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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
大アンタルヤ王国
177/364

誘引作戦 ー戦況報告ー


「陛下。ハザエルより、報告が届いております」


「ああ、クワルド。ユスフのほうからも報告が来ている。上手くやったようだ」


 そう言葉を交わしてから、クワルドとジノーファはお互いに頷き合った。ハザエルとは防衛線へ派遣した部隊の司令官のことである。そしてユスフもまた、この派遣部隊に同行していた。


 ユスフが同行しているのは、戦力としてというわけではない。無論、武器は持って行ったし、いざとなれば戦うだろう。しかし決して、彼は戦う為にジノーファの傍を離れたわけではないのだ。彼が近衛軍の派遣部隊に同行したのは、その仕上がり具合を確かめるためである。


 今回の防衛線への派遣にそう言う意図があることは、すでにクワルドを通じてハザエルにも知らされている。とはいえハザエルを疑うわけではないが、身内の申告だけでは信憑性に欠ける。特に近衛軍は、建国からこれまでの間、予算面で優遇されてきた。結果を出すことが強く求められているのだ。


 そうなると、仮にまずい戦いをしたとして、それを正直に報せてくるかは分からない。あるいはハザエルが上々の出来映えと思っていても、それがジノーファの求めるレベルに達していない可能性もある。


 とはいえ、ジノーファ本人が出向くわけにもいかない。ちょっと口に出しただけで、スレイマンもクワルドも猛烈に反対してきた。それで、ジノーファに近い視点を持つ者として、ユスフを送り込むことにしたのだ。彼はジノーファの代理として、戦いをつぶさに見届けることになる。ちなみに彼の従者としてカイブも同行していた。


 ユスフを紹介された時、抗弁はしなかったものの、ハザエルはちょっと嫌そうな顔をした。彼からすれば、ユスフは監視役に思えたのだろう。


 そもそもユスフはジノーファの従者ではないか。その彼に戦術の善し悪しなど評価できるのか。あるいは仕上がりうんぬんは方便で、自分たちの事を信頼していないのか、とさえ思ったかも知れない。そんなハザエルを、ジノーファは笑顔でこう脅した。


『ロストク帝国の皇帝直轄軍が魔の森で活動していることは知っているな? ユスフはわたしと一緒に、その作戦に加わったことがある。つまり卿らの比較対象は直轄軍だ。近衛軍の奮起を期待している』


『ははっ』


 ハザエルは慌てて拳を胸に当てた。イスパルタ王国の周辺で精強な軍隊と言えば、まず真っ先にロストク帝国の皇帝直轄軍の名前があがる。そして近衛軍をこの直轄軍に比肩させるべく、ジノーファは改革を行わせ予算を優遇してきたのだ。ハザエル自身、そのことは重々承知していた。


 そしてユスフは、その直轄軍の戦いぶりをじかに見たことがある。それも今回と同じ、魔の森における誘引作戦だ。しかも彼自身、実際に戦っている。近衛軍の戦いぶりと比較するのは容易だろう。


 一方で、ハザエルが魔の森で誘引作戦を指揮するのは、言うまでもなくこれが初めてである。つまりこの点に関しては、ユスフはハザエルよりも経験豊富なのだ。しかも直轄軍の戦いぶりを知っているから、いわば目が肥えている。下手な戦いぶりを見せれば、容赦なく酷評されるに違いない。


 ハザエルはこの時初めて危機感を抱いた。無論、防衛線への派遣を知らされてから、彼は万全の準備をしてきたつもりだ。「楽な作戦だ」と油断していたわけでは決してない。だがジノーファの見る目が思っていた以上に厳しいことに、彼はこのとき気付かされたのである。


 近衛軍は何としても結果を出さなくてはならない。その中でクワルドはハザエルを指揮官に選んだ。それは彼の能力を高く評価してのことだし、また期待の現れでもある。つまり彼もまた、何としても結果を出さなくてはならないのだ。


 こうなると、ユスフのことを「気に入らぬ」などと言っている場合ではなくなった。彼の経験は、今のハザエルにとって金よりも貴重である。ハザエルはユスフの話を積極的に聞いた。


 さらにユスフはハザエルが思いもよらない人脈を持っていた。ロストク軍から派遣されてきた相談役のボルストと、彼は面識があったのである。


『ボルスト卿、お久しぶりです』


『おお、ジノーファ陛下の従者殿か。確か、ユスフ殿と言ったな』


 そう親しげに言葉を交わす二人を、ハザエルはやや唖然として見守った。そしてこの人脈もまた、彼にとって得がたいものとなった。実際に作戦を決行する前に、ハザエルはボルストから個人的に話を聞くことができたのである。


 もちろん直轄軍が蓄積した戦術的な知見は、余すところなくイスパルタ軍に伝えられている。その知見は非常に有用だった。ボルストらの話を聞くことで、ハザエルはどう指揮を執るべきかがより明確になったと感じている。


 ただハザエルはもっと突っ込んだことが聞きたかった。つまり指揮官としてその戦場で何をどう感じたのか、ということも聞きたかったのだ。そしてそれが聞けたのは、ユスフにボルストを紹介してもらったからだった。


『一番大きいのは、やはり相手が人間ではないということだな。戦場に狂気は付きものだが、あそこで感じたものは……、何というか、言葉にしづらいな。人間の上っ面の感情ではなく、もっと根源的なものを感じた気がする。言い方を変えれば、普通の戦場とはまた違った凄みがあった』


『なるほど』


『その凄みというやつは、おそらく末端の兵士ほど強く感じるはずだ。人との戦いになれている兵士ほど、あの空気は異質に感じるかもしれんな。戦術を語るだけなら、それは無視できる。だが実際の戦場では、兵士の士気に関わることだ。軽視するべきではないと、私は思う』


 ボルストの話に、ハザエルは大きく頷いた。この話を事前に聞けただけでも、ユスフが同行している価値があったと言って良い。もしかしたらジノーファの狙いはそこにもあったのかもしれない。ハザエルはそう思った。


 そしてその辺りの事情も、ジノーファはユスフからの手紙ですでに知っていた。クワルドにも知らせてあり、二人はハザエルの対応に満足していた。「私には簡単なこと」などと言って油断しているようでは、指揮官として信用することはできないのだから。


 さて、ユスフからの事前情報のおかげで、ジノーファとクワルドは誘引作戦にそれほど大きな心配はしていなかった。ただ、戦場では何が起こるか分からない。特にモンスター相手の場合、飛び抜けて強力な個体が出てくる場合もある。十中八九は成功するはず、と思いつつ二人は続報を待っていた。


 その続報が今日、二人のもとへ届いたのである。先に前線を担当したのがネヴィーシェル辺境伯とバラミール子爵の連合軍であったので、続報ではそちらの戦果も合わせて報せてきている。


 モンスターの総撃破数、一万二一八九匹。内、エリアボスクラス二七匹。味方の損害、軽微。簡単にまとめるとこんなところであろうか。モンスターの撃破数は回収された魔石の数のことなので、実際には一万三〇〇〇匹以上のモンスターを撃破したと思われる。


 十分に満足できる結果、と言って良い。ジノーファとクワルドはそれぞれの所へよせられた報告をすりあわせ、満足げに頷き合った。誘引作戦は成功したのだ。今後、回数を重ねていけば、順調にモンスターの数を減らせるだろう。北アンタルヤ王国側の防衛線の負担も、ある程度は軽減されるはずだ。


 ただ、報告の中には気になることもあった。二回行われた誘引作戦では、いずれも一部のモンスターが拠点ではなく防衛線のほうへ流れてきた。数にしておよそ一〇〇〇ずつ、合計で二〇〇〇だ。つまり二割弱のモンスターが防衛線のほうへ流れた事になる。


 幸い、五〇〇〇以上の戦力を待機させてあったので、防衛線が破られるようなことは起きていない。誘引作戦を行う上で、モンスターが流れてくることは最初から想定されたからだ。だが実際にこうして報告を受けると、やはり重々しさが違う。


「拠点と防衛線との間に、出城のようなものを造った方がいいだろうか?」


「……いえ、その必要はないでしょう」


 少し考えてから、クワルドはそう答えた。モンスターが流れてきたとはいえ、対処はしっかりと出来ている。わざわざ出城を造るほどのことではないだろう。そもそも一万の戦力を半分に分け、五〇〇〇を後方に置いたのはこのためだ。


 それにこの報告が来るまでの間に、すでに三回目、四回目の誘引作戦が行われているはず。回数を重ねる毎に誘引されるモンスターの数が減る傾向にあるのは、ロストク軍の経験則から明らかになっている。そして全体数が減れば、防衛線へ流れてくる数も減る。より大がかりな誘引を計画しているならともかく、現在の作戦規模を維持するだけなら、出城は不要だ。


「そう、か。うむ、そうだな」


 一回二回と頷いて、ジノーファは納得の表情を浮かべた。それから彼はもう一度、報告書に視線を落とす。そして小さく苦笑を浮かべた。


「それにしても、ラグナは張り切っているようだ」


「はい。頼もしいことです」


 ジノーファの言葉に、クワルドは表情を明るくして同意した。報告書によれば、ラグナは連合軍だけでなく近衛軍にも協力してくれた。そして彼は主にエリアボスクラスのモンスターを討伐して回った。


 討伐された二七匹のエリアボスクラスの内、なんと十八匹をラグナが一人で討伐したという。作戦二回分とはいえ、それでも一回あたり九匹のエリアボスクラスを討伐したことになる。驚異的な戦果、と言って良い。ただしそれは、彼の個人的武勇に頼らざるを得なかった、という意味でもある。


「……正直、こんなにエリアボスクラスが出てくるとは、思っていなかった」


 ジノーファはため息を吐きながらそう呟いた。モンスターの数はともかく、エリアボスクラスの数は想定していたのよりもずっと多い。ラグナがいなければ作戦が破綻していた可能性もある。彼がいてくれたことは、本当に僥倖だった。


「今後は、エリアボスクラスの数も減るでしょう。ラグナ卿に頼ることも少なくなるはずです」


「……そうだな。本当はわたしも行ければ良かったのだけど」


「陛下」


「分かっている。自重するさ」


 クワルドに睨まれ、ジノーファは大げさに肩を竦めながらそう言った。ただラグナがいなかったとしたら、彼は反対を押し切って表層域に赴いていたかも知れない。彼は聖痕(スティグマ)持ちだ。そして聖痕(スティグマ)持ちとは、本来こういう時のためにいるはずなのだ。


 そういう意味で、ラグナはジノーファの代理だったと言って良い。ラグナとジノーファでは、武人としてのスタイルは随分違う。しかしその戦いぶりが味方を大いに鼓舞することに違いはない。いやむしろ、こと戦場においては、ラグナのほうが強い輝きを放つのではないだろうか。


「ラグナと立ち会ってみて、わたしではもう勝負にならないかもしれないな」


 ジノーファがそう呟くと、クワルドは「ご冗談を」と言って笑った。だがジノーファに冗談のつもりはない。建国事業を始めてからというもの、彼は以前のようにダンジョンに潜れていない。当然、吸収できた経験値(マナ)の量も僅かだ。


 一方でラグナは、ダンジョンに潜り続けている。しかもピンクソルト採取のため、深層に近い位置で日常的に攻略を行っているのだ。差は随分と開いてしまったと思うべきだろう。彼は名実共にイスパルタ王国、いや世界最強の戦士である。その彼が獅子奮迅の戦いぶりを見せれば、味方の士気が大いに高まるのは自明であろう。


「……何にしても、誘引作戦は上手くいっている。そういう認識で良いかな?」


「御意。今後、モンスターの数がどのように推移していくのか、はっきりとしたことは言えません。ですが、大抵のことは対処が可能でしょう」


「スタンピードが起こっても、か?」


「御意」


 クワルドは短く、しかしはっきりとそう答えた。それを受けて、ジノーファは大きく頷く。そして真剣な口調でこう言葉を続けた。


「では、どうにか目途は立ちそう、というわけだ」


 その言葉に、クワルドも真剣な表情で頷き、もう一度「御意」と応えた。彼らの言う目途とは、直接的には「北アンタルヤ王国側の防衛線を維持するための目途」である。ただし今現在、これは別の意味も持つようになっていた。


 イスパルタ王国が南アンタルヤ王国と結んだ、三年間の相互不可侵条約。その失効があと四ヶ月のところにまで迫っている。ジノーファとクワルドの頭にあるのは、このタイムリミットだった。


 タイムリミットが迫るにつれて、ガーレルラーン二世が何かしらの軍事行動を取る可能性は高まる。何事もなくタイムリミットを迎えたとすれば、その時以降、いつ何が起こってもおかしくはない。


 もし南アンタルヤ王国との間で戦端が開かれれば、イスパルタ王国は全力を挙げてこれに当たらなければならぬ。だがそのタイミングで北アンタルヤ王国側の防衛線が決壊したらどうか。イスパルタ軍は最悪、二正面作戦を強いられることになる。


 国の北部は放棄。表層域にのまれたとしても仕方なし。主力はロストク帝国との国境際まで後退。援軍を待って決戦を挑み、敵を国内から排除する。その後、防衛線を再構築。国土は二〇~十八州程度となるだろう。さらに国内に入り込んだモンスターを討伐しきるのに、どれほど時間がかかるかは見通しが立たない……。


 近衛軍の内部では、そのようなプランまで策定されていた。ジノーファもその存在は知っているが、悲観的すぎるとは思わない。事と次第によっては、十分に起こりえるシナリオだ。


 ジノーファが誘引作戦を行うことにしたのも、それが理由の一つだった。つまり南アンタルヤ王国と事を構えているときに、北アンタルヤ王国側の防衛線が決壊してはたまらない。その予防策としてモンスターを間引くことにしたのだ。


 幸いにして誘引作戦は上手くいった。このまま行けば、一ヶ月で十万以上のモンスターを討伐することができるだろう。イスパルタ王国に近い位置で防衛線が決壊するリスクはかなりの程度低減されるはずだ。


 つまりイスパルタ軍としては、防衛線のことは気にせず、南アンタルヤ軍の動向にのみ注意すればよいことになる。いやそれどころか、防衛線に不安がなくなれば、より大胆な行動に出ることも可能であろう。「目途が立ちそう」とは、つまりそういうことである。


「ガーレルラーンの動きは、どうだ?」


「大きな動きはありませぬ。思うに、動くに動けんのでしょう」


 クワルドがそう言うのを聞き、ジノーファは一つ頷いた。ガーレルラーン二世が動くに動けない、というのはジノーファも同じ意見だ。その証拠として、彼はこれまでに北伐を行っていない。


 前述した通り、イスパルタ王国と南アンタルヤ王国の間で結ばれた相互不可侵条約の有効期限は三年。ガーレルラーン二世はその間に北アンタルヤ王国を降すつもりだ、というのがイスパルタ王国上層部の見解だった。


 しかし条約の失効まであと四ヶ月ほどだというのに、ガーレルラーン二世は未だ北伐を行っていない。クルシェヒルに籠もり、方々へ睨みを利かせているだけだ。切り取り自由の勅命を受けて、南アンタルヤ王国の貴族たちは活発に動いているが、しかし彼自身は沈黙を保っている。


 ガーレルラーン二世としては、内心「予定が狂った」と思っているのではなかろうか。ジノーファはそんな風に想像している。もっとも、彼の内心をそんなに簡単によめるものだろうか、とも思ってしまう。


 だが何にしても、イスパルタ王国を取り巻く情勢、特に安全保障上の環境を好転させるためには、どこかで大きく動く必要がある。そしてその条件は整いつつあるのではないのか、というがジノーファとクワルドの意見だった。


ラグナ「ふはははは、我こそが世界最強である!」

ユスフ「一概に否定できない」

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