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正装と刺繍

 ある日のこと。いつも通りダンダリオンに報告書を提出しに来たとき、シェリーは彼にこうねだった。


「直轄軍の兵士で、絵心のある者を紹介してくださいませ」


 少々、悔しそうにしながら。事の発端は、三日前にさかのぼる。



 □ ■ □ ■



「ジノーファ様。ジノーファ様の正装を作りましょう」


 十月も二十日を過ぎたある日のこと。ジノーファが食後にヘレナの淹れてくれた紅茶を楽しんでいると、おもむろにシェリーがそう提案した。ジノーファはティーカップをソーサーに戻すと、小さく首をかしげる。そしてこう尋ねた。


「正装? 結婚式には呼ばれていなかったと思うけど……」


「結婚式ではありません。宮殿で催される、新年のパーティーの準備ですわ」


 ロストク帝国では年に何度か、皇帝主催のパーティーが公式行事として宮殿で催される。その中でも一、二を争う規模と華やかさなのが、年の変わり目を挟んで行われる新年を祝うパーティーだった。


「ジノーファ様にも招待状を送ると、陛下も言っておられました。新年のパーティーは公式行事ですし、正装していく必要があります」


「なるほど……」


 ジノーファは納得したように小さくそう呟いた。新年のパーティーは、アンタルヤ王国でも盛大に催されていた。ドレスコードは当然正装。それはここロストク帝国でも変わらないだろう。


 ジノーファはこれまでに衣服は何着か購入して揃えてあるものの、正装はまだ用意していなかった。特に理由もなく皇帝からの招待を断るのは失礼だし、ドレスコードを弁えずに場違いな服装をしていくのはさらに失礼。となれば、シェリーの言うとおり正装を準備しておく必要がある。


「分かった。シェリーがそう言うのなら、準備しておこう。それにしても、少し早いような気もするなぁ……」


「そんなことはありません。こういうものはオーダーメイドですから、作るのには相応に時間がかかります。まして、これからの時期は依頼と注文が殺到しますからね。間に合わなくなっては大変です」


 実際にそういう例を知っているのか、シェリーの言葉には実感が篭っていた。ちなみに間に合わないというのは、注文する側だけでなく店側にとっても痛恨事。それを避けるため、店側も無理と思った仕事は請けない。するといざ注文しようと思っても、どこもそれを請け負ってくれないということになる。


 必要と分かっているのだから、早めに動けばいいのだ。やるべき事を後回しにしてもいい事はない。そもそも、このタイミングからして結構ギリギリである。間に合うかどうか気を揉みたくないのなら、今すぐに動く必要があった。


「分かった、行こう。ヴィクトール、金を出してくれ」


「はっ。少々お待ちください」


 そう言ってヴィクトールは金を取りに部屋から出て行った。彼が戻ってくるまでの間に、ジノーファとシェリーも身支度を整える。戻ってきた二人にヴィクトールが差し出したトレイには、輝く金貨が三枚乗っていた。それを見てジノーファは苦笑を浮かべる。


「こんなに必要なのか?」


「必要ですわ」


 そう言ってシェリーはにこにこしながら金貨を懐にしまった。どうやら彼女はただの正装を作るつもりはないらしい。追加料金が必要になるような腹案を持っているようだが、それがなんなのかジノーファはこの場では尋ねなかった。


「行ってらっしゃいませ」


 ヴィクトールに見送られて、二人は屋敷から出かけた。秋が深まり、冬の足音が聞こえている。風はもうずいぶん肌寒くなっていた。アンタルヤ王国に比べ、ロストク帝国は北国なのだ。


「後で、マフラーも買いましょうか?」


 少し寒そうにしているジノーファを見て、シェリーはそう提案した。実のところ、二人はダンジョンに潜って経験値(マナ)をため込んでいるから、この程度の寒さはどうということはない。特にジノーファは聖痕(スティグマ)持ちだから、身体の鍛え方からして違う。我慢しようと思えばいくらでも我慢できる。


 ただ、それは我慢できるだけであって、決して寒くないわけではない。しかも我慢したところでいいことがあるわけでもないのだ。快適に過ごすためにも、素直に防寒具を着用するのがいいだろう。それでジノーファもすぐに頷いた。


「うん。そうしよう」


「それとも、わたしが手編みしましょうか? 実は、少々自信がございます」


 シェリーがにこやかにそう言うと、ジノーファは一瞬言葉を詰まらせた。二人はすでにお互いの気持ちを知っていて、さらには男女の仲にもなっている。その上で手編みのマフラーだ。どんな思いが込められているのか、考えるまでもない。


「……うん、それがいいな」


 少し戸惑ってから、ジノーファはそう答えた。恥ずかしそうに伏せた顔は、わずかに赤くなっている。そんな彼の様子を見て、シェリーは幸せそうに微笑んだ。


「では、腕によりをかけて作りますね」


「うん。……それにしても、シェリーは何でもできるんだなぁ」


「メイドですから」


 シェリーは得意げにそう答えた。さて、二人が向かうのは上流階級向けの服飾店。何軒か並ぶうちの一軒を、シェリーは迷わずに選んだ。きっと、ここの職人の腕を信頼しているのだろう。


「いらっしゃいませ。ご用件をお伺いいたします」


 服飾店の店主は小太りの中年男性だった。商売人らしく、人懐っこい笑みを浮かべている。それが卑しく見えないのは、さすがに上流階級向けの店だ。


「こちらの方の正装を、オーダーメイドで」


「うん、よろしく頼む」


 シェリーとジノーファがそう言うと、店主は二人を店の奥へ通した。そして別の女性店員に言いつけてジノーファの採寸を行わせる。ジノーファは言われたとおり上着を脱いで静かに立ち、シェリーは採寸の様子を微笑ましげに眺めていた。


 採寸が終わると、次に服のデザインを決める。デザインからオーダーメイドすることもできるのだが、今回は既存のデザインの中から選ぶことにした。用意されていた実物のサンプルを見比べ、ジノーファは結局一番シンプルなデザインを選んだ。それを見て、シェリーがこう口を挟む。


「少し、お待ちください。一つ提案があるのですが……。上着の背中に刺繍をいれることはできるでしょうか?」


「はい、できます。どのような刺繍がお望みですか?」


 女性店員の返答を聞いて、シェリーは満足げに頷いた。彼女はジノーファの方を振り返る。そしてこう言った。


「ジノーファ様の聖痕(スティグマ)を刺繍で再現いたしましょう。そうすれば、世界でただ一着、ジノーファ様のための正装になりますわ」


 どうやらこれがシェリーの腹案であったらしい。ジノーファは納得すると同時に感心した。よく思いつくものである。


 ジノーファもちょっと考えてみて、それはいいアイディアであるように思えた。貴族社会というのは見栄の張り合いだ。華やかなパーティーともなれば、その最たる場であろう。そのような場に世界でただ一着しかない正装を着ていけば、それは大きな宝石にも勝るインパクトになるだろう。


 いや、実際のところ、「世界に一着しかない正装」というのは嘘だ。刺繍の図案さえできてしまえば、同じものは幾らでも作れるだろう。しかしそれをジノーファ以外の者が着てみたところで滑稽なだけである。ジノーファの聖痕(スティグマ)を背負えるのは、彼以外にはいないのだ。そういう意味でまさに彼のための、彼にのみ相応しい正装と言えるだろう。


 シェリーに勧められ、店員にもおだてられて、ジノーファは刺繍を入れることにした。そうと決まれば、さっそく図面を起こさなければならない。そのためにはジノーファの聖痕(スティグマ)を確認する必要があり、二人は店舗の二階へ案内された。


 通されたのは落ち着いた雰囲気の部屋で、本来は貴族のご令嬢などがドレスを試着するための部屋なのだという。店員がカーテンを閉めると、ジノーファは服を脱いで上半身裸になる。


 スケッチブックを構えた店員に背中を向けるようにして、背もたれのないソファーに座る。後ろで纏めていたアッシュブロンドの髪を、邪魔にならないよう身体の前にもってきて、それから彼はこう言った。


「それじゃあ、いきます」


「はい。お願いします」


 店員の返事を聞いてから、ジノーファは聖痕(スティグマ)を発動させる。異変はすぐに起こった。


「ジノーファ様! 聖痕(スティグマ)を止めてください!」


 シェリーの声に反応して、ジノーファは聖痕(スティグマ)を消した。そして一体どうしたのかと振り返る。そこでは青白い顔をした店員の背中をシェリーが気遣わしげに摩っていた。


聖痕(スティグマ)のプレッシャーは常人が耐えられるものではない……。失念しておりましたわ……」


 シェリーが小さく眉をひそめながらそう呟く。ジノーファとしては、苦笑するしかなかった。


 ただ、シェリーの言うとおり聖痕(スティグマ)のプレッシャーは相当なものだ。もろに浴びた店員などは今にも失神しそうな顔をしているし、店内にいた別の従業員たちも言い知れぬ恐怖を覚えたというから、ほとんどもう災害である。


「も、申し訳ありませんが、無理、無理です」


 まだ青い顔をしながら、店員はそう言って頭を下げた。手は震えていて、とても聖痕(スティグマ)を描き写せるような状態ではない。すっかり怖がらせてしまったようで、ジノーファたちのほうが申し訳ない。結局、聖痕(スティグマ)の図案は彼らの方で用意し、後日それを持参することになった。


 最後に生地の確認と予算の交渉を行ってから、恐縮して深々と頭を下げる店主に見送られ、二人は店を後にした。正装の注文はできたものの、思わぬ宿題ができてしまった。屋敷に帰ってからシェリーが挑戦してみたのだが、プレッシャーには耐えられるものの、肝心の図案がどうにもうまくない。


「メイド、ですから……」


 シェリーはそう言って悔しがった。


 まあ、それはともかく。図案を書き上げるためには、聖痕(スティグマ)のプレッシャーに耐えることができ、なおかつ絵心のある人物が必要だった。しかし二人ともそのような人物に心当たりはない。それで、直轄軍ならそのような人材も抱えているのではないかと考え、シェリーは報告がてらダンダリオンに紹介を求めたのだ。


「面白そうではないか。探しておこう」


 事情を聞いたダンダリオンはそう答えた。そしてその二日後、ヒュージと名乗る男がジノーファの屋敷を訪ねてきた。歳は三十の半ばを越えており、直轄軍の兵士らしく屈強な身体つきだ。


 ヒュージはもともと、貧乏貴族の三男であったという。幼い頃から絵を書く事が好きだったが、家の財政的な事情でその道に進む事はできなかった。それで兵士になったのだが、今でも趣味で絵は描いているのだという。


「まあ、どのみち才能はなかったので、絵で食っていくことはできなかったでしょうがね……。それがまさか、ジノーファ様の聖痕(スティグマ)を描かせてもらえることになるとは、光栄なことです」


 そう言いつつ、ヒュージはジノーファの聖痕(スティグマ)を丁寧にスケッチブックに描き写した。完成したそれを、ジノーファはまじまじと眺める。彼が自分の聖痕(スティグマ)をこうしてしっかりと見るのは、実はこれが初めてだった。


 その聖痕(スティグマ)は、まるで鳥が翼を広げたような、そんな意匠の紋様だ。その紋様を見て、ジノーファはふと、あの小鳥のことを思い出した。宮殿の客室に引き篭もっていたとき、窓のところにやってきたあの小鳥だ。


(ああ、そうだ。わたしは、自由を得たのだ……)


 彼はもう一度、自分にそう言い聞かせた。


 余談だが、ヒュージには後日、このときの謝礼が届けられた。聖痕(スティグマ)の紋様が刺繍されたハンカチである。彼はいたく感激し、ハンカチを額に飾って家宝にしたという。


 さて、図案ができたところで、ジノーファとシェリーはまた正装を注文した服飾店へ向かった。そして図案を渡し、刺繍に使う糸を決める。


「金糸を使いましょう、ジノーファ様」


 シェリーはそう勧めたが、ジノーファには金糸は少々派手過ぎるように思えた。彼が渋っているのを見て、女性店員が別の糸を勧める。


「では、銀糸はいかがでしょうか。髪の色とも揃えられますし、全体的な統一感も生まれるかと思います」


「ですが、銀糸だけでは少々地味ではありませんか?」


「そうですね……」


 本人をそっちのけにして、女性二人が盛り上がる。結局、銀糸を基本にして、青や緑の糸を使いアクセントを出すことになった。聖痕(スティグマ)の刺繍についてはこうして大よそ決まったのだが、決まってから女性店員が少々悩ましげな顔をしている。彼女は少し躊躇ってからジノーファにこう提案した。


「このままでは背中の刺繍が浮いてしまうような気がいたします。上着の袖口などにも刺繍をされるか、飾りを付けられてはいかがでしょうか?」


 つまり、ジノーファの選んだ正装のデザインがあまりにもシンプルであったため、背中に聖痕(スティグマ)の紋様を刺繍すると、そこだけ派手になって全体のバランスがちぐはぐになってしまうのだ。それを解消するため、上着の他の部分にも意匠を似せた刺繍を入れてはどうか、というのが彼女の提案だった。


「ぜひ、そういたしましょう、ジノーファ様!」


「それじゃあ、頼もうかな」


 熱心に勧めるシェリーの様子に苦笑しつつ、ジノーファは女性店員の提案を受け入れた。そのために追加料金が必要になり、合計金額は金貨三枚を超えてしまったのだが、それは必要経費というやつだろう。


 そして十二月も半ばを過ぎた頃、オーダーメイドした正装がジノーファの屋敷に届けられた。完成した正装を眺め、ジノーファは苦笑する。背中には聖痕(スティグマ)の紋様が、袖口や裾などには銀糸でそれと似た意匠の紋様が刺繍されている。出来栄えは素晴らしいが、少々派手なような気がした。


「そんなことはありませんわ。ジノーファ様なら、きっとお似合いになります」


 そう言うシェリーに促され、ジノーファは届けられた正装を試着してみる。サイズは少し大きめに作られている。彼の背が伸びてすぐに着られなくなってしまうのを避けるためだ。上着を羽織り、鏡に姿を映してみると、やはり少し派手なような気がした。


「素敵ですわ、ジノーファ様」


 シェリーに褒められ、ジノーファは小さく微笑んだ。


シェリーの一言報告書「メイド、ですから……!」

ダンダリオン「便利な言葉だな」

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シェリーは画伯
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