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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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弔問~アーラムギール~


 イスパルタ朝の大使館でベルノルトと会談してから三日後の夜遅く。ラーヒズヤは一人の客人を迎えていた。その客人は屋敷の中でもフードを目深にかぶって顔を隠している。薄暗い部屋に通され、ラーヒズヤと向かい合って座っても、その客人はまだフードを被ったままにしていた。


「こちらへいらしたということは、ご協力いただけるということでよろしいですかな、ミールワイス枢機卿?」


 ラーヒズヤがまるで獲物を仕留めた猟師のような声でそう尋ねる。名前を呼ばれ、ミールワイスはフードを脱いだ。露わになった彼の目は、薄暗がりの中でも妖しい光を放っていた。


「本当に、約束は守ってもらえるのだろうな?」


「当然でござる。法国領内と連合域内における宗教的権威は、枢機卿、全てあなたに」


 笑みを浮かべてラーヒズヤがそう言うと、ミールワイスもぎこちなく笑った。その彼に、ラーヒズヤはたたみかけるようにこう言った。


「さあ、計画を詰めるとしましょうぞ。栄冠は己の手で掴むもの。そうでござろう、未来の教皇猊下」


「……無論だ」


 固い声でそう答え、ミールワイスは血のように赤いワインを乱暴な手つきで呷った。空になったグラスに、ラーヒズヤがまたなみなみとワインを注ぐ。ミールワイスはじっとそれを見つめた。



 ○●○●○●○●



 ラーヒズヤとベルノルトが会談してから八日後。百国連合側の使者たちは借りていた屋敷を引き払い、本国への帰路についた。ベルノルトがフードに聞いた話では、彼らが法都ヴァンガルに滞在したのは一ヶ月半ほどの期間であったという。


 ラーヒズヤらがヴァンガルから去ると、大使館の中の雰囲気は少し軽くなった。決してことさら張り合っていたわけではない。だがやはり意識はする。隙を見せるわけには行かないと気を張っていたのは事実だ。


 だがもうそんな必要はない。開放的な気分になったのだろう。ベルノルトはメフライルだけをお供にして、ヴァンガルの街へお忍びで繰り出したりした。おかげで異国情緒を味わうことができた。もちろん、後でバレて怒られたが。密告犯はサラで、「次はわたしも連れて行け」と言われた。


 そんなことがありつつも、ベルノルトは順調に面会の予定を消化していった。そしてこの日、ついにユーヴェル商会のアシュラフと、つまりアースルガム解放軍のアーラムギールと会うことになった。


 アーラムギールとの面会が終盤にずれ込んだことには、もちろん理由がある。ラーヒズヤらがヴァンガルにいる間は面会を避けていたからだ。彼らが去ってから予定を組んだので、そのせいで遅くなってしまったのである。


 アーラムギールと会うのは、デニスということになっている。先方もそのつもりでいるはずだ。だがデニスと会うだけなら、アーラムギールとの面会をこれほど後回しにする必要はなかった。今回はサラもまた、彼に用があるのだ。そのために彼女は、クルシェヒルからヴァンガルまで来たのである。


 ただサラは、彼が本当に自分の知るアーラムギールであるのか確認できてからでなければ、彼と会うつもりはなかった。それでフードに頼み、彼の顔を確認できるようにしてもらった。


『ようこそアシュラフ会頭。それともアーラムギール卿とお呼びした方が良いでしょうか?』


『……アーラムギールでお願いします。ただの商会の会頭では、こうしてお会いですることは出来なかったでしょうから』


 二人がそう言葉を交わすのを、ベルノルトとサラは隣の部屋で聞いていた。ベルノルトが小さく頷くと、サラは立ち上がってタペストリーをめくって壁をのぞき込む。そこには小さな穴が開いていて、隣の部屋の様子を窺うことができるのだ。もちろん、それと知らなければ向こう側に気付かれることはまずない。


 隣の部屋では、デニスとアーラムギールが早速話をしている。内容は主にアースルガム解放軍の活動についてだ。真剣な表情で話をするアーラムギールの顔を見て、サラは胸が締め付けられるように感じた。


 サラは特別彼と親しかったわけではない。名前と顔を知っているだけの関係だ。アーラムギールのほうはもう少し強い気持ちを持っているかも知れないが、それは要するに主家に対する忠誠心である。


 要するにサラの側からすれば、数いる家臣の一人でしかなかった。少なくとも祖国にいた頃は。だが故郷を知る顔見知りは、もう彼女の周りに一人もいなくなってしまった。だからあの頃を知る人が目の前にいると思うと、サラはひどく哀愁が募った。


「…………」


 ベルノルトが音を立てないよう、指先でサラの肩を叩く。彼女が視線を向けると、彼は黙ってハンカチを差し出した。小さく頭を下げてからそれを受け取ると、サラは音を立てないようにしながら涙を拭う。ベルノルトはしばらくの間、所在なさげに視線を彷徨わせた。


「……それで、どうだ?」


 涙を拭いたサラに、ベルノルトが小声でそう尋ねる。サラはまだ赤い目に力を込めて小さく頷いた。少し老けたように見える。頭にも白いものが混じった。だが彼はサラの知るアーラムギールだ。


「じゃあ……」


 小さくそう呟き、ベルノルトが立ち上がろうとする。本物であれ偽物であれ、アーラムギールについて確認が取れたら、メフライルを介してデニスに伝えることになっている。それで彼に合図しようと思ったのだが、その前にサラがベルノルトの服の裾を引っ張ってそれを止める。


「待って……、お願い……。こんな顔じゃ、会えない……。心配かけちゃう……」


「……分かった」


 ベルノルトは小声でそう応えた。それから、もう覗く必要はないので、二人は壁際から離れた。ひとまず椅子に座ると、メフライルが二人に飲み物を差し出す。サラには冷やしたおしぼりもついていた。


「……もう大丈夫よ」


 サラがそう言ったのは、二十分ほど経った後のことだった。彼女は手早く化粧を直してから、かつらを被って髪を整える。するとたちまちユラはサラになった。着ているのは弔問の際に大聖堂へ着ていった服で、つまり男性用なのだが、それでも髪の毛が長くなるだけでどこからどう見ても女の子だ。不思議なものだなぁ、とベルノルトはしみじみ思った。


 サラが身だしなみを整えると、ベルノルトはメフライルに向かって頷いた。メフライルも一つ頷きを返してから、彼は隣の部屋へと向かう。ノックをして入室の許可を得てから部屋に入り、デニスの耳元でアーラムギールのことについて囁く。デニスは一つ頷くと、それまでと変わらない調子でこう言った。


「アーラムギール卿。実はさるお方が、あなたにお会いしたいそうです。ここへお呼びしても良いですか?」


「構いませんが、さるお方とは一体どなたでしょうか……?」


 心当たりがないので、アーラムギールは首をかしげた。そんな彼には答えることなく、デニスはメフライルに「お連れして下さい」と告げる。メフライルは騎士らしく一礼してから一度部屋を後にする。その背中を見送ってから、アーラムギールは困惑したままこう呟いた。


「本当に、どなたが……?」


「すぐに分かりますよ」


 デニスは小さく笑いながらそう答えた。アーラムギールは少し不満そうにしながらも、黙って「さるお方」とやらを待つことにした。どうせならアースルガム解放軍かユーヴェル商会にとって有用な人物であれば良い、と思いながら。


 ちょうどその頃、メフライルは隣の部屋で待機していたベルノルトとサラに声をかけていた。二人は揃って頷き、立ち上がって部屋の外へ出る。


 あらかじめこの部屋の周囲は人払いがしてある。「アースルガム解放軍に関する話をするため」と大使館の職員たちには説明しているらしい。それで周囲に人の気配はない。今のサラの姿を見られることもないだろう。


 アーラムギールとデニスがいる隣の部屋は、歩いて十歩もない。一歩毎にサラの緊張が高まっているのをベルノルトは感じた。


 そしてすぐ入り口に到着する。メフライルが中に声をかけてから、ベルノルトとサラは部屋のなかに入った。


 まず入室したのはベルノルトだ。その姿を見て、すぐに誰なのか察したのだろう。アーラムギールが目を見開く。だが彼が本当に驚いたのはその次だ。ベルノルトに続いて入室してきたサラの姿を見て、彼は思わず立ち上がった。


「……っ! 殿、下……!」


 精一杯自制したその声には、それでも万感の想いが籠もっていた。アーラムギールの目に涙が浮かぶ。それを見て、サラは少し困ったように微笑んだ。


「久しぶりですね、アーラムギール卿」


「殿下……! よくぞ、ご無事で……!」


 言葉を詰まらせながら、アーラムギールがひざまずく。サラは彼の肩に手を置いて彼を慰めた。しばしの間、部屋の中にはアーラムギールのすすり泣く声だけが響いた。


 その間にベルノルトがメフライルに目配せすると、彼は小さく一礼してから部屋の外に出た。彼は部屋の外で、誰も不用意に入ってくることがないよう見張ることになっている。


「……失礼いたしました。改めまして、殿下。ご健勝なお姿を拝見し、恐悦至極に存じます」


 涙が止まると、アーラムギールは赤い目のままサラに対して折り目正しく一礼した。サラは一つ頷くと彼にこう応える。


「アーラムギール卿、座って下さい。わたしも卿の顔を見られて嬉しく思います」


 サラに勧められて、アーラムギールはソファーに座った。ちなみにサラはベルノルトの隣に座っており、アーラムギールはその向かい、デニスは両者から見てはす向かいの位置に座っている。


 最初、サラはまず、イスパルタ朝に亡命してからのことを話した。最初、異国の地で慣れないこともあったが、今は何不自由なく暮らしていることを話すと、アーラムギールは安堵の息をはいた。


「ヴィハーン殿のことは残念でしたが、殿下のお話を聞いて安心いたしました」


「ええ。皆様に良くしていただいています。イスパルタ朝の協力が得られたことは、得がたい幸運でした」


「まことに。ベルノルト殿下、アースルガム解放軍を代表して御礼申し上げます。どうぞこれからも、サラ殿下のことをよろしくお願い申し上げます」


「ああ。サラ王女がイスパルタ朝に身を寄せていることは、我々にとっても西方諸国へ介入するための切り札と言える。マドハヴァディティアは国土拡大の野心を隠そうとしていない。遠からず奴はまた兵を動かすだろう。その時にはアーラムギール卿にも力を貸して欲しい」


「ははっ、無論でございます」


 ベルノルトの言葉に、アーラムギールは畏まってそう答えた。そしてイスパルタ朝とアースルガム解放軍の連携が改めて確認されたところで、アーラムギールはサラのほうへ視線を戻し、彼女にこう尋ねた。


「……ところで、なぜ殿下はわざわざここヴァンガルまでいらしたのですか? 老婆心から申し上げれば、あまりクルシェヒルから離れられない方が良いと思うのですが……」


「それはわたしも分かっています。ですがどうしても、卿に頼みたいことがあったのです」


「どうぞお話し下さい。お伺いしましょう」


 そう言ってアーラムギールは威儀を正した。そんな彼を見てサラも背筋を伸ばす。そしてまずこう切り出した。


「まず聞きたいことがあります。アースルガム王家の本邸は、今どうなっていますか?」


「本邸、でございますか? 確か、ヴェールール軍に接収された後は、半ば放置されていると聞きます。全くの無人ではないでしょうが、マドハヴァディティアはそれほど重視していないようでございます」


 それを聞き、サラは一つ頷いた。アースルガム一族の歴史を語る上で、代々の本拠地とされた本邸には大きな価値がある。だがそれを除けばただの古い屋敷でしかない。王族の誰かが避難していたわけではないし、伝来の貴重品も大半は王城で保管されていた。おかげで見向きもされなかった、というのが正確なところらしい。


「実は本邸には、我が一族の本当の系図が保管されています」


「本当の系図、でございますか?」


 アーラムギールがそう聞き返すと、サラは大きく頷いて答えた。そして祖国を落ちのびる前に父王から聞いた話をかいつまんで彼に伝える。話を聞き終えると、アーラムギールは腕を組んで唸った。


「では、殿下もその系図を実際に見たことはないのですね?」


「ええ、そうです。ですが今まで、こうして隠しておいた系図です。マドハヴァディティアの手に渡れば、どう悪用されるか分かりません。それでアーラムギール卿、なんとかして本邸の系図を回収するか、それが無理なら処分していただきたいのです」


 サラのその言葉に、今度はアーラムギールが大きく頷いた。確かに少し話を聞いただけでも厄介事の気配がする。下手をすれば、アースルガム解放軍の存在意義にも関わってくる話だ。手を打つ必要がある。


「分かりました。何か手を打ちましょう」


「お願いします。アーラムギール卿」


「ただ、系図であることは明かさない方が良いでしょう。重要な書類ということにして、回収か処分を命じましょう」


「よしなに」


 サラがそう言って微笑むと、アーラムギールは力強く頷いた。


「アーラムギール卿。分かっていると思うが、サラ王女がこの場にいたことは他言無用だ。重要書類の件も、わたしから聞いたことにしてくれ」


 話がまとまったところで、ベルノルトが横からそう口を挟む。野暮なことだとは思うが、サラがヴァンガルに来ていたことが明るみに出ると、それはそれで問題になりそうだ。将来はともかく、今は秘密にしておいた方がいいだろう。


「承知しています、ベルノルト殿下。……ただ、残念ではあります。お姿を拝見できずとも、サラ殿下がこちらへいらして直々のご下知があったことを知れば、解放軍の者たちの士気も上がると思うのですが……」


 アーラムギールは少々残念そうにそう言った。ヴァンガルに来る前、アースルガム解放軍の士気を心配する意見が出ていたが、実際に少なからず問題になっているのかも知れない。


「アーラムギール卿。役に立つかは分かりませんが、手紙を書いてきました」


 ベルノルトがサラに目配せすると、彼女は懐から手紙を取り出してそれをアーラムギールに渡した。封筒にはサラの名前がはっきりと書かれている。封印に使われているのも、彼女の身分を保障するアースルガムの紋章だ。これも無論、表向きにはベルノルトが持参したことになる。


「これは……!」


 アーラムギールが目を見開きながら手紙を受け取る。サラが「中身を確認なさって下さい」と言うと、彼は恐縮しながら封を破って手紙を検めた。一度目は急いで読み、二度目はしっかりと読む。手紙を封筒に戻すと、彼は感極まった様子でこう言った。


「サラ殿下。ありがとうございます。これで解放軍の士気は保たれるでしょう」


 そう言って頭を下げるアーラムギールに、サラは微笑みを返す。それは正真正銘、王女の笑みだった。


ベルノルト「手紙……。それは汗と涙と添削者の努力の結晶……」

サラ「し、失礼ね!」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 役に立つ手紙書くのはしんどいですね 頑張ったな
[一言] う~む大国に挟まれてしまった上に片方は侵略する気全開だと裏切り者も出るか……でもそれは、イスパルタ朝にとってはラッキー以外の何者でも無いのよねぇ(笑) 法国が一度消えてくれた方が侵略しても…
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