ダンジョン攻略~上層~
ユラがサラであることを伝えてから休憩を切り上げ、ベルノルトら五人はダンジョンの攻略を再開した。ここまでずっと、最も負担の大きいパーティーの先頭は、アッバスとシェマルが交代で担ってきた。倒したモンスターの数も、この二人が飛び抜けて多い。だがサラはともかく、ベルノルトとメフライルとて何も戦わなかったわけではない。
モンスターは前方からのみいるわけではない。時には側面や後方から襲われることもある。そういう場合にはベルノルトとメフライルにも出番があった。二人とも下層まで到達しているだけあって、戦いぶりは堅実だ。アッバスとシェマルも感心した様子で頷いていた。
五人は苦戦する様子もなくダンジョンの中を進んでいく。そして彼らはいよいよ大広間を目前にした。大広間ではエリアボスが出現する。エリアボスは通常のモンスターと比べ、はるかに強力だ。彼らは気を引き締めた。
「では、行きます」
アッバスを先頭にして、五人は大広間に足を踏み入れる。するとたちまち、空気が沸騰した。急速に気配だけが膨れ上がる。そしてそれが最高潮に達したとき、岩石でできた太い腕が二本、地面を突き破って現われた。
「ゴーレムか……!」
シェマルが僅かに顔をしかめる。動く岩石とも言えるゴーレムは、斬撃が効きにくく、また彼が得意とする雷の魔法も効果が薄い。こと彼に関して言えば、相性の悪い相手と言えた。ただ、この場にいるのは彼だけではない。
「私が時間を稼ぐ。メフライル、その間に予備の装備の中からメイスを出せ」
「了解です」
メフライルの返事を聞くと、アッバスは小さく頷いてから一気に前へ出た。ゴーレムの身長はアッバスよりも頭二つ分ほど大きく、肩幅に至っては倍以上もある。ずんぐりとした巨人とも言うべきゴーレムに対し、アッバスは恐れることなく距離を詰めた。
「ゴォォッォオオオオ……!」
ゴーレムが雄叫びを上げる。口などないくせに、どこから音を響かせているのか。そしてゴーレムはゴリゴリと音を立てながら、右腕を大きく振りかぶった。そして正面から距離を詰めてくるアッバスに対し、その巨大な拳を叩きつける。
その一撃を、アッバスは余裕を持ってかわしていた。そしてゴーレムが前のめりになるタイミングを見逃さず、さらに一歩したたかに踏み込む。すると地面から石柱が斜めに生えてきて、ゴーレムの顔面を下からカウンター気味に痛打した。
「ゴッ……!?」
アッバスが得意とする土魔法である。痛烈な一撃を喰らったゴーレムは、僅かに上体を泳がせた。アッバスはその隙を見逃さず、素早く背後に回って今度は膝の裏を思い切り切りつけた。
「……っ!」
硬い手応えに、アッバスは顔をしかめた。切れていない。彼は即座に距離を取った。次の瞬間、ゴーレムの太い腕が彼のいた場所をなぎ払う。「仕切り直しか」とアッバスが気を引き締め直したとき、後方からシェマルが彼の名前を叫んだ。
「アッバス!」
シェマルは同僚の名前を叫ぶと同時に、メフライルから受け取ったメイスを一本、ゴーレムにむけて投擲する。重い鈍器が背中に直撃し、ゴーレムがふらつく。それに合わせてアッバスはもう一度足を踏みならした。するとゴーレムの足下の地面が割れて崩れ、ゴーレムは大きく体勢を崩した。
そこへメイスを構えたシェマルが飛びかかる。成長限界に達した武芸者が繰り出す一撃は強烈で、ゴーレムはついに地面に手をついた。アッバスもまたシェマルが投げたメイスを拾い上げ、力任せに叩きつける。
アッバスとシェマルはゴーレムの周囲を動き回りながら、二人で交互にメイスを振るった。二人の阿吽の呼吸に翻弄され、ゴーレムは立ち上がることもできない。鈍い打撃音が響くたびに、ゴーレムの身体が徐々にひび割れていく。細かい破片がボロボロと飛び散った。
ゴーレムの片腕が砕け、続いて片足も砕ける。シェマルが振るったメイスがもう片方の腕を強引に掬い上げると、ゴーレムはとうとう地面に倒れ込んだ。満身創痍となったゴーレム相手に、しかし二人は攻撃の手を緩めない。それどころかさらに激しく打撃音を響かせた。
そしてついに、アッバスのメイスがゴーレムの頭部を破壊した。その瞬間、もがいていたゴーレムは力を失って動かなくなる。岩石の身体はバラバラに崩れ、戦利品がその中から顔を出した。
静寂が戻った大広間の端っこで、ベルノルトら三人は圧倒されていた。結局、アッバスとシェマルの二人だけで倒してしまった。もちろん彼らも上層のエリアボスはこれまでに何体も倒してきた。だからこそ、というべきか。格が違うと分かってしまった。
二人の戦いぶりは、荒々しくも洗練されていた。そして危なげがない。ベルノルトは近衛軍の精鋭の凄みをまざまざと見せつけられた気がした。同時に、「この二人が一緒なら無事にダンジョンを抜けられるに違いない」とも確信した。
さて、戦利品は大きな魔石と青みがかった色合いの金属インゴットだった。アッバスとシェマルはすでに成長限界に達している。二人はもう、魔石からマナを吸収することはできない。それで、これまでの道中もそうだったが、マナは全てベルノルトとサラとメフライルの三人で分けていた。
ベルノルトとしては、いささか心苦しい。手柄の分は見返りがあるべきだと、彼は思っている。少なくとも「王子なのだから与えられて当然」とは思わない。彼のそういう考え方や感じ方は、ジノーファやシェリーの教育のたまものだろうか。いずれにしても、無事に国へ帰ることができたらちゃんと報われるようにしなくては、と彼は思った。
もっともアッバスとシェマルはそんなに深刻に考えているわけではなかった。自分たちはもうマナを吸収できないのだから、できる人間がそれをすれば良いと二人は思っている。
またパーティーメンバーの強化は、このダンジョンを無事に抜けるためにも有効だ。二人としては、自分たちの仕事を成功させるためにも、遠慮などせずにマナを吸収して欲しかった。
さて、エリアボスを撃破すると、装備のチェックをしてから彼らは先へ進んだ。メイスに異常はなかったが、アッバスの長剣はゴーレムを切りつけたせいで刃こぼれが目立っている。きちんと研げばまだ使えるが、今はその時間も惜しいということで、彼は予備の剣を腰間に吊してまた先頭に立った。
そして中層を目前にしたところで、彼らは昼食を取った。本当はもう少し早く昼食を食べるつもりだったのだが、ブルハーヌからもらった地図には適当な位置に水場が載っておらず、水場を探しながら先へ進んでいたらこんなところまで来てしまったのだ。
そんなわけで、昼食を取るタイミングは少し遅くなってしまった。ベルノルトもお腹はもう十分にすいている。今朝用意してもらった弁当をメフライルから受け取ると、彼らはいそいそと食べ始めた。
昼食を食べ終えると、ベルノルトらは魔道コンロでわかした白湯を啜って一服する。ベルノルトはその時間を使って、またここまでの地図を紙に写しておく。メフライルはその傍らで収納魔法に放り込んできた荷物を確認していたのだが、彼はその中に妙な物を見つけて「ん?」と怪訝な声を出した。
「ライル。どうかしたのか?」
「ああ、いえ、殿下。実はフード大使から預かった地図に、見慣れないものが含まれておりまして……」
手を止めて顔を上げたベルノルトに、メフライルがそう説明する。そして「これなんですが……」と言って、見ていた地図の束をベルノルトに渡す。彼がそれを確認すると、メフライルの言っていた通り、見慣れない地形や地名の地図が何枚も含まれている。それを見てベルノルトは首をかしげた。
「分かるのもあるな。こっちは、法国の地図か」
地図の束をめくりながら、ベルノルトはそう呟く。彼らが今攻略しているこのダンジョンの出口は、ルルグンス法国の国内にある。そこからイスパルタ朝本国を目指すために、法国の地図を用意しておくのは理にかなっている。
ベルノルトもイスパルタ朝の第一王子として、隣国の地図はおおよそ頭に入っている。それでルルグンス法国の地図は、見てすぐにそれと分かった。だがメフライルの言うとおり、法国の地図とは別に見慣れない地図が何枚も含まれている。見た限り、かなりきちんと作られた地図だ。では一体どこの地図なのか。
「これ、アースルガムの地図よ」
そう言ったのは、ベルノルトの後ろから地図をのぞき込んでいたサラだった。彼女はベルノルトの背中越しに手を伸ばして地図の束をめくり、分かる限りの国名や地名を挙げていく。どうやらこれらは西方諸国の地図であるらしい。
「一枚や二枚ならともかく、これだけの量があるとなると、紛れ込んだわけではないでしょう」
太い指で顎先を撫でながら、アッバスは思案げにそう語る。ベルノルトら他の四人も、その意見には賛成だ。地図を用意したのはフードだが、彼は意図的にこれら西方諸国の地図をベルノルトらに持たせたのだろう。
「ですが、何のために? まさか『西へ逃げろ』と言いたいわけでもないでしょうに」
今度はシェマルが肩をすくめながらそう話す。ルルグンス法国から見てイスパルタ朝は東だ。西へ向かえばかえって遠ざかることになる。そもそも西方諸国は百国連合を形成しており、つまりマドハヴァディティアの勢力圏だ。「戦争状態の敵国へ逃れろ」というのは、普通に考えればあり得ない。フードの意図が分からず皆が首をひねっていると、サラがメフライルにこう尋ねた。
「……ねえ、ライル。フード大使からは、資金も預かっていたわよね? それって、法国の金貨?」
「イスパルタ朝の金貨もありましたが、法国の金貨が多かったように思います。他には宝石なども幾つかありましたが……」
メフライルの答えを聞き、サラはさらに思案を巡らせた。そしてたっぷりと考え込んでから、ゆっくりと口を開いてこう言った。
「……実は、西方諸国では主に法国の貨幣が流通しているの」
サラの言った事柄は、ベルノルトには初耳だった。そして同時に理解に苦しむ話に思えた。通貨とはそれぞれの国が発行し管理するもの、と彼は教わったからだ。
「アースルガムでも法国の貨幣を使っていたのか?」
「ええ、そうよ」
「なんで独自の貨幣を使わないんだ?」
「ああ、それは多分、国家に信用がないからですよ」
ベルノルトの疑問に答えたのは、サラではなくメフライルだった。お金がお金として通用するのは、その価値を国が保障しているからだ。逆を言えば、発行している国家に信用がなければ、金貨はお金としては通用しないのである。
西方諸国の場合、まず第一に小国ばかりだった。国家の信用とは国力に比例する。小国の発行する金貨など誰も欲しがらなかったのだ。仮に発行したとして、額面ではなく重さで取引されることがほとんどだった。
また西方においては国家の勃興が激しかったことも理由の一つだ。短命な国家が多く、いつ滅ぶのか分からない国の金貨など持っていても仕方がない。またそもそも通貨を発行するところまで施策を進められなかった国も多かった。
そのような訳で、西方諸国においては独自の通貨が発行されることはほとんどなかった。しかし経済活動を行う上でお金は必要だ。そこで用いられたのが、東の大国ルルグンス法国の通貨だったのである。
ルルグンス法国は長い歴史を持ち、四〇州を越える版図を誇っていた。西方の小国群から見れば、偉大な大国と言って良い。信用の度合いは高く、商人たちが好んで法国の通貨を使うようになったのは自然な流れであろう。
為政者や有力者にとっても、ルルグンス法国の通貨を使うことにはメリットがあった。多くのルルグンス貨幣を有していれば、それはそのまま信用に繋がる。また独自の通貨を発行する手間を省くことができる。
何より、ルルグンス法国の通貨を使うことで、西方諸国は市場としての自由度が格段に上がった。もちろん種々の問題はあったものの、同一の貨幣を使うことで商売がしやすくなったのだ。また新参者であっても、法国の通貨さえ使えばすぐに市場にアクセスできる。これは大きなメリットだった。
その上、ルルグンス法国という巨大市場との連結も容易になった。中には法国との交易で財を成し、そのまま一国の王へ成り上がった商人もいる。彼が取引に使っていたのは、当然ながら法国の通貨だ。
その一方で、ルルグンス法国の通貨を使うと言うことは、経済活動の根っこを法国に握られるに等しい。法国がその気になれば、西方諸国の経済をいくらでも混乱させることができただろう。
ただ、ルルグンス法国は伝統的に経済政策に関しては無頓着だった。さらに西方の小国は勃興が激しい。法国の経済介入を心配する前に国が滅んでしまうことが多く、デメリットはデメリットにならなかったのだ。
最近では、イスパルタ貨幣も西方で流通しはじめている。これはヴェールールがイスパルタ商人と活発に取引を行うようになったためだ。またルルグンス法国においてもイスパルタ貨幣は広く流通するようになったので、それに合わせて西方にもイスパルタ貨幣が浸透し始めていた。
これを別の視点で眺めると、それだけイスパルタ朝の経済力が巨大であることを意味している。そしてその影響力ははるか西方にまで及び始めているということだ。軍事力とはまた別の力がこの一帯のパワーバランスを再構築しようとしていた、とも言えるかも知れない。
マドハヴァディティアがそのことに危機感を持っていたのかは分からない。ただこの頃、ヴェールールにおいて独自通貨の発行が検討され始めている。その目的はヴェールールの権威を高め、同時に百国連合内における経済的優越性を確立すること。だがイスパルタ朝の経済力に対抗することもまた、目的の一つであったのかも知れない。
閑話休題。フードが多額のルルグンス貨幣を用意したのは、ダンジョンを抜けた後は法国国内を移動するので、それを見越してのことだとベルノルトらは思っていた。しかし西方諸国でもルルグンス貨幣が広く流通しており、その上でさらにこうしてその地図まで用意されているということは、さらにまた別の意図があるように思われる。
「つまり、フード大使は本当に『西へ逃げるべき』と考えていたと、そう言うことですか……?」
「それも選択肢の一つとしていた、と言うことだろう」
シェマルの疑問にアッバスがそう答える。本来、この情勢下で西へ逃げることはあり得ない。誰もがそう思うだろう。しかしだからこそ西へ向かえば、マドハヴァディティアの裏をかくことができる。
「ヴァンガルが陥落した後、大使館に殿下のお姿がなければ、マドハヴァディティアは当然捜索を行うでしょう。ダンジョンを使ったことも、遠からず露見するに違いありません。殿下の顔は知られていますから、似顔絵つきの手配書が回されれば、法国国内の移動も危険になります。ならばいっそ西へ向かった方が安全かも知れない、と大使は思ったのでしょう」
アッバスがそう推測を語る。フードが誰にもその考えを語らなかったのは、秘密を知る人間を最小限にするためと思われた。最悪、拷問されたとしても、彼が口を割らなければヴェールール軍の目が西へ向かうことはない。
「しかし実際問題、西へ向かったとしてそれからどうするのです? 我々には何の伝手もありませんよ?」
「アースルガム解放軍の拠点に、幾つか心当たりがあるわ。ひとまずそこへ行ければ、協力を得られるだろうし、潜伏もできると思う」
シェマルの疑問に、今度はサラがそう答える。現地に協力者のアテがあるなら、西方へ逃れるのは大きな選択肢になり得る。フードも土地勘のあるサラがいるなら、と思ったのだろう。
「殿下、どうなさいますか?」
メフライルがそう尋ねると、皆の視線がベルノルトに集まった。一番良いのは、一刻も早くイスパルタ朝本国へ逃れることだ。しかしそれはマドハヴァディティアも警戒しているだろう。ベルノルトらは小勢だ。ヴェールール軍に見つかればひとたまりもない。
「それは、もう少し考えよう。今はダンジョンを抜けることに集中する」
ベルノルトはそう答えた。結論の先送りだが、今はそれが妥当でもある。ダンジョンを抜けることも難事なのだ。今はそれに集中するべきだろう。それで他の四人は揃って頷いた。
ベルノルト「選択肢が増えて困るパターン」




