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パーティーとダンス


「行ってらっしゃいませ、ジノーファ様」


「うん、行ってくる」


 美しく一礼したシェリーに見送られ、正装したジノーファは迎えの馬車に乗った。今日は十二月三一日。大統歴六三五年最後の日だ。彼はこれから、宮殿で開かれる新年を祝うパーティーに行くのである。


 招待されたのはジノーファだけなので、馬車に乗るのも彼一人だけだ。シェリーはお留守番である。「去年はとても忙しかったので、今年はゆっくりできますわ」と彼女は言っていたが、その顔は少し寂しそうだった。


 馬車に揺られることおよそ十分。ジノーファは宮殿に到着した。会場となる宮殿の大広間の飾りつけは絢爛だ。温室で育てたのか、生花まで飾られている。照明には魔道具が多く用いられていて、それらの輝きもまた会場を彩っていた。


「よう、ジノーファ殿。良く来たな」


 会場に入ったジノーファに声をかけたのは、放蕩皇子ことシュナイダーだった。彼は皇子らしく白を基調とした正装をしているのだが、それさえもちょっと着崩している。しかしそれでもだらしなく見せないあたりが、彼なりのおしゃれであり洒落っ気なのだろう。


「シュナイダー殿下」


 見知った顔を見つけ、ジノーファは小さく笑顔を浮かべた。やはりこういう場所で顔見知りがいるというのは心強い。


「攻略、頑張っているそうじゃないか。ジノーファ殿が水を汲んできてくれるおかげで、水薬(ポーション)を十分に備蓄して置けると、親父殿も喜んでいたぞ」


「お役に立てて光栄です」


「それでな。今度、ドロップ肉と下層の水を一樽譲ってくれないか? 親父殿と兄貴が、それでビーフシチューを食ったって言うじゃないか。俺も食いたくてな」


「相応の値段で引き取っていただけるのでしたら、喜んで」


「よし、絶対だぞ」


 そう言ってシュナイダーはジノーファの首に腕を回した。それから彼はジノーファを連れて、他の出席者たちのところへ挨拶巡りをしていく。交易に手を出し、さらに方々で遊びまわっている彼は顔が広い。たくさんの友人や知人を紹介され、ジノーファはその度ににこやかに挨拶をした。


 さすがに元王太子と言うべきか。ジノーファはこのような場での振舞いに慣れていた。話術も巧みで、相手を気持ちよく喋らせる。ただ、純粋に楽しんでいるわけではない。どちらかと言えば、情報収集が目的だった。


 この挨拶周りが人脈作りを兼ねていることに、ジノーファは当然気付いている。シュナイダーの紹介なので、特に問題のある人物はいないと思うのだが、それでも自分の目で見極めようと、彼は笑顔の下で視線を鋭くする。昔取った杵柄だ。とはいえ、本人は自分のやっていることに内心で苦笑気味だった。


(もう、そんな必要もないだろうに……)


 今のジノーファは、もうアンタルヤ王国の王太子ではない。高い地位についているわけでもなく、つまり利用価値がない。あまり気張らなくてもいいはずなのだが、どうにも昔の癖はまだ抜けなかった。


 そうやって笑顔を被っていたジノーファだが、ときおり素の表情を見せることがあった。ある貴族のところへ挨拶に行ったときのことだ。彼はジノーファの上着の背中に施された刺繍に気付き、そのことについてこう尋ねた。


「ところでジノーファ殿。その背中の刺繍には、どのようないわれがあるのか、教えてもらえないだろうか?」


「ああ、これは、その、恥ずかしながらわたしの聖痕(スティグマ)を刺繍で再現したものです」


 言葉通り少し恥ずかしげにはにかみながら、ジノーファはそう答えた。それを聞いて貴族の男はにわかに顔色を変えた。ジノーファが聖痕(スティグマ)持ちであることは知れ渡っている。しかし実際に彼の聖痕(スティグマ)を見たことのある者は少ない。それで、ぜひ一度見てみたいと思う者は多かった。


 ただ、そう軽々しく見せてもらえるものではない。彼の聖痕(スティグマ)は背中に現れるからだ。服を脱いで見せてみろというのは、どう考えても失礼な話で、そうそう気軽に頼めるようなことではなかった。


 しかしその聖痕(スティグマ)を刺繍で再現したのだという。本物ではないにしろ、興味を強く引かれた。それで、貴族の男はジノーファにこう頼んだ。


「少し、拝見させていただいてもよろしいですかな?」


「ええ、どうぞ」


 そう言ってジノーファは彼に背中を向けると、貴族の男は上着の刺繍を食い入るように見つめた。周りにいた他の招待客たちも聞き耳を立てていたらしく、寄って来ては聖痕(スティグマ)の刺繍を熱心に見ている。背中に視線が集まり、ジノーファはなんだかむず痒い気分がした。


「ジノーファ殿、あちらの御仁を紹介させてくれないか」


「はい、是非。それでは、皆さん。また後ほど」


 頃合を見て、シュナイダーがジノーファを連れ出した。一礼して去っていくジノーファを見送ってから、その場に残った貴族たちは顔を見合わせた。


「いやあ、良いものを見せてもらいました」


「左様。見たいと思っても、気軽に頼めるものではありませんからな」


「ですが、本物なのでしょうか?」


「と、おっしゃると?」


「所詮は刺繍。偽ることは容易いはず。そもそも、ジノーファ殿が聖痕(スティグマ)持ちという話さえ、私にはどうも……」


「いいえ。確かにあの刺繍は、ジノーファ殿の聖痕(スティグマ)を模したものでしたよ」


 そう断言した者に、貴族たちの視線が集まった。そこにいたのはルドガー。彼は黒い士官服を着ていた。


「ルドガー殿。それは本当ですか?」


「ええ。ダンダリオン陛下がジノーファ殿の聖痕(スティグマ)を確認されたとき、私もその場におりました。確かにあの刺繍の通りであったと記憶しています」


 ルドガーがそう断言すると、その場にいた貴族たちは揃って「おお」と感嘆の声を上げた。実際に見た人間がそう言うのであれば間違いない。そしてこれらの貴族たちが他の招待客たちにもこの話をしたために、パーティーの間中ジノーファは人々の注目を集めることになるのだった。


 さて、挨拶回りが終わると、シュナイダーは冷たい飲み物をジノーファに差し出した。アルコールの入っていない飲み物で、どうやら酔うにはまだ早いと思ってのことらしい。歩き回り、ちょうど喉も渇いていたので、ジノーファはありがたくそれを受け取った。


「……それで、どうだ、ジノーファ殿。これはと思う人物はいたか?」


「ええ。何人かは。ですが、わたしの方こそあの方々のお眼鏡にかなうか、そこが問題でしょう」


 ジノーファがそう言うと、シュナイダーは愉快げに笑った。確かに挨拶回りはジノーファの人脈作りをかねていた。しかし同時に、彼を紹介して回るという目的もあったのだ。そして紹介された側は、当然ジノーファを自分の目で見て判断する。つまり見極められていたのは、彼もまた同じなのだ。


「それはそうとジノーファ殿。今日は末の妹が社交界デビューなんだ」


「末の妹君といわれると、マリカーシェル皇女殿下ですか? 確か、今年で十三歳と聞いていますが……」


「ああ。年齢的には少し早いんだが、今年は戦にも勝ったし、めでたくてちょうどいいと親父殿がな。後で紹介するから、一曲踊ってやってくれ」


「わたしでよろしければ、ぜひ」


 ジノーファが笑顔を見せてそう応えると、シュナイダーは心なしホッとしたような表情を浮かべた。さて、それからしばらくしてダンダリオン一世の入場が伝えられた。皆が注目する中、ダンダリオンが王衣を纏って会場に現れる。その威風堂々とした姿は、一国の皇帝たるに相応しいものだった。


 ダンダリオンの短い挨拶が終わると、早速ダンスが始まった。その中にはダンダリオンの姿もある。彼のパートナーはピンクブロンドの髪をした可愛らしいお姫様だった。このお姫様こそ、ダンダリオンの末娘にして今年デビュタントのマリカーシェル皇女である。


 デビュタントのファーストダンスは、婚約者かあるいは男性の親族と踊るのが通例。マリカーシェルにはまだ婚約者がいないので、父親であるダンダリオンとファーストダンスを踊ったのだ。背丈に差があり、またマリカーシェル自身が大いに緊張していたので動きが硬かったが、ダンダリオンがうまくリードして事なきを得た。


 この後、マリカーシェルはさらに皇太子ジェラルド、第二皇子シュナイダーと立て続けに踊った。どちらも兄であるから、彼女の緊張をほぐし、パーティーに場慣れさせるという意味ではちょうどいい。


 ちなみにダンダリオンにはもう一人息子が、第三皇子フレイミースがいるのだが、彼は隣国ランヴィーア王国に留学中でこの場にはいない。きっと向こうで、同じように開かれている新年のパーティーに出席していることだろう。


 さて、シュナイダーがマリカーシェルと踊っていると、一人の男がジノーファに近づいてきた。彼は笑顔を浮かべていたが、それは政治に関わる者の笑顔だ。ジノーファも気を引き締める。


「失礼。わたしはイブライン協商国の大使で、ユージンと申します。ジノーファ殿、少し込み入った話をしたいのですが、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」


 ユージン大使がそう求めたので、ジノーファは一つ頷き、二人は多数用意されている個室へ入った。このような部屋は、例えば飲みすぎて気分を悪くしてしまったり、あるいはドレスや衣服を汚してしまったりした場合のためのものだ。それだけではなく、いわゆる火遊びやこうした密談のためにも用いられる。


 ジノーファとユージンはテーブルを挟み、向かい合ってソファーに座った。まず口火を切ったのはユージンで、彼は他愛もない話をしたり、冗談を織り交ぜながらイブライン協商国の自慢話をしたりする。そうやってジノーファの警戒心を解いてから、彼は「実は……」と前置きをし、深刻ぶって本題をこう切り出した。


「実は、ジノーファ殿にお伝えしなければならないことがあります」


「何でしょうか、ユージン大使」


「シェリーというメイドが、お傍におられますな? 我々が調べたところによりますと、彼女はダンダリオン陛下の細作であるようなのです」


「ええ、存じています」


「心中、お察しいたします。細作を傍に置くとは、つまり監視役ということ。なんだかんだと言いつつ、ダンダリオン陛下はやはりジノーファ殿のことを警戒して……、って、え?」


 饒舌に語っていたユージンの演技が凍りつく。完全に目が点になっている彼に、ジノーファはもう一度こう言った。


「ですから、シェリーが細作で監視役であることは存じています。本人から聞きました」


 ジノーファはさらりとそう言ったが、それを聞いたユージンの驚きはいか程であったか。細作が自分から身分を告げるなどそんな馬鹿な話があるかっ、と怒鳴りたかったに違いない。とはいえ本当に怒鳴るわけにもいかず、ユージンは「そ、そうですか……」と応じるのが精一杯だった。


 本来であれば、シェリーが細作であることを告げ、ジノーファにダンダリオンへの不信感を抱かせるはずだった。そして最終的には彼をイブライン協商国へ招くのがユージン大使の目的だったのだが、その目論見は出だしで盛大に躓くことになってしまった。


「お話はそれだけでしょうか?」


「え、ええ。お時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした」


 それでも無理と悟ってからの決断の速さはさすがと言うべきか。ユージンはすぐに話を切り上げた。本格的に勧誘の話をする前ではあったが、致命傷を避けられたかは微妙なところだ。ジノーファにネガティブな情報を吹き込もうとしたことは、恐らくシェリーを通してダンダリオンに伝わるだろう。程度はともかく、これは失態だった。


 ジノーファが部屋から出ると、ドア越しに「くそっ!」というユージンの怒鳴り声が聞こえた。それを聞いてジノーファは苦笑を浮かべる。そして彼は何事もなかったかのようにパーティー会場へ戻った。


「ジノーファ殿、こんな所にいたのか。探したぞ」


 ジノーファが会場へ戻ると、そう言ってシュナイダーが駆け寄ってきた。そして彼につれられ、ジノーファはダンダリオンのもとへ挨拶に赴く。彼はポーションのことで礼を言ったあと、ジノーファにマリカーシェルを紹介した。


「末の娘のマリカーシェルだ。どうだ、ジノーファ殿。一曲踊ってやってはくれまいか?」


「はい。……マリカーシェル殿下、ジノーファと申します。一曲、踊っていただけませんか?」


「は、はい! 喜んで!」


 ジノーファが恭しく差し出した手を、マリカーシェルは緊張した面持ちで取った。そして二人は会場の中央へ向かい、曲に合わせてゆっくりとダンスを踊り始める。その様子はなかなかに優雅で、見る者たちを感心させた。


「ジノーファ殿が武人として優れた方であることは知っていたが……」


「さすがは王太子として育てられた方。ダンスもお手のものですな」


 そんな声がもれ聞こえてくる。確かにダンスはジノーファが王太子であった頃に学んだものだ。ただ彼自身は、それほどダンスが得意であるとは思っていない。身体能力が高いおかげで軽やかにステップを踏んでいるように見えるが、実際にはそれほど余裕があるわけではなかった。これは技量の問題と言うより、経験の問題であろう。


 そしてダンスを終わった。マリカーシェルは名残惜しげに、潤んだ熱っぽい瞳でジノーファのことを見上げている。そんな彼女に微笑んでから、ジノーファは彼女をエスコートしてダンダリオンらのところへ戻った。


「見事であったぞ、ジノーファ殿」


「恐縮でございます、陛下」


「マリカーシェルとは歳も近い。機会があったら、また踊ってやってくれ」


 ダンダリオンはそう言うと、マリカーシェルを連れて妻である皇后のもとへ向かった。残されたシュナイダーとジノーファのもとへ、美しく着飾った令嬢たちが押し寄せる。彼女達の半分はシュナイダーがお目当てだったが、もう半分はジノーファがお目当てだった。


「ジノーファ様、わたくしとも一曲、踊ってくださいませ」


「いいえ、わたくしと、ぜひ」


 どうやら先ほどマリカーシェルと踊った際の彼の様子にあてられてしまったらしい。無碍にするのもどうかと思い、ジノーファは彼女たちと一回ずつ踊った。


 途中、疲れたと言い訳して逃げようかとも思ったが、彼が聖痕(スティグマ)持ちであることは知れ渡っている。これほど説得力のない言い訳もないだろう。結局、シュナイダーが連れ出してくれるまで、彼はご令嬢方と踊り続けることになった。


「楽しんでるようじゃないか、ジノーファ殿」


「もう一生分踊りましたよ」


 苦笑するジノーファを見て、シュナイダーは面白そうに笑った。ジノーファは疲れた様子だが、これは体力的にというよりは、むしろ気疲れであろう。一方のシュナイダーは遊びなれているからダンスもお手の物で、まだまだ余裕があった。


「もう少し遊びなれた方がいい」とシュナイダーは言うが、ジノーファはそもそもこういうパーティーはあまり楽しめない性質だ。どうせ遊ぶなら、もっと別の遊びがいいと思うのだった。


 さて、パーティーが終わると、ジノーファはまた馬車に揺られて屋敷に帰った。使用人たちには休んでいるように言っておいたのだが、帰ってきた彼を出迎える者がいた。シェリーである。


「おかえりなさいませ、ジノーファ様」


「シェリー……? 休んでいてもいいと言ったのに……」


「そういうわけには参りませんわ」


 そう言ってシェリーはジノーファからコートを受け取った。そして少し疲れた様子の彼にこう尋ねる。


「パーティーは楽しまれましたか?」


「どうかな……。こういうのはどうも、身構えてしまうんだ」


 ジノーファがそう答えると、シェリーは「左様ですか」と言って苦笑した。その様子を見て、ジノーファはふと出かけるときのことを思い出した。あの時、彼女は少しではあるが寂しげだった。


 彼女が何を思って寂しげにしていたのか、ジノーファにはよく分からない。ただ、こうして夜遅くまで帰りを待っていてくれたことは、単純に嬉しい。それで彼はシェリーをこう誘った。


「シェリー、よろしければ一曲、踊っていただけませんか?」


「……! はい、喜んで」


 蕩けそうな笑みを浮かべて、シェリーはジノーファの手を取った。シェリーが口ずさむ歌に合わせて二人は踊る。この夜、ジノーファはたくさんの相手とダンスを踊ったけれど、終わってしまうのが惜しいと思ったのはこのダンスだけだった。


シェリーの一言報告書「ユージン大使が……、いえそれよりもジノーファ様はダンスがお上手」

ダンダリオン「おい、優先順位」

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