シェマルの戦い
ベルノルトらと分かれて単独行動になったシェマルは、なるべく見晴らしの良い場所を避けて、木々の生い茂ったような移動した。遊牧民の略奪隊は、基本的に騎乗している。彼らに見つからないようにするためであり、また見つかったとしてもその機動力を発揮させないためだった。
ただ当然のことながら、移動速度は遅かった。それにずっと姿を隠して移動できるはずもない。シェマルは馬が欲しかった。それも、できれば二頭。馬があれば、一気に本国まで駆け抜けることができる。どこかに仲間からはぐれた遊牧民はいないものかと思ったが、そんな都合の良い獲物は見当たらなかった。
彼が念願の馬を手に入れたのは、ある小さな村でのことだった。その村は略奪隊の脅威にさらされていた。略奪隊の規模は小さかったのだが、村の側に抵抗手段がほとんどなかったために、いいように食い潰されそうになっていたのだ。
余談になるが、小さな村であれば、一度の襲撃で何もかも根こそぎ奪われ、焼き払われてしまうことも珍しくない。言うまでもなく住民は全滅だ。だがこの村はそうならず、言ってみれば略奪隊に寄生されるような格好になっていた。
もっとも、すぐには滅ぼされなかったとして、略奪隊に寄生されたからには村の滅亡は時間の問題だった。実際、略奪隊は様々なものを要求してきた。お金、貴重品、食料、酒、そして女。略奪隊は村の事情など全く考慮せず、自分たちの欲するものを差し出せては奪っていった。
要求を拒否しても力ずくで奪われる。実際、そのために殺された者もいた。だが要求に唯々諾々と従っても、緩慢に破滅へ向かうに過ぎない。そしてその破滅は遠からず訪れる。それは村人たちの目にも明らかだった。
村には小さな教会があり、そこには僧職者がいた。その僧職者が助けを呼ぶために村の外へ向かった。破滅を回避するためである。もしかしたらその僧職者は自分だけが逃げるつもりだったのかも知れないが。
いずれにしても、その計画は失敗に終わった。僧職者が出発したその翌日、彼は首だけになって村に投げ込まれたのである。誰がそれをやったのかなど、考えるまでもなかった。
どこからも助けは来ないし、また助けを呼びに行くこともできない。村人たちは絶望した。シェマルが村に立ち寄ったのは、ちょうどそんなときだった。
シェマルとしては、一晩の宿と当面の食料を得ることが目的だった。彼は村の雰囲気が暗いことにすぐ気付いたが、どうせ一晩の付き合いだと思い、深入りしようとは思わなかった。
そしてその夜。シェマルは村人たちに襲われた。彼の持ち物を奪って、略奪隊への供物にしようとしたのだ。根本的な解決にはなんら繋がらない、ただの時間稼ぎでしかないのだが、村人たちは必死だった。だが彼は成長限界に達した武人である。あっさりと村人たちを鎮圧した。
「……それで、どんな事情があってこんなことをした?」
事ここに至れば事情を聞かないわけにはいかず、シェマルは嫌々ながら村人たちに説明を求めた。鎮圧され、すっかり意気消沈した村人たちが、ぽつりぽつりと事情を説明する。その話を聞く内に、シェマルはだんだんと上機嫌になっていった。
聞く限り、略奪隊の規模は小さい。せいぜい十数人という話だ。そして全員が馬に乗っている。シェマル一人でこれを相手にするのは難しい。だがこの村人たちの協力が得られれば、やりようはある。馬を調達する良い機会のように思えた。それにここで略奪隊を始末しておけば、この後の旅が多少は安全になるだろう。
「俺が勝たせてやる」
シェマルはそう豪語した。そして躊躇う村人たちをこうたき付けた。曰く「このままでは骨の髄までしゃぶり尽くされるぞ。男は殺され、女はさらわれる。仮に奴らが立ち去ったとして、それは奪うだけ奪い尽くした後だ。それで冬を越せるのか? 今ならまだ間に合う。今抵抗すれば、生き延びられるんだぞ!」
「……そ、そうは言うが、しかしあんたは何者なんだ?」
「俺は、イスパルタ軍の百人隊長だったこともある男だ」
正体を問われ、シェマルはそう答えた。即興で考えた設定は、元百人隊長の傭兵という身分だ。驚くほど現状に合っていて、彼は思わず内心で苦笑を浮かべた。無論、彼の忠義は祖国に捧げられており、傭兵に鞍替えするつもりはないが。
一方で村人たちはざわめいていた。イスパルタ軍の精強さはこの辺境の村でも知られている。ただ、この旅人が本当にイスパルタ軍の百人隊長だった証拠はない。だが多数の村人をあっという間に制圧してしまった、その実力は本物である。シェマルの自信にあふれた態度も相まって、村人たちには彼が一角の人物であるように見えた。
そして、このままでは破滅を待つのみという指摘はその通りなのだ。さらにこの先、助けが来ることはほぼない。明日になればこの男も村を去るだろう。村人たちにはこれが逃してはならない逆転の光明に思えた。
「……よ、よし、分かった。やろう」
話は決まり、シェマルはニヤリと笑みを浮かべた。シェマルはまず、村の様子を調べた。その上で略奪隊を殲滅するための策を練る。そして考えがまとまってから、村人を集めて作戦会議を開いた。
シェマルが村に来てから二日後、再び略奪隊が村に現われた。その前に要求していた貢ぎ物を取りに来たのだ。シェマルは村の入り口でその姿を確認すると、おもむろに勁弓を引く。そして略奪隊目掛けて鋭く矢を射た。その矢は、見事に略奪隊の一人を射落とした。
仲間を射られて略奪隊の他の者たちが色めき立つ。シェマルは立て続けに弓を射て、さらに二人を仕留めた。そして略奪隊が一定のところにまで近づくと、彼は一目散に村の中へ駆け込んだ。略奪隊の遊牧民たちは、奇声を上げながら彼を追った。
シェマルを追って村の中に入った略奪隊は、そのまま村の中央にある広場へ誘導された。広場には幾つか道が通じているのだが、彼らが入って来た道以外は全て家具などによって塞がれている。つまり広場は袋小路になっていたのだ。
略奪隊が広場に入ってくると、村人たちが屋根の上から一斉に石を投げた。彼らは細長い布きれを石投器の代わりに使っている。もちろん命中率は良くない。だが的は大きいし、何より数が多い。石は次々に略奪隊の人間と馬を捉えた。
石を投げているのは男たちだ。一方で女たちは物陰に潜みながら、鍋を木の棒ででたらめに鳴らしていた。銅鑼の代わりだ。おかげで村の広場は、ガンガンと金属音が鳴り響きつつ、さらに無数の石が飛び交うという、混沌とした状況になった。
この状況に、人間よりもさきに馬が限界を迎えた。恐慌状態になった馬が暴れ出す。乗り手は次々と振り落とされ、それがさらに混乱に拍車をかける。その混乱の中、シェマルが一人ずつ敵を射殺していく。
略奪隊は反撃すらままならない。彼らは自分たちが狩られる側になるなど、思ってもいなかったのだ。シェマルは焦らず、しかし素早く矢を射ていく。その矢は確実に敵の数を減らした。そして全員を始末し終えると、彼は大きく手を振って作戦の終了を伝える。鍋を打ち鳴らす音の代わりに、村人たちの歓声が広場に響いた。
この戦いで、シェマルは二頭の馬を手に入れた。上々の首尾、と言って良い。さらに矢を補充して、残りの馬や装備は全て村に譲った。そしてシェマルは三日分の食料を受け取り、村人たちに見送られてその村を旅立ったのだった。
馬を手に入れ、シェマルの移動速度は劇的に速くなった。しかも馬は二頭いる。定期的に乗り換えて馬の消耗を抑えながら、彼はイスパルタ朝本国を目指して疾駆した。これで任務は達成されたも同然。彼は気分良くそう考えていた。
(これなら、殿下たちをお連れしても良かったな)
シェマルはそんなふうにも思ったが、しかしその半日後に彼は前言を撤回しなければならなくなった。数十騎からなる略奪隊に見つかってしまったのである。シェマルは慌てて逃げ出した。
命がけの追いかけっこが始まった。双方とも騎乗しているので、両者の差はなかなか縮まらない。ただ戦況は追う側が圧倒的に有利だった。捕まれば殺される。シェマルは必死に馬を駆けさせた。
(このままでは……!)
このままでは遠からず追いつかれてしまう。シェマルはそれを認めなければならなかった。彼の顔に苦渋の色が浮かんだ。
馬を駆けさせるとき、当然ながら馬も人も向かい風の抵抗を受ける。だが略奪隊のように集団になると、互いが互いを風よけにできるので、全体としての消耗は減る。つまりより長い距離を走れる様になるのだ。略奪隊の機動力を支える、カラクリの一つと言って良い。
つまりこのまま馬を走らせているだけでは、略奪隊よりも先にシェマルの方が息が切れてしまう。その前に何とか、この状況を好転させて切り抜けなければならない。シェマルは覚悟を決めた。
(やむを得ん……!)
彼はまず、荷物を投げ捨てた。本当に大事なもの以外は全部だ。少しでも身軽になって、馬の負担を少なくするためだ。すると捨てた荷物に群がって、数騎が足を止める。それを見てシェマルはハタと気がついた。
略奪隊の目的は人を殺すことではない。物を奪うことだ。まして彼らはシェマルがベルノルトが書いた総督府への手紙を持っていることなど、知るよしもない。満足できるだけのモノさえ手に入れば、足を止める可能性は十分にある。
シェマルは懐に手を入れ、金貨の入った革袋を取り出す。そしてその口を開くと、中身を空中にばらまいた。金貨が日の光に照らされてキラキラと輝く。略奪隊も、それが金貨であることにすぐに気がついた。
たちまち半分近くが足を止め、馬から下りて金貨を拾い始める。それを見て、しかしシェマルは顔をしかめた。追っ手の数はまだ多い。仕方がないと割り切り、彼は弓を取って後ろを振り還って矢を射た。逃げ撃ちである。
略奪隊が色めき立つ。シェマルは内心で「早まったかな」と多少の後悔を覚えた。だがやってしまったものは仕方がない。立て続けに矢を射て、三騎ほどを仕留めた。だがそのせいで略奪隊はいよいよ殺気立った。彼らも当然反撃してきて、シェマルの傍を矢がかすめた。
そうやって馬を走らせているうちに、シェマルは前方に木々の茂る場所を見つけた。森と言うほどではない。林と言ったところか。とはいえ馬を走らせにくい場所であることに変わりはない。シェマルは弓を身体に引っかけると、両手で手綱を握ってその林へ駆け込んだ。
遊牧民の生活圏というのは、基本的に大草原だ。木々の生い茂っている場所などほとんどない。だから彼らは馬の扱いには慣れているが、森や林などで馬を走らせたことはほとんどない。
一方でイスパルタ朝の近衛軍では、そういうメニューが訓練に組み込まれている。シェマルもその手の訓練を受けたことがあり、彼は自分の馬術に自信があった。それで彼は林へ突っ込んでいったのである。
彼は集中力を高めて林の中を突き進んだ。木の位置を瞬時に把握して、馬が通れるルートを割り出す。真っ直ぐ走らせることはできない。小刻みに手綱を操り、身をかがめて枝をやり過ごし、馬を跳躍させて倒木を飛び越える。
遊牧民らの方は、林の中で馬を駆けさせることに苦労している様だった。しかしそれでも一部は食らい付いてくる。シェマルが通ったルートをそのままなぞっているのだ。不慣れな場所であっても、お手本のマネをするくらいなら、彼らには容易い。
「ちっ……!」
シェマルは舌打ちをもらし、弓を手に取った。そして一瞬だけ振り返り、瞬時に狙いを定めて射る。彼はすぐに前を向いてまた手綱を操った。矢が命中したことを、彼は音で知った。
曲芸じみた射撃だったが、やった甲斐はあった。略奪隊がとうとう追うのを止めたのだ。これ以上は割に合わないと判断したらしい。シェマルは安堵の息を吐きつつ、そのまま馬を走らせた。
十分に距離を取り、略奪隊を撒いたと確信してから、シェマルはようやく馬の足を止めた。そして馬から下りて周囲を見渡す。ここはまだ林の中だ。ただし林のどこなのかは分からない。言葉を飾らずに言えば、迷子の状態だった。
「さて、と……」
馬を休ませつつ、シェマルは現状の確認を始めた。前述した通りここはまだ林の中で、自分がどこにいるのかは分からない。持ち物はベルノルトの手紙と地図とコンパス、そして靴に忍ばせておいた金貨が二枚。武器は剣と弓と矢筒に矢が十数本残っている。馬は一頭。もう一頭は逃げてしまった。
食料と水は全くない。投げ捨ててしまったからだ。当面の問題は水だ。水がなければ人も馬も動けなくなってしまう。シェマルは焦る気持ちを抑え、ひとまず地図を開いた。縮尺の大きな地図なので、これで現在地を知ることはできない。だが大まかな位置くらいは分かる。
シェマルは略奪隊に見つかった位置や、馬を走らせた時間、地図上に書かれた街道の位置などをもとに、自分が今いる場所を大まかに推定する。懸命に馬を走らせただけあって、かなり本国へ近づいたはずだった。
(後は、時間との闘いだな……)
シェマルは腹を決めた。悠長に食料や水を確保している時間はない。自分の体力がある内に本国へ入る。彼はそう方針を定めた。本国に入りさえすれば、略奪隊の脅威はかなりの程度低減する。その上で人里を見つけられれば、物資は何とでもなる。
シェマルは短い休憩を切り上げて、再び馬にまたがった。コンパスで方位を確認し、東へと歩を進める。その日のうちに林を抜けることはできたが、人里は見当たらない。結局、彼が人里を見つけるまでに三日かかった。
その間を、彼は泥水を啜るようにして生き延びた。カエルを躍り食いし、蛇の生き血を飲んで喉の渇きを癒やした。夜は僅かな火を頼りに、まるで一人ダンジョンの中にいるかのように神経を張り詰めさせて過ごした。ようやく人里にたどり着いたとき、彼はまず寝床を求めたという。
やっとの思いでたどり着いた小さな村で、シェマルはそこがすでにイスパルタ朝の国内であることを知った。彼は金貨二枚を支払って食料と水を分けてもらい、それから馬を駆けさせて総督府を目指した。
総督府にたどり着くと、シェマルはすぐさまロスタムのもとへ通された。彼はベルノルトからの手紙をロスタムに手渡し、さらに口頭で事情を説明する。ロスタムはそれを聞き終えると、険しい表情で「ご苦労だった」と言ってシェマルをねぎらった。
その席で、シェマルはマルセルが死んだことを教えられた。彼は沈痛な顔をして上官の死を悼んだ。そしてもともと弔問団の護衛をしていた部隊の生き残りについては、暫定的にだが彼が指揮を執ることになった。他に適当な指揮官が生き残っていなかったのである。
ちなみに、総督府にたどり着いた次の日。シェマルは強烈な腹痛に襲われ、虫下しの薬を処方された。後日彼は「人里を探していた頃より辛かった」とこぼした。
シェマル「略奪隊より寄生虫のほうが手強いぜ」




