弔問~聖下の間~
ベルノルトら弔問団一行が法都ヴァンガルに到着してから二日後。ルルグンス法国側との調整が終わり、いよいよ弔問が行われることになった。
ベルノルトは喪服に身を纏い、馬車に乗って大聖堂へと向かう。大使館から大聖堂まではルルグンス軍の一〇〇人隊が護衛についた。道には一般の人々も歩いていたが、護衛された馬車が姿を見せると、彼らは自然と両脇によって道を空けた。
ヌルルハーク四世の遺体は、大聖堂の中でも最も格式の高いとされる「聖下の間」に安置されている。余談になるが、「現在法都ヴァンガルには国内外から弔問客が押し寄せている」と書いた。だがその全てが聖下の間に入ってヌルルハーク四世の遺体と対面しているわけでは無論ない。
むしろ大半の人々は大聖堂の正門を入ってすぐのところに設置された献花台に花を手向けて弔問としている。そして日に何度か新法王のフサイン三世や枢機卿の誰かが弔問客らの前に姿を現し、「わざわざの弔問大義である」という旨の言葉を述べるのだ。
余談を続ければ、一般の信徒らは普通、大聖堂内に立ち入ることはできないし、また法王や枢機卿の姿を目にすることもまずない。それが叶うという点で、弔問は画期的な機会と言える。また国民の、そして信徒の心を得るという意味でも、この特別な機会は大いに活用されているのだった。
一方のベルノルトらイスパルタ朝の弔問団であるが、当然ながら外の献花台に献花して弔問を済ませるはずはない。むしろ最上級の国賓として遇された。彼を乗せた馬車が大聖堂の正門をくぐると、そこで彼を待っていたのは枢機卿の一人であるブルハーヌだった。
「ベルノルト殿下。ようこそいらっしゃいました」
ブルハーヌはすっかり白くなった頭をうやうやしく下げ、そう言ってベルノルトを歓迎した。それからブルハーヌはベルノルトらを先導して大聖堂の中へ入る。ルルグンス法国の儀仗兵が彼らの周囲を固めた。
ブルハーヌがベルノルトらを案内したのは、ヌルルハーク四世の遺体が安置されている聖下の間だった。そこは天井の高い、明るく厳かな一室であり、その真ん中の燦々と光が降り注ぐ中に棺が一つ安置されている。その棺こそが遺体を腐らせずに保管するための魔道具、聖櫃だ。
「遠くクルシェヒルよりわざわざの弔問、痛み入る、ベルノルト殿下」
「フサイン法王猊下、このたびはまことに残念なことでありました」
聖下の間では、新法王のフサイン三世がベルノルトを出迎えた。ベルノルトは沈痛な面持ちでお悔やみを述べたが、当のフサイン三世に憔悴した様子はない。ヌルルハーク四世が崩御してから数ヶ月の時間が経っているし、悲しみはすでに乗り越えたのかも知れない。ただ彼にむしろ溌剌とした様子が窺えて、ベルノルトは内心で小さく首をかしげた。
(フードが言っていたことは、もしかして本当なのか……?)
ベルノルトは昨晩フードが話してくれたことを思い出す。彼は「何の根拠もない話ですが」と前置きした上で、こんなことを話してくれたのだ。
『フサイン猊下は、父君が亡くなられたことをあまり悲しんではいないのかも知れませんね』
故ヌルルハーク四世は肥満体であったのに長命で、しかも死ぬまで法王の座を降りなかった。ということはフサイン三世はそれまでずっと後継者のままであったわけで、彼にしてみれば「ようやく法王になれた」という想いがあるのではないか。アルコールも入っていたフードは、やや皮肉げにそう話のだった。
『法王になるのが遅ければ、普通に考えて在位もそれだけ短くなります。フサイン猊下はようやく自分の時代が来たと張り切る反面、法王の座にしがみついた父君のことは苦々しく思っているかもしれませんねぇ』
やや釈然としないものを感じつつ、ベルノルトはフードの憶測を否定できなかった。歴史上、権力を手にするために親子が殺し合い、僧職者が術数権謀を巡らせることなど、珍しくもなんともない。それを思えば、父親が死ぬまで待ったフサイン三世はずいぶんとお行儀が良い。
もっとも、ヌルルハーク四世が死んで悲しくもなんともないのはベルノルトも同じである。それなのに沈痛な顔をしていかにも悲しげにしているのだから、彼もまた同じ穴の狢と言わねばなるまい。それを自覚して彼は内心で自嘲した。
まあそれはそれとして。フサイン三世と短く言葉を交わしてから、ベルノルトは彼に勧められて聖櫃に近づいた。聖櫃には窓がついていて、そこから中に安置されたヌルルハーク四世の顔を見ることができる。青白い死人の顔は、どうにも不気味に思えた。それが顔に出ないようにしながら、胸に手を当てて恭しく一礼した。
「殿下。献花を」
メフライルに小さく促され、ベルノルトは小さく頷いた。そして従者として同行しているサラから花束を受け取り、聖櫃の蓋の上にそっと捧げる。彼がもう一度頭を下げると、デニス以下の弔問団も揃って聖櫃に向かい一礼した。
次に、ベルノルトが弔辞を読み上げることになっている。弔辞の文章は彼自身が考えたものだ。そうしなければ意味がないと思ってそうしたのだが、しかしいざそれを読み上げる時になると、彼はふと恐怖を覚えた。
この聖下の間には、フサイン三世やブルハーヌほか三名の枢機卿をはじめ、ルルグンス法国の要人が多数参列している。ベルノルトが読み上げる弔辞を、彼らは当然イスパルタ朝の言葉として受け取るだろう。これから語られるのはベルノルト個人の言葉でない。極端なことを言えば、国と国の関係を左右する言葉なのだ。
もちろん、弔辞はベルノルトが書いたものとはいえ、デニス他数名が事前にチェックしている。何度も手直しをし、問題は何もないはずだった。だが万が一問題があった場合には、それはベルノルトの責任になる。
失敗はもちろん怖い。だがそれ以上に怖いのは両国の関係がこじれ、その間隙をマドハヴァディティアに狙われることである。
彼が野心にあふれた覇王であることは間違いない。隙を見せれば躊躇なく、果断に踏み込んでくるだろう。そしてその勢いをルルグンス法国が単独で受け止めることは不可能に近い。
最悪、ルルグンス法国は百国連合に呑み込まれ、イスパルタ朝本国も直接戦火にさらされるやもしれぬ。そしてベルノルトの言葉一つが、そのきっかけになり得るのだ。
権力者の言葉の重みを、彼はズンと感じた。いっそ優秀な文官たちに原稿を書かせ、それをそのまま読み上げた方が良かったかも知れない。そんな想いさえよぎった。
(落ち着け、大丈夫だ……)
ベルノルトは静かに深呼吸して自分にそう言い聞かせた。弔辞の原稿は何度もチェックしてもらった。そして「問題なし」とお墨付きをもらっている。だから大丈夫なはずなのだ。
ベルノルトはメフライルから巻物を受け取った。そしてその巻物を広げて読み上げる。弔辞の中で彼は、「アンタルヤ王国がイスパルタ朝へと生まれ変わっていく中でも両国は歴史的交誼を守った」と述べ、さらに「激動の時代を乗り越えた両国の絆は永遠であると確信している」と続けた。
「……歴史の大きな転換点とも言える時代において、ヌルルハーク法王猊下は立派にルルグンス法国の舵取りをなさいました。そのことにただただ感服するばかりであります。……」
このあたりはリップサービスであろう。とはいえこのような場で死者をあげつらったところで誰も喜びはしない。そもそも故ヌルルハーク四世がその時代に指導者であったことは事実なのだ。指導力を発揮したのが彼自身であったのかは大きな問題ではない。その時代を乗り切り、今もルルグンス法国が存在していることが重要なのである。
「……そして今また、特に法国よりもさらに西の国々において、歴史は大きな節目を迎えようとしています。法国やイスパルタ朝も、無関係ではいられないでしょう。しかし両国は手を取り合い輝かしい未来を掴むものと、私は確信しています。……」
この言葉がマドハヴァディティアのことを念頭に置いているのは明白だった。ルルグンス法国はこれまでも西方からの侵略者と戦ってきた。しかしマドハヴァディティアはそのいずれとも一線を画す。確かに歴史は大きな節目を迎えたのだ。
同時にフサイン三世に釘を刺したとも言える。「これまで大丈夫だった。だからこれからも大丈夫だ」。そんな楽観論はもう通用しない。ルルグンス法国が生き残るためには、イスパルタ朝との関係をより強めなければならない。そう言っているのだ。
「……両国の交誼は必ずや平和と繁栄の礎となりましょう。法王猊下も女神イーシスの御許よりどうか御照覧下さい」
そう述べてベルノルトは弔辞を読み終えた。彼は巻物を巻いて片付け、さらにそれをまた聖櫃の上に捧げた。それから彼は下がって、喪主であるフサイン三世に深々とお辞儀をする。フサイン三世も腰を折ってそれに応えた。
「殿下、こちらを」
「ああ。デニス、すまない。……猊下、こちらは心ばかりの品です。どうぞお納め下さい」
ベルノルトはデニスが差し出した巻物を受け取り、それをフサイン三世に差し出した。弔問のために持参した贈り物の目録である。目録の中には金貨だけでなく、乳香や没薬、香油などが含まれている。
「かたじけない。ありがたく頂戴する」
フサイン三世はそう言って目録を受け取った。それからすぐベルノルトらはまたブルハーヌに連れられて聖下の間より退出する。これにて弔問は無事に終了である。ベルノルトは内心で安堵の息を吐いた。
ただ、これですぐに大使館へ戻るわけではない。彼らは次に貴賓室へ案内された。この後、フサイン三世との会談が予定されているのだが、準備が整うまでこの貴賓室で待つことになる。
「軽食を用意してございます。どうぞごゆるりとお過ごし下さい」
そう言ってブルハーヌが退出すると、部屋の中はイスパルタ朝の面々だけになった。世話係の侍女も、事前に断ってある。ベルノルトはソファーに腰を下ろすと、少々だらしない格好で肩の力を抜いた。
「お茶を用意いたします」
やや笑いを含んだ声でそう言って、ユラの格好をしたサラがお茶の用意を始めた。その手つきはなかなか手慣れている。以前に聞いた話では、生前に彼女の母が仕込んでくれた技能であるという。
「殿下、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
サラが淹れてくれたお茶を一口啜り、ベルノルトはようやく人心地ついた気持ちになった。そして用意してあったスコーンにジャムをたっぷりと付けてほおばる。気疲れしていた身体が、すっと弛緩したように感じた。
デニスら他の者たちも、思いおもいに食べたり飲んだりしながら、あれこれと感想を述べ合っている。身内の関係者しかいないこともあり、ずいぶんと砕けた雰囲気だ。ベルノルトも小腹を満たしたところで、メフライル相手にこう話しかけた。
「……ところで、やっぱり聖櫃というのは珍しい魔道具なのかな?」
「それはそうでしょう。少なくとも、似たような魔道具の話は聞いたことがありません」
この世界では普通、誰かが死んだ場合は遺体が腐敗してしまう前に埋葬を済ませるのが一般的だ。それは王侯貴族であっても変わらない。時折、喪主(つまり後継者)が決まらず故人の遺体が酷い状態になってしまったという話を聞くが、それは醜聞である。
つまり、「遺体が腐らないように長期間保管しておく」という発想が一般的ではないのだ。そうである以上、そのための魔道具が一般的になるはずがなかった。
「そもそも現実的な問題として、魔道具を稼働させるには魔石が必要です。そして聖櫃は稼働させ続けなければ意味がない。法国のように一年も動かし続けるとなると、大量の魔石が必要でしょうね」
つまり相応のコストがかかるのだ。そのお金を用意できなければ、聖櫃は動かせない。無論、一国のレベルになれば、魔石の準備は十分に可能だ。だがなぜそこまでして遺体を保管しておくのか、ベルノルトにはそもそもそこからして不可解だった。
「ああ、それは要するに権威付けのためですよ」
そう応えたのはデニスだった。昔、法王の遺体が一年経っても腐らないのは、「女神イーシスの恩寵があるから」と説明されていた。つまり女神の奇跡だったわけだ。その奇跡を目の当たりにさせることで、ルルグンス法国は法王の権威を揺るがぬものにしていたのである。
現在においても、「法王の遺体が腐らないのは聖櫃という魔道具のおかげ」という事実は、実のところあまり知られていない。純粋な一般大衆ほど、それが女神の奇跡であると信じている。その点に触れてから、デニスは揶揄するかのような口調でこう言った。
「実際、法国は今も聖櫃の存在を公式には認めていません。あくでも女神の奇跡なんです」
こんな話がある。何代か前のアンタルヤ王が聖櫃について知り、自分の遺体も同じように保管しようと考え、ルルグンス法国に聖櫃の設計図を求めた。これに対し法国側は仰々しい使節団を送ってアンタルヤ王に謁見させ、その席で女神イーシスの恩寵の素晴らしさを延々と語らせた。その話は半日以上にも及び、アンタルヤ王もさすがにうんざりして、それ以降は聖櫃については口にしなかったという。
かのアンタルヤ王がそれで本当に聖櫃を諦めたのか、それは分からない。ただルルグンス法国にとってそれが決して譲れない一線であったことは確かだ。そして恐らくそれは今も変わっていない。法国にとって法王は、「女神が特別な恩寵を与える存在」でなければならないのだ。例え、演出してでも。
「聖櫃が珍しいのは、技術的な問題よりも、法国に対する遠慮があったからだと思います。アンタルヤ王国にとって法国は大切な同盟国でした。その関係を拗らせるようなまねはできなかったはずです。また西方諸国にとって法国は大国でした。逆鱗に触れたいとは思わなかったでしょう」
デニスはそう自らの推論を語った。ただその論でいくと、現在はずいぶんと情勢が変わったことになる。イスパルタ朝にとって同盟国としてのルルグンス法国は、以前ほど重要ではなくなった。西方においても百国連合が樹立され、法国は恐れるべき存在ではなくなっている。奇跡の建前を守り抜く力は、法国にはもうない。
「ということは殿下、今なら聖櫃に似た魔道具を作らせることができますよ」
「ええ。要するにあれは、中を水が凍るような温度に冷やしておくための魔道具です。詳細な設計図がなくても、今の技術なら似たような魔道具は十分に作れます」
メフライルとデニスは楽しげにそう話した。一方でベルノルトは肩をすくめ、少々投げやりにこう応えた。
「水が凍るような温度で冷やしておけるなら、それこそ氷を溶けないように冷やしておきたいね。夏にはきっと重宝するだろう」
死体を冷やしておくよりもよっぽど有意義だ、とは流石にベルノルトも口にはしなかった。もっともそのニュアンスはちゃんと伝わったようで、メフライルとデニスは揃って笑い声を上げた。ちなみにサラは夏に食べる氷菓の味を想像して目を輝かせている。
「あとは、お酒を冷やすのもいいですよ。キンキンに冷えた白ワインは良いものです」
デニスが頷きながらそう語る。そこから先は「何を冷やしておきたいか?」という話になり、最終的に「冷やしたスイカは美味い」という結論に落ち着いた。
ベルノルト「官僚的名文が必要とされる理由が分かった」




