いた。同時に彼は兄への劣等感を刺激されていた。報告にはなぜベルノルトが西へ向かったその理由も書かれていた。略奪隊の危険を重く見たことは理解できる。だが同じ状況で同じ決断ができるのか、彼は自信がなかった。


 アルアシャンにとって兄ベルノルトは、勉強にしろ武芸にしろ、常に自分の先にいる存在だった。ベルノルトは彼の知らないことをたくさん知っていたし、稽古でも勝てたためしがない。兄弟仲は良い方だと思うが、しかしそれとは別の部分で複雑な感情がないわけではないのだ。


 最初、ジノーファからベルノルトのことを聞いたとき、アルアシャンが彼のことより自分の初陣のことの方が気になってしまったのは、その「複雑な感情」が少なからず関係していた。


「死んでしまえばいい」などと考えたわけではない。だが「あの兄なら自分の助けなどいらないのではないか」と思ったのは事実だ。要するに、ベルノルトなら自分で何とかしてしまうのではないか、と思ったのである。


 もっとも、それが自分の思い込みでしかないことは、アルアシャンも分かっている。だからその思い込みをレポートに反映させることはない。そして思い込みを排除して報告をなるべく客観的に精査してみれば、ベルノルトの置かれた状況が危機的であることは十分に理解できた。


(兄上は本当に無事だろうか……?)


 アルアシャンは心配になった。だがジノーファとて報告以上のことはわからない。手は打ったはずだが、それを聞くのはレポートのカンニングをするようなもの。教えてはくれないだろう。彼は悶々としたものを覚えながら、レポートを書き進めるしかなかった。


 レポートが完成すると、アルアシャンはそれを父王に提出した。ジノーファはそれを本人の前で読む。そして幾つかの点を質問する。アルアシャンは緊張のために少し早口に成りながらそれに答えた。


「……ふむ。まあ、いいだろう。よく頑張ったね。良い出来だと思うよ」


「はい、ありがとうございます。父上」


 父王に褒められ、アルアシャンはようやく表情を緩めた。そんな息子を見てジノーファも笑みを浮かべる。そして最後の意思確認としてこう尋ねた。


「それでアル。本当に初陣に出たいのか?」


「はい、父上」


「そうか。分かった。では今回の戦、お前も連れて行くことにしよう。そのつもりでいなさい」


「はい!」


 アルアシャンは嬉しそうにそう答えた。こうして彼の初陣が決まった。


アルアシャン「兄上っ、何しくさりやがってくれてんの!?」(錯乱)

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― 新着の感想 ―
[一言] 初陣症候群は王侯貴族の若者の麻疹みたいな物?笑
[一言] >自分は初陣の時、飛び出したくなるような衝動はなかった。 というより飛び出さざるを得なかったのでは。 思えば、初陣で自分を囮にする王子はなかなかいないよ。
[一言] しくさり…?方言?
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