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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
大アンタルヤ王国

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235/364

短期決戦のために3


 連合軍からもたらされた提案は、イブライン協商国にとって思いがけないものだった。てっきり無条件降伏を要求されるものと思っていたのだが、自治区を残すという案を持ってきたのだ。ただし、イスパルタ朝の宗主権を認めて外交権を委譲する必要がある。


 自治区として想定されているのは、現在イスパルタ軍が占領しているおよそ二三州の領地。もともとの国土が七八州だから、三分の一弱に当たる。残りの土地については、ロストク帝国とランヴィーア王国で分割することになる。


 この提案が評議会に持ち込まれたとき、程度の差こそあれ、議員たちの心は揺れた様子だった。このまま意地を張って対立を続ければ、最終的に協商国の全土は連合軍の前に屈服させられるより他にない。だが自治区構想が実現すれば、その最悪の未来は回避することができる。


 ただ評議会には様々な意見と利権を持つ者たちがいる。まず、この自治区構想に積極的に賛成したのはいわゆる大商人たちだった。彼らとしても、今まで築き上げてきたモノを捨てるのは断腸の思いだ。だがここで損切りを誤れば、無一文になった挙句に命さえ失いかねない。選択の余地はなかった。


 それに、イスパルタ軍の占領地には、貿易港も含まれている。皆がみな、その貿易港を本拠地としているわけではないが、大商人と呼ばれる者たちであれば、支店くらいは置いているものだ。そこを拠点とすれば、また商売を続けることができる。


 無論、イスパルタ朝の宗主権を認めねばならない以上、これまでと比べて窮屈ではあるだろう。だが裏を返せば、大国イスパルタ朝の庇護下に入れるという意味でもある。さらにロストク帝国との関係も改善するだろう。つまり侵略される心配がなくなり、新たな巨大市場への門戸が開かれるのだ。そのメリットは大きい。


 加えて、商人たちはこの戦争にもううんざりしていた。消費の場としての戦争は確かに好ましい。だがイブライン軍の主力は傭兵であり、それを雇う金は主に商人たちが出しているのだ。持ち出しはすでにかなりの額になっており、「もういい加減何とかしてくれ」というのが彼らの本音だった。


 一方でそう簡単には割り切れないのが、いわゆる領主たちだった。彼らは土地を治め、税を集めることで権力と財力を維持している。だが土地は不動産だ。自治区へ持って行くことはできない。自治区構想を受け入れれば、彼らは命以外の全てを失うことになる。


 彼らの脳裏にランヴィーア軍に占領されたニオール地方の領主たちの姿が浮かぶ。彼らは領地を奪われたものの、評議会の議席はこれまで維持してきた。だが議席を確保してはいても、彼らの発言力は目に見えて低下していた。力の源泉たる領地を奪われているからだ。


 自治区構想を受け入れた場合、恐らく“自治区評議会”のようなものが設立されるだろう。仮にその議員となることができたとして、領主として治めるべき土地を失った彼らの発言力はいかほどか。さらに言えば、収入源を失うのだから、彼ら自身の生活さえどうなるか分からない。将来への不安は大きかった。


「……向こうからこの提案をもってきたのだ。これを叩き台にした上で、もう少し譲歩を引き出せるのではないか?」


 そう言う意見が出るのも当然と言えるだろう。そもそもミストルンに敗残兵を集めて五万の戦力を整えたのはそのためだ。つまり敵に攻撃を躊躇わせて交渉を選択させ、その上で譲歩を引き出す。そういう思惑があったのだ。だが連合軍の使者との交渉に当たった議員は、首を横に振ってこう答えた。


「『これ以上の譲歩は期待しないことだ』、とはっきり釘を刺されています。彼らにしてみればすぐに攻撃せず交渉を選んだことが、すでに譲歩なのです」


 ぬう、といううなり声があちこちから聞こえた。つまりこれ以上は交渉の余地なしということだ。回答も明日の夜明けまでと時間が区切られており、それを過ぎたら攻撃を開始すると宣言されている。


『戦うことを選んだ場合、ミストルンは灰燼に帰すものと思え』


 連合軍の使者はそう言って戻っていった。実際、攻撃が始まればミストルンは蹂躙されるだろう。ロストク帝国は貿易港としてのミストルンを欲しているはずだが、同時に戦争が長引くことを警戒している。ならばいっそ、全て破壊し尽くした上で再建したほうが手っ取り早い。そう言う判断なのだろう。


「しかしだ、それ自体がはったりという可能性もあるだろう。やはりここは対案を出して交渉をだな……」


「それが総攻撃を促す結果になったら、一体どうするおつもりですか!?」


 結論も出ないまま、水掛のような議論が夜遅くまで続いた。そして皆がいよいよ疲れ果てた頃、ルイスという議員が立ち上がりこう語った。


「皆さんご存じの通り、私の兄は領主として領地と領民を守ってきました。その兄もロストク軍と戦って生死不明です。そして私の故郷は奴らに奪われました。それを思えば、私は奴らに降伏などしたくありません。何とか一矢報いたい。その情念は、骨の中から私を焼き尽くさんばかりです。


 しかしそれでも、私はこう言います。降伏するべきである、と。私はこの国を愛しています。一人の王が全てを決めるのではない。皆で悩み、議論を尽くし、そして前へと進んでいく。私はそんなこの国を愛しています。


 ですが残念なことに、イブライン協商国という巨木は、今まさに切り倒されようとしています。敵は強大であり、抗う術はありません。しかしこの国の種だけは何としても守り抜かねばなりません。協商国の精神を失ってはならないのです! 自治区はそのための良い器になると考えます!


 今は雌伏の時であると思いましょう。協商国が再び立ち上がるには、長い長い時間が必要になるでしょう。私を含め、ここにいる方々はその時を迎えられないかも知れません。ですが心は残ります。そしていつか芽吹くのです。時代が協商国に、いいえ、我々に追いつくのを、今は待とうではありませんか!」


 最初、パラパラと聞こえるだけだった拍手は、徐々に大きくなってやがて割れんばかりに響いた。こうしてイブライン協商国は自治区構想を受け入れて降伏する道を選んだのである。


 降伏に応える旨を告げる使者は、翌日の朝日が昇るまえに送られた。これを受けて、特にロストク軍とイスパルタ軍の幕僚たちはホッと旨を撫で下ろす。ランヴィーア軍の幕僚たちも、どこか感慨深げだった。ともかくこれで、永きにわたった戦争も終わるのだ。


 イブライン協商国の降伏が決まったことで、話は戦後処理へと移った。自治区の宗主権がイスパルタ朝に帰属することも三カ国の間で確認されている。それから少し後の話になるが、自治区以外の協商国領については、ランヴィーア王国がニオール地方を含む二四州を得、ロストク帝国が残りの三一州を得ることになった。


 両国とも悲願の貿易港を確保しており、おおよそ満足のいく結果になったと言える。そして三カ国の国土は次のようになった。


 イスパルタ朝 一二九州(このうち二三州は自治区)

 ロストク帝国 一一九州

 ランヴィーア王国 八五州


 三カ国とも、十分すぎるほどの大国であると言っていい。さらに三カ国がそれぞれ貿易港を得たことで、今後三カ国の経済的な繋がりはより一層強まると予想される。いや、むしろ強めていくことが約束された。


 さらにクワルドは評議会と交渉して、自治区の取り扱いについて話し合った。そのなかで決まった条件は、おおよそ以下の通りである。


 一つ、自治区の宗主権はイスパルタ朝に帰属するものとする。

 一つ、自治区の外交権はイスパルタ朝に委託される。

 一つ、自治区にはまず暫定評議会が置かれる。

 一つ、暫定評議会のメンバーはイブライン協商国評議会が決定する。

 一つ、暫定評議会は自治区の自治形態を定め、これを国王に報告しなければならない。

 一つ、イスパルタ朝は暫定評議会の決定を最大限尊重する。

 一つ、自治区の自治形態が定まるまでは、イスパルタ軍が占領地の統治を行う。

 一つ、自治区が保有できる戦力は、合計で七〇〇〇を上限とする。

 一つ、自治区は国王に対し、毎年金貨五〇〇〇枚を納めなければならない。


 自治区をどのように運営していくのかに関しては、協商国側におおよそフリーハンドが許されたと言っていい。高度な自治を約束した以上、ジノーファにあれこれと口出しをする気はなく、クワルドもその意向を汲んでいた。それで内政に関してはほぼ独立国並みの裁量が認められることになり、自治区の扱いもそれに準じることになる。


 ただその一方で、戦力については上限を定めた。協商国は傭兵を雇って戦力を整えることを常としている。金さえあれば一万でも二万でも雇えるのが傭兵だ。さすがにそれは危険だろうという判断だった。


 貢納金の条項を定めたのも、半分はそれが理由だった。つまり経済的な負担を負わせることで、軍備に回す予算を減らそうと言うのだ。さらに貢納金を定めれば、それによって宗主権を分かりやすく行使することができる。それがもう半分の理由だった。


 一方、戦力の制限はともかく、貢納金の条項は協商国側にとって面白いものではない。だが彼らはそれを呑んだ。一つには、貢納金を拒絶した結果、何かしらの税を課されては堪らないと思ったのだ。


 そして一度税を課されれば、新たな税を課されたり、税率を上げられたりする可能性が高くなる。自治区が豊かになればなるほど、絞り取ろうとするだろう。それよりは一定額の貢納金の方がマシ、という判断だった。


 それに、毎年金貨五〇〇〇枚というのは、決して法外に高いわけではない。戦力を制限された以上、軍事費はそれほど高くならないだろう。自治区には貿易港があり、さらに今後はイスパルタ朝、ロストク帝国、ランヴィーア王国とも取引ができるようになる。十分すぎるほどの稼ぎを期待できるはずだ。


 また、ガーレルラーン二世が十七州のルルグンス法国に課した貢納金が、同じく年に金貨五〇〇〇枚だった。自治区は二三州だから、一州当りの負担はより少ない。それを考えても常識的な範疇に収まる要求だった、と言って良い。


 これらの交渉が終わると、イスパルタ軍は特にすることがない。それでジェラルドの許可を得てから、クワルドは軍を撤収させた。なおこのとき、撤収に必要な分以外の兵糧はロストク軍のために残していくことになった。


「クワルド元帥、戦いを早期に収める事ができたのは、卿らの働きによるところが大きい。イスパルタ朝の協力に感謝する」


「いえ。これまでロストク帝国からは多大な援助をいただきました。その返礼とお考えいただければ幸いに存じます」


「うむ。父上にもそのように申し上げておく。ジノーファ陛下にも、よろしくお伝えしてくれ」


「ははっ。必ずやお伝えいたします」


 最後にそう言葉を交わして、イスパルタ軍は帰還の途についた。ただし全軍が本国へ帰還したわけではない。およそ一万の部隊が、自治区となるはずの占領地に残った。暫定評議会が自治形態を定めるまでの間、占領地の統治を行うためである。


 より正確に言うと、暫定評議会の決定がジノーファに報告され、彼がそれを確認してから駐留部隊に撤収命令を出す、という流れになる。いずれにしても、そう長い期間にはならないだろうと予想された。


 少し後の話になる。自治区は正式に「イブライン自治区」と呼ばれることになり、自治形態は基本的に協商国のそれを踏襲することになった。つまり自治区評議会を設置して協議を行い、自治を行っていくという形になったのだ。なじみ深く、そのため移行の際の混乱が少ない方法が選ばれたと言っていい。


 事前の取り決め通り、イスパルタ朝はこの決定を承認。駐留部隊に撤退命令を出した。ただ、この少し後にイスパルタ朝は自治評議会に常駐議員を置くことを要求。それによって自治区への干渉を強めようとした。


 もっとも、常駐議員については自治評議会の反発が強く断念。代わりに、自治区には総領事館を置くことになった。以後、この総領事館は自治区に睨みを利かせるだけでなく、旧協商国領内における情報収集の拠点ともなり、イスパルタ朝にとって重要な働きをしていくことになる。


 さて、クルシェヒルに帰還すると、クワルドはジノーファに諸々の報告を行った。報告を聞き終えると、ジノーファは満足げな笑みを浮かべて一つ頷く。そしてクワルドにこう言葉をかけた。


「クワルド元帥、良くやってくれた。此度の結果、全て満足だ」


「ははっ。恐悦至極に存じます」


 クワルドがそう応えて頭を垂れると、ジノーファはもう一度満足げに頷いた。実際、イスパルタ軍の戦果は上々である。戦争の長期化を回避し、ロストク帝国に借りを返し、自治区になるとは言え二三州もの新たな国土を手に入れた。さらに損害はあってないようなもの。目的は全て達したと言って良く、むしろ出来すぎな結果だ。


 加えて、外からこの結果を見た場合、イスパルタ朝はそれほど利益を得ていないように見えるのも重要だ。むしろ今回の遠征に限れば持ち出しの方が多く、自治区構想の提案も含めて「イスパルタ朝はロストク帝国のために骨を折った」と見えるだろう。


 そしてそのおかげで、ロストク帝国は帝位継承を含めたタイムスケジュールを、順調に消化していく目途が立った。貸しを作ったとは言わないが、両国の友好関係は今後より強固に発展していくだろう。版図はイスパルタ朝の方が大きくなったが、しかし自治区を除けばロストク帝国の方が大きい。帝国の自尊心も満たされるはずだ。


 これにより、イスパルタ朝周辺の情勢はかなりの程度落ち着いたと言っていい。東側にはロストク帝国が位置し、西側にはルルグンス法国がある。両国とも友好関係にあり、さらに経済的な結びつきも強い。よほどのことがない限り、その関係が破綻することはないだろう。つまり今後、隣国から侵略される可能性がほぼなくなったのだ。


 無論、だからといって武器の手入れを疎かにすることは許されない。イスパルタ朝は北に魔の森を抱えているからだ。そして魔の森の大部分は依然として活性化した状態にあり、これを沈静化する目途は立っていない。むしろ今後、状況は徐々に悪くなっていくものと思われている。


 しかしながら、だからといってイスパルタ朝が危機感を覚えているわけではない。誘引作戦によってモンスターを間引き、さらに防衛線近くのダンジョンを攻略することで、防衛線維持の目途は立っているからだ。


 それどころか、ジノーファは魔の森を利用することで中央集権化を進めている。分かりやすい敵の存在は、むしろ彼にとって有用だった。


 ジノーファの治世中、アンタルヤ王国は大いに勢力を伸長させた。八一州であった版図は一二九州まで拡大。さらに貴族たちの兵権を制限しつつ、近衛軍の増強と常備軍化を進めた。


 さらに諸々の政策によって、主に天領を中心にめざましい経済発展を実現する。すると天領周辺の貴族たちは、独立主義を貫いて内にこもっているわけにはいかなくなる。取り残されまいと動いた結果、経済的な相互依存度は高まった。


 兵権を制限されたことと合わせ、中央集権化が強まったのだ。これまでアンタルヤ王国の王家とは、すなわちアンタルヤ大同盟の盟主であり、ようするに国内の貴族のまとめ役だった。しかしジノーファの時代に、王家はまことに王家となった。その権威は一段も二段も高まったのである。


 歴史家の中には、イスパルタ朝とそれ以前のアンタルヤ王国は別物である、と考える者も多い。国土が劇的に広がり、さらにその後の歴史がその範囲の中で進展していくことも、そう考えられる要因の一つだろう。つまり「アンタルヤ王国」という名称が指す範囲が広がったのだ。


 それでかの国については、「大アンタルヤ王国」と呼ばれることがある。それに倣えば、正式名称は「大アンタルヤ王国イスパルタ朝」となるだろうか。ともかくイブライン自治区の登場をもって、大アンタルヤ王国の時代は始まった。


ユスフ「大アンタルヤ王国に合わせて、大王でも名乗られますか?」

ジノーファ「ヤダよ、恥ずかしい」

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― 新着の感想 ―
[一言] 魔の森って開拓 というか「薙ぎ払えっ!!」って伐採できるのかな? どっちにしろ トレントキングがご存命なのか否か 知っておく必要があるよね
[一言] 情勢が安定してきましたね。これからまだ一波乱あるんだろうか。
[良い点] 終わりが見えてきている、、、? 次を楽しみにしています。
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