表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
大アンタルヤ王国
189/364

顛末3


 ダーマードとオズデミルが悄然と肩を落として、ジノーファの執務室から退室する。その背中を見送ってから、ジノーファは「ふう」と一つ息を吐く。最初から穏便に済ませるつもりではいた。だが事が事だけに、やはり緊張していたらしい。今更ながら、彼は疲れを感じた。


「ユスフ、お茶を一杯淹れてくれないか。クワルドにも頼む」


「はっ。少々お待ち下さい」


 そう返事をしてから、ユスフはお茶の準備を始めた。ジノーファはその背中をぼんやりと眺めていたが、ふと視線を動かして机の引き出しのあたりを見る。そこには長剣が立てかけてあった。


 かつてランヴィーア国王から下賜された、オリハルコン製の長剣である。いざというときには、これで二人を斬るつもりだったのだ。そうならずに済んで良かった、とジノーファはもう一度安堵の息を吐いた。


「……本当に、これで良かったのでしょうか?」


 遠慮がちにそう尋ねたのはクワルドだった。彼も血を流さずに済んで安堵したのか、表情が幾分緩んでいる。だが彼の声には少々不満げな響きがあった。いや、もしかしたら不満なのではなく不安なのかも知れない。


 なるほど確かにダーマードは感涙を流していた。だが時間が経って感動が薄れたとき、彼が何を考えどう判断するのか。「北アンタルヤ王国と組んで王権の奪取を目指す」という結論を出さない、と完全に言い切ることはできない。


 あるいはメフメトにそそのかされてしまうこともあり得る。忘れてはならない。イスパルタ王国独立の絵を描き、そして主導したのは他でもないダーマードなのだ。権力欲は人並み以上にあると思わねばならないだろう。


 その上、ジノーファは証拠となる手紙を焼いてしまった。つまりメフメトが謀反を企んだと証明する物証はもうない。開き直って「謀反など企んでいない」と言い張るかも知れない。その場合、獅子身中の虫を飼うことになりかねない。


 クワルドが心配しているのはつまりそう言うことだ。だがジノーファは落ち着いた口調でこう答えた。


「たぶん大丈夫だ。今、謀反を起こしてもこちらの不意は突けない。開き直ってその場凌ぎをしても、王家が辺境伯家を見る目は厳しくなる。そして王家が厳しい目で見ると言うことは、ロストク帝国も同じようにするということだ。ダーマードもそれは分かっているだろう」


 仮にダーマードが野心を隠しているとして、現状の最善策はメフメトを切り捨てることだと理解しているだろう。逆に彼が野心を抱いていないのなら、やはりメフメトを処断することを躊躇いはするまい。それを聞き、クワルドはゆっくりと頷いた。


「そう、ですな。とはいえ、メフメトが遠征のことをどこまで漏らしたのか……。不安要素と言わねばなりますまい」


 その指摘にジノーファは真剣な顔をして一つ頷いた。ネヴィーシェル辺境伯家を引き留めたとしても、遠征のことを知った北アンタルヤ王国が独自に介入を行ってくるかも知れない。イスパルタ王国にとっては、面白くない事態だ。


「遠征は一ヶ月延期しよう。冬の時期が長くなるが、仕方がない」


「良きご判断と思います。冬支度はさせておりますが、さらに入念に準備するよう命じます。それに北ですが、メフメトからの情報がアテにならなかったと思えば、連携の機運も萎むはず。介入の支度をしていたとして、それも解除されるでしょう。彼らにそれを維持する余裕はないはずです」


 それを聞き、ジノーファはもう一度頷いた。冬の期間が長くなるとは言え、アンタルヤ王国の冬は暖かく、雪が降ることも滅多にない。準備さえしっかりとしておけば、兵が凍えることはないだろう。むしろ食べ物が傷まなくていいかもしれない。


「陛下、父上。お茶がはいりました」


「ああ、ありがとう」


 そう言ってジノーファはユスフからお茶を受け取った。それを一口啜る。うまい、と思った。



 □ ■ □ ■



 謀反の計画を記した手紙を渡したその次の取引に、シャガードは姿を見せなかった。メフメトが北アンタルヤ王国側の者たちに彼のことを尋ねてみると、「体調を崩した」とか「休暇を取った」とか「別の仕事に回された」とか、いろいろとあって判然としない。メフメトはそういう話を聞いて首をかしげつつ、内心ではほくそ笑んでいた。


(おそらくシャガードは……)


 シュルナック城へ行ったのだろう。メフメトはそう思った。シュルナック城のイスファードに、メフメトの手紙を届けに行ったに違いない。次の私貿易の取引では、シャガードはきっとイスファードからの返事を持ってくるだろう。メフメトはそれが楽しみだった。


 だがメフメトがシャガードと再会することはなかった。この次の取引を目前にしたタイミングで、メフメトはダーマードから呼び出されたのだ。しかも「大至急、可及的速やかに」とある。


 メフメトは内心に多少の不満を覚えた。シャガードが持って来るであろう手紙を受け取れないからだ。だが呼び出しを無視する訳にはいかない。大急ぎでネヴィーシェル辺境伯家の屋敷へ向かった。


 屋敷で彼を出迎えたのは深刻な顔をした父のダーマードだった。笑顔を見せない父に、メフメトは少しだけ嫌な予感を覚える。何か良からぬことでもあったのか。彼のその予感は的中した。ダーマードは重々しい口調で彼にこう告げたのである。


「メフメト、お前を廃嫡する」


「はっ……? それは、どういう……?」


 メフメトは耳を疑った。廃嫡? なんだそれは。一体なぜそんな話が出てくるのか。メフメトは訳が分からず混乱した。だがダーマードは混乱するメフメトに厳しい目を向け、さらにこう言葉を続けた。


「お前は気が狂ったのだ。別邸を与えるゆえ、そこで養生せよ」


「父上! 私は気が狂ってなどおりませぬ! なぜ、廃嫡などと……!?」


「狂っておろうがっ! 狂っておるから謀反など企むのだ!」


「っ!」


 怒鳴られ、メフメトは息を呑んだ。いや彼が言葉を失ったのは、謀反のことが露見していたからなのかもしれない。そして絶句した彼に、ダーマードは苦々しげな口調でさらにこう言った。


「狂っておらぬと言うのであればなおタチが悪い。お前は狂っておらねばならぬのだ。全ては気のふれた狂人の戯れ言。そうでなければネヴィーシェル辺境伯家にまで累が及ぶ」


「む、謀反など、私は決して……。そ、そもそも証拠がお有りなのですか?」


 メフメトは内心の動揺を必死に隠しながら逆にそう尋ねた。彼は謀反の計画を、今のところシャガードにしか話していない。そして彼は北アンタルヤ王国の人間だ。証拠となりそうな品も、彼に渡した手紙しかない。ダーマードがそれを確保しているとは思えず、メフメトは強気だった。だが彼の顔はダーマードの次の一言で凍り付くことになる。


「お前がイスファードに宛てた手紙を、ジノーファ陛下から見せられたわ」


 ダーマードは吐き捨てるようにそう言った。それを聞いた瞬間、メフメトは「ひゅぅ」と音を立てて息を呑む。心臓を鷲掴みにされたかのようで、その動揺を隠すことができない。そして反射的にこう叫んだ。


「ね、ねつ造です! と、当家を陥れようとして、そのような小細工を……」


「儂がお前の筆跡を見間違えたというのか!?」


 ダーマードはメフメトに人差し指を突きつけ、再び怒鳴ってそう言った。その険相にメフメトは二の句を告げられない。そして黙ってしまった息子に構わず、ダーマードはむしろ彼をなじるようにさらにこう言った。


「お前に、あの時の儂の気持ちが分かるか!? 怒ればよいのか、嘆けばよいのか……! あれほど、あれほど無残な気持ちを味わったことはない。ファリク殿下の擁立に失敗した時でも、あれほどのやるせなさは覚えなかった!」


 あの時、ダーマードは死を覚悟した。呼び出された上、あのように謀反の証拠を突きつけられたのだ。その場で手打ちにされても文句は言えない。ガーレルラーン二世ならばそうしていただろう。


 実際、あの場にいたクワルドは「家を取り潰すべきだ」と進言していた。だがジノーファはそうしなかった。拙い弁明を咎めることもせず、考え得る限り最も穏便な形で事を収めてくれた。傍から見ればいかにも甘いやり方だろう。だがその甘さにダーマードは救われたのだ。


「メフメト、なぜ裏切った!? なぜ謀反など企んだ!? 何がお前にそうさせたのだ。それはこの父を、そしてこのネヴィーシェル辺境伯家を危険にさらす程に価値のあるモノなのか!?」


「王権を、かつての栄光を取り戻すためです、父上!」


 メフメトは叫んだ。金切り声で叫んだ。そしてそれをきっかけにして、彼はあふれるようにして語り始めた。


「父上、父上は恥ずかしくないのですか!? 今の当家の姿が! ネヴィーシェル家はこの地を治める王でした! それが一貴族に成り下がり、家を保つために主君の顔色ばかり窺っている! この有様で、父祖たちにどう申し開きをすると言うのです!?」


「黙れ、メフメト!」


「いいえ、黙りませぬ! あの王笏を持ち、再びこの地に采配を振るうこと。それこそが父祖たちの望み、悲願ではありませぬか! そこにこそ当主は命をかけ、家は命運をかけるべきではありませぬか! 私はそれを成したのです! お任せいただけるなら、数年の内に悲願を遂げられましょう! それを咎めるというのなら、父上、貴方こそが裏切り者だ!」


「黙れと言っているのが聞こえんのかっ!」


 ダーマードはそう怒鳴ると同時にメフメトを殴りつけた。彼は長らく防衛線を守ってきた。多少老いたとは言え、その豪腕は健在だ。メフメトは大きく態勢を崩し、絨毯の上に尻餅をついた。ダーマードは肩で息をしながら、頬に手を当てて呆然とする彼を目に激情を宿して見下ろす。そしてこう叱責する。


「家を存亡の危機にさらしたのは誰だ!? 勝手なことをした挙句、付け入る隙を与えたのは誰だ!? 栄光の代わりに恥辱を被らせたのは誰だ!? 全てお前ではないかっ、メフメト! 父祖たちに申し開きをするべきは貴様の方だ!」


 そこまで言うと、ダーマードは大きく息を吐いた。そして幾分平静を取り戻してから、彼はさらに言葉を続ける。


「悲願を遂げる? 何を馬鹿なことを言っておる。お前の軽率な行いのせいで、危うく当家は取り潰されるところだったのだぞ。我がネヴィーシェル辺境伯家が存続を許されたのは、ひとえに陛下の温情によるものだ」


 それを聞き、メフメトは不快げに顔を歪めた。ジノーファのおかげで家を保つことができた。そう言われるのが、彼は大層気に入らない。だが息子のそんな様子を無視して、ダーマードはさらにこう言葉を続けた。


「そもそも、なぜお前の手紙が陛下の手元にあったのか、考えて見よ。私貿易を我らに委ねつつ、しかし陛下は少しも油断しておられなかったのだ。お前なんぞより、二枚も三枚も上手よ」


 メフメトは悔しげに奥歯をかみしめた。なぜあの手紙がジノーファのもとにあったのか。恐らくシャガードは殺されたのだろう。彼を殺して奪ったのだ。誰がそれを実行したのかは分からないが、メフメトにはそうとしか考えられなかった。


 ある意味で彼は幸福だったのだろう。この期に及んでシャガードに売られたことに露ほども気付かず、さらにその可能性を考慮することもなかった。信頼していたというよりは、眼中になかったわけだが、だからこそ彼の自尊心は最低限守られた。


 もっとも、傍から見れば滑稽なことこの上ない。ただ、その滑稽さを指摘できる者はこの場にいなかった。ダーマードもそのあたりの事情をしっかりと把握しているわけではないし、今更知りたいとも思っていない。むしろ、ジノーファのおかげで今回の危機を乗り越えられたことに、彼の意識は向いていた。


「その上、陛下はこうして温情さえも与えて下さる。このご恩、到底お返しできるものではない。末代に至るまで忠義を誓わねばなるまいて」


「……当家が揺らげば、困るのはジノーファではありませぬか。それを恩着せがましく……」


「本当に恩着せがましくするのなら、将来的にベルノルト殿下を養子としたうえで世子とせよ、くらいのことは言われたであろうな。だが陛下が求められたのはお前の静養だけであった。本来であれば病死させねばならぬところであるのに、『親に子を殺させるのはしのびない』と言ってくださったのだ」


 ジノーファが自分の命を容赦したことを告げられると、メフメトは一瞬呆けた顔をした。それからたちまち、屈辱で顔を歪める。彼はジノーファがネヴィーシェル辺境伯家の力を恐れて遠慮したと思っていたのだ。


 だが実際は違った。メフメトの静養は、実害がなかったこともあるが、ジノーファの一方的な慈悲だった。それがメフメトには、まるでジノーファから施しをされたかのように感じたのだ。彼の中の肥大化した名門意識は、それをかつてない侮辱と受け取ったのである。


(あの、どこの馬の骨とも知れぬ男が、ネヴィーシェル王家の後継者にして賢武皇アルアシャンの末裔たるこの私に、よりにもよって慈悲を垂れるだと……!?)


 メフメトはゆっくりと立ち上がった。尋常ならざる雰囲気を感じ取り、ダーマードは眉をひそめた。だがメフメトはそれに気付いていない。彼は焦点の定まらぬ目をしながら、ダーマードにこう囁いた。


「父上、やはりジノーファを攻めましょう。国を治めるのは貴種でなければなりませぬ。生まれも定かではない男に、一国の王座は分不相応というものでしょう。長い歴史と尊厳を持つ当家のような血筋こそが、国を治めるべきなのです。


 父上、私にお任せ下さい。見事イスファードめを唆し、兵を出させてご覧に入れましょう。ジノーファの首は、あの慮外者にくれてやればよろしい。代わりに我らは国を獲るのです。イスパルタ王国を掌握し、北も南も平らげて、巨大な王国といたしましょう。さすればロストク帝国も恐れるに足りませぬ。世界を、我らが制するのです!」


「……本当に狂ったか。いや、その方がお前にとっては幸せなことかも知れぬ」


 ダーマードはもうメフメトの言葉を取り合わなかった。そして人を呼ぶため、彼に背を向ける。その瞬間、メフメトの眼の焦点が急速に定まった。彼は目を血走らせてダーマードの背中に襲いかかる。


「な、何をする!?」


「何もせぬと言うのなら、せめて当主の座を私に渡せぇええ!!」


 奇声を上げながら、メフメトは腕を回してダーマードの首を絞める。ダーマードはそれに抵抗しながら声を上げた。


「誰ぞ、誰ぞある!?」


 すぐに護衛たちが部屋の中に入ってきた。彼らはダーマードを襲うメフメトの姿に驚いたが、しかしすぐに動いて彼を取り押さえる。床に組み伏せられたメフメトは、未だ興奮した様子で殺気立った目をダーマードに向けていた。


 一方のダーマードは、護衛に支えられて咳き込んでいた。そして呼吸が整うと、メフメトに厳しい視線を向ける。視線が合うと、メフメトはまた叫んだ。


「裏切り者! 今が好機であるとなぜ分からぬっ! 今事を起こさずして、いつ父祖たちの悲願を遂げるというのだ!?」


 メフメトの言葉を、ダーマードは妄言と切り捨て取り合わなかった。彼は取り押さえられた息子を冷たく一瞥すると、護衛の一人が腰間に下げた剣を引き抜く。その刃の凍えるような輝きに、メフメトは顔を強張らせた。そんな息子に、ダーマードはこう告げる。


「こうなってはもはや致し方なし。陛下の温情を無下にしてしまったこと、お詫び申し上げねばなるまい」


「あの男に、そのような……!」


 それがメフメトの最期の言葉となった。そして後日、ネヴィーシェル辺境伯家世子メフメトの病死が発表された。



作者「メフメトが死ぬまで20話かかった。驚愕だ」


~~~~~~~


今回はここまでです。

続きは気長にお待ち下さい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] メフメト。面白かったよ。物語に良いスパイスをくれた。 [一言] メフメトの人間味ある造反の心情。お父さんのダーマードの貴族としても父親としても節穴だが真面目で一生懸命な所。なぜだか、お気に…
[一言] 家督乗っ取りするつもりなら、数年後予定でも家中の掌握位しようよメフメトと思ってしまった。
[一言] メフメトについては謀反する人間の思考が面白かったです。 また顛末もすっきり(ダーマードに取っては地獄だけど) でもちょっとメフメト君の悪巧みは長かった…。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ