弔問~大使館~
現在、法都ヴァンガルは法王ヌルルハーク四世の喪中にある。これは一連の儀式が行われる一年の間継続され、街中にはいたるところに半旗や黒い垂れ幕が掲げられている。なかなか沈痛な雰囲気だ。
ただその一方で、法都ヴァンガルには弔問のために各地から信徒が集まってきている。つまりヴァンガルは現在、喪中であると同時に人があふれかえっている状態でもあるのだ。そして人が集まればその分活気が生まれる。それで街の装いは沈痛なのに、街の様子は騒がしいという、少しチグハグな状態になっていた。
もっとも、外から来た人間の大多数は弔問者であるから大人しくしている。飲食店などではお酒を出すことを控えているらしく、酔客が騒ぎを起こすことはほとんどない。そのおかげで人口密度のわりに治安は保たれているようだった。
さて、法都ヴァンガルに到着した弔問団一行は、まずイスパルタ朝の大使館へ向かった。ルルグンス法国とアンタルヤ王国の歴史的な関係は深く、イスパルタ朝もそれを受け継いでいる。また法国にとってイスパルタ朝は格上の国力を持つ同盟国だ。配慮してしすぎるということはなく、大使館にはそれが如実に表れていた。
一番分かりやすいのは、その敷地面積だ。法都ヴァンガルにおいてイスパルタ大使館は二番目に広い敷地面積を誇っている。ちなみに最も広いのは法王の住まう大聖堂だ。敷地内には全部で七つの建物があり、周囲は高い塀で囲まれている。ちょっとした要塞のような造りだ。実際、最大で一五〇〇名の兵士が立て籠もれるように設計されている。
無論、実際にそれほどの戦力がこの大使館に立て籠もったことはない。ただ「できる」という事実は大きい。ルルグンス法国のイスパルタ朝への信頼と影響力の大きさをそのまま物語っている、と言って良いだろう。
また大使館の敷地内では、ルルグンス法国ではなくイスパルタ朝の法律が適用される。法国の捜査権はその敷地内には及ばず、厳密に言えば犯罪者等を引き渡す義務もない。敷地面積の広さも含め、「ヴァンガルにはもう一つ国がある」と言われることさえあった。
法都ヴァンガルに滞在する間、弔問団は護衛を含めて全員がこの広い大使館に宿泊することになる。各地から弔問者が押し寄せているため、ヴァンガルは現在慢性的な宿不足に陥っているが、大使館のおかげでベルノルトらは宿泊場所の問題に頭を悩ませる必要はなかったのだ。
「ふう……」
ベルノルトを乗せた馬車が大使館の正門をくぐった時、小さく息を吐いたのは彼ではなくはす向かいに座るサラだった。大使館の敷地内は法国であって法国でない。万が一の場合にフォローしやすいのは事実だ。
もっとも、本国に比べればどんぐりの背比べである。ベルノルトとしては気を抜かずにいて欲しいのだが、彼は特別サラを注意したりはしなかった。緊張した状態を保っていれば息が詰まるのは分かる。それにあまり口うるさく言っても、不必要なプレッシャーをかけてしまうだけだろう。
「ベルノルト殿下、ようこそいらせられました」
大使館本館の前に馬車が止まると、在ルルグンス大使のフードがベルノルトを出迎えた。彼はおよそ六年前に着任した大使で、この大使館を拠点に情報収集や法国国内の政治工作等を行っている。
マドハヴァディティアが東進を計画した際には、ヘラベートの総領事館と協力していち早くその情報を掴み本国へ報告した。また最近ではユーヴェル商会を介してアースルガム解放軍を支援したり、またそこからの情報を分析して本国へ報せるなどの事もしている。その有能な働きぶりは、クルシェヒルの王宮でもなかなかの評判だった。
「ああ、フード大使。しばらく世話になる」
ベルノルトはそう言って、にこやかにフードと言葉を交わした。彼はここヴァンガルにおける現地スタッフの長だ。当然、現地の事情によく精通している。ベルノルトには補佐役としてデニスが付けられているが、フードの協力もまた得がたいものになるだろう。それでベルノルトは彼にこう言った。
「いろいろと頼らせてもらうことになると思う。力を貸してくれ」
「ははっ。微力を尽くす所存にございます」
そう言ってフードは胸に手を当てて一礼する。それからベルノルトは大使館本館の中へ通された。本来なら歓迎のセレモニーがあっても良いのだが、今は喪中ということで派手な催しは自粛された。もっとも、ベルノルトとしてはそちらの方が気が楽だが。
案内された客間には、軽食や色とりどりのフルーツが用意されていた。それらを食べながら、しばしベルノルトらは談笑を楽しむ。フードが話してくれる現地の話題は興味深く、ベルノルトは何度も頷きながら彼の話を聞いた。
「……さて、それで殿下の予定についてですが……」
他愛もない話が一段落したところで、フードはおもむろに本題へ入った。ベルノルトの今後の予定としては、まずはやはり弔問を行うことになる。その後、フサイン三世と会談を行う予定になっていた。なお、この会談にはブルハーヌ枢機卿も同席することになっている。
弔問団の正式な行事としてはこれで全てである。ただ、イスパルタ朝の弔問団の代表としてベルノルトが来るという話はすでに広まっており、大使館には彼との会談を求める申し込みが多数来ていた。
無論、全て断ってさっさと本国へ帰ることも可能だ。しかしそれではわざわざヴァンガルまで出向いた甲斐がない。フードとしてもイスパルタ朝の利益のために、幾つかの会談には応じてもらいたいと思っている。
ベルノルトもそう言う話が来るであろう事は十分に予想していた。というより、今回の仕事のメインはむしろそちらである。それで彼も会談に応じることには前向きだった。ただフードから希望者の分厚いリストを見せられ、彼は思わず顔をしかめた。
「多いな……」
「ダメ元で申し込んでいる者もいるでしょう。もとより、全員に会っていただく必要はございません」
フードは苦笑しながらそう応え、もう一つのリストをベルノルトに渡した。フードがあらかじめ選別しておいたリストである。リストはベルノルトが会うものとデニスが対応するものとに分けられており、前者だけならば元のリストの二割ほどの量になっていた。
「如何でしょうか? ご要望がございましたら、調整いたしますが……」
ベルノルトは手元のリストに視線を落とした。そして自分の分だけでなく、デニスに割り振られた方にも目を通していく。そのなかで彼が気になったのは特に二人。その一人はデニスの方のリストに入っていた人物で、ベルノルトまず彼についてフードにこう尋ねた。
「ユーヴェル商会の会頭だが、名前がアシュラフになっている。アーラムギールじゃないのか?」
「アシュラフというのは、偽名です。本名はアーラムギールだと名乗っていました」
「マドハヴァディティアの目を欺くためか」
「恐らくは」
フードの言葉に、ベルノルトは納得した様子で頷いた。西方諸国においてアーラムギールの名前がどれほど知られているのか、彼には分からない。だが馬鹿正直に本名を名乗っているのは確かに危険だろう。特に商会の会頭ともなれば、その名前は方々で人の口に上る。用心のために偽名を使うのは十分に考えられる。
「アーラムギールには私も会っておきたい。そのように調整してくれ」
「構いませんが……、なぜそこまで?」
フードは少し困惑した様子でそう尋ねた。確かにアースルガム解放軍はイスパルタ朝の支援を受けて活動している。だが今のところ解放軍は要するにレジスタンスで、アーラムギールはそのリーダーでしかない。大国イスパルタ朝の第一王子がわざわざ会うべき相手ではないように思われたのだ。
「実はな……」
ベルノルトはサラと彼女の要件のことをフードに話した。それを聞き、フードは驚いた様子で息を呑む。そして神妙な面持ちでこう口を開いた。
「わ、分かりました。ではサ、いえユラ殿が彼の顔を確認できるように手配いたしましょう」
「任せる」
「はっ」
フードが一礼すると、ベルノルトは一つ頷いた。それからもう一度、彼は手元のリストに視線を落とす。そして気になっていたもう一人の人物について、その名前を口にした。それは彼自身が会うことになっている人物である。
「ラーヒズヤ将軍か……。たしかヴェールール軍の参謀長だったか」
「よくご存じで。マドハヴァディティアの右腕とも呼ばれる男です」
「大物だな」
「はい。向こうも本気ということでしょう」
フードの言葉にベルノルトは頷いた。ラーヒズヤは今回、百国連合側の弔問の使者としてヴァンガルを訪れている。切れ者と評判の彼を送り込んでくるあたり、マドハヴァディティアの本気度が窺えた。
「今、彼らはどうしている?」
「屋敷を一つ丸ごと借りて、そこを事実上の大使館にしています。なかなか活発に動き回っているようですよ」
フードはそう話した。ラーヒズヤがヴァンガルに到着したのはおよそ十日前だが、屋敷の手配など準備はそれ以前から行われている。そして彼らが「活発に動き回っている」のは、その準備段階からの事だという。
「まあ、ヴァンガルは法王のお膝元であり、我々の地盤です。なかなか苦戦しているようだと報告を受けています」
フードはそう言って少々意地悪げに笑った。よほど情報に疎くない限り、マドハヴァディティアが三年前にルルグンス法国を征服しようと企んだことはすでに知れ渡っている。侵略者に反感を持つのは当然で、その風潮は特にここ法都ヴァンガルで強い。故ヌルルハーク四世が強い反マドハヴァディティア感情を抱いていたからだ。
またヴァンガルにおいては昔からイスパルタ朝(アンタルヤ王国)が根を張ってきた。その影響力は方々に及ぶ。イスパルタ朝を畏れてラーヒズヤらとの接触を避けている者たちも多いようだ。
もっとも、ラーヒズヤや彼を送り込んだマドハヴァディティアにしても、そういう反応は織り込み済みのはず。今回は外交的な成果を求めているわけではなく、今後を見据えた挨拶回りが主な目的なのかも知れない。「百国連合として外交チャンネルを作っておく」というのは、ロスタムも想定していた目的である。
(いや、それだけではなかったか……)
ロスタムとの話を思い出し、ベルノルトは内心でそう呟いた。ロスタムは他にも「ヴァンガルの下見」を百国連合側の目的の一つとしてあげていた。つまり将来攻略する際のための下調べ、というわけだ。
まあ彼らが本当に下見を目的としているのか、それは分からない。城壁の高さや塔の数など、見て分かるような情報は彼らもすでに把握しているだろう。ただ前述した通りラーヒズヤはヴェールール軍の参謀長であり、マドハヴァディティアの右腕とも言われる男だ。百国連合軍の中でも重鎮の位置を占めると言ってよい。
そのラーヒズヤがわざわざ赴いて来たのだ。また彼と一緒に、ヴェールール軍の士官も多数来ているはず。であれば、弔問にかこつけて何か軍事的な目的があると考えるのは自然だ。
「あり得ますね……」
ベルノルトの話を聞き、フードは険しい表情を浮かべた。目下、マドハヴァディティアの主たる目標は「ルルグンス法国の征服」であるはず。今回のラーヒズヤの弔問も、その文脈のなかで考えるべきなのかもしれない。
「一応、ブルハーヌ枢機卿を通じて法国側にも警戒を呼びかけておきます。もっとも、すでに警戒しているはずですが……」
少しもどかしそうにしながら、フードはそう言った。これがイスパルタ朝国内のことであれば、すぐさま十分な警戒ができるだろう。だがルルグンス法国がどの程度のレベルで警戒を行うのか、そこまでフードらが口を出すことはできない。また大使館として警戒するにしても、できる事には限りがある。一抹の不安が残った。
「ずいぶんと話が逸れたな、すまない」
「いえ、必要なことかと」
ベルノルトは肩をすくめて話を元に戻した。そのラーヒズヤが、ベルノルトに面談を求めている。そしてリストに載せられているところを見ると、フードも彼に会うべきと思っているようだ。もともとベルノルトも百国連合側の使者に会うことは覚悟している。ただ了解の返事をする前に、一点だけ彼はこう尋ねた。
「ラーヒズヤと会うとして、場所は向こうが借りている屋敷か?」
「まさか! 会談の場所はこのイスパルタ大使館です」
フードは少しだけ声を荒げてそう答えた。ベルノルトが出向くような真似をすれば、そのまま囚われて人質にされてしまう危険性がある。イスパルタ側としては絶対に容認できないことだ。
またベルノルトとラーヒズヤであれば、当然前者の方が身分が高い。身分の低い者が身分の高い者のところへ出向くのが礼儀の上から言っても当然である。その逆をすれば、イスパルタ朝の面子は丸つぶれだ。
それはベルノルトも分かっている。ただ同時に、ラーヒズヤからすればこの大使館はルルグンス法国におけるイスパルタ勢力の本丸だ。逆に彼らのほうが暗殺などを警戒するのではないだろうか。
「来るかな?」
「来なければ『臆病風に吹かれた』と言ってやるだけのことです。我々には何の落ち度も、そして問題もありませぬ」
フードは少々突き放すような口調でそう言った。もっとも彼は、ラーヒズヤは来るだろうと思っている。それくらいふてぶてしい人物でなければ今この状況のヴァンガルに、しかもヌルルハーク四世の弔問という建前を引き下げて来たりはしないだろう。
「……分かった。では、これでいい。進めてくれ。アーラムギールのことだけ頼む」
ベルノルトはデニスに目配せをし、彼が頷くのを見てからそう応えた。そもそもベルノルトはヴァンガルの事情に詳しくない。またリストにはヴァンガル以外の地域から来ている有力者の名前も含まれており、そうなるともう彼には判断が難しい。であれば、後はフードに任せてしまうより他にない。
「了解しました。それと、これとは別に資料をまとめてありますので、後でお持ちいたします」
「ああ、頼む」
「はい。それから、殿下が新たにどなたかと会談を希望される場合は、そうお申し付け下さい。調整いたします。デニス卿も、どうぞ遠慮なく」
「分かった。その時はよろしく頼む」
「お手数をおかけします」
ベルノルトとデニスがそう応えると、フードはにこやかな笑みを浮かべた。
フード「地盤・看板・カバン! 大使館は全て持っているのだ!」
デニス「そりゃ、新参者には厳しい」
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そんなわけで。今回はここまでです。
次回の投稿は年末年始にかけてを予定しています。どうぞお楽しみに。