コルカタの街1
ダンジョンを抜け、シェマルとも分かれたベルノルトたちは、そこから四日ほど歩いてある街にたどり着いていた。この間、遊牧民の略奪隊はその姿さえ見ていない。彼らは百国連合の域内では活動していないのだ。
マドハヴァディティアとの間の契約でそうなっているのだろうが、遊牧民に契約を守らせることそれ自体が実は難しい。それを徹底できているのだから、やはりマドハヴァディティアの統率力は大したものである。
もっともその統率力の大半は恐怖に由来している。だから、一度「力が衰えた」とか「もはや恐れるに足らず」と思われたら、一挙に瓦解する危うさもはらんでいる。ベルノルトはそう思っていた。
さて、ベルノルトらがたどり着いた街だが、名前はペドメという。実はペドメの手前にもう一つ小さな村があったのだが、彼らはそこを意図的に避けて通った。ルルグンス法国側から入国したことを、可能な限り悟られないようにするためである。
この辺りは百国連合のなかでも辺境であり、またヴェールール軍の進攻ルートからも外れている。それで戦時のようなピリピリとした空気はまだない。だがベルノルトとサラの身分を考えれば、用心してしすぎると言うことはなかった。
ペドメはこの地方の中核的な街だった。歴史的に見れば、何度も遊牧民の攻撃に曝されてきた街だ。ペドメの街が無骨な城壁に囲まれているのは、そういう理由もあるに違いない。
ペドメの街に入る際、ベルノルトたちは税を求められた。街に入るのに税がいる。ベルノルトにはそれがちょっと新鮮だった。知識としては、そういう例もあると知っている。実際、イスパルタ朝においてもアンタルヤ王国時代にはそういう都市もあったという。ただ現在はこの手の税は全て撤廃されている。商業の発展を妨げるとして、ジノーファがそれを断行したのだ。
だからベルノルトにとっては、歴史の教科書に載っていた知識の実例が目の前に現われたようなものだった。同時に、この手の税が残っていると言うことは、この地域ではあまり商業は活発ではないのだろうな、と考える。辺境部であるから、人の行き来も少ないのかも知れない。
そうであるなら、このような税はこの地域を治める為政者にとって捨てがたい収入源だろう。またもしかしたら、人の移動を阻害する目的もあるのかも知れない。より豊かな土地へ人が流れるのを阻止するためだ。だがそれは結局のところ、地域を発展させることのできない、為政者の無能の証明でしかないように思うのだが……。
ベルノルトがそんなことを考えている内に、ペドメの街に入るための手続きは進んでいった。アッバスが四人分の税をまとめて払ったのだが、その時に使ったのはルルグンス金貨だった。支払いは問題なく行われ、アッバスが釣り銭として銀貨を受け取る。ベルノルトが後で見せてもらうと、それはルルグンス銀貨だった。
「本当に、法国の貨幣が流通しているんだな」
「ええ。おかげで両替の手間が省けました」
そう言ってアッバスが笑う。それを見てベルノルトは苦笑した。彼が考えていたのは、ルルグンス法国がかつて持っていた影響力についてなのだが、アッバスはそこまで考えが及ばなかったようだ。とはいえ在りし日の法国についての考察より、使いやすい銀貨が手に入ったことのほうが目下重要かも知れない。
ペドメの街に入ると、ベルノルトたちはまず食堂へ向かった。特にダンジョンを出てからというもの食事は貧相で、彼らは手の込んだ料理に飢えていた。暖かい料理に舌鼓を打ち、彼らはしばし文明社会のありがたみを噛みしめた。
食事を楽しむのと同時に、ベルノルトらは情報収集も行った。彼らの予定としては、これから南へ向かおうと考えている。南へ進み、海岸沿いを東へ向かい、ヘラベートを目指す。それが今のところ考えているルートである。
だが食堂で話を聞いていると、思わしくない情報が出てきた。ペドメの南、特にヴェールールから法都ヴァンガルへの進攻ルートになったその周辺では、現在徴兵が進められているという。これはマドハヴァディティアが百国連合軍を催そうとしているものと思われた。
「そんな使い込んだ武器を持っているところを見ると、お客さんは傭兵かい? ガタイもいいし、腕も立ちそうじゃないか。今なら高値で雇ってもらえるかもしれないよ。……ボウヤは、難しいかも知れないねぇ」
アッバスからサラのほうへ視線を向け、食堂の女将さんが冗談めかしてそう語る。アッバスは楽しげに笑うと、情報料代わりに料理をもう一品注文する。女将さんは注文を受け取ると、快活に笑って厨房へ向かった。
女将さんの背中を見送ると、アッバスがスッと笑みを消す。そしてベルノルトに視線を向けた。その視線を受けて、ベルノルトは小さく肩をすくめる。それから唇だけ動かし「あとで」とアッバスに答えた。それを見てアッバスも小さく頷き、それから食事を再開した。
百国連合軍の規模がどの程度になるのか、それは分からない。ただ南へ向かえば戦争の気配は濃くなるだろう。よそ者への視線は厳しくなるだろうし、半ば強制的に徴用されることさえあるかもしれない。豆の煮込み料理を食べながら、ベルノルトは「どうしたものかな」と考えた。
食事を終えると、ベルノルトらは宿へ向かった。食事の際、女将さんに宿のことも聞いておいたのだ。紹介された宿は年季が入っていたが、掃除はきちんと行き届いている。彼らは四人部屋を借りた。
四人部屋一つで済ませたのは資金を節約するため、ではなかった。お金なら十分にある。むしろ警護上の理由だった。二人部屋を二つにすると、サラとベルノルトを同じ部屋にするしかない。だがそれだと、万が一の場合に護衛がしづらい。それで全員同じ部屋にしたのだ。
四人部屋には二段ベッドが二つ置いてあった。あとは小さな椅子が二つと、ロウソクのおかれた机が一つ。部屋は決して広くない。四人が部屋の中に入ると、幾分手狭に感じた。
部屋に荷物を置いてから、彼らは身体を拭くためにお湯を貰った。お湯を入れた大きなたらいを二つ部屋に運んだのだが、そこで小さな問題が発生した。身体を拭くためには服を脱がなければならない。だがサラは女だ。男どもに肌を見られるのには、大きな抵抗があるだろう。ダンジョン内では魔法で済ませていたが、もう魔法は使えない。
「あ~、俺たちは後ろを向いているから、手早く頼む」
「わ、分かった」
どことなく気まずい雰囲気の中、ベルノルトが先に身体を拭くようサラを促した。そして男三人は揃って壁の方を向き、直立不動の姿勢を取る。かなりシュールな光景だ。彼ら自身それを自覚していたが、それでも部屋の外に出ないのは、ユラが女であることがバレないようにするためだった。
静まり返った部屋の中、衣擦れの音がやたらと大きく聞こえる。手ぬぐいをたらいに浸しているのか、水の音も聞こえた。後ろでサラが動くのを気配で感じながら、ベルノルトたちは彼女が身体を拭き終えるのをひたすら待った。
「あの、ベル……。背中を、拭いて欲しいんだけど……」
サラが少々申し訳なさそうにそう頼む。ベルノルトは思わず頭を抱えた。彼がアッバスとメフライルの様子を窺うと、二人は猛烈な勢いで首を横に振る。確かにこの二人には荷が重かろう。そう思い、ベルノルトはため息を吐いた。
身体を拭き終え、お湯を始末してくると、四人は真剣な顔で向かい合った。これからの方針を話し合うためである。前述した通り、彼らは南へ向かうつもりでいた。しかし南は戦争の気配が濃いという。
「南へ向かえばヴェールール軍の進攻ルート、つまり補給線をまたぐことになる。迂闊でした」
アッバスが苦虫をかみ潰したような顔でそう呟く。さらにマドハヴァディティアは百国連合軍を催そうとしている。まかり間違って徴用でもされたら、大変なことになる。そうでなくとも素行の良い者ばかりではないだろう。連合軍の兵士ともめれば、厄介なことになる。
「君子危うきに近寄らず、と言います。南下は避けるべきでしょう」
「だが、南下しないならどちらへ進む?」
「西へ向かいましょう。戦線から遠ざかれば、戦乱の気配も遠のくはずです」
表情を険しくしたベルノルトに、今度はメフライルがそう答えた。ペドメの街からさらに西へ向かうと、コルカタという街がある。ペドメよりも大きな街で、さらに重要な点としてこの街にはアースルガム解放軍の拠点があった。そこでならさらなる情報が手に入るだろうし、もしかしたら潜伏することも可能かも知れない。
それに「万が一、南下が難しい場合にはさらに西へ向かう」というのは、シェマルと分かれる前に相談する中で出てきた方策の一つだ。シェマルはそのことを総督府に伝えるだろうから、その方策に沿って動けば本国もベルノルトらの行方を追いやすくなる。
「……ユラ、何か意見はあるか?」
「いえ、ありません」
「分かった。コルカタを目指そう」
ベルノルトが方針を決める。他の三人は揃って頷いた。彼らは宿に二泊してコルカタへ向かうための準備を整える。食料の補給、衣類の洗濯、武器の手入れなどだ。ダンジョンで手に入れたドロップアイテムについては、ペドメではなくコルカタで売ることになった。その方が高く売れるだろう、という判断である。
そして三日目の朝、ベルノルトらは朝食を食べてからペドメを出立した。本当は幌付きの馬車が欲しかったのだが、適当なものがなかったのでそれは断念した。移動速度はともかく、何とか雨が降らないでいてくれることをベルノルトは願った。
ペドメとコルカタの間には、街道沿いに二つの村がある。おおよそ徒歩で一日ごとの距離にあったので、二つの都市を行き来する人のための宿場町という側面があるのだろう。ただ、村の様子そのものはただの農村といったふうだ。つまり宿場町としてやっていけるほど、人の往来は多くないのだろう。
ともあれ村には宿があり、コルカタまでの道中、ベルノルトらは屋根のある部屋で夜を過ごすことができた。ベッドの寝心地はあまり良くなかったが、野宿をするよりははるかに良い。何より、二つ目の村に泊まったその翌日は大雨だったのだが、その雨に打たれてずぶ濡れになることを避けられた。その代わり、もう一泊することになったが。
大雨の翌日は、気持ちの良い晴天だった。ただ一日降り続いた雨のために、道はぬかるんでいる。そのため少々難儀しつつ、ベルノルトらはコルカタを目指した。ゆっくりと進みたかったが、あまり悠長にはしていられない。今日中にコルカタに着けなければ、また野宿することになる。
幸い、日が暮れる前に、彼らはコルカタの街に入ることができた。街に入るには、また税が必要だった。ペドメの街より大きいというのは本当のようで、人は多いし、物価も幾分安いように思われた。その日は宿を取って泥を落とし、夕食を食べてからすぐに休む。色々と動くのは明日から、ということになった。
そして翌日。ベルノルトらはハートラス商会を訪れていた。フードが忍ばせてくれた資料によれば、ここは商会を隠れ蓑にしたアースルガム解放軍の拠点の一つである。彼らは内心の緊張を押し隠して、商会の門を叩いた。
彼らはいきなり、自分たちの身分を明かすようなマネはしなかった。まずはダンジョンのドロップアイテムを多数持参したことを告げ、その買い取りを頼む。買い取り自体はスムーズに行われた。ドロップアイテムの中には下層のものも含まれており、買い取りを担当した職員は喜んだ。
「素晴らしい品でした。次も是非、当商会をご利用下さい」
そう言って職員が差し出す買い取り代金の入った小さな革袋を、メフライルが受け取る。そしてその際、彼は自然な仕草で職員に身を寄せ、その耳元でこう囁いた。
「実は、もっと高価な品もある」
職員が驚いた様子でメフライルの顔をまじまじと見る。彼はにっこりと微笑むと、職員にさらにこう告げた。
「商会長に、ああいえ会頭でしょうか。ともかくそういう立場の方に会わせていただけませんか?」
良い儲け話がある、とはメフライルは言わなかった。そんなものはないのだから当然だ。しかし職員は続くべき言葉を勝手にそう解釈したようで、ゴクリと唾を飲み込んでから彼にこう答えた。
「しょ、少々お待ち下さい。商会長にお取り次ぎします」
職員が小走りになって建物の奥へ向かう。その背中を見送りつつ、ベルノルトはメフライルの手腕に感心した。こういうのを貴族的交渉というのだろうか。何にしても、こちらの身分や要求を一切明かさずに、商会長との会談を実現させてしまった。
しばらくすると、先ほどの職員が戻ってきて、「商会長がお会いになるそうです」とメフライルに告げた。彼はベルノルトたちの方を振り返って一つ頷く。彼らは職員に商会長室へ案内された。
ハートラス商会の商会長はカービアと名乗った。彼はベルノルトらにソファーを勧める。座ったのはアッバスとメフライルで、ベルノルトとサラはソファーの後ろで立ったままでいる。それを見てもカービアは怪訝そうな顔をしない。
つまり彼の目から見ても、この分け方に不自然なところがないというわけだ。ベルノルトとサラの重要性を低く見せられているという意味では朗報だ。そしてベルノルトが内心で安堵しているうちに、いよいよ話し合いが始まった。
「……それで、今日はどのようなお話ですかな? 買い取りのためにいらしたと、ウチの者からは聞いていますが」
「はい。ヘラベートのファラフ商会をご存じでしょうか?」
そう答えたのはメフライルだった。ファラフ商会の名前が出たことで、カービアは一拍間を開けた。その目には警戒の色が浮かんでいる。それでも表情と声音は変えず、カービアはこう答えた。
「……ええ、存じています。何度か取引をさせていただきました」
「その、ファラフ商会のアーラムギール会頭から、こちらの商会を紹介していただきました。きっと力になってくれるだろう、と」
もちろん、アーラムギールはファラフ商会の会頭ではない。彼はアシュラフという偽名を使ってユーヴェル商会の会頭を務めている。そもそもベルノルトらはファラフ商会の関係者と会ったことは一度もない。
「ほう……。ファラフ商会のアーラムギール会頭の紹介、ですか……。それは、それは、なるほど……」
カービアはもったいぶった様子でそう呟き、顎先に手を考え込む。当然ながら彼もファラフ商会の会頭がアーラムギールではないことは知っている。だが彼はそれを指摘することなく、代わりにこう尋ねた。
「何か、紹介状のようなものはありませんか?」
「こちらを」
メフライルが目配せするとアッバスが一通の書簡を取り出し、それをカービアに見せる。中身を確認すると、カービアは思わず目を見開いた。書簡はファラフ商会からのものでも、アーラムギールからのものでもない。
紹介状はイスパルタ朝の在ヴァンガル大使館からのものだったのである。そしてそこには「この書状を持つ者たちについては、大使館が身分を保障する」旨のことが書かれていた。
カービアは大きく息を吐いてから書簡を封筒に戻す。そして書簡をアッバスに返してから真剣な表情で彼にこう告げた。
「……このようなものを見せられては、協力しないわけには参りませんな。それで、どういったご用件でしょうか?」
「まずは情報が欲しい。マドハヴァディティアの動きはどの程度掴んでいますか?」
「されば……」
カービアがハートラス商会を通じて集めた情報を口にする。ベルノルトたちはそれに耳を傾けた。
メフライル「適所適材ですよ」




