水汲み
ジノーファとシェリーのダンジョン攻略は続いている。二人は大きなフロアの前に立っていた。このフロアにはエリアボスが出現する。前回倒したときから幾分時間が経っているし、他のパーティーも近づかない場所だから、足を踏み入れればほぼ確実に出現するだろう。
「……、よし、行こう」
「はい」
深呼吸してから、ジノーファは双剣を構える。そしてシェリーの返事を聞いてからフロアに足を踏み入れた。ゆっくりと進むが、エリアボスは現れない。しかしジノーファの眼は、妖精眼はそれを捉えていた。
「来る」
ジノーファは短くそう呟いて足を止めた。彼の少し後ろでシェリーも足を止め、逆手に持ったダガーを構えて辺りを警戒する。そんな二人の目の前で、フロアの地面から岩石でできた太い腕が飛び出した。
「ゴーレム……!」
地面から這い出て来るモンスターを見て、シェリーは強張った顔をしながらそう呟いた。全身が岩石でできているゴーレムは、彼女だけでなくジノーファとも相性が悪い。しかし彼に臆した様子はなく、淡々と次のように指示を出した。
「シェリーは牽制に徹してくれ」
「了解しました」
シェリーの返事を聞いて、ジノーファは小さく頷いた。そして次の瞬間、彼の放つプレッシャーが暴力的なまでに膨れ上がる。彼が臨戦態勢に入ったのだ。服の上からでは分からないが、今ごろ彼の背中には鳥が翼を広げたような意匠の聖痕が浮かび上がっているに違いない。
息を飲むシェリーを置き去りにして、ジノーファはゴーレム目掛けて鋭く踏み込んだ。ゴーレムは腕を振り上げ、そして突っ込んでくる小柄な敵目掛けて振り下ろす。ジノーファはその攻撃をサイドステップで軽やかに回避した。
「はっ!」
そして回避すると同時に、ジノーファは剣を振るう。狙うのは地面を砕いているゴーレムの腕。白刃そのものは届いていないが、そこから伸びた不可視の刃が岩石の腕に斬線を刻んだ。彼が得意とする、伸閃という剣技である。
ただ、切り落とせたわけではない。血が流れ出ているわけでもなく、ダメージとしては微妙なところだ。しかしジノーファに気落ちした様子はない。淡々とした表情のまま、彼は一旦距離を取ってそのまま素早くゴーレムの側面へ回り込んだ。
「ギギィ……」
それは声なのか、それとも身体のきしむ音なのか。どちらにしても少々耳障りな音を出しながら、ゴーレムはジノーファを追うようにして身体の向きを変えた。しかしそこへ別の人影が、ちょうどゴーレムの視界を横切るようにして、ジノーファとは反対側へ駆け抜ける。ゴーレムはそちらに視線を奪われた。
「……っ」
ゴーレムが釣れたのを見て、シェリーはわざと動きをゆっくりにする。注意をひきつけるためだ。ゴーレムは足元の岩石を拾うと、そんな彼女目掛けて投げつけた。投げつけられた岩石は直径が五十センチほどもありそうな大きなものだったが、しかしゴーレムの動きは大雑把で見切りやすい。シェリーは危なげなく岩石を回避した。
そうやって彼女が作った隙を、ジノーファは見逃さなかった。彼はゴーレムの側面から背後に回り込む。そして双剣を振るい、伸閃を連続して放つ。狙うのはゴーレムの左足の膝関節。
いかに岩石の硬い身体とはいえ、構造上どうしても可動部は他よりも弱くなる。ジノーファはそのことを知っていた。とはいえそれだけの理由で左足の膝関節を狙ったわけではない。妖精眼で見たときそこが一番マナの薄い場所であったから、つまり防御力が一番低かったので、そこを狙ったのだ。
余談になるが、これこそが妖精眼の本来の使い方だった。つまりマナの濃淡によってモンスターの弱点を見分けるのだ。マナスポットや採掘ポイントを見つけるのは、妖精眼の使い方としてはむしろ邪道である。
余談ついでに話を続ければ、ジノーファがまず覚えた魔法は妖精眼だった。そして一人で攻略を行うようになったことで、次にシャドーホールを覚えた。マナスポットや採掘ポイントを妖精眼で見つけられるようになったのは、その後のことである。経験値を独占できるようになり、妖精眼もまた成長したのだ。その成長はもちろん弱点を見切る、その精度の向上にも繋がっている。
閑話休題。ジノーファが放った伸閃は一つや二つではなかった。左右の剣から三つずつ、合計で六つの斬撃をゴーレムの左足の膝関節に叩き込む。しかしそれでも、足を切り落とすには至らなかった。ここはまだ上層のはずだが、しかしさすがはエリアボスと言うべきか。その防御力は目を見張るものがある。
しかし何事にも限界はある。なによりダメージとは蓄積されるものだ。そしてゴーレムの左足の膝関節に蓄積されたダメージは確かに限界を超えていた。
ビシィィ、と軋むような音を立ててゴーレムの左足が崩れた。膝関節が体重に耐えられなくなったのだ。バランスを崩したゴーレムは、咄嗟に両手をついて身体を支える。ジノーファの次の狙いは、その腕だった。
ジノーファが接近すると、ゴーレムはそれをいやがり片腕を振り回す。ジノーファは一旦、後退して距離を取った。その際、牽制をかねて何発か伸閃を放ち、ゴーレムの注意をひきつける。その間に、シェリーがゴーレムのもう片方の腕に音もなく近づいた。
「ハァッ!」
裂帛の声と共に、彼女は浸透勁を放つ。狙うのは肘関節。また岩がきしむような音がして、次の瞬間ゴーレムの肘は砕け落ちた。浸透勁で砕けたというよりは、それがきっかけとなって体重に耐えられなくなった格好である。
どちらにしても、片腕の肘が砕けたことに変わりはない。ゴーレムはバランスを崩し、今度こそ地面に倒れた。ジノーファはその隙を見逃さない。彼は双剣を投げ捨てると、シャドーホールから一本の戦鎚を取り出した。
その戦鎚を片手で振り上げ肩で担ぐようにすると、ジノーファはゴーレム目掛けて鋭く踏み込んだ。そして立ち上がろうともがくゴーレムの頭部目掛け、戦鎚を大上段から力任せに振り下ろす。聖痕持ちの膂力によって振るわれ、さらにたっぷりと魔力の込められたその一撃は、ゴーレムの頭を完膚なきまでに粉砕した。
「ふう」
息を吐くジノーファの前で、頭を潰されたゴーレムの身体が砂のようになって崩れていく。ジノーファは戦鎚を地面につき立てて満足げな表情だ。そんな彼の様子を見て、シェリーは小さく苦笑を浮かべた。
(本当に、意外と強引な方ですね……)
本来であれば、双剣でゴーレムと戦うのは相性が悪い。むしろ戦鎚やメイスのような鈍器の方が相性はいい。
彼だってそのことは分かっているはずだ。だからこそシャドーホールに戦鎚を用意してあったのだ。そして実際、とどめにはこうして戦鎚を使っている。しかし最初から戦鎚を使おうとはせず、双剣のまま戦っていた。忘れていたわけではないだろう。それで十分だと思っていたのだ。
(まあ、分からなくはないですが……)
実際に、ジノーファは双剣でゴーレムの片足を潰している。十分に戦えていたのだ。シェリーも見ていたが、危なげのない戦いぶりだった。
それに戦鎚では彼の得意とする伸閃は使えない。また重いので、動きも多少鈍るだろう。それを嫌ったのだろうとシェリーも思っている。ただジノーファなら、最初から戦鎚を使っていたとしてもやりようがあったはずだ。
彼にとっては双剣を使っても戦鎚を使っても同じで、それなら使い慣れている双剣をまずは選んだのだろう。自分の得意なスタイルで強引に押していくタイプ。シェリーはジノーファのことをそんなふうに見ていた。
(陛下も似たようなところがあると伺いますし、聖痕持ちゆえの強引さ、なのでしょうね)
力任せでもなんとかなってしまうので、力任せに戦ってしまうのだ。技が拙いと言っているのではない。発想が力任せなのだ。エリアボスでさえ力任せに倒せてしまうのだから相当である。聖痕持ちだからこそ許された傲慢、と言えるかもしれない。
そこまで考え、シェリーはまた苦笑を浮かべた。益体もないことを考えてしまった、と小さく頭を振る。少なくともジノーファの人となりに傲慢なところは少しもない。まことに仕えやすい主であり、シェリーにとってはそれで十分だった。
それからシェリーはジノーファが投げ捨てた双剣を回収する。ジノーファはゴーレムが残した魔石を回収していた。ちなみにドロップアイテムはないらしい。
「ジノーファ様、こちらを」
「うん、ありがとう」
シェリーが差し出した双剣を、しかしジノーファは受け取らなかった。両手が塞がっていたのだ。彼は「おや」という顔をしてから、まず戦鎚をシャドーホールに戻す。それから視線をゴーレムの魔石に向けた。
「魔石は、シェリーが吸収する?」
「いいえ。ぜひジノーファ様がお使いください」
シェリーがそう勧めると、ジノーファは「そう?」と言って魔石からマナを吸収した。そして輝きを失った魔石をシャドーホールに放り込む。それから彼は双剣を受け取り鞘に収めた。
そしてジノーファとシェリーは目的地である水場を目指してこのフロアを後にした。二人は確認済みの通路を迷うことなく進んでいく。ダンジョンの通路は無数に枝分かれしていて、まだ足を踏み入れたことのない場所の方が多い。
そういう場所には手付かずの採掘ポイントがあったりするのだが、それを探していると時間がなくなる。そもそもここはまだ上層だ。より深い場所の方が、採掘ポイントからも良いものが得られると経験則として知られている。時間を割くならもう少し深い場所の方が良いだろう。
モンスターを蹴散らしながら、二人はダンジョンの中を進む。時々マナスポットを見つけ、そこからマナを吸収した。もちろん二人交互に、である。
採掘ポイントも見つけ次第資源を回収するが、どれも小規模で大した量は得られない。大規模な採掘ポイントなど滅多にないのだ。そして「採掘した資源を運び出しやすい場所」という条件が加わると、そういう場所はさらに希少になる。
ただ希少とは言っても、一つのダンジョンに一箇所くらいは存在する。ジノーファたちが攻略しているこのダンジョンにもそういう場所があり、直轄軍によって厳重に管理されている。そしてそこから採掘された資源を、大きなバックパックに担いで運搬するのが、新兵たちに課されるダンジョンを用いた最初の訓練であると言う。
さて、ジノーファとシェリーが進んでいくと、二人は断崖に出た。断崖とは言っても、そう高いものではない。高さはおよそ十メートルくらいだろうか。下の様子はちゃんと見えている。
一方で視線を水平にしてみると、そこから先に道はない。つまりここから先へ進もうと思ったら、下へ降りなければならないのだ。そして二人はそうするつもりだった。下が見える程度の高低差であれば、身軽な彼らにとっては何の問題もないのだ。
まずジノーファが飛び降りる。彼は膝を柔らかく使って軽やかに着地した。次はシェリーの番だ。彼女は一気に飛び降りるのではなく、崖の側面に足場を見つけて小刻みに跳躍しながら下へ降りた。
崖の下に降り立つと、二人は無言で頷きあった。この辺りはもう中層である。そして目的の水場ももうすぐだ。
合計で十体ほどのモンスターを蹴散らして十分ほど歩くと、二人は目的の水場に到着した。通路から脇道に入ったところにある小部屋である。そこでは水が湧いていて、小さな泉になっていた。泉の周りには木々も茂っていて、小部屋の中は外よりもいくぶん明るい。花も咲いていて、そこだけずいぶんと平穏な雰囲気だった。
「シェリー、頼む」
「はい。お任せください」
小部屋の中に入ると、ジノーファはシェリーに目配せをした。彼女は一つ頷くと、小部屋の入り口に糸を張って塞いでいく。ただの糸ではない。魔法の糸だ。彼女が使う魔法で、アネクラの糸という。この魔法を初めて見たとき、「女郎蜘蛛……」と呟いてシェリーににっこりと睨まれたのは、ジノーファにとって教訓とするべき思い出である。
それにしても、なぜ小部屋の入り口を糸で塞いでいるのかと言うと、もちろん理由がある。ダンジョンの中において水場は別名セーフティーポイントとも呼ばれ、モンスターがそこでは出現しないことが知られている。つまり、休憩場としてもってこいなのだ。ただし、出現しないだけでモンスターが入ってくる事はあるので、注意が必要だった。それで、入り口を塞いでいるのである。
モンスターが簡単には入ってこられないよう入り口を塞ぐと、ジノーファとシェリーは揃って少しだけ表情を緩めた。もちろん完全に気を抜くわけにはいかないが、これで比較的ゆっくりと休むことができる。ただし、休むのは頼まれていた水を汲んでからだ。
「じゃ、やろうか」
そう言ってジノーファはシャドーホールから木製の樽を取り出す。そう大きなものではない。容量が十リットルほどの樽だ。彼はその樽を十個取り出した。そしてシェリーと協力してそこに水を汲んでいく。
水を汲み終わると、樽に栓をしてシャドーホールの中へ片付ける。全ての樽を片付け終わると、二人は食事を取ることにした。やはりシャドーホールから、コックのボロネスが用意してくれた弁当を取り出す。中身はサンドイッチだった。
「お茶を淹れますね」
同時に、魔導式コンロを取り出してお湯を入れて沸かす。もちろん、沸かすのは水場の水だ。そしてお湯を使ってシェリーがお茶を淹れてくれた。ダンジョンの水を使ってお茶を淹れるなんて、貴族でも滅多にできない贅沢である。しかもシェリーは最近ヘレナからお茶の淹れ方を習っているらしく、彼女が用意したお茶は絶品だった。
食事を終えると、二人はそのまま仮眠を取ることにした。ただ、モンスターの侵入を警戒しなければならない。アネクラの糸で入り口を塞いであるとはいえ、入ってくる時は入ってくるのだ。それで、仮眠は交替で取ることにした。
「では、ジノーファ様からどうぞ」
「うん、そうさせてもらう」
シェリーに勧められ、ジノーファは素直に頷いた。最初のころは自分が聖痕持ちであることを考慮し、シェリーを最初に休ませようとしていたのだが、彼女は頑として首を縦に振ろうとはしなかった。
『メイドたるもの、ご主人様より先に休むことなどできません』
シェリーはそう言って譲らず、結局ジノーファの方が折れたのである。彼女の強情な一面を知った出来事だった。
ジノーファはシャドーホールから厚手の外套を二着取り出すと、一方をシェリーに渡し、もう一方に包まった。そして適当な場所で横になって目を閉じる。するとすぐに寝息が聞こえ始めた。どこでもすぐに寝られること。これもまた、ダンジョンを攻略する上で必要とされる資質である。
ジノーファの寝息が聞こえ始めると、シェリーは音を立てないよう彼に近づいた。そしてそっと彼の寝顔を覗きこむ。あどけない、歳相応の寝顔だ。こんなにも無防備な寝顔を見せてくれるのは、シェリーを信頼しきっているからに他ならない。それを思うと、彼女は穏やかな満足感を覚えずにはいられなかった。
「あね、うえ……」
不意に、ジノーファがそう寝言を呟いた。様子を窺うと、少し苦しそうに顔をゆがめている。
ジノーファに姉と呼ぶべき人が“いた”ことを、シェリーはもちろん知っている。アンタルヤ王国のユリーシャ王女のことだ。現在は降嫁しているが、二人は仲の良い姉弟であったと聞いている。いや、むしろ家族としてジノーファに接してくれるのはユリーシャだけだった。
そのユリーシャのことを夢に見ているのだろうか。どんな夢を見ているのかと思い、シェリーは胸が痛くなった。たとえどんなに温かい夢だとしても、ジノーファが彼女を「姉上」と呼ぶ事はもう許されない。それどころか会うことさえもままならないのだ。
「大丈夫ですよ……。わたしはずっと、お傍におります……」
小さくそう語りかけ、シェリーはジノーファの隣に添い寝した。そして彼の頭を胸に抱く。あやすように背中を撫でてやると、少しだけ彼の表情が和らいだように見えた。
シェリーの一言報告書「ジノーファ様は意外と脳筋」
ダンダリオン「耳が痛いな」