遠征 -決着-
ジノーファとガーレルラーン二世。両軍の大将が、いや両国の国王がついに激突した。二人は互いに馬上で槍を振るい、馬を激しくぶつけ合う。体格はガーレルラーン二世の方が有利なはずなのだが、ジノーファは少しも当り負けしていない。
「おおおおおお!!」
「はあああああ!!」
二人は馬を巧みに操りながら、何度も槍をぶつけ合う。そうしている内に、ガーレルラーン二世はやりにくさを覚えた。妙に不自由さを感じるのだ。そして馬を操るジノーファの姿を見て気付く。
彼は右手で手綱を握っていた。つまり左手で槍を振るっている。だがガーレルラーン二世は右手で槍を使っている。二人とも騎乗している以上、槍を自由に振るえるのは持っている手の側だけ。それがやりにくさに繋がっているのだ。
つまり二人がすれ違うとき、ジノーファがガーレルラーン二世の左側を通ると、ジノーファと彼の槍の位置が、馬を挟んで反対側になる。これが不自由さを感じる原因だった。一方でジノーファは槍を自由に振るうことができ、有利に戦いを進めることができるわけだ。
実際、ガーレルラーン二世は押し込まれていた。そもそもこの状態では、槍の届く範囲が異なる。彼の方がどうしても短くなるのだ。ほんの数十センチの差だが、ジノーファはその見極めが正確だった。
それなら、ガーレルラーン二世がジノーファの右側に回り込めれば、同じ要領で彼が有利になる。だがそれもなかなか出来ない。ジノーファの馬術が特別巧みだから、というわけではない。確かに彼の馬術は巧みだったが、それならガーレルラーン二世とて勝るとも劣らない。
「……っ」
疎ましげにガーレルラーン二世は舌打ちを漏らす。目障りなのは、ジノーファを援護する存在だ。亜麻色の髪をした男で、歳はジノーファと同じくらい。周囲の騎兵たちと装備が違うので、恐らく騎士ではないのだろう。ジノーファの従者かなにかかと思われた。
その男が、弓を使ってジノーファを援護しているのだ。脅威はそれほど感じないが、しかし疎ましい。いざ有利な位置を取ろうと思うと、彼が弓を放ってきて、それを払うと逆に有利な位置を取られている。その繰り返しだ。
それならばと思い、ガーレルラーン二世が先に彼を始末しようと思うと、彼はスルスルと味方の騎兵たちの間に紛れてしまう。これを追って仕留めようとすると、ジノーファに背中を向けることになる。下手をすれば、もう一人の聖痕持ちの相手までしなければならなくなるだろう。
そもそもガーレルラーン二世の狙う獲物はジノーファ一人なのだ。うるさい小バエを払うのにかまけて本命の獲物を逃がしたとあっては、元も子もない。それで彼は少々強引にやることにした。
またジノーファが馬を駆って距離を詰めてくる。このまま行けば、また左側を取られるだろう。ガーレルラーン二世はタイミングを見極め、馬の手綱を強く引いた。
「ヒヒィィィィィインン!」
ガーレルラーン二世の騎乗している馬が、いななきと共に前足を大きく振り上げ、後ろ足だけで立ち上がる。さらに彼は手綱を操り、馬の身体を左側にずらして前足を下ろさせた。するとジノーファの馬と彼の馬の進む方向が、すれ違うのではなく交差する格好になる。
別の言い方をすれば、ガーレルラーン二世の右腕とジノーファの左腕が、同じ方角にある格好になった。これならば位置取りの条件は互角。いや、利き腕で槍を扱えるガーレルラーン二世の方が有利かも知れない。ジノーファが少し驚いた表情を浮かべた。
距離を見計らい、ガーレルラーン二世は槍を繰り出す。ジノーファはそれを振り払った。だがこの位置なら、一度ならず何度でも攻撃を仕掛けられる。ガーレルラーン二世は二度三度と、間髪入れずに槍を振るった。
ジノーファもまたそれに対応する。同時に、彼は手綱を引いて進路をさらに右よりに軌道修正した。左側には行けない。そうすれば無防備な右側を相手にさらすことになる。だからこそその進路を読むことは、ガーレルラーン二世にとって容易だった。
ガーレルラーン二世も手綱を引いて同じ方向へ馬を走らせる。その結果、二人は並んで馬を走らせる格好になった。右側がジノーファで、左側がガーレルラーン二世だ。互いに槍を持つ手が、相手の方を向いている。二人は馬を走らせながら、激しく槍をぶつけ合った。
ジノーファは距離を取ろうとするが、しかしガーレルラーン二世がそれを許さない。むしろ馬を寄せてくる。馬と馬がぶつかり合うような距離では二人とも槍を満足に振るうこともできず、腕と腕をぶつけて力比べをするような格好になった。
「ぬうううううう!!」
「ぐぅぅぅぅぅう!!」
力比べに押し勝ったのは、なんとガーレルラーン二世の方だった。確かに彼の方が体格は大きいし、腕も太く筋肉も大きい。だが膂力で聖痕持ちに勝ったのだ。火事場の馬鹿力であったとしても、大変なことと言っていい。
もっとも、ジノーファはあえて押し負けたのかもしれない。ガーレルラーン二世が右腕と槍を振り抜くの同時に、左足を鐙から浮かせて身体を反らし、衝撃を逃がして刃から逃れる。同時に左足でガーレルラーン二世の馬を蹴りつける。体重の乗った蹴りではなかったが、馬を驚かせるにはそれで十分だ。
「ぬう!?」
暴れる馬を、ガーレルラーン二世は慌てて宥める。その隙を見計らい、ジノーファは槍を大きく振るった。きちんと狙いを定めていなかったこと、ガーレルラーン二世が反射的に首をひねった事などが重なり、彼の槍の刃が血に染まる事はなかった。しかしその切っ先がガーレルラーン二世の兜に引っ掛かり、そのまま弾き飛ばした。
槍を振るうと同時に、ジノーファは馬を操って距離を取っていた。そして素早く左足を鐙に戻し、体勢を安定させる。ガーレルラーン二世は彼の後を追おうとしたが、また亜麻色の髪の男が弓矢を放ってそれを阻害した。
「ぬうう……」
ガーレルラーン二世はうなり声を漏らした。彼の視線の先では、ジノーファが南アンタルヤ軍の兵を一人また一人と討ち取っていく。歩兵はもとより、騎兵であっても並の者は相手にならない。
さらに彼が周りを見渡せば、徐々に南アンタルヤ軍の方が不利になっているように見受けられた。それは彼の周囲だけのことではない。殿軍全体が徐々に押され始めている。ジノーファが前に出て戦っていることで、別働隊の士気が底上げされているのだ。そして士気が互角なら、真正面からぶつかった以上、数の差が露骨に響いてくる。
「何としてもジノーファを討ち取れ! 囲んで突き殺せ!」
ガーレルラーン二世は怒鳴るようにしてそう命じた。たちまち、南アンタルヤ兵たちがジノーファ目掛けて殺到する。同時に、そうはさせじとイスパルタ兵たちがそれを妨げる。ジノーファは自分が狙われていることを承知しているので、動き回って敵を翻弄した。ガーレルラーン二世もそれを追うが、そこへ無視できない存在が突っ込んできた。
「ふははは、貴様が大将であるか!?」
六角棒を振り回し、雑兵を次々になぎ倒しながら、ラグナがガーレルラーン二世へ迫る。ジノーファを討とうとして兵を動かし、そのためにラグナが自由に動けるようになったのだ。
ともかく、これを捨て置くことはできない。無視してジノーファを追おうとすれば、ラグナに背中から襲われかねない。ガーレルラーン二世は舌打ちをしつつ、馬首を巡らせてラグナと相対する。彼らは互いに右利き。すれ違いざまに強烈に武器をぶつけ合った。
「ぐぬぅぅ……!」
大きく武器を弾かれたのは、ガーレルラーン二世の方だった。さすがにラグナの膂力は桁違いだ。槍を落しはしなかったものの、彼の腕は伸びきり、身体が上ずる。そこへ間髪入れずにジノーファが仕掛けた。
「覚悟!」
「小癪なぁああ!」
ガーレルラーン二世は力任せに槍を振るった。大ぶりなその攻撃を、ジノーファは身をかがめて回避する。そして左手に持った槍を突き出す。その刃は、ガーレルラーン二世の脇腹を抉った。
(浅い……!)
硬い手応えを得つつも、ジノーファの表情はさえない。回避に気を取られ、踏み込みが十分でなかったのか。刃に付いた血の量はそれほど多くない。彼はすぐさま馬首を巡らせる。同時にガーレルラーン二世もまた、馬首を巡らせていた。彼の眼光はかつてなく鋭い。激情の宿った彼の目を、ジノーファは初めて見た気がした。
「陛下!」
ユスフの声が響く。彼の放った矢を、ガーレルラーン二世は剣で切り払った。つまり手綱を手放し、左手で剣を操ったのだ。さらに返す刃でイスパルタ軍の騎兵を一人斬り伏せる。脇腹の傷など、まるで無いが如くの戦いぶりだ。ガーレルラーン二世は足だけで馬を操り、ジノーファに迫る。そして彼の右側の位置を取った。
「ぬああらぁぁああ!」
「させ、るかぁ!」
ジノーファは手綱を手放し、右手で長剣を抜いた。オリハルコン製の長剣だ。彼はガーレルラーン二世が振るう槍を長剣で受け止め、そのまま受け流す。そして二人が交差するその瞬間、ジノーファは鮮やかに刃を切り返した。
「ぬ、ぐぅ……」
ガーレルラーン二世が苦しげにうめき声を上げる。彼の右腕は、肘から先が切り落とされていた。彼は左手の剣を投げ捨てると、手綱を操り一目散にその場を離れる。数騎の南アンタルヤ兵がその周囲を固めた。
「逃がすなっ、追え!」
ジノーファは叫んだ。ガーレルラーン二世が負傷し遁走したことで、南アンタルヤ軍の殿は総崩れになった。逃げ惑う南アンタルヤ兵を蹴散らし、ジノーファはガーレルラーン二世の後を追う。
さらに殿軍が崩れたのを見て、クワルドもまた総攻撃を命じた。再編成の終わった遠征軍本隊が、撤退する南アンタルヤ軍へ襲いかかる。南アンタルヤ軍は壊走状態になった。ただガーレルラーン二世はその混乱に紛れて逃げおおせ、遠征軍は彼を討ち取ることができなかった。
「陛下、追撃命令を!」
「そうです、このままクルシェヒルを落としてやりましょう!」
「陛下!」
ジノーファが本隊と合流すると、ハザエルやロスタムを含め、主立った幕僚たちが口々にそう主張した。正直に言えば、ジノーファ自身、大いに高ぶっている。あのガーレルラーン二世に、彼の刃が届いたのだ。
あと少し、あと少しで彼を討ち取ることができるのだ。長剣の柄を握るジノーファの手に力がこもる。彼は目を閉じ、大きく息を吸った。そして吐き出す。それから目を開けると、彼はこう命じた。
「ここまでだ。撤収する」
長剣を鞘にしまう。聖痕を鎮めると、ジノーファの放つプレッシャーが急速にしぼんだ。撤収の指示に、幕僚たちは驚愕する。口々に翻意を促したが、ジノーファは無視して馬首を巡らせた。
「陛下、なぜなのですか!?」
納得がいかないのか、幕僚の一人がジノーファの背中にそう問い掛ける。ジノーファは身体だけ振り返ると、こう答えた。
「我々の目標はクルシェヒルではなくエルズルム城だ。それに、ガーレルラーンは右腕を失った。今後は戦場に出てこられないだろうし、しばらくは政務も滞るだろう。今はそれで十分だ」
質問した幕僚はまだ完全には納得できていない様子だったが、それでも口をつぐんだ。遠征軍の総司令官はジノーファであるし、またガーレルラーン二世の腕を切り落としたのも彼だ。その彼が撤収を命じた以上、反論はしづらい。
「……それに、死んだ者たちを弔ってやらなければ。野ざらしのままにしておくのは忍びない」
ジノーファがそう付け加えると、反対意見はもう出なかった。遠征軍は隊列を組み直すと、最初に本隊が布陣していた小高い丘のところにまで引き返した。そしてそこにまた陣を敷き、負傷者の手当てと戦死者の埋葬を行う。ジノーファは敵味方の区別無く、戦死者を弔うように命じた。
同時に、味方の損害の把握が行われた。戦死者と負傷者を合わせ、遠征軍は実に四〇〇〇もの損害を受けていた。このほとんどが本隊に集中している。ガーレルラーン二世の率いる南アンタルヤ軍の猛攻がどれだけ激しかったのか、推し量れようというものだ。
「……幸い、ポーションの備蓄には余裕があります。バイブルト城まで戻ればさらに補給を受けられますし、二〇〇〇ほどは戦線に復帰可能でしょう」
クワルドからそう報告を受け、ジノーファは一つ頷いた。それからさらに別の報告を受ける。報告が一段落すると、そのタイミングを見計らってユスフが白湯を持ってくる。それを受け取り一口啜ると、ジノーファは「ふう」と息を吐いた。そんな彼に、クワルドがふとこう問い掛けた。
「……ところで、陛下。ガーレルラーンは死んだでしょうか?」
「いや、生き残っただろう」
ジノーファはあっさりとそう答えた。ガーレルラーン二世は腕を切り落とされて負傷している。手当てが間に合わなければ、出血多量で死んでもおかしくはない。だがポーションの一つや二つは持っていただろう。それがあれば、すぐに止血できる。出血さえ止まれば、クルシェヒルまでは保つはずだ。
「惜しかった、とお思いですかな?」
「多少は、ね。だけど、今はこれで良かったのだと思う」
ジノーファは本心からそう答えた。ガーレルラーン二世は重石なのだ。それも南アンタルヤ王国だけではない。北アンタルヤ王国やイスパルタ王国、ともすればルルグンス法国まで含めた、この地域一帯の重石なのである。
例えばガーレルラーン二世が死んだとする。その場合、後継者は一体誰になるのか。順当に考えれば、ファリクかルトフィーだ。しかし二人とも王太子として冊立されているわけではない。
加えて、二人とも現在はヘリアナ侯爵家で養育されている。そしてヘリアナ侯爵家は政治に関わらない。つまり後ろ盾がない。有力貴族たちからすれば、格好の神輿だろう。必ずや派閥ができあがり、権力闘争が勃発する。
イスファードもまた、王位について権利を主張するだろう。そしてメルテム王妃は彼を支持するに違いない。そうなると派閥の力学も絡み、彼と手を結ぶことを考える者が必ず出てくる。北アンタルヤ王国は孤立状態を脱し、南へ食指を伸ばすわけだ。
さらに言えば、新領土にはカスリム将軍と二万五〇〇〇の兵が無傷で残っている。新領土でさらに兵を集めれば、その戦力はすぐにでも三万五〇〇〇を越えるだろう。ガーレルラーン二世亡き後、彼がどう動くのか。ともすれば独立ということもあり得る。そして彼の動き次第で、ルルグンス法国がどう動くのかも変わってくるだろう。
まさに大混乱である。そしてその混乱とイスパルタ王国も無縁ではいられないだろう。再び世の中が平穏と安定を取り戻すまで、一体何年かかるのか。ジノーファには想像もできない。
さらにその混乱をロストク帝国と紐付けて考えると、事態はさらに深刻だ。ロストク帝国は現在、ランヴィーア王国とイブライン協商国の戦争に介入する機を窺っている。しかしイスパルタ王国やその西の情勢が安定しなければ、なかなか動くに動けまい。帝国は苛立ちを深めることになる。ジノーファとイスパルタ王国にとっては、望ましくない展開だ。
「ガーレルラーンが生きていてくれれば、ひとまずそういう事態は避けられる。何とかもう少し生きてもらいたいところだ」
ジノーファは肩をすくめてそう言った。彼がガーレルラーン二世に傷を負わせた張本人であることを考えると、なんとも妙なことを言っているように思えて、ユスフは苦笑を禁じ得なかった。
ユスフ(『このとき、歴史が動いた!』、って後で日記に書こう)
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というわけで。
今回はここまでです。続きは気長にお待ち下さいませ。