ロスタムと新領土
自分が新領土の総督に任じられたことに、ロスタムはまだ心のどこかで戸惑っていた。不満があるわけではない。ただなぜ自分はここにいるのかと時折ふと不思議になる。主君たるジノーファが自分の一体どこを見込んだのか、彼はそれを図りかねていたのだ。
南アンタルヤ軍と戦った際、ロスタムはジノーファと共に別働隊を率いた。そして別働隊の働きによってイスパルタ軍は勝利を得ることができた、と言って良い。そういう意味ではロスタムの武功は大きい。
だがロスタム自身はそのように捉えてはいなかった。あの戦いの折、彼はジノーファにいくつもの進言をしたが、そのほとんどが却下されている。別働隊は主にジノーファの意思によって動いていた。
それは別に、ジノーファが部下の進言に耳を貸さない主君である、という意味ではない。むしろ彼はその逆で、人の意見を喜んで聞く。ただし彼には彼なりの意見があり、それよりも勝っていると思った意見を採用しているのだ。
(要するに……)
要するに、ロスタムの進言は優れているとは認められなかったのだ。彼は自分が高く評価されているとは思えなかった。にも関わらず、彼は新領土の総督に任じられた。彼が戸惑うのも無理はない。
しかしその一方で、大きな仕事を任せられたことは嬉しくもある。それでロスタムはこの総督という仕事に、懸命に取り組んでいた。御恩を受けた分は奉公を返したいと思うし、それによって自分の能力を証明できれば、いずれは戸惑いも消えるだろう。
さて、総督としてロスタムがまず頭に置くべき事は何か。それは新領土をいつまでも「新領土」のままにしておいてはならない、ということだ。言い方を変えれば、新領土の統治を安定させ、新領土を着実にイスパルタ朝の一部としていかなければならないのである。
ロスタムがそのための障害と見なしたのは僧職者だった。新領土はもともとルルグンス法国の一部だったから、各地に寺院がありそして僧職者がいる。彼らをことさら排除する必要はないだろう。だが法王の密命を受けて彼らが蠢動するような事態は、何としても避けなければならない。
そのためにも、僧職者らには釘をさしておかなければならない。そうして「ここはもうイスパルタ朝の一部なのだ」と彼らに理解させる必要がある。ロスタムはそう考え、付け入る隙を探した。
「なんともまあ、これは……」
そうしたら出るわ出るわ。僧職者らが寄付集めと称し、強盗紛いの強引さで金を集めている実態が短期間の内に浮かび上がってきた。寄付は表向き自主的な献金となっているが、その実態は異なる。人頭税のごとく、毎年一定額を“寄付”することが求められており、さらには「予定外の出費」を賄うためとして不定期に“寄付”を求められることもある。そしてそれを断れば報復を受けるのだ。
住民を突き飛ばし、家の中に押し入って金を持っていくのは日常茶飯事。寄付をしなかった家を破門し、村八分にしてしまうのもまだ序の口だ。焼き討ちに追放、挙句の果てにはそのまま殺してしまうことさえあるという。そのために傭兵を雇い、武装までしているというのだから、はっきり言ってもう盗賊と変わらない。
民衆の方はと言うと、すっかり怯えて縮こまってしまっている。反抗しようものなら徹底的に叩き潰される。それを避けるためには、求められるままに寄付を差し出すしかない。それが彼らの、ルルグンス法国の普通だった。
これを知ったとき、ロスタムは怒るより先に呆れたものだった。これでは宗教国家というより強盗国家である。清貧を説くはずの僧職者が、誰よりも金に執着しているというのがまた笑えない。
「ともかく、イスパルタ朝の国内でこのような無法がまかり通っているなど、断じて容認できぬ」
ロスタムは早速、取り締まりを始めた。彼がまず目を付けたのは、一〇〇人ほどの傭兵を雇って武装している寺院だった。この寺院の坊主が、最近寄付の取り立ての際に人を一人殺している。実際に手を下したのは傭兵だが、その坊主が傭兵を率いる立場にあったことは間違いない。ロスタムはこれを咎めたのだ。
ロスタムはまず、坊主と傭兵の引き渡しを書面で求めた。しかし寺院側はこれを黙殺。それを見たロスタムは一〇〇〇の兵を率いて寺院を包囲した。慌てた寺院側は使者を出してロスタムに面会させ、そしてこう言わせた。
「なぜこのような野蛮な行いをして我らを弾圧しようというのですか!? 法王猊下がこのことを知られれば、ルルグンス法国とイスパルタ朝の関係にも亀裂が入りましょう。総督閣下はその責任を取れるのですか? 早々に兵を退かれるが良いでしょう」
「汝らの信仰についてとやかく言うつもりはない。だが信仰を盾に強盗紛いの取り立てをしているのを看過するわけにはいかぬ。そして犯罪者を庇い、引き渡しを拒むような不穏分子をそのままにしておくわけにもいかぬ」
冷笑を浮かべてロスタムはそう答えた。寺院側はこれを信仰に対する迫害だとして国内外の僧職者と信者を煽ろうとしている。だがロスタムは、これは犯罪の取り締まりだと答えた。犯罪者呼ばわりされ、使者の坊主は気色ばんだ。
「き、寄付は全て自発的なものです。それに寄付を集めることは法王猊下より許された我らの権利でございます!」
「いま問題になっているのは、寄付が自発的であるかどうかではない。その際に人が一人死んでいることが問題なのだ。そしてその罪人をお主らが引き渡さないことが問題なのだ。それから、この地を治めるのはイスパルタ朝の法だ。それを忘れるな!」
「わ、我らが従うのは人が定めた法ではない。女神イーシスの定めし法だ!」
「ほう。では汝らすべて法にも王にも従わぬというのだな? 返答如何によっては真に弾圧を行わねばならなくなるぞ。言葉には気をつけることだ」
使者の坊主はとうとう顔を真っ赤にした。この地がルルグンス法国の一部であったころ、国家権力は常に彼らの味方だった。カスリム前総督の時代も、国家権力が大っぴらに介入してきたことはない。それで彼らは自分たちの旧来のやり方がこれからもずっと通用すると思っていた。それで彼らはロスタムの反応が信じられなかった。
結局、話し合いは平行線で終わった。話し合いの最後にロスタムは「明日の朝までに件の坊主と傭兵を引き渡さなければ強硬手段を取る」と通告。使者は顔色を失って寺院へ戻った。だが結局、ロスタムの求める容疑者が引き渡されることはなかった。
ロスタムは通告通り寺院に攻撃を開始した。抵抗する者は斬り伏せ、寺院内の坊主どもをすべて捕縛した。制圧は昼前に終わったが、ロスタムの表情はいまだ険しい。彼にとってこれは終わりではなく始まりだった。
ロスタムはまず、捕縛した僧職者を連れて最寄りの街へ向かった。その街の広場で縛られた僧職者たちの姿を民衆にさらす。その上で彼らを逮捕した理由について民衆にこう説明した。
「これら坊主どもを逮捕したのは、彼らが女神イーシスを信仰していたからではない。彼らが殺人を犯し、さらには罪人を庇って王と法に逆らったので、私は職権を行使して彼らを逮捕したのである。
そもそも女神イーシスは殺人を非としているはず。彼らは女神イーシスの教えにも逆らったのだ。これは当然の返報である。正義は我らに有り! 女神は我らを用いてこの世に正義を成したのだ!」
民衆は歓呼してロスタムに応えた。半分以上はその場の雰囲気に流されたためだが、しかし彼らはやはり心の奥底で、信仰を盾に好き放題する僧職者たちをいとわしく思っていたのだ。それを取り締まるロスタムとイスパルタ軍は、まさに女神の代行者だった。
ロスタムは総督府に戻るまでの道中、主立った街で同様の演説を何度も行った。同時に大規模に軍を動かし、調べ上げておいた犯罪について坊主と寺院の罪を問う。新領土の寺院が連携して動き出す前に先手を打った格好だった。
さて総督府に戻ると、ロスタムは捕らえた者たちの裁判を行った。容疑は殺人罪だけではない。容疑者を引き渡さなかったことで、彼らは王と法に逆らったのだ。裁判の焦点はむしろそちらがメインだった。
「被告ら全員を国外追放処分とする」
それがロスタムの下した判決だった。本来ではあれば極刑も免れないところだが、さすがに殺してしまうとルルグンス法国との関係が決定的に悪化しかねない。それを避けるための政治的配慮もあり、国外追放という処分になった。
裁判が終わるとロスタムはさらに手を打った。判決内容を新領土全体に知らしめたのだ。さらに寺院を調べたことで発覚した僧職者らの悪行の数々を暴露する。その一方で目立った瑕疵がなく、それどころか民衆から尊敬されているような僧職者を表彰したりして、これが迫害ではないことをアピールした。
さらにこの頃だった。クルシェヒルのジノーファからロスタムへ指示が届いたのだ。その指示とは「新領土の税率を本国と平等にし、さらに負わせ高を廃止すること」である。この指示にはロスタムの内心で驚かされた。
「北アンタルヤ王国との戦を控えておられるというのに、税収が減っても構わないと仰せなのか……!」
ジノーファはそれほどまでに民のことを思いやっているのだ。ロスタムはそう感じた。加えて、彼はこれをまたとない好機と捉えた。
税が減れば民衆は喜ぶ。ロスタムはそこへ今行っている僧職者の取り締まりを絡めたのだ。「イスパルタ朝の王と法は民衆の側に立つ。一部の僧職者の横暴な振る舞いは許さない。ルルグンス法国にいた頃よりも生活は良くなる」。そのことを彼は大々的に喧伝した。
この宣伝工作は成果を上げたと言っていい。新領土の民衆にとって、僧職者というのは逆らいがたい存在だった。「法王と僧職者は正義で有り、彼らに逆らう者は悪である」。そういう価値観が染みついているのだ。
だが今、実際に彼らの生活を守り、あえぐほどだった負担を軽くしているのは総督のロスタムであり、それをさせたのはイスパルタ朝の国王たるジノーファだ。一方で僧職者らは相も変わらず寄付をせびり、時にはそれ以上のモノさえ奪っていく。僧職者を正義とするその根拠が揺らいだのである。
「それにしても……」
それにしても、高い税率と負わせ高まで背負わされ、その上さらに寄付をゆすり取られる。ルルグンス法国の民に課された実質的な税率とは一体どれほどになるのか。ロスタムは気になり、部下に調査を命じた。
調査結果は驚くべきものだった。多少のばらつきはあれど、なんとおよそ七割から八割を絞り取られているという。さらに聞くところによると、数年前に法国が六万の大軍を催した時には、この負担が九割近くにまで上ったのだそうだ。
到底、人が生きていけるものとは思えない。「民草と油は絞るほど出る」などとも言うが、法国の指導部や僧職者らはまさにそのように考えていたのではないだろうか。この少し後に隠されていた農地の申告が相次ぐのだが、その時もロスタムは驚くより先に納得してしまった。確かに秘密の農地でもなければ、生きていくことさえ難しかっただろう。
ロスタムの胸にはふつふつと義憤が湧くようになった。なぜここまで民衆を食い物にしなければならないのか。同時に「新領土を法国に返してやるわけにはいかぬ」と改めて思う。イスパルタ朝の方が暮らしやすいのだ。ならばこのままずっとイスパルタ朝の一部でいればいい。
そういう想いも重なり、ロスタムは僧職者の取り締まりに邁進した。ただし迫害と見られるような真似はしない。イスパルタ軍が取り締まるのはあくまで犯罪者なのだ。それを徹底させた。
同時に行われていた宣伝工作の成果も重なり、民衆の意識は徐々に変わっていった。これまでは僧職者の暴虐な行いに、彼らは耐えるしかなかった。しかし今や、強力なイスパルタ軍が守ってくれるのだ。不満が一気に噴出し、告発が相次いだ。
そう言った告発に対し、ロスタムは丁寧に対応した。これまで好き放題にやっていた僧職者たちはたちまち追い込まれていく。彼らは自分たちが嫌われていたことを思い知らされた。
嫌われていただけではない。憎まれていたとさえ言っていい。イスパルタ軍は僧職者らへの暴行も許さなかったので彼らが私刑にあうことはなかったが、しかし寄付収入は大幅に減った。彼らはたちまち困窮し、維持できなくなった寺院は解散され、そういう寺院にいた僧職者の多くはルルグンス法国へ落ち延びた。
「お願いします、総督閣下。このままでは我らは飢えて死んでしまいます。どうか総督府より心ばかりの寄付を……!」
中には総督府を頼る僧職者らもいた。恐らくは今までも同じようにしてきたのだろう。苦しくなるたびに法王か枢機卿、あるいは彼らに近い人物を頼っていたに違いない。そして彼らは国が自分たちを助けてくれるのが当たり前だと思っていた。しかしロスタムの返答は冷ややかだった。
「飢えて死にたくないのであれば働けば良い。むしろ、同じ女神を信じる信徒の多くはそうしているではないか」
「わ、我々は信徒を教えるのが仕事でございます。ですが最近は寄付が少なく……。何卒援助を……。さすれば女神イーシスの祝福がありましょう」
「寄付が集まらぬというのは、お主らが民衆に必要とされていないということだ。そもそもなぜお主たちは飢えている。お主たちに女神の祝福はないのか?」
「め、女神の祝福を否定なさるか!?」
「いや、女神の祝福を否定するつもりはない。だがお主たちがいま窮乏しているのは、女神イーシスもまたお前たちを見限ったからではないのか。人たる私を頼る前に、まずは女神に懺悔してはどうなのだ」
そう言ってロスタムは僧職者らを追い返した。彼らが女神イーシスに懺悔したのかは分からない。だが汗を流して働くことはしなかった。彼らのプライドがそれを許さなかったのだ。結局、彼らの行く先はルルグンス法国しかなかった。
こうして新領土の寺院と僧職者は大きく数を減らした。ロスタムは信仰を否定しなかったが、王と法に逆らうことは決して許さないという姿勢を明確に示したのである。同時に治安を維持する者として、総督とイスパルタ軍は民衆の支持を得た。結果としてルルグンス法国の影響力は弱まり、イスパルタ朝の支配が強まったと言っていい。
この動きに慌てたのは法都ヴァルガンの法王と枢機卿たちだった。彼らとしては奪われた国土を取り戻したいと思っている。だが多数の僧職者が排除されたことで、その宿願は遠のいてしまったと言っていい。
「いつまで指を咥えて見ているつもりじゃ!? 早う何とかせい!」
枢密院の会議で、法王ヌルルハーク四世はそうわめいた。だが何とかしろと言われても、何ともしようがないので今まで動けずにいたのだ。三人の枢機卿たちは何とか法王を宥めようとしたが、しかしヌルルハーク四世は頑として説得されなかった。
それで使節団を組織し、交渉をすることになった。だがヌルルハーク四世の望む結果が出る可能性はほとんどない。誰も責任者になりたがらず、最終的に一人の枢機卿が貧乏くじを引かされた。名を、ブルハーヌという。
ブルハーヌ枢機卿を団長とする使節団は、まず新領土の総督たるロスタムのもとへ行った。そして言葉を濁しながら、三つの要求を述べる。それは以下のようなものだった。
一つ、新領土をルルグンス法国に返還すること。
二つ、貢納金を廃止すること。
三つ、僧職者の取り締まりを止め、彼らを保護すること。
それに対してロスタムは次のように答えた。
「新領土の返還と貢納金の廃止は、陛下がお決めになることで自分にそれを決める権限はない。クルシェヒルへ赴き、直接陛下に申し上げるがよろしい。また我々が取り締まっているのは王と法に従わぬ犯罪者であり、決して僧職者を狙い撃ちにしているわけではない。内政問題であり、口出しは無用に願いたい」
まったくその通りの言い分で、ブルハーヌは引き下がるしかなかった。しかしこのままルルグンス法国へ帰るわけにもいかない。ジノーファへ直談判するべく、彼はクルシェヒルへ赴いた。
しかしこの頃、ジノーファはクルシェヒルにいなかった。リゼ城で魔の森を沈静化するための作戦の指揮を取っていたのである。それでスレイマンが対応したのだが、彼の返答はおおよそロスタムと同じになった。
「なんでしたら、リゼ城まで行かれてはどうですかな?」
スレイマンはそう提案したが、ブルハーヌは顔を青くして激しく首を横に振った。魔の森とはモンスターが跋扈する地獄であると聞く。そのような場所には近づくことさえ厭われた。
こうしてブルハーヌはジノーファが帰還するまでクルシェヒルに留まることになった。そしてこの間に新領土でまた新たな動きがあった。新領土の民衆が使節団のことを聞き、彼らの目的が新領土の返還であることを知ったのだ。
再び法国の民となれば、生活がまた苦しくなるの目に見えている。僧職者らからも手ひどい仕返しがあるに違いない。彼らは次々に総督府へ嘆願書を送った。法国へ戻りたくないという内容の嘆願書である。そしてロスタムはその嘆願書をクルシェヒルへ送った。そしてジノーファはその嘆願書を読んでから、ブルハーヌら使節団と謁見したのである。
ロスタム「大掃除をせねばならぬ!」
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と言うわけで。
今回はここまでです。続きは気長にお待ち下さい。