報告と命令
誘引作戦が始まってから、およそ一ヶ月が経過した。回収された魔石は、全部で十三万個を越えている。当初の予定では一ヶ月で十万程度とされていたので、それを大きく上回る戦果だ。
その報告を受け、ジノーファはダーマードとオズデミルをマルマリズへ呼んだ。防衛線と私貿易の状況を聞くためである。同時に南アンタルヤ王国への遠征計画についても話すつもりだった。
「二人とも、良く来てくれた。早速だが、まずは防衛線の状況について説明してくれ」
「はっ。イスパルタ王国側の防衛線は、非常に安定していると言って良いでしょう。率直に申し上げて、魔の森が活性化する以前の水準です」
ダンジョン攻略がずいぶん効いているようだ、とダーマードは話した。それを聞いてジノーファは一つ頷く。ロストク軍の活動も、少なからず影響しているに違いない。そう思いつつ、彼は無言でダーマードに続きを促した。
「次に北アンタルヤ王国側の防衛線ですが、こちらも以前と比べれば状況は好転しています。メフメトからの報告によれば、防衛線の東寄りの場所では明らかに襲来するモンスターの数が減ったとのこと。ただ西寄りの場所では、それほど変化はないようですな」
誘引作戦は表層域のイスパルタ王国側で、北アンタルヤ王国から見れば東側で行われている。そこに近い場所ほど効果が顕著に出るというのは、当然のことだろう。西側ではあまり効果がなかったようだが、それでも全体としてみれば確実に負担は軽減されていると言って良い。
「シャガードがずいぶん感謝しておったようですぞ。あとはイスパルタ軍の精強さに、いたく感心していたとか。まあ、半分以上は演技でしょうなぁ」
ダーマードはそう言って笑った。「感謝するだけならタダだし、上手くおだてて今後も利用してやろう」というのがシャガードの、そして北アンタルヤ王国の腹の内だろう。それが容易に分かるので、ジノーファも苦笑を浮かべた。
「なるほど。誘引作戦の状況はどうだ?」
「兵たちもかなり慣れてきたようでございます。また誘引されるモンスターの数、特にエリアボスクラスの数が、当初と比べてだいぶ減りました。無論、油断するわけではありませぬが、そうそう滅多なことは起こらないでしょう」
自信を滲ませながら、ダーマードはそう答えた。この一ヶ月で、ずいぶんと戦術的なノウハウも蓄積されている。それでジノーファも一つ頷き、それからこう尋ねた。
「近衛軍を撤収させたとして、作戦の継続は可能だろうか?」
「……戦闘の頻度を落として良いのなら、可能です」
少し考えてから、ダーマードはそう答えた。近衛軍が撤収すれば、作戦に携わる戦力は半分になる。兵士の疲労や拠点の修繕の手間なども考えれば、どうしても誘引の回数は減らさなければならない。それは至極当然のことなので、ジノーファも咎めることなく一つ頷いた。
「二人の手勢は増やせないだろうか?」
ジノーファがそう尋ねると、ダーマードとオズデミルは顔を見合わせた。それからダーマードがこう答える。
「増やせることは増やせますが、五〇〇〇は無理ですな」
彼のその言葉に、オズデミルも重々しく頷く。つまり近衛軍が抜けた分をそっくり穴埋めすることはできない、というわけだ。特にダーマードは誘引作戦だけでなく、防衛線の維持にも兵を出している。戦力的な余裕がないというのは本当だろう。
もっとも、この二人は私貿易で相当の金を稼いでいる。領内からこれ以上徴兵することが難しいとしても、傭兵を雇うなりすることはできるはず。まあ、それでも五〇〇〇は厳しい、というのが二人の見立てなのだろう。
「分かった。では次に私貿易の状況について説明してくれ。最近の様子はどうだ?」
「はっ。北はやはり、ずいぶん苦しいようです」
今度はオズデミルがそう答えた。北の情勢が苦しいのは、ジノーファも分かっている。私貿易にはそれが顕著に表れているのだろう。ジノーファが一つ頷いて続きを促すと、オズデミルはさらにこう話した。
「最近では、金貨で支払われるのは半分程度になっています。残りの半分は物品との交換です」
「物品というと、金塊や宝石類だろうか?」
「それもあります。煌石などはもう定番です。ただ最近はなりふり構わなくなってきましたな。絵画などの骨董品はまだ良い方です。ついこの間など、銀食器まで混じっておりました。連中、ナイフもフォークも使わず、手づかみで食事をしているのかもしれませぬ」
そう言ってオズデミルが肩をすくめると、ジノーファは苦笑を浮かべた。ダーマードは遠慮なく笑い声を上げている。北アンタルヤ王国の窮乏には、彼も責任があるだろうに。もっともそれを言えば、発案者であるジノーファこそが最大の責任を負わねばなるまいが。
「やはり、国内で流通する金貨の量が減っているのかな?」
「そのようです」
オズデミルははっきりとそう答えた。金貨、つまり貨幣の流通量が減れば、経済への悪影響は避けられない。そして経済が混乱すれば、それは兵站の不安に直結する。北アンタルヤ軍はまともに戦えなくなるだろう。
さらに言えば、北アンタルヤ王国の南側は荒廃が酷い。南アンタルヤ王国の貴族らが兵を率いて繰り返し攻めてくるからだ。村々は焼き払われ、農地は荒れ放題だという。税収もかなり減っているに違いない。
「実は、何度か借金を打診されています。無論、断っておりますが」
「本当に金貨が足りないのだな。そのうち、注文リストに金貨が混じるかもしれないぞ?」
「あり得ますな。注意して確認いたしましょう」
オズデミルが生真面目にそう応えるものだから、ジノーファとダーマードは揃って笑ってしまった。オズデミルも笑う。ひとしきり笑ったところで、ジノーファは二人の方を向いてこう言った。
「防衛線も私貿易も、様子が聞けて良かった。……これで、安心して兵を動かせる」
それを聞いて、ダーマードとオズデミルは顔を強張らせた。無論、二人とも南アンタルヤ王国との間で結ばれた、相互不可侵条約の失効が近いことは知っている。それに合わせて何か動きがあるのではないか。彼らもそう思ってはいたが、それでもジノーファの発言は二人にとって不意打ちだった。
「……狙いは、北、でございますか?」
「いや、南だ。エルズルム城とバイブルト城を奪取する」
恐るおそる尋ねたオズデミルに、ジノーファはそう答える。オズデミルとダーマードは視線を交わしてから、揃って真剣な顔で頷いた。具体的な目標が出てくる以上、すでにある程度計画は出来ているに違いない。少なくとも近衛軍は動き始めているはず。彼らはそう思ったのだ。
「では、我らも兵を?」
「いや。卿らには、誘引作戦を継続してもらいたいと考えている」
ジノーファはダーマードにそう答えた。それを聞いて、二人は怪訝な顔をしながら首をかしげる。南アンタルヤ王国と戦い、エルズルム城とバイブルト城の奪取を目指すのであれば、イスパルタ王国にとっては総力戦だ。五〇〇〇もの兵を別に割くのは、愚策ではないのか。二人の顔にそれが出ていたのだろう。ジノーファはさらにこう言葉を続けた。
「遠征中に北の防衛線が決壊し、国内に影響が出るのが一番困る。それを避けるための誘引作戦だ」
「なるほど……。ですが、この一ヶ月ですでに十三万以上のモンスターを間引きました。十分ではありませぬか?」
「卿らを動かさない理由は他にもある。北アンタルヤ軍への備えだ」
次の遠征はイスパルタ王国にとっては総力戦になる。逆を言えば、国内に残せる戦力は少ない。何より北アンタルヤ王国はイスパルタ王国に対して、敵対的な姿勢を崩していないのだ。空になった本国を北アンタルヤ軍に狙われるのではないか。ジノーファはそれを警戒していた。
もちろん、北アンタルヤ軍の主力が南の国境付近で防戦一方であることは、ジノーファも知っている。今のままなら、彼らにイスパルタ王国へ攻め込むだけの余裕はない。だがイスパルタ軍がエルズルム城とバイブルト城を落とせば、ガーレルラーン二世も北を任せている貴族らの軍を、今度は二城奪還のために使うだろう。
そうなると、北アンタルヤ軍には余裕が生まれることになる。そのときイスファードはどうするのか。疲弊した戦力の回復に努めるのか、それとも南へ進攻するのか、あるいは東へ向かうのか。
普通に考えれば、東へ向かう可能性は低い。何しろ、北アンタルヤ軍の兵站は私貿易に大きく依存しているのだ。だが北アンタルヤ軍が東へ進めば私貿易どころではない。東へ進むのは、自分で自分の補給線を切るような行為と言える。
加えて、主力を東へ差し向ければ、北アンタルヤ王国の南は手薄になる。ついこの間まで紛争地帯だった場所を、それも敵を打ち倒したわけでもないのに手薄にするのは、不安だろう。それなら後退する敵を追って南へ侵攻した方が合理的だ。今まで散々煮え湯を飲まされて来たわけだから、感情的にも納得はしやすいはず。
だが結局全ては推測に過ぎない。イスファードが南アンタルヤ王国よりもイスパルタ王国を、ガーレルラーン二世よりもジノーファを強く憎んでいれば、南ではなく東へ向かう可能性は大いにある。そしてその可能性を、ジノーファは否定できないでいた。
「北が東に動かないという保証はない。二人には誘引作戦を継続しつつ、北の動きに注意してもらいたい」
「つまり、誘引作戦を名目にして兵を集め、その戦力を背景にして北を牽制しろ、ということですな」
「誘引作戦そのものにも、北を躊躇わせる効果があるはずだ」
ジノーファがそう言うと、ダーマードとオズデミルは揃って頷いた。誘引作戦が継続されるなら、防衛線への負担がさらに軽減される。同時に、作戦を行っている戦力も無視できないだろう。補給線のことも考え合わせれば、さすがにイスファードも東へ向かうのは愚策と判断するはず。ジノーファはそう期待していた。
もっとも、それでもイスファードが東へ向かう可能性はある。歴史書を紐解けば、「なぜこんな愚行を?」と首をかしげたくなることは多い。相手が常に理性的かつ合理的に動いてくれると考えることも、それはそれで危険と言える。だからこそ、備えは必要なのだ。
「二人とも、やってもらえるだろうか?」
「陛下。陛下は国王であらせられます。臣下たる者どもに、左様に気を遣われる必要はありませぬ。ただ一言、『そうせよ』とお命じ下さい。さすれば皆、陛下のご命令に従いましょう」
「ダーマード卿の言うとおりでございます、陛下。無論、そのように心配りをされるところが陛下の美徳であると、我らも心得ております。ですが臣下に対して腰が低すぎれば、国内外から惰弱と侮られましょう。王座を軽んじるべきではありませぬ」
「そんなつもりはなかったのだが……。分かった、気をつけよう」
神妙な顔をしてそう呟き、ジノーファは一つ頷いた。それから彼は背筋を伸ばし、真剣な表情を浮かべてダーマードとオズデミルの方へ視線を向ける。二人はソファーから立ち上がると、直立不動の姿勢を取って王の命令を待った。
「ではネヴィーシェル辺境伯ダーマード、及びバラミール子爵オズデミル。改めて両名に命じる。兵を率いて誘引作戦を継続しつつ、同時に北アンタルヤ王国の動向を注視せよ。そしてもし侵攻の兆しがあれば、これに対処するように」
「ははっ」
「御意にございます」
ジノーファの命に対し、二人は片膝をついて頭を垂れた。それを見てジノーファは一つ頷くと、さらに二人にこう尋ねた。
「何かあるか?」
「では陛下、兵を増員してもよろしいでしょうか?」
そう尋ねたのはダーマードだった。近衛軍が撤収すれば、モンスターを誘引した際に防衛線に不安が残る。後詰めのためにもう少し兵を増やしたい、というのが彼の要望だ。ジノーファは一つ頷くとこう答えた。
「許可する。防衛線が決壊したのでは、誘引作戦の意味がないからな」
「ははっ」
「陛下、私からも一つ。もし北に侵攻の兆しが見えた場合、私貿易はいかがいたしましょうか?」
ダーマードの隣で、今度はオズデミルがそう尋ねた。私貿易を中断することで、物資が不足し敵軍の足が止まる効果が期待できる。しかしその一方で、イスファードが躊躇う理由もなくなるかもしれない。
そもそも私貿易はジノーファの発案だ。二人の判断で勝手に止めてしまって良いものなのか。だがジノーファはオズデミルに視線を向けると、すぐにこう答えた。
「そちらの判断に任せる。ただし、私貿易の利益に目がくらんで、判断を誤ることのないように」
「御意」
オズデミルは短くそう答えた。その顔には安堵が浮かんでいる。私貿易を現場の判断で中断して良いのなら、北アンタルヤ王国に対して強力なカードとなるだろう。牽制もしやすくなるに違いない。
「ああ、それから。イスパルタ軍の遠征の事、北には伝えるな。知らなければ、良からぬ事を企みもしないだろう」
思い出したように、ジノーファがそう付け加えた。確かに遠征のことを知らなければ、イスファードの視線は南に向いたままだろう。また北アンタルヤ王国では物資が不足している。敵が退いたからすぐさま東へ、と言うわけにはいかないだろう。事前の準備が必要だが、何も知らなければ準備などするはずもない。
つまり情報を制限することで、北アンタルヤ王国の動きを鈍らせるのだ。ダーマードもオズデミルも、真剣な顔をして頷いた。それからさらに幾つかの打ち合わせが続く。それが終わって退席する二人の背中を見送ると、ジノーファはため息を漏らして椅子の背もたれに身体を預けた。
「お疲れ様です、陛下」
そう声を掛けたのはユスフだった。彼は誘引作戦がこなれてきたのを見届けてから、一足先にマルマリズへ帰還していたのだ。彼は声をかけるのと同時に、淹れたてのお茶をジノーファに差し出す。それを一口啜り、ジノーファはようやく人心地ついたように思えた。
「国王らしくするのも、大変でございますね」
「まったくだ。わたしはつくづく、この家業に向いていないらしい」
そう言ってジノーファが肩をすくめると、ユスフは楽しげに笑った。シェリーやダンダリオンが聞けば、きっと同じように笑うだろう。だがガーレルラーン二世の耳に入れば、彼はきっと冷笑するだろう。そしてイスファードが知れば激怒するに違いない。ユスフはそう思った。
「……それにしても、まさかあの二人から『もっと国王らしくしろ』と言われるとは、ね」
「意外でしたか?」
ユスフがそう尋ねると、ジノーファは苦笑しながら頷いた。そしてこう言葉を続ける。
「アンタルヤ王国の貴族というのは、自主自立の気風が強い。別の言い方をすれば、王家が強い力を持つことを好まない。王らしい王というのは、はっきり言って彼らにとっては邪魔な存在のはずなのだ」
それなのにダーマードもオズデミルも、ジノーファに「もっと王らしくしろ」という。尤もなことではあるが、彼がその諫言を意外に思うのも無理はない。
「お二人とも、陛下への忠誠心を強くされているのでしょう。良い傾向ではありませんか?」
ユスフの言葉にジノーファは一応頷いたが、事はそんなに単純ではあるいまい。恐らく彼らは、自分たちが思った以上に小さいことに気付いてしまったのだ。
三つに割れる前、アンタルヤ王国は大国であり強国だった。その中にいたからこそ、貴族たちは自主自立の気風を保てたと言える。要するに、国という囲いの中で背比べをしていたのだ。
だがその囲いは壊れてしまった。他でもない、彼らが壊した。自分たちを締め付ける、疎ましい囲いであったからだ。壊した直後は清々したことであろう。だがその囲いが自分たちを保護もしていたことに、彼らは徐々に気付き始めたに違いない。
一度戦争に負ければ、全てを失うのだ。自分たちが自主自立を保つためには、まずは国が強大でなければならない。そしてそのためには強い王が必要である。ダーマードやオズデミルはそう考えたのではないだろうか。
(強い王、か……)
それはどんな王だろうか。ジノーファはふと考えた。彼の脳裏に浮かぶのは、ダンダリオン一世の姿だ。だが彼の真似事をすれば強い王になれる、というわけでもないだろう。
(まずは……)
まずは今回の遠征を成功させることだ。そうやって実績を積み上げれば、肩を怒らせるようなまねをしなくても、自然と強い王として評価されるに違いない。ジノーファはそう思った。
ユスフ「少なくとも強権的なのは、ウチの陛下には似合わないな」
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今回はここまでです。
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