支援要請
バラミール子爵とエズラー男爵の間で行われている私貿易。そこへメフメトが表立って加わったことによる成果は、北アンタルヤ王国からの圧力の低減に限らなかった。シャガードとメフメトを介することで、ファティマ-ダーマード間という、よりハイレベルでの意思疎通がスムーズに行われるようになったのである。
ダーマードのところまで話が行けば、それはスレイマンやジノーファの耳にも入りやすくなる。一方でファティマもイスファードやカルカヴァンと頻繁に手紙のやり取りをしている。そしてこのラインが、両国の間にまた新たな展開をもたらそうとしていた。
きっかけは、シャガードを通じてもたらされたファティマの陳情だった。要望は二つ。一つは要するに、「より多くの武器をより安く融通して欲しい」というもの。そして二つ目は「防衛線に対し、何かしらの支援をして欲しい」というものだった。
「受け容れられるか、そんなもの!」
ダーマードはメフメトから最初にこの話を聞いたとき、反射的にそう叫んでしまった。まあ、それも無理はない。ずいぶん自己本位で図々しい陳情であることに、間違いはないのだから。
より多くの武器を提供するのは良いとして、その対価はしっかりと支払うべきだろう。支払えないというのなら、買わなければ良いのだ。
さらに「防衛線に対する何かしらの支援」など、言語道断である。そんなことをしてやる義務も義理も、ダーマードにはありはしない。そもそもアンタルヤ王国時代、彼とその派閥を徹底的に敵視して孤立させ、「防衛線に対する支援」を行わなかったのは、他でもないエルビスタン公爵とその一派ではないか。
つい感情的になり、否定の言葉を叫んでしまったダーマードだが、しかし彼は決定する前に自制力を発揮した。目を閉じて何度か深呼吸し気を落ち着けると、この話を伝えてきたメフメトにこう尋ねたのである。
「お前は、どう思うのだ、メフメト。わざわざ口頭で伝えに来たということは、それだけ重く見たのではないのか?」
「父上がお怒りのこと、尤もなことと思います。これは図々しくて厚かましい要求です。本来なら取り合わず、切って捨てるべきものでしょう。ただ……、北の状況はそれほどまでに悪い、とも言えます」
メフメトの言葉にダーマードは一つ頷いた。最近の私貿易では、現物による物々交換じみたことまで行われている。魔石や煌石はともかく、商隊が絵画などの骨董品を持ち帰った時には、ダーマードも思わず唖然としたものだ。
幸い、ロストク帝国との貿易が活発になっており、そのおかげで高価な骨董品の需要も高まっている。現金化には苦労していないし、「支払いは手形で」と言い出されても困るので、今のところは黙認している格好だった。
とはいえこれは、正常な状態とは言いがたい。この一例をもってしても、北アンタルヤ王国の厳しい内情が透けて見える。そこへ今回の陳情だ。これを蹴った場合、北アンタルヤ王国は近い将来に立ち行かなくなるかも知れない。その可能性を考慮して、決定を降す必要がある。
いや、北アンタルヤ王国が立ち行かなくなって滅亡するのは別に良いのだ。問題はその時期と滅び方である。イスパルタ王国としてはもう少し粘って欲しいというのが本音だ。また滅亡の混乱によって防衛線が破られ、魔の森が拡大するようなことは絶対に避けなければならない。
そうなると、いかに図々しくて無礼な要求であろうと、問答無用に突っぱねるわけにはいかない。またダーマードやオズデミルにしても、北アンタルヤ王国の足下を見て、金貨を巻き上げてきたのは事実なのだ。逆説的に言って、彼らの側にまったく責任がないとは言えないのである。
「……分かった。一度マルマリズへ赴き、陛下や叔父上とも相談してみよう」
ダーマードは腹立ちを抑えてそう言った。防衛線への支援を行うとなれば、それは私貿易の領分を越えている。どんな形になるにせよ、ジノーファの許可が必要だ。そうでなければ北アンタルヤ王国に通じる逆賊にされてしまう。
また武器を必要としているのは北アンタルヤ王国だけではない。イスパルタ王国でも近衛軍の再編に伴い、武器の需要は増している。国内の生産能力が決まっている以上、こちらも調整が必要だ。
そうと決めると、ダーマードの行動は早かった。僅かな護衛と共に、マルマリズへ馬を駆けさせたのである。そしてマルマリズへ到着すると、部下を王統府のスレイマンの所へ向かわせ、自身は辺境伯家の屋敷で旅の埃を落とす。部下は一時間ほどして戻って来た。
「明日の午前中に、陛下やクワルド将軍もご同席の上で、話を伺うとのことでございます」
それを聞き、ダーマードは一つ頷いた。そして翌日、約束の時間に王統府へ向かうと、彼はすぐにジノーファの執務室へ案内された。室内にはすでに、スレイマンとクワルドの姿もある。
ジノーファに勧められてダーマードがソファーに座ると、すぐに紅茶と軽食が用意された。大皿に用意されたサンドイッチに、早速クワルドが手を伸ばす。朝の早い時間だったこともあり、もしかしたら朝食を抜いていたのかも知れない。紅茶を一口啜り喉を潤してから、ジノーファはダーマードにこう言った。
「ではダーマード、要件を聞こう」
「はっ。実は……」
ダーマードが北アンタルヤ王国側の要望について詳しく説明すると、たちまちクワルドとスレイマンは顔をしかめた。図々しい、と思っているのだろう。それでも二人からは、非難や不満の言葉は出てこない。ジノーファの前だから遠慮しているのと、北アンタルヤ王国の厳しい内情を慮っているのだ。
「ダーマード。卿はどう考えているのだ?」
ダーマードが説明を終えると、ジノーファは顔色を変えることなくそう言った。声音もいつも通りで、不快感を覚えている様子はない。ダーマードにとってそれはそれでありがたいのだが、同時に内心を読みづらくもある。それが今の彼には少し辛い。それだけこれは微妙な問題なのだ。
「北の言い分、まことに厚かましく無礼と存じます。本来なら一蹴するべきところなのでしょうが、現在の状況を鑑みるに、多少の譲歩はやむなしかと……」
「うむ。確かにその通りだ。今、北に倒れてもらうわけにはいかない」
ジノーファがそう言うと、スレイマンとクワルドが揃って頷いた。ただし二人とも表情は険しい。ダーマードの言うとおり「多少の譲歩はやむなし」と考えていても、それは決して本心ではないのだ。もっとも、それはダーマードも同じだが。
ただ、譲歩は仕方ないとしても、どこまで譲歩するのかという問題もある。何より、物事には優先順位というものがあるのだ。北アンタルヤ王国を優先するあまり、国内の事柄が後回しになっては本末転倒。そのことについて、クワルドはこう釘を刺した。
「ダーマード卿のお話では、北はさらに多くの武器を求めているとか。ですが、再編に伴い近衛軍でも装備の需要は増しています。それを北に取られてしまうのは、面白くありませんな。まずは国内を優先するべきであると、強く主張させていただきます」
彼の主張に、他の三人はまた揃って頷く。そうなると、イスパルタ王国の国内で生産される武器を、これ以上北アンタルヤ王国に回すのは難しい。北の要望に応えるためには、また別のところから仕入れる必要がある。
南アンタルヤ王国は無理だ。いくらイブライン協商国並の通商条約を結んだとはいえ、武器に関しては両国が例外的に高い関税を課している。これを仕入れようとすればコストがかかりすぎるし、また南に不穏な印象を与えかねない。
イブライン協商国も無理だろう。協商国との間に結ばれた通商条約はそれほど悪いものではない。イスパルタ王国にはせめて中立でいて欲しい、というのが協商国の本音のようだ。ただ、協商国は現在ランヴィーア王国と戦争中で、こちらも武器の需要は大きい。イスパルタ王国にまで回すことはしないだろう。
そうなると、国外から武器を仕入れるとして、その候補はロストク帝国だけということになる。ただ船が使えない以上、輸送コストは割高になるだろう。その分は価格に転嫁しなければならず、その部分は北の要望通りにはできない。
だがあまりに高額になれば、そもそも買うことができなくなる。逆に無理をして買えば、それをきっかけに経済が破綻するかも知れない。どうしたものかとジノーファは悩んだが、その時ふとあることを思い出した。
「直轄軍の装備の、廃棄品を回してもらうというのはどうだろうか?」
「廃棄品、でございますか?」
「うむ。ガルガンドーにいた頃、ルドガー殿から聞いたのだ。直轄軍では定期的に装備を更新している、と」
武器は基本的に消耗品だ。定期的に更新するのは当然であろう。そしてその際には当然、廃棄品が出る。ジノーファも実際に見せてもらったことがあるが、少し手入れをすればまだまだ使えそうな武器がたくさんあった。
そういう中古品であれば、新品よりはるかに安い。それを仕入れて北アンタルヤ王国へ回せば、量を確保しつつ価格も抑えられる。質については目をつぶってもらうことになるが、そう酷いことにはならないだろう。
「良きお考えと思いまする。将軍はいかがお考えかな?」
スレイマンがそう尋ねると、クワルドは一つ頷いた。表情の険しさも幾分和らいでいる。ダーマードにも否やはない。
廃棄品の件は在ロストク大使のバーフューズを通じ、ダンダリオン一世に話してもらうことになった。ジノーファも後で手紙を書かなければならない。ついでにマリカーシェルとシェリーの手紙も持って行ってもらおう。彼はそんなことを考えた。
「では、武器の件はこれで良いとして……。問題は防衛線に対する支援、ですな」
スレイマンがそう言うと、他の三人は重々しく頷いた。どんな支援をして欲しいのか、北アンタルヤ王国から具体的な話は出ていない。ダーマードやオズデミルの裁量に任せるということなのだろう。
「仮に支援するとして、どんな方法が考えられる?」
「そうですな……。物資を送るか、金を送るか、兵を送るか……。選択肢としてはそんなところでございましょう」
ダーマードは少し考えてから、指折りつつジノーファにそう答えた。ジノーファは一つ頷いただけだったが、クワルドとスレイマンの反応はたいそう否定的だった。
「兵を送るなど、あり得ませぬぞ。使い潰されるだけでござる。いえ、それ以前の問題として、内通を疑わざるを得ませぬ」
「物資や金を送るのも、防衛線への支援にはならないでしょう。結局は南との戦いに使われる事になるかと。まあ、間接的には支援になるのかも知れませぬが、こちらの思うような成果は出ないでしょうな」
二人がそう言うと、ジノーファはまた一つ頷いた。ダーマードも苦笑している。選択肢を三つ上げはしたが、そのいずれも現実的でないことは、彼も最初から承知の上なのだろう。
「そうなると、支援はしたくても出来ませんなぁ」
ダーマードは少々わざとらしくそう言った。最初から支援する気はなかったのだろう。検討はした、という事実が欲しかったのだ。万が一、北アンタルヤ王国の魔の森に対する防衛線が破られたとき、「なぜ支援しなかったのか」と責任を追及されるのを避けるためであろう。
「辺境伯領側へ、モンスターを誘引することはできないだろうか。そしてそれを叩く。モンスターを間引いてやれば、その分、北の負担は減るはずだ」
支援はしないということで結論が出かかったとき、やおらジノーファがそう提案した。他の三人が一様に彼の方へ視線を向ける。いぶかしげな顔をする彼らに、ジノーファは自分の考えをこう説明した。
「もちろん、防衛線に直接誘引するわけじゃない。防衛線から十分離れた場所、表層域に出城のようなものを築いてそこに誘引する。一月で十万程度も間引いてやれば、十分な支援になるはずだ」
ぬう、とうなり声が漏れた。三人の表情は否定的だ。だが頭ごなしに否定するのも憚られるのだろう。クワルドが表情を険しくしながらこう尋ねた。
「……一月で十万と仰いますが、どれほどの戦力を投入するおつもりなのですか?」
「一万。まあ、その辺りはダーマードと相談だな。何なら、近衛軍を動かしてもいい」
ジノーファはさらりとそう答えた。防衛線を破綻させないためなら、一万の兵を動かしても良い。彼はそう言っているのだ。
確かに彼の言うような方法なら、防衛線に対して支援を行うことができるだろう。だが三人とも表情は険しいままだ。そして彼らの心情を代弁するかのように、スレイマンがぽつりとこう呟いた。
「……そこまでする必要が、果たしてありますかな?」
「必要はないかも知れない。だが理由はある。防衛線を破綻させるわけにはいかない」
ジノーファは言葉に力を込めてそう答えた。この点、彼の方針は一貫している。私貿易もそうだ。スレイマンやクワルドは、北アンタルヤ王国を南アンタルヤ王国に対する盾とすることを重視してこれに賛成した。だがジノーファはそれよりも、防衛線のことを重視していたのかも知れない。
「ダーマード、不服か?」
「……いいえ。一度北の防衛線が破られれば、辺境伯領もまた無事では済みますまい。予防策として兵を動かすことに、否やはありませぬ。ですが、一万という数は少々……。オズデミル卿に協力してもらったとしても、我々だけでは集めることも養うことも難しゅうございます」
ダーマードがそう答えると、ジノーファは一つ頷いた。そして視線をクワルドの方へ移し、彼にこう尋ねた。
「クワルド、近衛軍は動かせるか?」
「一つお聞かせ願いまする。この作戦行動は、近衛軍の仕上がり具合を確かめる意味もあるのでしょうか?」
「そのつもりだ」
「しからば是非もなく。陛下のご命令とあらば、近衛の兵どもは地の果てまでも参りましょう」
クワルドは胸に拳を当ててそう答えた。こうして話は決まった。ジノーファが満足げに頷いていると、スレイマンが苦笑気味にこう述べる。
「しかし、ただで一万の兵を動かしては、今後、北がつけ上がる可能性があります。『防衛線のことを持ち出せば、イスパルタ王国を思い通りに動かせる』と思われるのも癪でございす。どうでしょう、煌石を三〇トンほど要求なさっては?」
それを聞き、ジノーファがダーマードとクワルドに視線を向けると、二人も揃って頷いた。それでこの件はメフメトを通じて北アンタルヤ王国へ要求することになった。もっとも、煌石三〇トンで一万の兵を動かせるなら十分過ぎるほどに安い。それどころか倍の六〇トンでも、まだ安いと言えるだろう。
「それともう一つ。此度の作戦、陛下はロストク軍の作戦を参考になさっておられるのではありませぬか?」
「そうだ」
「では、ロストク軍から相談役を招きましょう。作戦の精度が上がるはずです」
「それは、確かに。陛下、私の方からも是非お願いいたします」
クワルドからもそう言われ、ジノーファは大きく頷いた。この件もまたバーフューズを通じてダンダリオン一世に話を伝えることになる。また作戦の細かい部分についてはダーマードとクワルドで話し合ってもらうことになった。
相互不可侵条約によって比較的平和な状態が保たれていたこの二年半。条約失効の期限を前に、イスパルタ軍はやおら行動を開始した。これが騒乱の静かな幕開けであったことに、世の人々はまだ誰も気付いていなかった。
スレイマン「タダ働きは嫌いでの」
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今回はここまでです。
続きは気長にお待ち下さい。