藪蛇
「メフメト!? お前、どうしてここに……!?」
今や北アンタルヤ王国の生命線となった、エズラー男爵とバラミール子爵の私貿易。その取引現場に現れたメフメトの姿を見て、シャガードは驚きの声を上げた。なぜここにネヴィーシェル辺境伯家世子たる彼がいるのか。
まさか私貿易のことがジノーファに露見したのか。最悪の可能性が、シャガードの頭をよぎる。しかしそんな旧友の心配をよそに、メフメトは少々意地の悪い笑みを浮かべながら、逆に彼にこう問い返す。
「なんだ、シャガード。私がここにいては都合が悪いのか?」
この場でシャガードと顔を合わせるのはメフメトも初めてのはずなのだが、彼に驚いた様子は少しも無い。彼はオズデミルからあらかじめ、シャガードのことを聞いていたのだ。聞いたその時には彼も驚いたものの、同時に納得もしたものだった。
メフメトにとってシャガードは、クルシェヒルで学問をしていた時に知り合った友人だ。ただその当時は、お互いの所属する派閥が異なることもあり、それほど親しくしていたわけではない。幾つかの課題を一緒にやったことはあるが、それくらいの付き合いだ。プライベートで食事に行ったりしたことはなかった。
その程度の仲であるから、メフメトも故郷へ帰ってからは、シャガードのことはほとんど忘れていた。その彼が再びメフメトのもとを訪ねてきたのは、今から二年ほど前のこと。連携してガーレルラーン二世と戦うことを持ちかける、イスファードの使者として訪ねてきたのだ。
結局、その連携はならなかった。ジノーファはイスファードと連携することではなく、ガーレルラーン二世と休戦することを選んだのだ。シャガードは失意の内に北アンタルヤへ戻った。その後、シャガードがどうしていたのか、メフメトは知らない。
ただ、シャガードを使者に抜擢したのは、イスファードでありエルビスタン公爵カルカヴァンだった。であれば、今もその二人の下で働いていると考えるべきだろう。少なくともエズラー男爵のところへ仕官した、と言うわけではあるまい。
しかし彼はこうして私貿易に関わっている。つまりその二人が、あるいはそのどちらかが、彼を手駒として送り込んだのだ。オズデミルの話では、彼は最初の頃から私貿易に関わっていたという。
もしかしたら、当初は純粋に助っ人だったのかも知れない。しかし最近、情勢が変わった。特にイスファードが、私貿易への関与を強めようとしている。バラミール子爵家に圧力を掛け、私貿易の主導権を握ろうとしているのだ。シャガードはその片棒も担いでいるに違いない。
(これは……、むしろ都合が良いかもしれない)
オズデミルからシャガードのことを聞いたとき、メフメトは内心でそう思った。釘を刺すべき相手が簡単に見つかった、というだけのことではない。シャガードはイスファードやカルカヴァンと繋がっている。彼を通じてその二人と誼を得ることはできないか、と考えたのだ。それがかなえば、メフメトは国の外に強力な人脈を持つことができる。
もっとも、メフメトもいきなりそんな話をするつもりはない。それではネヴィーシェル辺境伯家が安く見られかねないし、イスファードはこれ幸いと辺境伯家にも圧力をかけてくるだろう。それは彼の望むところではない。それで彼はまず辺境伯家の立ち位置を分からせるため、シャガードに話をこう切り出した。
「そもそも、だ。オズデミル卿が、バラミール子爵家があれだけの物資を秘密裏に買い集められると、本当にそう思っていたのか?」
「それは、こちらでも疑問に思っていたが。まさか……」
「そうだ。物資の手配は当初から辺境伯家が行っている。ウチは防衛線を抱えているからな。ウチなら大量の物資を買い集めても不審に思われないし、そのためのルートやノウハウも持っている」
メフメトの説明に、シャガードは驚きつつもひとまず頷いた。確かにバラミール子爵が全てを行っていたと考えるよりは、ネヴィーシェル辺境伯が背後にいたと考える方が、諸々納得はしやすい。だがシャガードの表情は険しいままメフメトにこう言った。
「辺境伯は建国の功臣。私貿易などに関わっていて良いのか?」
「安心しろ。ジノーファ陛下はこのことをご存じない。父上もああ見えて抜け目ないと言うことだ」
無論、これは嘘である。私貿易はそもそもジノーファの発案であり、メフメトはそのことをダーマードから告げられている。だがそのことが知られれば、イスファードは面白くあるまい。それで「ジノーファは知らない」という建前が貫かれていた。
ただそうは言っても、シャガードはこのとき、納得のいかない顔をしていた。もちろん彼とて、アンタルヤ貴族の自主・自立の気風はよく知っている。だがダーマードは建国の功臣として何かと目立つ立場にある。その動向は何かと注目されるだろう。
ダーマード自身、それは自覚しているはず。だからこそずっと同じ派閥にいたオズデミルを矢面に立たせた、とも考えられる。だがそもそも私貿易などいう危ない橋を渡ろうと思うだろうか。むしろ彼の立場なら、このことをジノーファに報告するのではないだろうか。
そこまで考え、シャガードは深々とため息を吐いた。実際問題として、私貿易はこれまでおよそ二年の間、ずっと続けられてきたのだ。そしてジノーファに露見した気配はない。メフメトの言うとおり、私貿易の当初からネヴィーシェル辺境伯家が関わっていたのだとして、辺境伯家もかなりの利益を得てきたはず。今更それを疑うのも馬鹿馬鹿しい。
(それに……)
それに、どのような裏事情があるにせよ、北アンタルヤ王国はこの私貿易を維持しなければならない。私貿易によって武器などを調達できたおかげで、北アンタルヤ王国はこれまでなんとか戦ってこられたのだ。この補給線が寸断されれば、北アンタルヤ王国は早晩干上がってしまうに違いない。
それを考えれば、ネヴィーシェル辺境伯という大貴族がバックにいるというのは、むしろ歓迎するべき事かも知れない。少なくともバラミール子爵の双肩に全てがかかっている状態よりは信頼性が高い。だがシャガードには一つ確認しなければならないことがあった。
「なぜ、今頃になって出てきた?」
「そうすることが必要になったからだ」
シャガードとメフメトの視線がこすれる。火花が散る前、先に視線をそらしたのはシャガードだった。要するに、私貿易の主導権を握ろうと圧力を掛けていたのが原因なのだ。まさに藪をつついて蛇を出した格好である。
言うまでもないことだが、圧力を掛ける相手として、バラミール子爵家とネヴィーシェル辺境伯家では話が全然違う。実際、シャガードは今、いささか顔色を悪くしている。旧友のその様子を見て、メフメトは内心気分が良かった。
「……いや。そう、だな。ダーマード卿のご助力も得られるのであれば心強い。メフメト、よろしく頼む」
やがてシャガードはため息を吐き、自嘲気味な笑みを浮かべながらそう言って、メフメトに右手を差し出した。メフメトも笑みを浮かべ、何食わぬ様子でその手を握る。そして彼はこう言った。
「ああ、こちらこそよろしく頼む。シャガード」
握手を交わすと、二人は早速仕事に取りかかった。今回運んできた物品のリストを、メフメトがシャガードに手渡す。彼はそれを受け取ると、パラパラとめくって確認していく。そして最後の合計金額を確かめると、シャガードはにわかに顔をしかめた。
「……もう少し安くならないか?」
「無理だな。こちらとしても、リスクに見合うリターンがなければ、やっていられない」
メフメトはぬけぬけとそう答えた。実際のところ、ジノーファは私貿易を積極的に黙認しているので、ネヴィーシェル辺境伯家が負うリスクなどたかが知れているのだが。北アンタルヤ王国の足下を見るためにも、「ジノーファは知らない」という建前は有効だった。
「……ものは相談なのだが。物品による支払いも、認めてもらえないか?」
「貴金属のインゴットや、宝石類による支払いは、今までもあったと思うが?」
「ああ。それは助かっている。ただもう少しな、魔石やドロップアイテムなんかでも、支払いを認めてもらいたいんだが……」
シャガードは少し言いにくそうにそう言った。本来であれば、そういう物品を換金して金貨を用意するのが筋だろう。しかしそうはせず、現物によるいわば物々交換をしたいという。金貨が尽きてきたのか、それとも値崩れを起こしているのか。いずれにしても北アンタルヤ王国の厳しい情勢が垣間見える。
「一応、オズデミル卿と父上には話してみよう。ただ魔石はともかく、ドロップアイテムは難しいだろうな」
メフメトはそう答えた。魔石は比較的価格が安定している。それゆえ物々交換しやすい。だがドロップアイテムは相場が変動しやすい上、種類や大きさによっても価格が変わってくる。それをいちいち確認して計算していくのは手間だろう。また交換した後、換金する手間もかかる。オズデミルやダーマードが嫌がる可能性は高い。
「そうか……。いや、魔石での支払いだけでも認めてもらえればありがたい」
「何なら、煌石でもよいぞ。煌石なら、魔石よりも高値で計算できる」
メフメトはそう提案した。煌石というのは、マナを吸収する前の魔石のことだ。当然、マナを吸収した後の魔石より価値が高い。その時の相場にもよるが、普通の魔石の一二から一五倍。最低でも十倍は堅い。
ただし煌石を売ると言うことは、当然その分のマナを吸収できないということだ。国の視点で見れば、それは軍事力の低下を意味する。事実上、軍事力を換金しろと言っているに等しい。
いや、それだけではない。隣国へ煌石が流れれば、その分だけ隣国の軍事力は強化される。安全保障上、これは無視できない問題だ。それを理解しているのだろう。シャガードは眉間にシワを寄せて悩む素振りを見せた。
「煌石か……。分かった。こちらでも検討してみる。……ところで、何か新しい情報はないか?」
シャガードは話題を変えてそう尋ねた。この私貿易では物資だけでなく情報もやり取りされている。メフメトもそれは知っていたので、彼は一つ頷くと、先日ダーマードから聞いたばかりの話を口にした。
「先日、王妃のマリカーシェル殿下が男の子を出産された。お名前はアルアシャン殿下。すでに王太子に冊立されていると聞く」
「そう、か。おめでたい、と言うべきなのだろうな」
「世辞はいい。そちらの立場では、素直に喜べないことくらい、承知している」
少々ぞんざいな口調でメフメトがそう言うと、シャガードは曖昧に笑った。ジノーファとマリカーシェルの間に、後継者となるべき男の子が生まれた。これによりイスパルタ王国とロストク帝国の結びつきはさらに強まるだろう。北アンタルヤ王国はイスパルタ王国をほとんど敵国と見なしているから、これはあまり喜ばしい事とは言えない。
さらに現在、南アンタルヤ王国は新領土の支配を着実に盤石なものとしている。北アンタルヤ王国は封じ込められ、孤立を深めている状態だ。防衛線の負担も重い。圧力ばかりが増えていく。シャガードはため息を吐きたくなるのをどうにか堪えた。
「それにしても“アルアシャン”とはな。やはり賢武皇にあやかったのか?」
「わたしも父上から聞いただけだが、まあそうなのだろう」
肩を竦めてそう答えつつ、メフメトは内心で吐き捨てる。「不遜なことだ」と。ジノーファが賢武皇の末裔であるという噂話は、彼の耳にも入っている。大方、それに気をよくして思い上がり、その名前を付けたのだろう。彼はそう思っていた。
(だいたい……)
だいたい、賢武皇の末裔というのであれば、ネヴィーシェル辺境伯家こそその血を今に受け継ぐ末裔だ。賢武皇以降の時代、ヴァルハバン皇家から当時のネヴィーシェル王家に姫が輿入れしたことがある。辺境伯家にも当然、その血は引き継がれているのだ。
つまり賢武皇の末裔と名乗っても良いのは、本来ジノーファではなくメフメトなのだ。そもそもジノーファが賢武皇の末裔であるという証拠は何もない。にもかかわらず、彼は厚かましくも息子に「アルアシャン」の名前を付けた。メフメトの目から見れば、増長以外の何物でもない。
(まあ、いい)
メフメトは内心を落ち着ける。ジノーファが増長しているのであれば、その足下をすくうのは難しくあるまい。それにアルアシャンが生まれたことで、ジノーファは用済みになったとも言える。マリカーシェルとアルアシャンの身柄さえ抑えてしまえば、ロストク帝国との同盟は維持できるだろう。そう言う意味では、王子の誕生はメフメトにとっても都合がいい。
「……ところで、イスファード陛下の方はどうなのだ。ファティマ殿下とご結婚されて随分経つ。おめでたい話はないのか?」
メフメトはそう言って話題を変えた。アンタルヤ王国が三つに分裂するより前に、イスファードはエルビスタン公爵家令嬢ファティマと結婚している。だがシャガードは顔に苦いものを浮かべて首を横に振った。
「お二人の間に、まだお子は生まれていない」
子供が生まれないどころか、そもそも二人は離れて暮らしていた。イスファードは南部のシュルナック城を本拠地として国を治めている。一方のファティマは公爵領で領主代理を務めている。手紙のやり取りはしているが、ここ二年ほどは二人とも顔も合わせていない。これでは子供など生まれようもなかった。
ただ現在の情勢で、イスファードに一人の子供もいないというのは、いかにも危うい。彼にもしもの事があれば、北アンタルヤ王国は瞬く間に瓦解してしまう。カルカヴァンなどはそれを危惧し、彼に年頃の娘をあてがうなどしているとシャガードも聞く。だがそれでも、現在に至るまでイスファードに子供は生まれていない。
「後継者といえば、南はどうなのだ? ガーレルラーンはもう新たな王太子を冊立したのか?」
イスパルタ王国、北アンタルヤ王国ときて、南アンタルヤ王国のことが気になったのだろう。シャガードがそう尋ねる。イスファードが王太子位から廃されたのは、ガーレルラーン二世が討伐軍を率いてイスパルタ軍と戦う前のことだ。その際、ガーレルラーン二世は「次の王太子は今回の討伐が済んでから改めて決める」と言っていた。
ガーレルラーン二世は現在、新領土での采配を一段落させ、クルシェヒルに戻っている。ただし彼と入れ替わりで、カスリム将軍が新領土の総督に任じられた。戦力はクルシェヒルに二万五〇〇〇、新領土に二万だ。
新領土にそれだけの戦力を置いたと言うことは、まだ情勢が安定していないか、あるいはさらに西の脅威を警戒してのことだろう。そしてその辺りの事は、シャガードもすでに情報を教えてもらっている。
要するにガーレルラーン二世がクルシェヒルに戻ったことで、彼が新たな王太子を決めるのではないかと考えているのだ。王太子の座が空位になってからすでに二年以上経過している。ガーレルラーン二世が何を考えているかなど分からないが、新たな王太子を立てるのに時期尚早ということはないだろう。
南アンタルヤ王国の新たな王太子の候補といえば、まず二人名前が挙がる。一人はガーレルラーン二世がメイドに産ませた庶子のファリク王子。もう一人はユリーシャの息子で、ガーレルラーン二世の孫に当たるルトフィー侯爵家令息だ。
ガーレルラーン二世が新たな王太子を立てるならこの二人のどちらかであろう、というのが一般的な意見だ。シャガードも同じように考えている。だがメフメトは首を横に振ってこう答えた。
「いや、ガーレルラーンが王太子を決めたという情報は、まだこちらにも入って来ていない。決めたのであれば大々的に喧伝するはずだ。本当にまだ決めていないんだろう」
それを聞き、シャガードは怪訝そうな顔をした。今のところ、ファリクもルトフィーも、ヘリアナ侯爵家で養育されている。どちらを選ぶにせよ、ガーレルラーン二世が一声そう言えば、オルハンもユリーシャも否やとは言えない。
メルテム王妃がクルシェヒルにいれば彼女の意見も考慮しなければならないが、しかし彼女は今、エルビスタン公爵家の別邸で軟禁されている。人選に口出しすることはできず、全てはガーレルラーン二世の胸三寸だ。
しかし彼は新たな王太子をいまだに定めようとしない。あるいはもう一人子供を作ろうとしているのかも知れないが、今のところ彼にまた子供が生まれたという情報はない。本当に、一体何を考えているのか。
「……もしかしたら、どこからかまた新しい妃でも迎えるつもりなのかも知れないな」
そう呟いたのはメフメトだった。国内にしろ国外にしろ、新しい妃を迎えることで味方を増やすというのは、可能性として十分にあり得るだろう。だがメルテム王妃の安否が定かではないため、なかなか踏ん切りが付かずにいる。そう考えれば、一応の筋は通るように思えた。
もっともこれもまた、何に確証もないただの推測だ。ガーレルラーン二世の思惑はもっと別のことかも知れず、こうだと思い込むのはかえって危険だろう。なにしろ、彼の内心ほど謎に満ちたものはないのだから。それでシャガードは苦笑しつつ、肩を竦めてこう言った。
「新たな、若い妃、か?」
「そうだ。あの冷血なガーレルラーンも男だった、ということだ」
二人はそう言って笑い合った。少々下世話な話だが、いっそそういう次元で説明できればどんなにか楽だろう。メフメトはふとそう思った。
シャガード「藪蛇だ……」
メフメト「何だ、私が蛇のような男だと、そう言いたいのか?」




