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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
大アンタルヤ王国
202/364

父よ、王よ


 ジノーファがクルシェヒルに入った時、そこには約二万二〇〇〇の南アンタルヤ軍が駐留していた。つまり戦に負けたにもかからず、ガーレルラーン二世は二万近いの兵を掌握してクルシェヒルに帰還したことになる。その統率能力たるや大したもの、と言うべきだろう。


 もっとも、これはジノーファが厳しい追撃を行わなかったから、とも言える。後ろから敵が迫ってくる状況であれば、末端の兵士ほど戦列を離れてそのまま逃走してしまうだろう。そうなればクルシェヒルに帰還する兵の数はもっと少なかったに違いない。


 さて、クルシェヒル駐留していた南アンタルヤ軍の掌握は、思いのほかスムーズに進んだ。彼らはガーレルラーン二世が負傷したことを知っている。一部ではもう戦に出ることは出来ないという噂まで流れていて、兵士たちは戦々恐々としていたのだ。


 そこへ、イスパルタ軍が現われた。まともに戦えるのかとさえ危ぶまれていたが、結果的に戦闘は起こらず、南アンタルヤ軍の将兵は胸をなで下ろした。ジノーファはガーレルラーン二世に勝った。そのジノーファと戦うことを、彼らは恐れたのである。


 そもそも、ジノーファはアンタルヤ王国の王太子だったのだ。そのことを覚えている者は、軍の内部でも少なくない。まして彼はガーレルラーン二世から玉璽を譲られた。ならばその命令に従うのは当然のことではないか。そう考える者も多かったであろう。


 その時点で、南アンタルヤ軍の将兵はジノーファを認め、受け入れたと言っていい。南アンタルヤ軍はそのままイスパルタ軍に組み込まれた。こうしてジノーファは三万五〇〇〇以上の戦力を持つに至ったのである。


 それだけの戦力を掌握したことで、ジノーファの心にも幾分余裕が生まれたに違いない。これだけの戦力があれば、どの貴族が謀反を起こしてもひとまず対処は可能だ。何なら、さらに徴兵を行っても良い。少なくとも戦力面での不安はかなり減った。


 加えて、布告を出してから貴族や代官らが挨拶に来るまで、まだ時間がある。クルシェヒルの様子も、実際に戦火に見舞われたわけではないので落ち着いている。それでジノーファはいよいよガーレルラーン二世に会うことにした。


 ガーレルラーン二世に会うことは、ジノーファにとって少なからず覚悟を必要とした。クルシェヒルに入ってからこれまで、ずっと仕事に勤しんできたのはそちらのほうが優先順位が高かったからだが、同時にその覚悟を固めるための時間を必要としていたからでもある。


 もちろん今となっては、ジノーファのほうが圧倒的に優位な立場にいる。だが精神的な立ち位置というのは、幼少時代にすり込まれたものが尾を引く。要するに、ジノーファはまだガーレルラーン二世が怖かったのだ。どれだけ状況が変わり、立場が変わろうとも、心の奥底にあるそれはなかなか消えてくれない。


 さて、そのガーレルラーン二世の容態だが、相変わらず芳しくない。先日も高熱を発し、意識の混濁が見られたと、ジノーファは報告を受けている。傷はすでに塞がっているはずなのだが、快方へ向かう兆しはない。


『ガーレルラーン陛下は、ずっと無理をなさっておれらましたから……』


 悔恨の情を滲ませつつそう話したのは、侍従長だった。アンタルヤ王国が三つに分裂して以来、彼はガーレルラーン二世をずっと傍で支えてきた。その彼が言うのだから、間違いなく激務だったのだろう。重ねてきた無理が、いまガーレルラーン二世の命を蝕んでいるのだ。


 かつて父と呼んだ男が、そして今もまだ父以外にどう呼べば良いのか分からない男が、遠からず死を迎えようとしている。ジノーファの内心は複雑だった。そしてそういう自分の内心に、彼自身が驚いていた。


 過去は振り捨てたはずだった。しかしどうやらそれは、上辺だけのものだったらしい。いや、もしかしたらこれは必然なのかもしれない。記憶を捨てるわけにはいかず、かつていた場所に今またいるのだから。


「……ジノーファ陛下。ガーレルラーン陛下がお会いになられます」


 ガーレルラーン二世の容態を見に行かせた侍従長が、ジノーファの執務室に戻ってきて彼にそう告げる。ジノーファは一つ頷くと立ち上がった。そして侍従長に案内されてガーレルラーン二世の寝室へと向かう。


 実のところ、ジノーファがガーレルラーン二世の寝室へ赴くのは、これが初めてだ。ジノーファが王太子であったころ、ガーレルラーン二世が彼を呼び出す際には、執務室か謁見の間に呼び出すのが常だった。


 要するに、寝室に招かれるほど親しくなかったということだ。実の親子ですらなかったのだから、当然と言えば当然だろう。それが今、戦場で殺し合いをした末に、こうして彼の寝室へと向かっている。その状況に、ジノーファは心の中で苦笑した。


 ジノーファがガーレルラーン二世の寝室の前まで来ると、看病をしている侍従の一人が彼に来客を告げる。少し待つと、中から「入れ」と声がした。ややかすれた声だった。ジノーファはそのことに、自分でも訳の分からない困惑を覚えつつ、言われたように室内へ入った。


 ガーレルラーン二世の寝室は薄暗かった。窓のカーテンは閉じられている。薬湯なのか、それとも塗り薬なのか、独特の匂いが漂っていて、ジノーファはわずかに顔をしかめる。病人の部屋だ、と彼は思った。


 ここが病人の部屋ならば、ベッドに横たわる部屋の主はやはり病人だった。ジノーファは横になったままのガーレルラーン二世の姿を見て、内心でおののいた。「万年雪を冠する巨大な山脈のようだ」と思ったかつての姿は、もはや面影を残すばかり。生気を失った彼の姿に、ジノーファは朽ちゆく大木の姿を見た気がした。


「父上。お聞きしたいことがあり、まかり越しました」


「愚か者よ。未だに余を父と呼ぶのか。……まあ良い。余に手傷を負わせた褒美だ。答えてやろうではないか。ただし一つだけだ」


 口元に薄く笑みを浮かべ、ガーレルラーン二世がそう応えた。彼の声には、顔色以上に生気があり、ジノーファは内心で「おや」と思った。あるいは死の淵にあってようやく、己の思うように生きているのかも知れない。彼はそう思ったが、すぐに詮無きことと思い直す。そしてこう尋ねた。


「では父上。父上は結局、何を考えておられたのですか?」


 ジノーファがそう問うと、ガーレルラーン二世は鼻白んだ様子だった。彼はきっと、ジノーファが自分の出生の秘密について尋ねると思っていたのだろう。だがジノーファが尋ねたのは別のことだった。それが面白くないのかも知れない。とはいえ、「答える」と言った以上は答えなければならない。それで彼はやや憮然としながらこう答えた。


「中央集権化だ」


 つまり貴族の力を弱め、王家の力を強める。国内の統制を強め、王の意向を国の隅々にまで行き渡らせる。それは歴史的に貴族の力が強いとされてきたアンタルヤ王国において、王家の悲願であった。


 国王であったガーレルラーン二世がそれを志向するのは、何らおかしなことではない。同じく玉座についたジノーファも、今後治世を重ねていく中で基本的に同じ方向へ進むだろう。


 というより王という立場になった以上、それ以外の道はないと言っていい。ただアンタルヤ王家は、例えばロストク皇家などと比べ、力が弱かった。その分、中央集権化への想いは強い。それだけのことだ。


 もっとも、ジノーファもこうしてガーレルラーン二世から直接聞くまで、彼が中央集権化を強く志向していることは確信できなかった。彼はそれを、これまで巧みに隠してきたのだ。内心を読ませず、何か途方もないことを考えているのではないかと深読みさせ、余人の目を欺き続けてきた。


 それ自体がある意味、途方もないことだ。少なくともジノーファには真似できそうにない。だが今、真実は明らかになった。ガーレルラーン二世もまた、歴代のアンタルヤ王たちと何ら変わらない。それを知り、ジノーファはやや呆れたようにこう言った。


「なるほど……。しかしなんともまあ、言葉にしてみると面白みのない」


「真実など、いつの世も得てしてそのようなものだ。勝手に期待し、勝手に振り回され、そして勝手に失望する。世に愚か者のいかに多いことか、はっきり分かるというものだ」


 ガーレルラーン二世の言葉に、ジノーファは一つ頷いた。真実という言葉の響きに、人々は重大な何かを期待する。期待は膨らみ続け、人々は踊らされる。だが実態のない期待は泡と同じ。たちまちはじけて、後に残るのは面白くもない事実だけ。ガーレルラーン二世が浮かべていた嘲笑は、そういう意味だったのかも知れない。


 ジノーファはふと、心が軽くなったような気がした。ガーレルラーン二世という人間のことが、全てではないにしろ理解できたと思ったからだ。これでもう、彼の影に怯えることはないだろう。


「胸の内をお聞かせいただき、ありがとうございました。これにて失礼いたします。もはやお目にかかることもないでしょう」


「……お前は、出生の秘密を聞きたかったのではないのか?」


 退室しようとするジノーファの背中に、ガーレルラーン二世がそう問い掛ける。ジノーファは彼に背を向けたままこう答えた。


「今更そんなことを知って何になりましょうか。真実など、明らかになってみればつまらないもの。わたしの出生もまた同じでしょう」


「…………」


「ならばいっそ、謎のままにしておきます」


「謎のまま終わる謎はない、とも言うぞ」


「いずれ明らかになるとして、それが今である必要もないでしょう」


 それだけ言い残し、ジノーファは今度こそガーレルラーン二世の寝室を辞した。後ろで扉を閉じてから、彼はその場にしばらく佇む。思えば、ガーレルラーン二世とまともに会話したのは、これが初めてだった。そして、これで最後だ。


 寂しくはない。だが清々しさよりはやるせなさが残った。もっと語り合うことができれば、違う結末を迎えることができたのだろうか。そう考え、ジノーファは小さくため息を吐いて頭を振った。


 一方のガーレルラーン二世は、ジノーファが閉じた扉をじっと見つめていた。そしてしばらくしてから、枕の上で首を動かし視線を天井に向ける。短い会話だったが、彼は少々疲れた様子だった。彼は目を閉じると、こう呟いた。


「生意気に、なったものだ……」


 その声は、どこか満足げに響いた。だがそれが他の者の耳に届くことはなかった。


 その三日後、前アンタルヤ王国国王ガーレルラーン二世は崩御した。国葬が行われ、喪主はジノーファが務めた。



 □ ■ □ ■



 三つの布告が出されて、およそ二週間が経過した。報告によれば、北方での戦闘はすでに停止しており、現在は小康状態を保っている。断続的に続いていた攻撃が全てなくなり、イスファードはかえってシュルナック城で警戒を強めている。どうやら南アンタルヤ王国の貴族たちの動きを、全面攻勢の兆しと受け取ったらしい。


 それならばそれで、ジノーファとしては構わない。イスファードが動かないでいてくれれば、彼はその間に足場を固めることができる。現在、何よりも必要なのは時間だ。正直、北アンタルヤ王国のことにまで手が回らないというのが、ジノーファの実情だった。


 さてこの頃になると、貴族や代官たちが布告に従って、新王への新年の挨拶へ訪れるようになっていた。ジノーファは彼らを和やかに出迎え挨拶を受ける。そして約束通り、人質を連れて帰ることを許した。


 この対応を見て、挨拶に来た者たちはひとまず胸をなで下ろした。無論、彼らとてジノーファの対応が社交辞令的なものであることは理解している。だが例え社交辞令であっても、友好的に接してもらえれば安心できる。


 その上、人質も返してもらえるという。つまりガーレルラーン二世が強めた締め付けを、ジノーファは緩めてくれるというのだ。そうであれば、現時点でわざわざ叛旗を翻す必要はない。多くの者たちがそのように考え、そしてそれはジノーファの見込み通りだった。


 さて、締め付けを緩めるというジノーファの姿勢は、特に貴族たちにとってつけ込みやすい隙であるように思えた。そもそも彼は見た目からして、ガーレルラーン二世と比べると迫力に欠ける。彼が聖痕持ちであることは貴族たちも承知していたが、それよりも王太子であったころの繊弱で自信なさげな姿の方が、貴族たちの印象に強く残っていた。


 また(南)アンタルヤ王国はそれ自体で、イスパルタ王国の二倍近い版図を誇る。ジノーファが突如して背負うことになった広大な版図の統治に苦慮していることは容易に想像でき、そのために自分たち(貴族たち)の協力を強く必要としているに違いない。そうであるならこの機会に得るものを得ておくべきであろう。彼らはそう考えた。


 ある日、クルシェヒルに来ていた貴族たちは、集団でジノーファのもとへ押しかけた。事前に約束を取り付けてのことではない。ジノーファは予定していなかったこの来客に少し驚いたものの、彼らを謁見の間で出迎えた。


 謁見の間に集まった貴族は全部で三十名を超える。無論、その全てが当主であったわけではない。しかしこうして謁見の間に来るくらいであるから、全員がそれなりの実力者であることは確かだ。


「それで、今日は一体何の用だろうか?」


 玉座に座ると、ジノーファは貴族たちにそう尋ねた。すると彼らの中の一人、最もジノーファに近い位置に片膝を付いていた者がこう答えた。


「はっ。今日は陛下に言上つかまつりたき義があり、こうして想いを同じくする者たちと共にまかり越した次第でございます。何分火急のことであり、陛下におかれましては驚かれた事と存じますが、これも全て国を想えばのこと。どうかお聞き届けくださいますよう、伏してお願い申し上げます」


 貴族たちを代表してそう話したのは、ヨズガト侯爵だった。彼はクルシェヒルから見て南西方向に領地を持つ貴族で、この場に集まった者たちの中では最も爵位が高い。


 ヨズガト侯爵の領地は東の国境から、つまりイスパルタ王国からは遠く離れている。それで今回の戦争では、直接遠征軍と敵対することはなかった。その一方で彼の領地は海に面しており、それを利用してイスパルタ王国とも交易を行っている。


 つまりヨズガト侯爵に限って言えば、イスパルタ王国とそれなりに友好的な関係を築いてきたのだ。そのため今回の布告に対しても、真っ先に当主自身が挨拶に来ていた。そういうわけであるから、この場では侯爵が代表者として話すことになったらしい。


「うむ。許す、申せ」


「陛下は慈悲深くも、我々に人質をお返し下さりました。陛下にはもはや、人質を取るおつもりはないものと存じます」


「そうだ。わたしは再び卿らから人質を取るつもりはない」


 ジノーファがそう応えると、ヨズガト侯爵はぱっと表情を明るくして笑みを浮かべた。良くできた作り笑顔だった。そして笑顔を貼り付けたまま、ヨズガト侯爵は滑らかにこう言葉を続けた。


「おお、まことにありがたきことに存じます。しかしながらそうであれば、もはや人質の成文法は必要ないのではないでしょうか? 陛下におかれましては、どうかこの悪法を速やかに破棄し、撤回なさいますように。さすれば臣下臣民の全ては改めて陛下に忠誠を誓い、国の(もとい)は確固としたものとなりましょう。なにとぞ、ご決断のほどを……」


 そう言ってヨズガト侯爵が慇懃に頭を下げる。彼の言葉や態度は殊勝だったが、口元には小さな笑みが浮かんでいて、そこには確かに嘲りや蔑みが混じっていた。


 彼らは要するにジノーファのことを軽く見ているのだ。自分たちの要求を拒否することは出来ないと高をくくっている。ジノーファは当然、そのことに気付いていた。しかし彼は怒りを堪えるでもなく、ただ静かに「ふむ」と呟いた。



ジノーファ(いつか、謎が謎でなくなる日は来るのだろうか?)

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― 新着の感想 ―
なんとなーくだけど、本当に親子だったんじゃないか(と書きたい)と感じる回。血縁であれ駒の一つとは思う非情さも持ちつつ、成長を願い谷に突き落とす期待とをガーレルラーンは持ってたのかな?
[気になる点] 以前の箇所でも気になっていたのですが、万年雪というのは常にそこにあり続けるものなので「万年雪の残る」という表現はちょっとおかしいかな? と思います。 また、字面の点でも「万年雪を頂く」…
[一言] 玉座にいるのは哀れな子ウサギじゃなくて、若き龍か獅子なんだよな…。
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