誘引作戦 ー事前交渉ー
「メフメト、これは……!」
私貿易の取引現場で今回用意された武器を確認すると、シャガードは思わず驚きの声を上げた。彼がメフメトの方を振り返ると、旧友は素知らぬふりを決め込みすまし顔でこう答える。
「多少使い込んでいるが、手入れをすればまだ大丈夫なはずだ」
「そういう問題じゃない。これは、ロストク帝国の紋章だぞ……!」
シャガードは木箱に収められた剣を一振り手に取る。その鞘には間違いなくロストク帝国の紋章が刻まれている。それも一振りや二振りではない。木箱に入っている分全て、いや納品リストによれば装備一式二〇〇〇人分を持ってきたということだが、恐らくはその全てに同様の紋章が刻まれているに違いない。彼は表情を険しくした。
「……これはロストク帝国皇帝直轄軍の制式装備だな?」
「やはり気付くか」
「茶化すな。……どうやって手に入れた? 大丈夫なのか?」
シャガードがそう言って詰め寄ると、メフメトは大げさに肩を竦めて見せた。そして彼はこう事情を説明する。
「この武器は、直轄軍の装備更新に伴う廃棄品だ。独立前、ウチは秘密裏に帝国と密貿易を行っていたからな。その伝手を頼って、比較的マシなものを回してもらった」
より正確には、在ロストク大使のバーフューズを通じ、ジノーファがダンダリオン一世に願ったことだった。義理の息子からの手紙を読むと、ダンダリオン一世はその場でこの件を了承したのである。
『して、どれほど必要なのだ?』
『はっ。ひとまず、装備一式で二万人分、お願いいたします』
ダンダリオン一世は鷹揚に頷いた。こうして、二万人分の装備がイスパルタ王国のネヴィーシェル辺境伯領へ輸出されることになった。当初ジノーファはこれを陸路で輸送するつもりだったのだが、ダンダリオン一世はそれを非効率と考えた。
『海路を使うぞ』
『海路、でございますか。いえ、ですが、辺境伯領は海に面しておりませぬが……』
バーフューズは困惑した様子でそう答えた。そんな彼に、ダンダリオン一世はにやりと笑ってこう告げた。
『うむ。だが魔の森には面しているではないか』
魔の森では現在も、北海に面した拠点で直轄軍が作戦行動をしている。その拠点の近くにはダンジョンがあり、それを利用することでネヴィーシェル辺境伯領のすぐ近くにまで行けるのだ。しかも魔の森であれば、収納魔法を使うことができる。
つまりダンダリオン一世は、帝都ガルガンドーから魔の森の拠点まで船で荷物を運び、そこから収納魔法を使いダンジョンを通って辺境伯領へ届けることを考えたのだ。これなら輸送コストを最小限に抑えることができるだろう。
加えてダンダリオン一世は輸出する武器の対価として、金銭ではなく食料を要求した。魔の森で活動する部隊を養うための食料である。話し合いの結果、二万人を五日間養えるだけの食料が支払われることになった。
こうしてみると、これはかつての密貿易の焼き直しであると言って良い。メフメトがシャガードにした説明も、あながち嘘ではないと言うことだ。ただし、その伝手がジノーファとダンダリオン一世であることだけが、余人の想像の及ばぬ部分であろうが。
閑話休題。もっとも、二万人分の装備が一度に運ばれてきたわけではない。二〇〇〇人分ずつ十回に分けて、ネヴィーシェル辺境伯領へ運び込まれることになっている。今回はその最初の分、というわけだ。
そして当然、今後さらに多くの武器を北アンタルヤ王国へ引き渡すことになる。ロストク帝国の紋章が入った武器を、だ。その点について、メフメトはシャガードにこう釘を刺した。
「分かっていると思うが。これらの武器は防衛線で使え。そちらにとっては、万が一にもガーレルラーンの目に留まるわけにはいかないはずだ」
ロストク帝国の紋章が入った武器を北アンタルヤ王国の兵士が使っていることを知れば、ガーレルラーン二世は当然その武器がどこから来たのかを考えるだろう。そしてイスパルタ王国が流しているという結論に達するに違いない。
つまり私貿易のことが露見するのだ。ガーレルラーン二世は必ずやそれを止めさせるよう、圧力を掛けてくる。また相互不可侵条約の失効が近い。兵を動かすことさえあるだろう。事と次第によっては、そのまま全面戦争へ突入しかねない。
北アンタルヤ王国にとってもイスパルタ王国にとっても、それは望むことではない。であればどうしても、これらの武器の存在をガーレルラーン二世に知られるわけにはいかないのだ。そうなると、使いどころは防衛線しかない。シャガードもそのことは、言われるまでもなく承知している。
「ああ。上の方にも、必ずお伝えする」
シャガードはそう言って重々しく頷いた。彼の言う「上の方」とは、エズラー男爵ヌークではない。エルビスタン公爵領の領主代行を務めている、王妃ファティマだ。シャガードも最近は彼女の存在をあまり隠さなくなってきた。
エズラー男爵のバックに大物がいることは最初から分かっていたが、その存在がだんだんと透けて見えるようになってきたのである。メフメトにとっては都合の良いことと言えた。
「……それにしても、やはり帝国は強国だな。そして豊かだ。この武器が廃棄品とは」
シャガードはそう呟いて、再び手に持った剣に視線を落とした。確かに随分と使い込んである。だが少し手入れしてやれば、まだ十分に使えるだろう。そもそも防衛線でもシュルナック城でも、刃の欠けた剣や切っ先の折れた槍まで使っているという。換えの武器がないからだ。それと比べれば、この廃棄品ははるかに上等だった。
しかも廃棄品だけあって格安である。いや、足下は見られているが、私貿易の相場で考えれば格安なのだ。仕入れ値はもっと安いはず。ロストク帝国にとっては、「ゴミが小銭に化けた」という程度の感覚なのだろう。そのゴミを、北アンタルヤ王国は必死になって買い集めている。シャガードは途端に惨めな気分になった。
アンタルヤ王国の時代からこうだったわけではない。むしろアンタルヤ王国はロストク帝国に勝るとも劣らない大国だった。それが今や、こうしてはっきりと差をつけられてしまった。
(いや……、悪いのは北だけ、か……)
シャガードは内心でそう嘆息する。南アンタルヤ王国は五〇州に国土を倍増させた。イスパルタ王国は国土こそ二六州と小さいが、ウファズを押さえて交易を活発に行うことで巨万の富を得ている。ジリ貧で今にも滅亡しそうになっているのは、北アンタルヤ王国だけだ。
(泥船、か……)
沈むか、それとも沈まないか、の問題ではない。いつ沈むのか。もうすでにそう言う問題になってきている。よほど事態が好転しない限り、北アンタルヤ王国が滅ぶのは時間の問題だ。
そしてシャガードに国家の命運を左右するだけの力はない。ではどうするべきなのか。方向性は明らかとしても、具体的にどう動けば良いのか。またいつ動けば良いのか。慎重に考える必要がある。
「……ところでメフメト。防衛線への支援の件は、どうだった?」
手に持っていた剣を木箱に戻すと、シャガードは話題を変えてそう尋ねた。北アンタルヤ王国のことを泥船に例えはしたが、沈んでしまえば良いと思っているわけではない。そして沈むのが避けられないのなら、それが少しでも先になれば良いともシャガードは思っている。防衛線への支援はそのためにどうしても必要だ。
「そのことだが、父上は動いても良いとお考えだ」
メフメトは少々もったいぶった様子でそう答えた。それを聞いてシャガードは驚く。彼は正直、必要とは言えこちらは無理筋だろうと思っていたのだ。しかしその予想に反し、ダーマードは動いても良いという。
「本当か!? それで、どう動いて下さる!?」
「こちら側へモンスターを誘引して間引く。詳しい計画は私も知らないが、表層域に拠点を造るおつもりのようだ。まあ、直接防衛線に誘引するわけにも行かないからな。それからな、驚け。父上は近衛軍も動かしたぞ」
「近衛軍を!?」
シャガードはまた驚いた。近衛軍といえば、国王ジノーファの直属軍だ。ダーマードの一存で動かすことなどできない。彼はジノーファに直訴し、モンスターの誘引を納得させたのだ。一体どんな手管を使ったのか。シャガードは想像もつかない。
「『北の方からモンスターが流れてきて困る。散発的な襲来にずっと対処し続けるのも負担が大きいので、誘引して一気に撃滅したい』。そんな風に話をされたらしい」
疑問がシャガードの顔に出ていたのだろう。メフメトはそう説明した。彼の表情は得意げである。
実際のところ、近衛軍まで動かしてことに当たらせるようにしたのはジノーファだ。だがそれをシャガードに教えるわけにはいかない。だからダーマードの発案ということにする。これはマルマリズで決まったことだ。
だからメフメトの言動に何か問題があるわけではない。むしろ少し得意げにしていたほうが、説得力があるだろう。だがそれが素なのか、それとも演技なのか、そこには差がある。何しろ、ちゃっかりと手柄を横取りしているようなものなのだから。
もっとも、シャガードに演技だと思われたらそれはそれで問題だが。幸いにしてシャガードはメフメトの様子を不審に思わなかったようで、彼は顔に喜色を浮かべたまま勢い込んでさらにこう尋ねた。
「それで、戦力の規模はどの程度になる?」
「ウチが四〇〇〇、バラミール子爵家で一〇〇〇、近衛軍が五〇〇〇で、合計一万だ」
本当はネヴィーシェル辺境伯家で五〇〇〇の兵を出す予定だった。だがダーマードがオズデミルに誘引作戦の話をしたところ、子爵家からも兵を出すことになり、この割合になった。子爵家も私貿易で大きな利益を得ている。ここで働いておかなければ、と思ったのだろう。
「一万……」
小さくそう呟いてから、シャガードは目を輝かせて何度も頷いた。それだけの戦力がモンスターを間引いてくれるのだ。防衛線への負担はかなりの程度低減するに違いない。支援としてはこれ以上ない、と言って良いだろう。
ただしだからこそ、そうそう旨い話はない。無償で兵を動かし支援したのでは、今後何かにつけて同様のことを求められるだろう。スレイマンが懸念したそのことは、メフメトにとっても全く同意できる。それで彼は次に、対価の話を切り出した。
「一万の兵を動かすとなれば、当然相応に金がかかる。特に近衛軍は、父上が願った援軍だ。ただ働きで、というわけにはいかない。そこでだ。煌石を六〇トン、用意してもらおう。先払いだ」
ふっかけた、と言うべきだろう。ダーマードから言われているのは、「先払いで煌石を三〇トン」だ。だが彼はこれを全て近衛軍に渡すつもりでいる。ネヴィーシェル辺境伯家とバラミール子爵家はタダ働きだ。辺境伯家の人間として、それは少々面白くない。積み増ししてその分を両家へ、とメフメトは思ったのだ。
「煌石を六〇トン、それも先払い!? いや、それは……」
「近衛軍に半分、ウチとオズデミル卿でもう半分だ。普通に一万の兵を雇うことと比べれば、はるかに安いはずだ」
盛大に顔をしかめるシャガードに、メフメトは淡々とそう告げた。「はるかに」というのは言い過ぎだが、安いのは事実だ。とはいえ、北アンタルヤ王国の懐事情もある。そもそも先払いして踏み倒されたら、それをきっかけに国が滅びかねない。それを考えればシャガードとしても、「はい、そうですか」と簡単に頷くことはできない。
「……辺境伯家も子爵家も、この私貿易で十分すぎるほどに利益を出しているはずだ」
「それとこれとは話が別だ。そもそもこの件に限れば、持ち出しの方が多い」
「だが六〇トンは無理だ。二〇トンにしてくれ」
シャガードは大胆に値切った。「近衛軍に半分」と言われたのに、二〇トンではそれを下回っている。メフメトも目尻を跳ね上げた。
「ふざけているのか。二〇では近衛軍の分さえ賄えない。五五だ」
「だが国が傾いてはそもそも支援の意味がない。三五でどうだ?」
値切り交渉の末、煌石は四二トンになった。そして先払いするのは三五トンで、残りは後払いになる。メフメトが少し譲った格好だ。
当初の六〇トンから十八トン減らすことができ、シャガードはホッとした様子だ。これならファティマを説得できる、と思ったのだろう。
一方のメフメトも満足げな表情をしている。当初の予定では三〇トンだったところを、十二トンも積み増ししたのだ。しかも最後に少し譲ることで、恩を売ることができた。今後のことを考えれば、これは大きい。
そして今日この場で取り決まったことをメフメトがダーマードへ伝えれば、いよいよイスパルタ軍が動き始めることになる。書面を取り交わすことのない、いわばただの口約束だが、それで十分だ。というより、手形も証書も信用できない今の状況では、書面にしたためたところで大した意味はない。
ただしだからと言って、イスパルタ王国に約束を反故にするつもりはない。実を言えば、辺境伯領の防衛線にある司令所では、どこにどんな拠点を造るのか、すでに検討が進んでいる。近衛軍からは数人の参謀が、ロストク軍からは要請していた相談役がそれぞれ来て、検討に加わっている。
相談役として来たのは、ボルストを筆頭とする数人の参謀たちだった。ボルストは魔の森からアヤロンの民を脱出させた十勇士の一人で、皇太子ジェラルドの信頼も篤い。またロストク軍が行っている魔の森での作戦に、初期の頃から携わっている。
他の参謀たちも経験豊富な者たちばかり。誘引したモンスターをどうすれば効率的に撃滅できるのか、それを知り尽くしていると言って良い。彼らの知見はイスパルタ軍の作戦にも大いに役立つだろう。
ちなみにボルストたちは、何とダンジョンを通って辺境伯領へやって来た。収納魔法を使って武器を運ぶ、その一団に同行したのだ。その方が手っ取り早いし、何より自分たちならそれが出来る、と思ったのだろう。そういう姿はいかにも武人らしく、ダーマードや近衛軍の参謀たちも彼らを好意的に受け入れている。
まあ、それはそれとして。ボルストら相談役のことを、メフメトはシャガードに話さなかった。話せばこの一件を主導しているのはダーマードではない、と彼も流石に気付く。それでは話が妙にこじれかねない。
(それに……)
それにロストク帝国の力を借りていないと思わせた方が、ネヴィーシェル辺境伯家の力をより大きく見せることができるだろう。メフメトはそう思っている。辺境伯家が大きくて彼が困ることはない。
特に北アンタルヤ王国に対しては大きく見せるべきだ。そうすることで交渉相手としての格を上げる。メフメトは北アンタルヤ王国を利用したいのであって、使われたいのではない。
(そういう意味でも……)
そういう意味でも、今回の作戦は良い機会となるだろう。辺境伯家は決して侮れぬ、と北アンタルヤ王国は思うはずだ。それが野心をかなえるための一歩になる。メフメトはそう思い、一つ頷いた。
シャガード「武士は食わねど高楊枝……!」
メフメト「お前は文官だろうが」