短期決戦のために2
クワルド率いるイスパルタ軍五万は、国境近くのイブライン協商国の国土を瞬く間に切り取った。その数、実に二三州。協商国の国土が七八州だから、実に三分の一弱を切り取った格好である。そしてその中には、協商国の生命線とも言うべき、大規模な貿易港を有する港町も含まれていた。
この間、イスパルタ軍は一度も戦闘を行っていない、と言っていい。実際には小競り合いが何度かあったが、すぐに制圧したため、それらは戦闘にカウントされていない。当然、損害などあってないようなものだった。
中には門を閉ざし、なけなしの戦力をかき集めて徹底抗戦の構えを見せる街などもあったが、クワルドはそれらを全て説得で降伏させている。略奪や暴行なども起こさせず、占領は粛々と進んだ。
イスパルタ軍の圧倒的な戦力を背景に脅しをかけた、という側面は確かにある。だがそれだけではない。クワルドは戦後の展望を説いたのだ。それが比較的受け入れやすいものだったので、抗戦の覚悟を決めていた者たちも降伏に傾いたのである。
そして大統暦六四五年五月半ば。ロストク軍がアイフェルン山地を越えてから二週間が経った頃、ロストク軍、ランヴィーア軍、そしてイスパルタ軍が一堂に会した。ちなみにフレイミース率いるロストク軍二万は、この時点でジェラルド率いるロストク軍の主力に合流している。
三軍合わせて、総勢三〇万に迫ろうかという大軍である。そしてこの連合軍の中心にいるのは言うまでもなくロストク軍であり、その総司令官たる皇太子ジェラルドだ。何しろロストク軍は最も数が多い。さらに短期間の内にめざましい戦果を上げ、ついには戦争の趨勢を決定付けた。
それで主立った者たちが集まった際にはジェラルドが最も上座に座り、さらに軍議も彼が主導することになった。そのことがランヴィーア軍の面々は内心面白くないし、それがどうしても表に出る。ジェラルドの隣に座ったランヴィーア王国の王太子エリアスも、無表情を顔面に貼り付けていた。
エリアスらにしてみれば、「これまでずっと戦い続けてきたのは自分たちだ」という意識がある。これから決戦を行い、いよいよ勝利を決定付けようとしていたのに、その矢先にロストク軍が現われ敵を平らげてしまった。その意味で彼らはロストク軍に功を盗まれたとさえ感じていた。
とはいえ、彼らにも負い目がある。これほど戦争が長引いてしまったのは、彼らにとっても痛恨事だった。膠着状態に持ち込まれてだらだらと戦っていたという自覚はあり、客観的に考えてロストク帝国が苛立つのも無理はない。
加えてランヴィーア王国はロストク軍が自国の領内を通ることを許さなかった。もしもそれを許可していれば、ロストク軍はランヴィーア軍と合流した後に決戦を行っただろう。そして一緒に戦ってさえいれば、ロストク軍に武功を独り占めされることはなかった。
だが実際には、ロストク軍はアイフェルン山地を越えてきた。「イスパルタ朝を経由する南回りのルートで進攻してくるだろう」としていたランヴィーア軍の予想は外れ、彼らは時間的な猶予を失った。そして準備が整わず身動きが取れないまま、ロストク軍が次々に敵を撃破していく様子を、ただ指を咥えて見ているしかなかったのである。
総括して言えば、功を独り占めしようと画策した挙句、読み違えて横から全てをかっ攫われてしまったわけだ。自業自得、と言っていい。それで不満を隠せてはいなかったが、それを口に出すことはせず、ひとまずはこうして軍議に参加しているのだった。
さて軍議の席ではまず情報の共有とすり合わせが行われた。そしてその次に、今後どうするのかが話し合われる。その冒頭、ジェラルドはイブライン軍の動向についてこう説明した。
「現在、イブライン軍は生き残った部隊を商都ミストルンに集結させている。その数、およそ五万。徹底抗戦の構えを見せているとのことだ」
「構えだけでしょう。奴らとて、まさかこの大軍に勝てるとは思っていないはず」
ランヴィーア軍の幕僚のその言葉に、一同はそれぞれ頷いた。ロストク帝国もランヴィーア王国も、大洋に面する貿易港を得ることを悲願としている。イブライン協商国はそのことを十分に承知しており、要するにこの動きは瀬戸際外交の一環と思われた。
「では皇太子殿下、交渉を行われますか?」
「いや、ここは一戦するべきと考えますぞ。ミストルンの城壁はそれほど高くない。この大軍をもってすれば、容易く蹂躙できましょう」
「そもそも交渉など、商人どもが最も望む展開でしょう。奴らの望み通りにしてやる必要性を認めませぬ」
「左様。ここは徹底的に叩くべきと考えまする。そうして初めて、奴らの意気を挫けるのです!」
口々にそう言って強攻策を主張したのは、ランヴィーア軍の幕僚たちだった。それを見て、かえってロストク軍の幕僚たちは顔をしかめている。ロストク軍としては、ミストルンの蹂躙などしたくないのだ。
なぜならミストルンこそが、ロストク帝国の求める貿易港だからである。イブライン協商国には他にも貿易港があるが、アイフェルン山地を越えるルートを想定した場合、帝国本土に最も近い貿易港がミストルンなのだ。
それでロストク軍はミストルンの確保を第一戦略目標に掲げていた。それなのに、蹂躙などしてしまっては意味がない。廃墟になった貿易港を立て直すとして、一体どれほどの手間と費用がかかるのか。それを考えれば、軽々に攻めかかることなどできるはずもなかった。
一方でランヴィーア軍だが、彼らが狙っているのはミストルンよりも北にある別の貿易港である。そこがランヴィーア王国本土から見て一番近いのだ。それで彼らの戦略目標はまずそちらの貿易港を確保することであり、逆を言えば必ずしもミストルンを確保する必要はない。
むしろこの状況下であれば、ランヴィーア王国がミストルンを手に入れることはほぼ不可能と言っていい。ならばいっそ、別の使い方をするべきではないか? つまり見せしめである。
ミストルンに集結したという五万の敵兵。これを徹底的に叩くことで、刃向かう者がどのような結末を迎えるのか、周囲に見せつけるのである。そうすれば、ランヴィーア王国が狙っている貿易港は戦わずに降伏するだろう。また武威を見せつけることで、ランヴィーア軍の面子も保たれるというものだ。
また見せしめとは言わずとも、ランヴィーア軍としてはやはりここで五万の敵戦力を叩かねばならない理由があった。仮に交渉でミストルンを無血開城させた場合、そこに集結した敵戦力は別の場所へ移ることになるからだ。
イブライン協商国にとってまず守るべき拠点とは、すなわち貿易港である。だがミストルンより南の地域は、すでにイスパルタ軍によって占領されている。となればミストルンを離れた敵戦力は北へ向かうより他になく、つまりランヴィーア王国が狙う貿易港が協商国の最終防衛ラインとなってしまう。それは彼らにとって望ましくない展開だった。
そのような事情もあって、ランヴィーア軍の幕僚らは「敵を殲滅するべし」と声高に主張した。一方でロストク軍の面々は、前述した通り乗り気ではない。ジェラルドが内心で嘆息していると、クワルドが挙手して発言を求めた。
「クワルド元帥、何か意見があるのか?」
「はっ。イスパルタ朝として皆様に提案がございます」
「うむ。聞こう」
そう応えつつ、ジェラルドは内心で警戒を強めた。彼にとってはイスパルタ軍もまた、完全には信頼できない勢力だった。
イスパルタ軍は、ロストク軍が破竹の勢いで敵を撃破し、戦争の趨勢をほぼ決した後にイブライン協商国へと進攻した。そして瞬く間に国境際の二三州を切り取ったのである。穿った見方をすれば、ロストク軍を囮にして漁夫の利をかすめ取ったとも言えるだろう。
ただロストク軍としては、その動きを責めるに責められない。なぜならイスパルタ軍は大量の兵糧をロストク軍に提供してくれているからだ。これらの兵糧は今も続々と運び込まれており、その補給線を維持するために国境際の領地を平定しておくことはどうしても必要だったと言える。
また今後、仮に戦争が長引いてしまった場合、イスパルタ軍が確保した占領地は兵站を確保する上で重要性を増す。アイフェルン山地を越えてきた以上、ロストク軍の補給線はどうしても貧弱であり、イスパルタ軍との関係をこじらせるわけにはいかなかった。
また連合軍内部における主導権争いという問題もある。現在、連合軍内部においてはロストク軍が主導権を握っている。だがフレイミースのことも勘案に入れれば、ランヴィーア軍と決定的に決裂してしまうわけにはいかず、それで両者の発言力はほぼ拮抗していると言って良い。
そのなかでロストク軍が主導権を握ることができているのは、イスパルタ軍が明確にロストク軍寄りの姿勢を示しているからだ。仮にイスパルタ軍が中立の姿勢を取れば、主導権争いが激化して、最悪連合軍が空中分解しかねない。よってジェラルドとしては、イスパルタ軍をつなぎ止めておく必要があるのだ。
(ありがたいことはありがたいが、まったく……)
ジェラルドは内心でそう嘆息した。彼はイスパルタ朝が五万もの兵を動かすとは思っていなかったのだ。だがイスパルタ朝の支援は彼の予想以上だった。
そのおかげでロストク軍の状況は良い。しかしながらジェラルドの気分は晴れやかとは言いがたかった。もっとも、全てがイスパルタ軍のせいではないが。
さて、ジェラルドが内心で嘆息していることに気付いているのかいないのか。クワルドは立ち上がって、「提案」についてこう語り始めた。
「皆様ご存じの通り、我がイスパルタ軍は現在、二三州を確保しております。この分を『イブライン自治区』とすることを前提に、協商国に降伏を求めてはいかがかと存じます。残りの領土については、ロストク帝国とランヴィーア王国の皆様で話し合われ、分割されればよろしいでしょう」
クワルドの提案を聞き、軍議の席はざわついた。そんな中で、イスパルタ軍の面々だけが涼しい顔をしている。自治区構想はジノーファの発案であり、彼らはそれを最初から承知していたのだ。
余談になるが、多くの街々がイスパルタ軍の説得に応じて降伏したのはこのためだった。つまり自治区構想を聞かされ、それならばと思い降伏したのだ。言ってみれば占領地の二三州、ジノーファの策略で切り取ったようなものだ。
「静粛に」
そう言ってジェラルドが片手を上げると、議場は数秒してから静かになった。それを確認してから、彼は掲げた手を下げる。そして「ふむ」と呟くと、指で机を「コツコツコツッ」と叩いた。それから彼はクワルドにこう尋ねた。
「……聞きたいことは幾つかあるが、まずクワルド将軍、自治区はどこに属することになる?」
「それは無論、イスパルタ朝の宗主権をお認めいただきたい」
「まあ、当然だな。では、具体的にどのような形を想定しているのだ?」
「外交権は宗主国に委譲させた上で、高度な自治を認めることになりましょう。具体的にどうなるのかは、現時点では未定です。彼らがどのような統治機構を望むのかによって変わってきましょう。降伏の話がまとまってから、改めて協議することになろうかと思います」
その後さらにジェラルドが幾つかの質問をし、エリアスも何点か疑問を口にする。クワルドはその全てにすらすらと答えた。やがて質問が出尽くすと、議場に居並ぶ面々は、みな思案顔になっていた。
悪い案ではないな、とジェラルドは思う。自治区をエサにすれば、イブライン協商国が降伏する可能性は高い。ロストク帝国はミストルンを無傷で手に入れることができるだろう。それでこの遠征の目的は果たされる。
またランヴィーア軍が大きな武功を立てていないこの現状なら、ロストク帝国の取り分を大きくできる。文句なしの大勝利と喧伝できるだろう。悲願の貿易港を手に入れた事も含め、ジェラルドへの帝位継承はつつがなく行われることになるに違いない。
それにどう調整しても二三州の占領地はイスパルタ朝の取り分として認めざるを得ない。だが帝国国内にはそのことを不満に思う者もいるだろう。だが自治区構想を採用すれば、戦争を早期終結させると同時に、そういう不満の声も抑えられる。
(イスパルタ朝が強大化するのはもはやどうしようもない。せっかく友好を維持しているというのに、つまらぬ嫉妬で関係をこじらせ、緊張を高めるのは愚策だ)
そう考えるジェラルドの隣りで、エリアスもまた思案を巡らせていた。ロストク軍が参戦を表明してからというもの、ランヴィーア軍は良いところがない。正直なところ、ここで一つ大きな武功が欲しいの事実だ。
しかし忘れてはいけない。この戦争の目的は、第一に貿易港を手に入れること。イスパルタ軍の提案する自治区構想を採用すれば、その目的を果たすことができるだろう。またここ数年、大きな戦いをしていないので、ランヴィーア軍はほとんど損耗していない。その状態で戦争を終えられることを勘案すれば、それほど悪い案には思えなかった。
自治区以外の領地については、ロストク帝国と相談した上で分割することになる。武功がない以上、多少割を食うことになるだろう。だが現在すでに確保しているニオール地方については、ランヴィーア王国のものとできるはずだ。
ニオール地方は肥沃な穀倉地帯だ。ランヴィーア王国は砂漠が多く、そのためニオール地方を確保することも戦略目標の一つだった。むしろ国の基盤を固めると言う意味では、ニオール地方のほうが重要度は高いかも知れない。
(貿易港とニオール地方。最低限、この二つを確保できれば、さほど悪い結果ではないな……)
むしろ国内向けには十分「勝った」と言えるだろう。エリアスの王太子としての立場は盤石なものとなる。
(それに……)
ふとエリアスは口の端を歪めた。今後、ロストク帝国にはさらに国土を伸長させる余地がほぼ残されていない。さらに北へ進むことはできるが、帝国の北は寒さが厳しく、また土地も肥沃とは言いがたい。わざわざ切り取るほどの価値があるのかは微妙だ。恐らくジェラルドの治世中には、内政に力を注ぐことになるだろう。
しかしランヴィーア王国は違う。さらに東へ進む余地がある。そしてそれを行うのはエリアスが国を治める時代だ。それを思えば、ここで多少割を食ったとしても、軍の損耗を防げることには大きな意味がある。
ジェラルドとエリアスはそれぞれ目配せをした。そして互いに頷き合う。こうしてミストルンの評議会に対し、自治区構想を前提にして降伏を促すことが決まった。その結論が出たことで、クワルドは内心で安堵の息を吐いた。
(これでなんとか……)
これでなんとか、ジノーファからの命令を完遂することができそうだ。戦争はもうすぐ終わるだろう。五万の兵を動かし、さらに大量の兵糧を用意するのは確かに負担だったが、戦争が長引くよりはマシである。
ただし、まだどう転ぶかは決まっていない。協商国の評議会には様々な意見と利権を持つ者たちがいる。仮に自治区構想を蹴るようなことがあれば、その時には武力を用いざるを得ない。
それを避けるためにも、交渉には細心の注意が必要だ。また向こうへ渡す書簡の文言にも気を配らなければなるまい。軍議は夜遅くまで続いた。
エリアス「ランヴィーア軍の次の活躍にご期待下さい!」




