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虚飾の箱庭

 大統歴六三五年十一月八日。イスファードが解放されてから、およそ二ヶ月が経過した。彼は今、王都クルシェヒルの王城で王太子として生活している。しかしその生活は、少なくとも彼にとって、あまり充実したものではなかった。


 ロストク帝国から帰還したあの日、イスファードを出迎えたのは目を赤く泣き腫らしたメルテム王妃だった。彼女はわざわざ王城の正門前までイスファードを出迎えに行き、そして息子を抱きしめてその無事を喜んだ。


『ああ、イスファード……! 無事で、無事で何よりです……!』


『母上……。ご心配を、お掛けしました』


『良いのです。もう、良いのです。こうして貴方が無事に帰ってきてくれたのですから。もう、なにも心配はいりませんよ』


 続いて、イスファードはメルテム王妃に付き添われ、父王ガーレルラーン二世に謁見した。イスファードは敗戦について叱責されるものと思っていたが、しかしその予想は外れた。ガーレルラーン二世は彼にただこう告げたのである。


『よく戻った。不自由な生活を強いられ疲れたであろう。しばらくは休むがよい』


 相変わらず感情の篭らぬ声ではあったものの、拍子抜けするくらい穏当な言葉だった。ガーレルラーン二世はすぐに席を立って執務に戻ってしまったので、彼の顔色を窺うことはできなかったが、しかしメルテム王妃が優しげに微笑んでいる。それを見てイスファードは大よその事情を悟った。つまり彼女があらかじめガーレルラーン二世に息子のことをお願いしておいたのだ。


(……っ)


 それと悟り、しかし彼の胸のうちに湧き起こってきたのは悔しさだった。男児として責任を取ることさえ許されない。メルテム王妃がそうしたのは間違いなく母親としての愛情ゆえだろう。しかしイスファードにとっては子ども扱いをされたようで、その“過保護さ”を疎ましくさえ感じた。


 メルテム王妃の“過保護さ”は、別のところでも発揮された。イスファードの誕生日である。彼がクルシェヒルに帰還してから誕生日まで、時間はおよそ半月ほどしかなかった。しかし彼女はイスファードの誕生日を盛大に祝うべきと強く主張したのである。


『今年はイスファードが身分と誕生日を回復した記念すべき年なのです。それなのに誕生日を盛大に祝わなければ、まるであの子が王太子として認められていないかのようではありませんか』


 結局、イスファードの誕生日を祝うパーティーは強行された。しかし準備不足は隠し切れない。さらに敗戦の記憶も新しく、いまいち祝賀ムードは高まりを欠いた。


 その上、イスファードと共に遠征し、そして捕虜になってしまった貴族が多数いた。彼らの中には「敗戦の責任を問う」として罰金や領地の没収を通告されている者も多い。当然、王家やイスファード個人に対して思うところが多分にある。少なくとも心から誕生日を祝ってやろうという気分にはなれなかった。


『形は整っていたものの、まさに形だけのパーティー』


 後日、イスファードの誕生日を祝うパーティーはそう評された。形式と体面は守られたと考えるべきか、それとも薄っぺらな虚飾を見透かされてしまったと思うべきか。いずれにしてもそれこそがアンタルヤ王家の、いやイスファードの実情だった。


 さて、このパーティーでイスファードは前々から会いたいと思っていた人物にようやく会うことができた。実の姉であるユリーシャだ。母親であるメルテム王妃譲りの美貌を持つが、しかし彼女よりも優しげな風貌をしている。すでに結婚して臣籍に下っており、現在の身分は侯爵夫人だった。


『王太子殿下、お誕生日おめでとうございます』


 完璧に礼節を守り、ユリーシャはイスファードに一礼した。彼女の姿を見てイスファードは破顔する。


『姉上! お会いしとうございました。これでようやく、貴女を姉上とお呼びできます』


 イスファードはユリーシャにあれこれと尋ねた。それは今まで離れて暮らしていた時間を埋めているようであったし、また姉を確かに自分のものにしようとしているようでもあった。彼にとって家族の絆とは、すなわち王族たるその血の証明。彼が拭いきれていない不安の裏返しだったとも言えるだろう。


『姉上、わたしのことはイスファードと呼んでください』


『いけません。わたしはすでに臣籍に下っております』


 イスファードから自分を呼び捨てにするよう求められ、ユリーシャは困惑気味にそう答えた。たとえ実の姉弟であろうとも、今の彼らは明確に主従が分かれている。侯爵夫人が王太子を、それも公式の場で、呼び捨てになどできるはずもない。


 実際、ジノーファが王太子であったころも、ユリーシャはそう接していた。イスファードもそれを覚えていたので、少々不満そうにしつつも彼女の言い分を受け入れた。


『イスファード。ユリーシャとばかり話していないで、他の方々にもご挨拶なさい』


 結局、メルテム王妃が割って入るまで、イスファードはユリーシャと話を続けた。他の招待客のところへ向かう二人を、ユリーシャは綺麗に一礼して見送る。二人の様子に彼女が何を思ったのか、それをうかがい知る資料は何も残されていない。


 さて、誕生日が過ぎてからというもの、イスファードは無聊を託っていた。もちろん、文字通りに何もしていなかったわけではない。王太子としての勉強や稽古は毎日行っている。しかしその一方で、何かの仕事を任されたり、ダンジョン攻略を行ってみたりということはしていない。


『いずれなにかをやらせる。今は休め』


『そうですよ、イスファード。そんなに焦らないで、今はゆっくりと休みなさい?』


 ガーレルラーン二世とメルテム王妃はそう言ってイスファードを宥めた。二人の発言は一致していたが、しかし胸と腹のうちまでがそうなのかは何人にも分からぬ。とはいえこの二人から「休め」と言われては、イスファードは従うより他なかった。


(こんなことをしている場合ではないのに……!)


 この時のイスファードは、焦り、そして苛立っていた。もちろん王太子としての勉強や稽古の重要性は理解している。しかしそう言った地道なものよりも、彼は実績が欲しかった。彼が意識しているのは言うまでもない、ジノーファである。


 アンタルヤ王国において、ジノーファの名前が公式の場で出ることはもうない。しかしこの時期、非公式の場において彼ほど名前が囁かれた人物はいないだろう。


 曰く、ジノーファはロストク帝国で厚遇されているらしい。


 曰く、ジノーファは炎帝より勲章を授けられたという。


 曰く、ジノーファは聖痕(スティグマ)持ちである。


 曰く、ジノーファは美しい姫を婚約者にしたらしい。


 曰く、ジノーファは炎帝の腹心となるそうだ。


 曰く、ジノーファは…………。


 どこまで本当なのか分からないような噂も混じってはいるが、ともかくジノーファに関する話はイスファードの耳にも入った。彼は帝国で新しい生活を始めているという。しかもどうやら、炎帝に気に入られているらしい。それもこれも、彼の成したことが高く評価されているからだ。


 一方のイスファードはどうか。彼はまだ何もなしてはいない。それどころか敗戦と言う大きな失敗を犯したばかりである。つまり彼の評価は低い。彼自身それを自覚している。何とかしたいと思うのに、何もさせてもらえない。鬱憤が溜まった。


(わたしに、もっと力があれば……!)


 イスファードはそう思う。本来、彼の政治勢力となるべきエルビスタン公爵家とその派閥は、しかし先の敗戦で大きく力をそがれている。発言力は低下しており、しかも派閥内でさえまとまりを欠いていた。


 自らの力を強化するため、婚約者であるファティマとの結婚を急ぐという案も、あえなく頓挫している。十分な準備をせずに式を挙げても、恥を曝すことにしかならないからだ。その上、公爵家の財政は現在火の車で、まずはそちらを立て直さなければならない。幸いというか、二人ともまだ若いので、正式な結婚は最低でも三年程度は先になるだろう。


『一生に一度の結婚式ですもの。しっかりと準備したいですわ。兄上の、いえイスファード様の気持ちも分かりますが、焦っても良いことはありませんよ』


 ファティマもまた、そう言ってイスファードを宥めた。あるいは彼女の口を借りたエルビスタン公カルカヴァンの言葉であったのかもしれない。ともかく彼女にまでそう言われては、イスファードも一人で先走ることはできなかった。


 それはそうとファティマのことであるが、彼女はこれまでイスファードの双子の妹と言うことになっていた。しかし実際には、彼女の方が年上だった。ほんの十数日ではあるが、彼女のほうが誕生日が早いのだ。イスファードをめぐるあれこれは、こんな些末なところまで偽りで塗り固められていた、と言えるかもしれない。


 閑話休題。イスファードは無聊を託っていた。そんな中、大統歴六三五年十一月八日、王都クルシェヒルに急報がもたらされる。それは隣国ルルグンス法国からの救援要請だった。


 ルルグンス法国はアンタルヤ王国の西に位置する穏健な宗教国家だ。国土は四二州。アンタルヤ王国から見れば格下の小国だが、しかしアンタルヤ王国にとってルルグンス法国は重要な同盟国だった。


 その理由は、北東の国境を接するロストク帝国だった。ロストク帝国が海を狙っていることを、アンタルヤ王国は承知している。そうである以上、戦争は避けられない。しかし東での戦いに注力するためには、西に何かしらの備えをしておく必要がある。その備えこそが、ルルグンス法国との同盟だった。


 そのルルグンス法国が他国からの侵略を受け、アンタルヤ王国に援軍を求めてきたのである。ロストク帝国とは五年間の相互不可侵条約を結んでいるが、しかしその手の約束事がそれほどあてにならないことは、アンタルヤ王国自身が実証している。つまり条約の有無に関わらず、帝国の脅威はそこにあるのだ。


 今はまだいいが、いずれまた東は騒がしくなるだろう。その時、西から背中を突かれるのは避けなければならない。同盟国たるルルグンス法国には、健在でいてもらわねば困るのだ。


 ガーレルラーン二世の決断と行動は迅速だった。彼はすぐさま歩兵一万、騎兵二〇〇〇からなる軍勢を組織。これを直率してルルグンス法国へ救援に赴くことにしたのである。その際、イスファードは父王にこう嘆願した。


「陛下! どうか此度のご親征にわたしもお連れください! 名誉挽回の機会をお与えください!」


 敗北という失敗は勝利でしか贖えない。イスファードはそれをよく分かっていた。ロストク帝国相手に大敗を喫したのは数ヶ月前で、ともすれば今後数年間は大きな戦はないと覚悟していたのだが、しかしこうも早く失地回復の機会が巡ってきたのである。彼は必死だった。


「イスファード、そなたには留守居役を命じる」


 しかしガーレルラーン二世の返答は非情だった。少なくともイスファードにはそう思えた。彼は父王の顔を真っ直ぐに見たが、見返すガーレルラーン二世の眼は底冷えするほどに冷たい。その冷たさに言葉を封じられたイスファードは、次に縋るようにしてメルテム王妃のほうを見た。


「イスファード、今回は陛下にお任せなさい」


 少し困ったようにしながら、メルテム王妃はイスファードにそう言い聞かせた。両親に揃ってそう言われては、彼にはもう何もできない。敗戦前であれば、あるいはエルビスタン公爵家のほうから働きかけてもらうことができたかもしれない。しかし今となっては、それももう無理な話である。


「そなたには、やってもらいたいことがある」


 悔しげに身体を震わせるイスファードに、ガーレルラーン二世はそう声をかけた。彼がイスファードにやらせたいこと。それは「敗戦の責任を問う」として通告した、罰金や領地没収など、処分の執行に関わる実務的な仕事だった。


「これは王家の力を増すための重要な仕事である。やりたくないと言うのであれば宰相に任せるが、どうか?」


「やらせて、いただきます」


 声を震わせながら、イスファードはそう答えた。ほとんど勅命と同じなのだから、そう答えるしかなかったとも言える。しかしそれ以上に、この仕事をしなければまた何もさせてもらえなくなると彼は思ったのだ。


 それにしても、忌まわしい仕事である。イスファードは遠征軍の総司令官だった。その彼が、戦友として戦った者たちに対し、「敗戦の責任を問う」としてその実務を執行するのだ。その旗下で戦った者たちは一体どう思うだろうか。


(王家の力を増すためだ……!)


 イスファードは自分にそう言い聞かせた。彼自身、王家の人間であり、王家の力が増すことは彼の力が増すことに繋がる。そう考え、彼は与えられた仕事を果断にこなした。


 そもそも、イスファードは処分執行の実務者でしかない。処分そのものはガーレルラーン二世が決めたもので、そこに異議を唱えることは彼にはできないのである。ゆえに彼は粛々と仕事を進めていくことしかできなかったわけだが、しかしその姿が周りからどう見えるかはまた別問題であろう。


「自分のことを棚にあげて! あの小僧め!」


「エルビスタン公爵家さえ無事なら、他はどうでもよいと言わんばかりの態度ではないか!」


「ジノーファ殿であれば、このようにはなさらなかったであろうよ」


 イスファードの支持基盤であるはずの派閥は、すでに瓦解寸前だった。それでも瓦解しなかったのは、皮肉にも皆この処分のために力を失い、派閥を抜けてはやっていけないと言う消極的な理由からだ。


 カルカヴァンもこの頃は公爵家の建て直しに忙しく、イスファードに助言する暇がない。そのためなのか、イスファードは派閥の維持に関してはあまり危機感を持っていなかった。ガーレルラーン二世がそこまで見越していたのであれば、かなり辛辣な一手であったといえるだろう。


 さて、一方のガーレルラーン二世である。ルルグンス法国は温暖な気候で、その兵は精強とはいい難い。それでアンタルヤ王国の軍隊を率いて来た彼は、連合軍内においてすぐさま中心的な地位を占めるようになった。


 いや、あえてこう言おう。連合軍を指揮したのはガーレルラーン二世であった。ある種、越権行為ではあったが、しかし彼の能力は確かだった。彼が指揮棒を振るえば、弱兵といえども粘り強く戦う。そして連合軍は侵略者を相手に勝利を重ね、ついには国外に叩き出した。ルルグンス法国は救われたのである。


「それで、陛下。相手国との交渉のことなのですが……」


「それは法国にお任せする。我らは援軍ゆえ」


 そう言ってガーレルラーン二世は鷹揚に寛大な態度を見せたが、しかしよくよく考えてみれば当たり前の話である。ただ、背後に控える彼とアンタルヤ軍の存在は交渉において有利に働いた。結果としてルルグンス法国は巨額の賠償金を得、アンタルヤ王国も十分な謝礼を受け取ったのである。


「ガーレルラーン陛下はまことに名将であらせられる」


「左様。陛下がお味方でいてくだされば、何も怖れるものはない」


「陛下御自ら救援に来られたということは、陛下がそれだけ我々との同盟を重要視していることの証拠に他ならない。これでルルグンス法国も安泰だ」


 こうしてガーレルラーン二世は自らの勇名を回復した。ロストク帝国に対しては負け続きであったが、勝利によって自らが侮られることのない強い王であることを証明したのだ。これで国内の不穏分子も震え上がるに違いない。


 さらに、ルルグンス法国に対しては貸しを作った。将来、今度はアンタルヤ王国がルルグンス法国に救援を求めることがあるかも知れない。その時、ルルグンス法国は喜んで兵を出すだろう。そしてそれらの兵はガーレルラーン二世の指揮の下で奮戦するのだ。そう、今回のように。


 さて、ガーレルラーン二世は新年をルルグンス法国の戦場で迎えた。当然、王都クルシェヒルの王城に彼の姿はない。


「陛下は今、戦場で砂と埃にまみれておられる。我らだけが浮かれ騒ぎに興じていてよいものだろうか」


 そういう意見が出て、結局新年の祝賀パーティーは中止になった。イスファードは残念がっていたが、あるいは中止となってよかったのかもしれない。国内はとても祝賀という空気ではなかったのだから。


 そして、新年。一月一日。イスファードはいつになく静かな年明けを迎えた。彼は部屋の窓から王都クルシェヒルの街並みを見下ろしこう誓う。


(今年こそは、必ず……!)


 ルルグンス法国で大勝したガーレルラーン二世が帰還するのは、このおよそ一ヵ月後のことである。


イスファードの一言日記「ひまー」


~~~~~~~~


というわけで。

幕間はここまでです。


次は第三章。

気長にお待ちください。

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― 新着の感想 ―
一言日記、面白い面もあるけど、安っぽいというかアホっぽいというか 物語の重厚さをただただ下げている気がする 気が抜ける
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