スタンピード2
「ブォォオオオオオオ!」
「ギィ、ギギィ! ギィギィ!」
「グルゥアアアアアア!」
獰猛な雄叫びを上げながら、モンスターが襲い掛かってくる。モンスターの目は、どれも敵意と暴気で染め上げられている。ただただ暴れる化け物どもと、アンタルヤ軍の兵士たちは急造の防衛陣地に篭って戦う。
その光景をジノーファは比較的冷静に眺めていた。彼はこれが初陣だし、スタンピードに立ち向かうのもこれが初めてだ。だがモンスターと戦うのは初めてではない。そういう意味では、むしろ人間相手の戦いより気は楽だった。
(小型のモンスターが多い……)
戦場を眺めていたジノーファは、ふとそのことに気がついた。ここで言う小型とは、つまり人間と比べて小さいという意味だ。同様に人間と同程度であれば中型、人間より大きければ大型、という分類が大雑把になされている。
そしてジノーファが見た限り、このスタンピードは小型のモンスターが比較的多い。彼はこのモンスターの大群をロストク軍と同程度の数、つまり一万五〇〇〇程度と見積もっていたが、実際にはもっと多いのかもしれない。
ただ、それはそう悪いことでもない。この防衛陣地はもともと人間を想定して造られている。人よりも小さい小型のモンスターには十分有効だ。今まさに四足のモンスターが兵士に向かって飛び掛り、しかし柵を飛び越えられず逆に槍に突かれている。一万五〇〇〇を超えるモンスターを、たった一〇〇〇のアンタルヤ軍はなんとか防いでいた。
ただ、小型のモンスターが多いからといって、大型のモンスターが含まれていないわけではない。三メートルを超える背丈で、分厚い筋肉と出っ張った腹を持つ、青い肌をした単眼の巨人。サイクロプスと呼ばれるモンスターが、まるで木をそのまま引き抜いたかのような巨大な棍棒を手に、アンタルヤ軍の防衛陣地へと迫る。
矢が集中して射掛けられるが、サイクロプスは止まらない。巨大な棍棒を振り上げ、柵を後ろにいる兵士たちごと薙ぎ払う。この巨人を相手に、急造の防衛陣地はあまりにも脆すぎた。しかしだからと言って、やられるのをただ見ているわけにはいかない。
「フ……ッ!」
鋭く息を吐きながら、ジノーファは槍を投擲した。その槍はサイクロプスの胸の真ん中に突き刺さり、そのまま貫通して後ろにいた別のモンスターを地面に縫い止める。恐るべき膂力だ。小柄な彼の、少女と見間違うほどの細腕から繰り出されたとは、とても思えない。
「穴を塞げ! モンスターを中に入れるな!」
サイクロプスが倒れると、すかさずクワルドが指示を出す。その指示に従って、盾と槍を構えた兵士たちが、サイクロプスの空けた穴を塞いだ。しかし大型のモンスターはあのサイクロプス一体だけではない。
ジノーファは次の槍を手に取ると、また同じように投擲した。狙うのは大型のモンスター。ここに兵士は一〇〇〇名しかいないが、しかし幸いなことに武器はそれ以上にある。邪魔になるからと本隊が放棄していった分があるのだ。ジノーファはそれらの武器を次々と投擲して大型のモンスターを減らした。
緑の肌と豚の顔を持つ巨人はその顔を吹き飛ばし、巨大な蜘蛛のモンスターに対しては大きく開けたその口の中へ槍を放り込んだ。岩石の身体を持つゴーレムの場合、その身体を貫く事はできなかったが、しかし強烈な一撃で体勢を崩し、後ろへ反っくり返らせて他のモンスターもろとも丘のふもとへ叩き落した。
そうやって奮戦しても、しかしそれは所詮個人の武勇。戦局全体の趨勢を引っくり返すには至らない。アンタルヤ軍の兵士たちは良く戦い多くのモンスターを倒しているが、しかし同時に一〇〇人以上がすでに倒れそして喰われている。彼らは徐々に追い詰められていた。
それを見て、ジノーファは槍の投擲を止めた。そして傍らの地面に突き刺しておいた、別の槍を手に取る。その槍は穂先から石突にいたるまで鋼鉄でできていた。ガーレルラーンと一緒に撤退中のある将軍から借り受けた、特別製の槍だ。その槍を構えて、ジノーファは飛び出した。
「はあああああ!」
鋭く跳躍して槍を真っ直ぐに突き出し、ジノーファは角を持つ巨人の胸を貫いた。そして巨人が後ろに倒れこむのと同時に槍を引き抜き、身体を回転させつつ力任せに振り回して辺りを薙ぎ払う。そうやって周囲にいた小型及び中型のモンスターを一掃すると、ジノーファはさらに突撃して槍を振るった。
ジノーファが借り受けた槍は総鋼鉄製であるから、当然重い。しかしその重い槍を、彼はまるで小枝のように振り回す。そして振り回す速度が同じであれば、重量が重い方がぶつけたときの威力は増す。
黒い狼のモンスターの頭を潰し、骸骨になっても動く兵士の背骨を砕き、中身がないくせに動く鎧をバラバラにして吹き飛ばす。ジノーファのその戦いぶりは、アンタルヤ軍の兵士たちを鼓舞せずにはいなかった。
「王太子殿下に続けぇ!」
「おおおおおおお!」
鬨の声が上がり、大地を振るわせた。その士気の高さが、数的な不利をかろうじて補っている。とはいえどれだけ士気が高かろうとも、人間は戦い続ければその分だけ疲れるのだ。そして疲れ果てれば、意志の力だけでは戦えない。つまり彼らが追い詰められているその状況は、少しも変わってはいなかった。
一人、また一人と、アンタルヤの兵士たちが倒れていく。ある者は両腕を失いながらそれでもモンスターに噛み付いて道連れにし、またある者は腸を食い千切られるのを無視してモンスターを突き殺す。そこで行われているのは戦争ではなく生存競争だった。
(まだ、なのか……!?)
ジノーファの近くでまた一人、若い兵士が倒れた。しかしそれでも彼は槍を振るい続ける。彼にできる事はそれしかなかった。そして彼が一体何匹目かも分からないモンスターを倒したとき、ついに戦局が動いた。ロストク軍の再編が完了したのである。
ロストク軍は二手に分かれ、それぞれモンスターの大群の側面へ回り込んだ。そしてそのまま左右に展開し、モンスターの大群を三方から囲んでしまう。いわゆる半包囲陣形だ。そして最後の一方にはアンタルヤ軍がいるため、つまりモンスターの大群は完全に包囲されてしまったことになる。実に鮮やかな手並みだった。
(ダンダリオン陛下は約定を守られた……!)
ジノーファは会心の笑みを浮かべた。疲れ果てていた身体に、また力が湧いてくる。彼はこう声を張り上げて味方を鼓舞した。
「ここからは殲滅戦だ! 化け物どもに、アンタルヤの国土をわずかばかりも穢させるな!」
「おおおおおおお!」
再び鬨の声が上がった。終わりの見えなかった戦いに、しかし終わりが見え始めたのだ。兵士たちの士気はさらに上がった。
モンスターたちの攻勢は明らかに鈍っていた。言うまでもなく、ロストク軍が参戦したためだ。包囲され追い立てられたモンスターたちは中心へと集まる。そこへ大量の矢が銀色の雨のように降りそそいだ。
押し合い圧し合い、小型のモンスターなどは大型のモンスターに潰されてしまっている。個々のモンスターの動きが鈍り、それが波及するように全体の動きも鈍くなる。その時、満を持してロストク軍の誇る騎兵隊が突撃した。
少し高い位置で戦っていたので、ジノーファからもその様子は良く見えた。彼の目はその先頭を往く、黒い馬に乗った一人の騎士に釘付けになる。彼は燃えるような赤い髪を持ち、顔には好戦的で獰猛な笑みを浮かべていた。彼こそがロストク帝国皇帝ダンダリオン一世、炎帝の異名を持つ男だ。
モンスターの大群に突撃したロストク軍の騎兵隊は、最初に敵集団を大きく切り裂いた後、さらに数百騎程度の集団に分かれてモンスターを蹂躙していく。モンスターは瞬く間にその数を減らしていった。
そして夕暮れが近づき、空が赤く染まり始めた頃、ついにロストク軍が最後のモンスターを討伐した。それを見て、もうずいぶん前から見ているだけだったアンタルヤ軍の兵士たちにも安堵が広がる。彼らは絶望的な戦いを生き残り、そして祖国を守ったのだ。
歓声を上げるアンタルヤ軍の前で、ロストク軍は静かに、そして整然と戦闘隊列を組み直していく。彼らの矛先が向かうのは、言うまでもなくアンタルヤ軍の防御陣地だ。それを見てアンタルヤ兵たちは静まり返った。モンスターは倒されて共闘は終わり、ロストク軍は敵に戻ったのだ。
それを悟ってアンタルヤ兵たちが悲壮な顔をする中、しかしロストク軍はすぐには仕掛けてこなかった。そしてその陣中からただ一騎が現れて前に進み出る。黒い馬に乗るその騎士は、燃えるような赤い髪をしていた。
「アンタルヤ王国王太子ジノーファ、及びその麾下の者どもに告げる。余はロストク帝国皇帝ダンダリオン一世である」
ダンダリオンが堂々と名乗りを上げる。力のある、良く響く声だ。ジノーファを含め、アンタルヤ兵たちは固唾を飲んでその言葉に聞き入った。
「まずは我が国の領内で発生したスタンピードに際し、貴軍の取った賢明な判断と勇気ある行動に敬意と感謝の意を表する。そなた達は我が身を省みず、国を超え、人類のために戦った。その献身と功績は必ずや歴史に語り継がれるであろう!」
ダンダリオンがそう語ると、ロストク軍の将兵は皆いっせいに足を踏み鳴らした。その迫力にアンタルヤ軍は圧倒される。そしてダンダリオンが手を掲げると、足を踏み鳴らす音はぴたりと止んだ。
「しかしながら、貴軍が我が国土と人民を脅かした侵略者であることは変わらず、余はこれを打ち払わなければならない。よって余はそなたらに対し、降服を勧告する。余は必ずやそなたらを厚く遇するであろう!」
返答やいかに!? とダンダリオンは声を張り上げた。一体どうするのかとジノーファに兵士たちの縋るような視線が集中する。彼は一歩進み出るとこう答えた。
「ダンダリオン陛下、わたしはアンタルヤ王国王太子ジノーファです。ロストク軍の噂に違わぬ精強さ、まことにお見事でありました。ですがご存知のように、スタンピードの災害はこれで終わったわけではありません」
ジノーファの言うとおりだった。スタンピードはダンジョンからモンスターがあふれ出してくる現象だが、一度スタンピードを起こしたダンジョンは何もしないでいるなら、比較的短期間の内に再びスタンピードを起こすことが知られていた。
「次も我が軍がお助けできるとは限りませぬ。それで、陛下におかれましては、軍を率いてダンジョンの攻略に向かわれるのがよろしいと存じます。決して背中を襲うような真似はいたしませぬゆえ、どうぞご安心ください」
ジノーファのそのぬけぬけとした返答に、しかしダンダリオンは怒ることなくただ苦笑を浮かべた。なるほど確かに彼にとっては、目の前の疲れきった寡兵よりも、いつまたスタンピードを起こすか分からないダンジョンの方が重要である。しかしだからといって、自国内にいる敵軍をそのままにしておくわけにはいかないのだ。それで、彼の返答は決まっていた。
「もう一度言う。降服せよ。しからざれば攻撃する!」
ダンダリオンはそう宣言する。ジノーファは短く目を瞑り、それから鋭い視線を彼に向けた。そして一歩退いて立つクワルドにこう告げる。
「クワルド、後は手はず通りに」
「王太子殿下……!」
「生き残った兵たちを、故郷に返してやって欲しい。頼んだぞ」
そういい残すと、ジノーファは駆け出した。姿勢を低くし、四肢に力を漲らせて彼は走る。借り受けた槍はすでに折れて、いや砕けてしまった。彼は走りながら腰の後ろにつるしてある双剣を引き抜きそして構える。
単身で突っ込んでくるジノーファを見て、ダンダリオンは「ほう」と呟き面白がるような笑みを浮かべた。そして腰間の剣を抜いて馬上で構える。大きく跳躍して斬りかかってくるジノーファの双剣を、ダンダリオンは自らの剣で防いだ。
「くっ」
硬い手応えにジノーファはわずかに顔を歪ませる。しかし彼の本当の狙いはこの後だ。彼は不安定な体勢のまま身体を捻って足を振り上げる。彼が狙うのはダンダリオン、ではなく彼が跨る黒い馬。その馬の顔面を、ジノーファは思いっきり蹴り飛ばした。
「ヒィィイイイイン!?」
馬は嘶きをあげて暴れた。いくら訓練を受けた軍馬とはいえ、所詮は畜生。顔を蹴られれば身をよじって暴れるのは当然だ。ダンダリオンも手綱を引いて鎮めようとしたが、しかし途中で諦め彼は軽やかに暴れる馬の背から降りた。
「やってくれたな……!」
ダンダリオンは好戦的な笑みを浮かべた。それを見てジノーファが背中に冷や汗を流す中、ダンダリオンは剣を正面に構える。そして彼がすっと目を細めると、ジノーファがかつて体験したことのないプレッシャーが放たれた。
「ぐ……っ」
身体を強張らせつつ、しかしジノーファは双剣を構えて何とか退かずに耐えた。それを見てダンダリオンはにやりと獰猛に笑う。そんな彼の顔に、赤く輝くまるで炎のような紋様が浮かび上がった。
「聖痕……!」
ジノーファは慄きながらそう呟いた。聖痕。それは人を超えた証である。そしてダンダリオンの異名炎帝の由来でもある。もしも彼の赤い髪が異名の由来なら、彼は赤帝と呼ばれていただろう。
ごくり、とジノーファは唾を飲み込んだ。馬上の優位を潰したとはいえ、それだけでは勝てないことなど分かりきっている。しかしだからと言って退くわけにはいかない。彼の奮闘には文字通り兵士たちの生命と自由がかかっているのだ。
「はああああああ!」
ジノーファは叫んだ。自分を鼓舞するためだ。再びダンダリオンのプレッシャーに呑まれてしまう前に地面を蹴って前に出る。そしてそのままがむしゃらに切りかかった。
一度動き出したら、そこから先は無心だった。神経と五感が研ぎ澄まされる。風切りの音さえ置き去りにして、ジノーファは双剣を振るった。しかしダンダリオンには届かない。彼はジノーファの刃を滑らかな足捌きで避け、あるいは巧みな剣捌きで防ぐ。刃と刃がかみ合うたびに火花が散った。
それでもジノーファは攻め続けた。もちろんダンダリオンも受けるばかりではない。むしろジノーファに倍して攻撃を繰り出してくる。しかしジノーファは退かない。紙一重の見切りを続け、彼は攻撃の手を緩めなかった。技は冴え、剣筋は鋭い。並みの兵士では、いやロストクの精兵でさえ、彼には太刀打ちできないだろう。
二人の戦いは徐々に熱を帯びていった。その熱気は当人たちが発するものではない。周囲の観客が醸し出すものである。
ジノーファもダンダリオンも最初から本気だったが、しかし見守るロストク兵たちは聖痕を持つダンダリオンが圧倒してすぐに終わると思っていたのだ。それが意外にも、ジノーファは互角の戦いを演じている。彼らは前のめりになり、固唾を飲んでその戦いを見守った。
日が徐々に翳っていく。大きく弾き飛ばされて、ジノーファはダンダリオンから距離を取った。着地すると脚が身体を支えられず、彼は思わず膝をつく。今更ながら、彼は自分が汗まみれであることに気付いた。どれだけ荒い息をしても、呼吸が楽にならない。
「もう、よかろう。降服せよ」
ダンダリオンが改めてそう言った。多少大きく息をして入るものの、彼はまだちゃんと二本の足で立っている。一方のジノーファは、足が震えて立つことすらままならない。どちらが優勢なのかは明らかだ。
「……っ」
「そなたはよく戦った。誇るがいい。そなたはこの炎帝と互角に戦ったのだ。ここで剣を手放したからと言って、誰がそなたを責めようか」
ダンダリオンは朗々とそう語る。確かに彼の言うとおりだろう。固唾を飲んで見守っていたロストク兵たちも、内心でその言葉に頷いていた。
ジノーファは視線だけ動かして沈みかけた太陽を確認する。もう少しだけ、時間をかせぐ必要がある。そのためには立ち上がらなければならない。彼は剣の柄尻で震える足を痛打した。
「……っ!」
痛みに耐えながら、ジノーファは立ち上がる。そして背筋を伸ばし、再び双剣を構えた。それを見てダンダリオンは目を見開く。そしてジノーファに応えるようにして、彼もまた剣を構えた。
二人は静かに睨みあう。先ほどまでの激しい剣戟が嘘のようだ。緊張が高まる中、ついに太陽が遠くの山陰にその身を隠す。その瞬間、ジノーファが動いた。彼は弾かれたようにかけだし、一気に間合いを詰める。ダンダリオンは剣を水平に構え直し、ゆったりとした動きから鋭い突きを繰り出して彼を迎え撃った。
まるで雷のように繰り出された剣を、ジノーファはわずかに首を動かして避ける。そのまま速度を落すことなく前に進もうとして、彼は咄嗟に身を屈めた。ダンダリオンが突きから素早く剣を横に振るったのだ。
二人の視線が上下に擦れて火花を散らす。次の瞬間、ダンダリオンの蹴りがジノーファを下から襲った。ジノーファはとっさに腕を交差させて防御したが、疲労が溜まっているせいもあって踏ん張りが足りない。体重の軽い彼は簡単に体勢を崩した。
その隙をダンダリオンは見逃さない。彼は迷うことなく剣を手放すと、一歩踏み込みジノーファのみぞおちに当身を叩き込む。
「かっ……?」
ジノーファの手から双剣が滑り落ちる。そして彼はそのまま意識を失った。