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一角の双剣


 工房モルガノに注文した双剣が仕上がるまでの間、ジノーファとシェリーは主に中層を中心にダンジョンの攻略を行った。例の水場で水を汲みつつ、周辺を探索して下層への足がかりを掴むのだ。


 もちろん、ダンジョンの階層は看板を立てて区別しているわけではない。どこまでが中層でどこからが下層なのか、明確には分からない。ただ何となく、マナが濃くなっているのは分かる。


「この辺りが、境目だと思う」


「分かるのですか?」


「何となくだけど、空気が、ね」


 生憎と、シェリーにその感覚は分からない。ただ、そのような感覚を持つ人がたまにいることは彼女も知っている。実際、後日その辺りで手に入れた魔石を計測してみたところ、確かに下層の近くだった。ジノーファの感覚は正しかったのだ。


(それにしては……)


 それにしては、上層と中層の境目ではそんなことは言わなかったはず、とシェリーは思い返す。そして彼女ははたと気付いた。おそらくそこではまだマナが薄すぎたのだ。ジノーファにとっては上層も中層もさほど変わらないに違いない。


 中層と言えば、直轄軍の精鋭たちがダンジョン攻略の主戦場としている場所。攻略を生業としている者たちにとっても、「ここで危なげなく戦えれば一人前」と言われている場所だ。つまり一般的に言って、十分すぎるほど危険な場所である。


 それを上層と変わらないと言われては、彼等の立つ瀬がないだろう。だがこれまで一緒に攻略をしてきたシェリーからすると、それがジノーファの本音なのだろうと納得できてしまう。


 実際、彼がこれまでに聖痕(スティグマ)を使って本気を出したのは、エリアボスと戦ったときだけだ。アンタルヤ王国にいたころも下層か、あるいは深層を主戦場にして攻略を行っていたに違いない。それも、一人で。


(わたしは、ついて行けるでしょうか……)


 シェリーはふと不安になった。これまで下層に行ったことがないわけではない。ただ彼女も、攻略の主戦場は中層だった。深層にいたっては足を踏み入れたこともない。ジノーファの足を引っ張らないか、心配だった。


(いえ、足は決して引っ張らないと誓ったはずです)


 シェリーは毅然と頭を上げた。ジノーファの一助となること。それが彼女のささやかな願いである。それなのに足手まといになるなど、彼女の専属メイドとしてのプライドが許さない。階層に対して実力が足りないのであれば、実力の方を合わせるまでだ。彼女は今一度、そう心に決めた。


 さて、約束の十日後、ジノーファはシェリーを連れて工房モルガノへ向かった。二人が店内に入ると、店番をしていた娘さんがすぐに気付き、奥へ店主を呼びに行く。出てきた店主は、前回とは異なり慇懃な態度だった。


「お待ちしておりました、ジノーファ様」


「どう、したのだ、店主殿?」


聖痕(スティグマ)持ちのジノーファ様とはつゆ知らず、先日は大変失礼な態度を……」


 そう言って店主は頭を下げた。それを見てジノーファは苦笑を浮かべる。どうやら店主はあの後、ジノーファの正体を知ったらしい。


「頭を上げてくれ、店主殿。今のわたしは、そうたいした身の上でもないのだから」


「いえ、そういうわけにはいきません」


 店主は思いのほか頑なだった。ただ、店主は決してジノーファの勘気を恐れているわけではない。彼がそういう人間ではない事は、先日の様子を見ていれば分かる。だからこそ店主は、あの時彼を侮るような態度を取ってしまったことを悔やんでいた。


 スタンピードに端を発するジノーファの逸話は、帝都ガルガンドーの市民の間にも広く流布されている。そのなかで、彼が聖痕(スティグマ)持ちであることもまた知れ渡っていた。


聖痕(スティグマ)持ちだからといって偉いわけでもないだろうに……)


 ジノーファとしてはそう思わざるを得ない。しかし聖痕(スティグマ)持ちであるということは、炎帝ダンダリオン一世に匹敵する武人であるということ。その武人が自分の作った武器を使うというのだ。店主にとっては非常に名誉なことだった。


 とはいえ、そう畏まられるのもジノーファにとって嬉しいことではない。それで彼は苦笑を浮かべながらこう言った。


「店主殿、楽にして欲しい。気楽な身の上になったせいか、堅苦しくされると逃げ出したくなってしまうのだ」


「それは、困ってしまいますなぁ……」


 本当に困った様子で、店主は苦笑を浮かべた。しかしながらその様子はずいぶんと和らいでいる。冗談めかして話すジノーファにつられてしまったのだ。それに店主としてもここでジノーファに逃げ出されては困ってしまう。言われたとおり、堅苦しい態度は多少崩すことにした。ジノーファも嬉しそうに頷く。そして彼は本題に入った。


「それで、頼んでおいた双剣を受け取りに来たのだが……」


「すでに、仕上がっています。木札をもらえますか?」


 ジノーファが木札を渡すと、店主は番号を確認してから一組の双剣をカウンターの上に置いた。店主に促され、ジノーファは双剣の具合を確認する。鞘から抜いていると、真っ直ぐな刀身は両刃で切っ先に向かって滑らかな曲線を描いていた。その刃が鋭い事は一目瞭然で、サイズも注文通りだ。


 店主の説明によると、ダンジョンの下層でドロップしたモンスターの一角を使っているという。その一角を魔石で熱して不純物を取り除き、インゴット状にしてから剣として鍛えたのだ。


「レアメタルの類は、混ぜていないのか?」


「一角だけで十分な量のインゴットができたので、嵩増しはしていません。そのおかげで、非常に鋭い刃となっています。ただ反面、多少脆くもあります。注意して使ってください」


 店主の言葉にジノーファは笑顔で頷く。そして双剣の代金の残りである銀貨一〇〇枚を支払った。その銀子を受け取るさい、店主は彼にこう申し出た。


「よければ、そちらの双剣も砥がせてもらえませんか?」


 そう言って店主が指差したのは、ジノーファが腰に吊るした双剣である。彼が小さく首をかしげると、店主はさらにこう続けた。


「この前見てから、少し気になっていました。サービスしておきますんで、いかがですか?」


「手入れなら、自分でしているけれど?」


「失礼ながら、職人の目から見ると、粗が残っていますな」


 店主の言葉にジノーファは苦笑した。彼の言葉には本職としての自信が浮かんでいる。ジノーファは先ほど見た一角の双剣の見事な刀身を思い出し、一つ頷いてから腰の剣帯から双剣を鞘ごと外して店主に渡した。店主はそれを恭しく受け取ると、「少し待っていてください」と言って奥の作業場へ向かった。


 店主が戻ってくるまでの間、ジノーファとシェリーは店内の商品をのんびりと眺めていた。あれこれと意見を言い合う二人は楽しそうだが、シュナイダー辺りが見たら「男と女なんだから、もっと色っぽい話をしろ」とでも言ったかもしれない。けれども武器屋にいるのだから武器の話をするのが彼らにとっては自然だった。


「そういえば、シェリーはこの新しい双剣、どう思う?」


「正直に申し上げて、これほどのものができるとは思っていませんでした。これなら下層といわず深層でも通用するのではないでしょうか?」


 シェリーの評価を聞いて、ジノーファは嬉しそうに一つ頷いた。そして「わたしもそう思う」と応えると、双剣の鯉口を切ってまたその刃を眺める。目を輝かせる彼の様子を、シェリーは微笑ましく見守った。


 いくらダンジョンの下層で使うものとはいえ、双剣一組に銀貨一六〇枚は高い。シェリーは最初、そう思っていた。ジノーファに抑えられたのでその場では口に出さなかったが、双剣の出来栄え次第ではこの武器屋を使うのは止めるよう進言するつもりだったくらいだ。


 しかし店主が鍛えた双剣は素晴らしい出来栄えだった。あるいはジノーファが聖痕(スティグマ)持ちであることに気付いてから、慌てて本気を出したのかもしれない。いずれにしてもこれほどの腕があるのなら、工房モルガノを贔屓にするのに何の問題もないだろう。


(ジノーファ様は、すでにそのつもりのようですしね)


 ジノーファは双剣の出来栄えだけでなく、店主のことも気に入ったに違いない。シェリーはそう見ている。このことは次の報告に含めるべきだろう。もしかしたらダンダリオンがお忍びで来店することになるかもしれないが、それはそれである。ガムエルがついていれば問題はないだろう。


 やがて砥ぎを終えた店主が奥の作業場から戻ってきた。手渡された双剣を鞘から抜き、ジノーファは歓声を上げる。その刀身は美しく磨き上げられ、新品同様になっていた。


「すごい。自分でやっても、こうはならない」


「これでも本職ですからな。素人に同じ仕事をされては、立つ瀬がない」


 そう言って苦笑を浮かべる店主に、ジノーファも楽しげに笑って応じた。こんなに違うなら、これからは定期的に砥いでもらった方がいいかもしれない。そう思いながらジノーファは剣を鞘に戻した。


「世話になった、店主殿」


「またのお越しをお待ちしております」


 店主はそう言って慇懃に頭を下げる。それを見てジノーファは肩をすくめ、そして足早に逃げ出した。



 □ ■ □ ■



 ある日の晩、ダンダリオンは長男のジェラルドと酒を飲んでいた。ジェラルドは今年で二六歳になる。すでに嫡子も生まれており、摂政として辣腕を振るっている。ダンダリオンにとって、頼りになる息子だ。その息子が、酒を飲みながらポツリとこう呟いた。


「……正直、少々意外でした」


「ん? 何がだ」


「ジノーファ殿のことです。気に入ったようでしたので、もっと露骨に抱き込むのかと思っていました」


 それを聞いてダンダリオンはニヤリと笑みを浮かべた。そしてグラスを傾け琥珀色の蒸留酒を喉に流し込む。氷だけになったグラスに、彼はまた同じ酒を注いだ。それからジェラルドにこう尋ねる。


「アイツのことは嫌いか?」


「嫌いではありません。……ですが、好きになれそうにも、ありません」


 少し辛そうにしながら、ジェラルドはそう告白した。そんな息子を、ダンダリオンは優しげな眼差しで見つめる。そして「よく言った」と言わんばかりに小さく頷いた。


 国民は優れた指導者を望むものだ。その点、ダンダリオンは最高の皇帝と言っていい。行政において大きな失敗はなく、戦場では無敗。そして聖痕(スティグマ)を持つ。人の上に立ち、人心をひきつける要素を数多く持っている。


 ジェラルドにとって、炎帝ダンダリオン一世は偉大すぎる父だった。行政能力だけなら比肩は可能だろう。しかし武人としての能力は、決して追いつくことができない。彼はもう、成長限界に達しているのだ。


 ダンダリオンの後継者であること。それはジェラルドにとって呪いだった。皇帝として至高の座に座ったその日から、彼は先帝ダンダリオン一世と比べられ続けるのだ。


 聖痕(スティグマ)が欲しい。何度そう思ったか分からない。しかし願うと同時にジェラルドは諦めてもいた。その点、彼は理性的で、ダンダリオンもそれを評価している。しかしいくら理性的であっても、ジェラルドは突然現れたもう一人の聖痕(スティグマ)持ちに心を乱されずにはいられなかった。


「まあ、無理に好きになる必要もあるまい。余にも嫌いな者はいる。だが個人的な好みで評価を歪めてはならんぞ」


「分かっています」


 ジェラルドは少々乱暴にそう応え、グラスの中の酒を呷った。ダンダリオンは小さく笑うと、そんな彼のグラスに琥珀色の酒を注いでやる。ジェラルドは礼を言ってからグラスを両手で包むように持ち、少しうな垂れ気味になってこう語った。


「ジノーファ殿の働きは大きい。それは、確かです」


 ジェラルドの言うジノーファの働きとは、スタンピードに関わるあれこれのことではない。最近彼が行っている、ダンジョンからの取水依頼のことだ。


 ジノーファのおかげで、直轄軍は中層の水を潤沢に得られるようになった。それは水薬(ポーション)の生産量アップに繋がっている。直轄軍では現在、ポーションの備蓄を十分に確保できていた。


 それだけではない。いささか生産過剰気味になったポーションは市場に流され、ダンジョン攻略を生業とする者たちがそれを購入している。攻略での死傷者が減ることで効率が上がり、魔石やドロップアイテムなどの資源がより多く供給されるようになり、帝都の経済活動は活発になっていく。そういういい循環が、わずかながらも生まれ始めている。


 ただ、いかに聖痕(スティグマ)持ちとはいえ、一人でできる事など限られている。ジェラルドの考える最大の成果は、実のところポーションに関わる事柄ではなかった。取水依頼を通じてシャドーホールという、収納魔法の利便性を広く知らしめたこと。その意識改革こそが、ジノーファの働きの最大の成果であると、ジェラルドは考えていた。


「兵士たちの間でも、シャドーホールのような収納魔法を習得しようとする者が出始めています」


「よほど取水任務が嫌だったと見えるな」


「それだけではないでしょう。要するに、収納魔法の利点というものに、多くの者が気付いたのです」


 パーティーの中に一人でも収納魔法を使えるものがいれば、メンバーは余計な荷物を持たずに済む。身軽な状態であれば戦いやすく、そして戦いやすければ死傷率は下がる。また今までは足を踏み入れられなかったような場所も、探索できるようになるだろう。なにより、一度に持ち帰ることのできる資源量が増える。このメリットは国家の視点から見ても、無視できるものではない。


「収納魔法を覚えた兵士は優遇するつもりです。また魔道具で収納魔法を再現できないか研究させるため、現在予算案を作成させています」


「任せる」


 ダンダリオンは満足そうにただ一言そう応えた。無論、何もかもうまくいくとはダンダリオンもジェラルドも思ってはいない。最初は失敗続きだろう。しかしそれでも、やる価値がある。二人はそう考えていた。


「……そういえばジノーファだが、報告によればそろそろ下層へ踏み込むそうだぞ」


「それはそれは……。ではまた水を汲んできてもらいましょう」


「『下層の水を使ってお茶を淹れ、ドロップ肉の煮込み料理を食べるのが楽しみです』と書き添えてあったな。実に羨ましい」


 ジェラルドは咄嗟にダンダリオンを諌めることができなかった。彼自身、羨ましいと思ってしまったからだ。思わず生唾を飲み込んでしまった。


「……よし。下層の水が手に入ったら同じ事をするぞ。宮殿のシェフは一流揃い。奴らよりもうまいものを食ってやる」


「陛下、水はあくまでもポーションのためのものであって……!」


「どうせ他の素材が足りん」


 ダンダリオンはそう言い切った。ポーションには幾つかの等級がある。下層の水を使ってポーションを作ればその分いい物ができるのだが、反面ほかの素材も下層のものを使う必要があり、それを集めるのもまた一苦労だった。


 となれば、水が余るのは目に見えている。そして水は長期間保存できるようなものではない。悪くなってしまえば捨てるしかなく、であればお茶や料理に有効活用しても何ら問題はないだろう。


「それとも、お前はいらんのか、ん?」


「……いえ、ご相伴に預からせていただきます」


 そう言ってジェラルドも欲望に屈した。少々バツの悪そうな顔をする息子を見て、ダンダリオンは愉快そうに笑うのだった。


シェリーの一言報告書「いい武器屋、見つけました」

ダンダリオン「詳しく」

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[一言] 水が余るなら酒を仕込んでみては?
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