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武器屋


(え……? え? え……?)


 仮眠から目を覚ますと、ジノーファは自分の置かれた状況に混乱した。なぜかシェリーに抱きすくめられていたのだ。顔には柔らかいモノが当り、さらには花のような香りも漂ってくる。なぜこうなったのか、まったく分からない。


 顔が熱くなり、心臓の音がやたらと大きく響く。どうにかしなければと思うのだが、しかしどうにもできない。ジノーファが混乱していると、彼が起きたことにシェリーも気付いた。


「起きられましたか、ジノーファ様?」


「う、うん。それで、あの、これは……?」


「寝苦しそうにしておられましたので、僭越ながら」


 あまりにも優しげな声でそう言われ、ジノーファはますます居た堪れなくなった。抱きすくめられた状態から抜け出そうともがいても見るのだが、しかしシェリーは逃がしてくれない。それどころか、彼を抱きすくめたままこう言った。


「では、仮眠を取らせていただきますね」


「え、シェ、シェリー?」


 慌てるジノーファをよそにシェリーは目を瞑り、そしてすぐに穏やかな寝息を立て始めた。ジノーファは抱きすくめられたままで、抱き枕にされてしまった格好だ。シェリーの腕の中、彼女のぬくもりに包まれながら、ジノーファは途方に暮れた。


 シェリーは寝てしまっているから、抜け出そうと思えば簡単にできるだろう。だが抱きすくめられた温かさを失うのが惜しくて、ジノーファは結局そこから動かなかった。モンスターが近づけば気配で分かるので、このままでも警戒はできる。そう言い訳して、彼はぬくもりに浸った。


 そのぬくもりは、ジノーファに過去を思い出させる。彼のことをこうして抱きしめてくれたのは、姉と慕うユリーシャだけだった。母と思っていたメルテムから抱きしめられたことはない。彼女の視線はいつも冷たく、まるで物を見るかのようだった。


『大丈夫よ、ジノーファ。お父様もお母様も、本当はあなたのことをちゃんと愛していらっしゃるわ』


 ユリーシャはそう言ってジノーファのことを慰めてくれた。そしてジノーファは彼女の言う事を信じた。他でもない、ユリーシャの言うことだから信じたのだ。けれども結局、彼女の言っていた事は嘘だった。ガーレルラーン二世もメルテム王妃も、ジノーファのことを愛してなどいなかった。


(まあ、分かるはずもない。そんなこと……)


 シェリーの腕の中、ジノーファは小さく苦笑を浮かべた。騙されたとユリーシャを恨む気持ちは少しもない。彼女とて知らなかったのだ。ジノーファがガーレルラーン二世とメルテム王妃の子供ではないと言うことを。


(姉上は……)


 ジノーファはユリーシャのことをまだ「姉上」と呼んだ。もはやそう呼ぶ資格も権利もないと知りながら、それ以外にどう呼んで良いのか分からなかった。いずれにしても胸中のこと。咎めるものは誰もいない。そして彼の気がかりに思うのはまた別のことだった。


(姉上は、悲しまれたのだろうか……?)


 アンタルヤ王国ではイスファードこそが真の王子であることが公表され、また彼が王太子に冊立されたという。であれば、ユリーシャももう知ったはずだ。ジノーファが血の繋がった弟ではないということを。


 その時、彼女はどう思ったのだろうか。ジノーファのことを思い、悲しんで涙を流したのだろうか。それとも彼を弟と呼んだ記憶を汚らわしいと思い、全てを忘れてイスファードに愛情を注ぐことにしたのだろうか。


 彼女にとって何が一番良いのか、ジノーファには分からない。けれども願わくば、悲しんで涙を流していて欲しい。そう思うのはエゴなのだろう。そうと知りつつ、それでも彼は自分が忘れ去られてしまうのが怖かった。


(もしも……)


 もしもユリーシャにまで、メルテムのように冷たいあの目を向けられてしまったら。ジノーファの目元に涙が滲む。彼はシェリーの胸元に顔を押し付けた。



 □ ■ □ ■



 シェリーが仮眠から目を覚ますと、二人は軽く身体をほぐしてから水場のある小部屋を後にした。ただ、すぐ出口に向かうわけではない。せっかく中層に来たのだからと、もうしばらく水場の近くを探索する。


 この辺りも他のパーティーは近づかない。モンスターの数は多く、またマナスポットや採掘ポイントも点在している。経験値(マナ)も稼ぎも十分に得られた。適当なところで切り上げ、水場でもう一度休んでから、二人は帰路についた。


 帰路の最初の難関は、水場の近くにある断崖だ。往路では飛び降りた場所だが、帰路ではこれを登らなければならない。ただ高さは十メートルほどであるし、聖痕(スティグマ)持ちのジノーファはカモシカを超える脚力を持つ。劣悪な足場をものともせず、彼は軽やかに断崖を登った。


 一方のシェリーは、ジノーファほど軽やかに登れない。彼女はアネクラの糸を駆使して堅実に登っていく。最後にジノーファが差し出した手を掴み、彼に引き上げてもらってシェリーは断崖の上に立った。


 そこから先は、難所というほどの場所はない。エリアボスは往路で倒してあるから、帰路ではまだリポップしないのだ。同じ場所を通っているので、襲い掛かってくるモンスターの数も往路よりは少ない。


 ダンジョンの外に出ると、空は明るくなっていた。つまり彼らがダンジョンに入ってから一晩が経過していたのだ。ダンジョンの中に昼夜の区別はない。それで時間感覚が狂ってしまうことが良くあり、注意が必要だった。


 ただ、二人について言えば、この時間帯の帰還は予定通り。仕事を始めたばかりの換金窓口へ向かい、戦利品と頼まれていた水を換金する。汲んできた水の量に窓口のお姉さんが驚いていて、ジノーファは少し得意げな気分になった。


 屋敷へ帰り、着替えを済ませて朝食を食べると、ジノーファはまた外出する。シェリーもそれに同行した。二人のお目当ては武器屋である。ただし、どこか贔屓にしている武器屋があるわけではない。強いて言えば、これから贔屓にする武器屋を見つけるのが目的だった。


 帝都ガルガンドーには二つのダンジョンがある。一つは直轄軍によって厳重に管理されているが、もう一つは市民に開放されている。つまり帝都にはダンジョン攻略で生計を立てている人々が多くいるのだ。


 ダンジョン攻略を行うためには武器が必要である。直轄軍の兵士であれば装備は軍から支給されるが、自分の責任でダンジョンに潜る者たちはそうもいかない。彼らは自分で武器を用意しなければならないのだ。


 そういう者たちを目当てに、帝都では武器屋が軒を連ねている。在野の武器屋であるからと馬鹿にしてはいけない。もちろんピンキリはあるものの、腕のいい武器職人ともなれば、直轄軍の部隊指揮官や将軍を顧客として抱えていることも珍しくはなかった。


 さてジノーファとシェリーだが、二人はこれまで武器屋にはほとんど縁がなかった。ジノーファは王太子として遇されていたから武器の類はすべてあらかじめ用意されていたし、シェリーも武器は支給されるものを使っていた。二人とも、武器屋に出向く必要がなかったのである。


 しかしこれからはそうもいかない。これからは自分で自分の武器を用意しなければならないのだ。さらに中層での取水依頼を終え、ジノーファとシェリーはそろそろ下層に進出することも視野に入れ始めている。


 下層へ潜るようになれば、出現するモンスターはこれまで以上に強くなる。武器の消耗も激しくなるだろう。そうなると、どうしても質のいい武器が必要だった。ただ、良い武器が一つあればそれで十分、というわけでは決してない。


 武器と言うのは、基本的に消耗品だ。例えば名剣を一振り手に入れたとしても、実戦で使い続ければそのうち折れてしまう。もちろん、丁寧に手入れをしてやれば寿命は延びる。だがそもそも武器と言うのは酷使する道具だ。駄目になってしまうことは、想定しておかなければならない。


 重要なのは、良い武器を手に入れるための伝手を持つことだ。つまり、いい武器屋を見つけておくと言うことである。ジノーファはすでにルドガーやヴィクトールなどから話を聞き、何軒か候補を定めている。今日はそれらの武器屋を巡り、実際に商品を見てみるつもりだった。


 もちろんこれはと思う物があれば、ジノーファは買うつもりでいる。そのための軍資金も用意してあった。今朝に換金してきた分である。武器屋巡りをするつもりでいたので、ヴィクトールにはまだ預けないで置いたのだ。


「シェリーの分も、なにか良いのがあれば買おう」


「わたしは支給品で十分ですが……」


 シェリーはそう言って遠慮したが、しかしジノーファは譲らなかった。装備が良いに越したことはない。シェリーも最後には「では、お願いしますね」と言って折れ、ジノーファは意気揚々と最初の武器屋に向かった。


 今回ジノーファが求めているのは、「個人で使う品質の良い武器」だ。つまり、軍隊のように同品質の装備を一定数揃える必要がない。それで彼は多少高くてもいいので、品質の良い一点ものを探すつもりでいた。


 いや実のところ、適当なものがないのなら、それはそれでいい。その場合はオーダーメイドするつもりだ。だから今日の武器屋巡りは、実のところ武器を探すためと言うより、腕のいい武器職人を探すためのものだった。


 ジノーファが教えてもらった武器屋は、全て個人経営の武器屋だった。つまり経営者が自分で作った武器を売っているのだ。中には作ることにしか興味がなくて、武器屋と言うよりは工房と言った方が正しいような店もあった。


 当然、作品にもそれぞれの職人の個性が反映される。得意・不得意も明確に別れ、ジノーファとシェリーはそのあたりのことも楽しみながらそれぞれの武器屋を回った。


 教えてもらった武器屋を回り終えると、ジノーファとシェリーは手近な食堂に入った。昼食の時間としては少し遅く、ピーク時を過ぎたのだろう、店内は少し閑散としている。二人は奥まった席を選び、給仕の少女におすすめのメニューを聞いてそれを注文した。最後に小銭を握らせてやると、少女は嬉しそうに笑顔を浮かべて深々と一礼し、足早に厨房へ駆けていった。


「いかがでしたか、ジノーファ様?」


「うん、結構楽しかった。それにしても、店ごとにずいぶん様子が違ってくるのだな」


 楽しげにそう答え、ジノーファはテーブルの上に何本かのナイフを並べた。それぞれ回ってきた武器屋で買った物だ。一点物で、値段もだいたい同じ物を選んである。こうして並べてみると、それぞれの武器屋の個性が垣間見えて面白い。


 あるものは両刃で、あるものは片刃。またあるものは鋭さを追求している一方で、あるものは耐久性が重視してある。重心の位置が調整してあったり、柄や鍔が工夫してあったりと、実に多様だ。


「ジノーファ様は、どれがお好みですか?」


「う~ん、わたしはやっぱりこれかな……」


 ジノーファが選んだのは、最もシンプルなデザインのナイフだった。鍔がついていて、両刃の刃は鋭く砥がれている。どんな場面でも使いやすいナイフだ。


 一方シェリーが選んだのは、ブーメランのような形をしたナイフだった。重心が刃先に偏っていて、一撃が重くなりやすい。ただ彼女は「投げやすそうですよね」と言っていたので、どうやら投擲用に使うつもりらしかった。


 しばらくすると、料理が運ばれてくる。新鮮な白身魚のムニエルと野菜のスープ、それにライ麦パンだ。おすすめだけあって、確かに美味しい。ジノーファとシェリーはしばらく料理に舌鼓を打った。


「……それで、どうなさるのですか?」


 料理を半分ほど食べたところで、シェリーがジノーファにそう尋ねた。教えてもらった武器屋は一巡りしてきたが、残念ながらジノーファの眼鏡にかなう双剣はなかった。今使っている双剣はまだ十分実戦に耐えうるし、シャドーホールの中には予備もある。必ずしも急いで買う必要はないのだが、ジノーファは少し考えてからこう答えた。


「一組、どこかに作ってもらおうと思うのだけど、どうだろうか?」


 シェリーはにっこりと微笑を浮かべて頷いた。ジノーファがそのつもりなら、彼女に否やはない。二人は料理を食べながらどの武器屋に頼むのがいいのか、相談を重ねた。


 食事を終えると、二人はある武器屋へ向かった。午前中に回ったうちの一軒で、工房モルガノという。あえて工房を名乗るあたり、主の気質がうかがえる。質実剛健な仕事振りが特徴で、奇をてらわないシンプルなデザインのものが多い。先ほどジノーファが選んだナイフも、ここで買ったものだった。


「いらっしゃいませ。って、あ……」


 二人が店内に入ると、店番をしていた少女が小さく声を上げた。どうやら二人のことを覚えていたらしい。ジノーファは店内の商品を見ることはせず、笑顔を浮かべて店番の少女に近づき、そしてこう尋ねた。


「双剣を一組頼みたいのだけど、大丈夫だろうか?」


「えっと、ちょっとお待ちください」


 少女はそう答えると奥へ引っ込んだ。「お父さん、お父さ~ん!」と父親を呼ぶ声が漏れ聞こえる。どうやら彼女は店主の娘さんだったらしい。しばらくすると、店の奥から一人の男が現れた。


「おう、あんたか。双剣を打ってほしいってのは?」


「うん。頼めるだろうか?」


 ジノーファが一つ頷いてそう答えると、店主は顎先を撫でながら彼のことをまじまじと見た。まるで値踏みするような視線だが、ジノーファは気後れした様子もなくまっすぐ彼を見上げる。するとややあってから、店主は頭をかきながらこう言った。


「……まあ、仕事だって言うんなら、断る理由もない。それで、どんな双剣が欲しいんだ?」


「ダンジョンの下層で使うことを想定してもらいたい。刃は鋭さ優先で頼む。サイズは、これを参考にして欲しい」


 そう言ってジノーファは腰に吊るしていた剣を一本抜き、それをカウンターの上に置いた。その剣を見て、店主がわずかに目の色を変える。彼は抜き身の剣を丁寧に持ち上げると、ためつすがめつその刃を観察した。


「いい剣だ。これじゃあ、不足なのか?」


「いや、不足だとは思わない。ただ、これ一組だけでは心もとない」


「なるほどな。道理だ」


 納得した様子を見せ、店主は剣をジノーファに返した。それを受け取り鞘に戻すと、ジノーファは店主にさらにこう尋ねた。


「それで、幾らくらいになるだろうか?」


「銀貨で一六〇。ただし前金で六〇だ」


 店主がそう答えると、シェリーが顔を険しくして一歩前に出た。そんな彼女を、しかしジノーファが片手を上げて制する。そして「それで構わない」と応えた。


「そういえば、シェリーはどうする?」


「……いえ、わたしは午前中に買っていただいたナイフだけで十分です」


「分かった。それじゃあ店主殿、双剣だけで頼む」


「あいよ。じゃ、ここに名前を書いてくれ」


 そう言って店主は名簿のようなものを取り出しジノーファの前に置いた。すでに書き込んである部分を見てみると、数字と名前、それに仕事の内容が列ごとに記入されている。どうやら店主はこれで仕事を管理しているらしい。なかにはすでに終わったのか、横線が引いてあるものもあった。


 ジノーファは上に書いてある例に倣い、「二五」と書かれた数字の横に自分の名前を書く。そして名簿を返し前金を払った。店主はそれを確認すると、彼に一枚の木札を渡す。木札には「二五」と書かれている。この木札と交換で商品を受け取るのだと言う。よく考えていると思い、ジノーファは木札をしげしげと眺めた。


「十日後には仕上げておく」


 最後に店主のその言葉に頷いてから、ジノーファとシェリーは店を後にした。二人が帰ると、店主の男は「ジノーファ」と達筆な文字で書かれたその横に、他の必要事項を書き込んでいく。「双剣。ダンジョン下層で使用。銀六〇支払い済み」といった具合だ。


 それにしても変な組み合わせの客だった、と店主は思い返す。最初は貴族のお坊ちゃまがメイドを連れて玩具を買いに来たのかとも思ったが、どうやらそれは違うらしい。あの少年は店主の無礼な態度にも腹を立てなかったし、なにより見せてもらったあの剣は相当使い込まれていた。


(ジノーファ、か)


 どこかで聞いた名前だ。どこだったかと考えつつ、しかしすぐには思い出せない。そのうち「まあいいか」と思い、娘に店番の続きを頼むと、店主は奥の工房に戻った。


シェリーの一言報告書「ジノーファ様がぼったくられないよう、わたしがしっかりしなければ!」

ダンダリオン「それも社会経験だ」

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