妖精眼
水薬というものがある。一言で説明するなら、魔法の傷薬だ。その素材は全てダンジョン由来のモノである。色々とランクはあるものの、即効性が高く、使えば傷が瞬く間に治る。しかもダンジョンの外でも効果があるのだ。非常に便利な薬といえた。
当然、大きな需要がある。なかでも特に必要としているのが軍隊だ。一度戦争をすれば戦死者以上に怪我人が出る。その怪我人をどれだけ素早く治して戦線に復帰させられるのか。それは勝利を得るための非常に重要な要素だ。
加えて精強な兵士というのは、そう簡単には替えが利かない。一人の精強な兵士を育てるためには、相応の時間と費用が必要なのだ。ポーションは高価だが、しかしポーション一つで精兵の命を救えるのならむしろ安い。
あえて言おう。勝利は金で買える。だが必要経費はなるべく少ない方がいい。それでロストク帝国の皇帝直轄軍では、訓練の一環としてダンジョン攻略を行っていることを利用して、ポーションの素材を集めさせていた。
さて、そのなかで一つ面倒なものがある。それは水だ。水薬というだけあって、ポーションは液状。つまり主成分は水分であり、その水はダンジョンの中から汲んでこなければならないのだ。
なぜ面倒なのか。かさ張るからだ。そして下手をすると零れるからだ。もちろん魔石を含め、水より重いドロップアイテムは多い。だが水は大量に持っていかなければならないし、入れ物が傷つけば流れ出てしまう。しかも買取り価格が安い。それで取水任務は重要だけどあんまりしたくない、というのが兵士たちの意見だった。
ジノーファは直轄軍の兵士ではない。だが、ポーションの需要が大きいので、「ダンジョンから水を汲んできてほしい」という依頼は常にあった。加えて、彼にはシャドーホールの魔法がある。大量の水を汲んでくるのに、まさにうってつけと言っていい魔法だ。
『実は、ジノーファ様にお願いがあるんです』
ダンジョン攻略を行うようになってからおよそ二ヶ月が経った頃、ジノーファはある仕事を依頼された。話を聞いたのは顔見知りとなった換金窓口の女性職員からだが、その指示はさかのぼればダンダリオンから出ている。実質的な勅命と言え、断る事はほぼ不可能だった。
そう無茶な仕事をまかされたわけではない。話の流れから分かるように、ダンジョンから水を汲んできて欲しいと頼まれたのだ。ただし、できるなら中層以下の水場から汲んできて欲しいという。
ダンジョンの中に、目に見える階層の区分は存在しない。ただそれでは管理しにくいと言うことで、人間によって大まかな区分がなされていた。それが上層・中層・下層・深層・最深層という区分である。
看板を立てて区別しているわけではない。そもそも最深層などダンダリオンやジノーファをして未到達の領域である。それで何によって区分しているのかというと、モンスターが残す魔石だった。
ダンジョンに深く潜るほど、出現するモンスターは強くなる。同時に、残す魔石は大きくなる。それで、魔石の重さを基準として、ダンジョンは五つの階層に区分された。なおエリアボスは例外扱いなので、その魔石は階層区分の基準としては用いられない。
まあ、所詮はお役所が決めること。実際に攻略をする側にとっては、あまり意味も興味もない話である。ただ今回の依頼のように「できれば中層以下」と条件が入ると、そうも言ってはいられない。
「秤を持っていった方がいいだろうか?」
「いえ、この前見つけた水場の辺りがちょうど中層です。あそこで汲めばよろしいかと」
生真面目に心配するジノーファを、シェリーはそう窘めた。同じ場所であっても、モンスターが残す魔石の大きさにはばらつきがある。それでもこれまでの経験則として、上層と中層の境目がどの辺にあるのかは分かっている。つまりそこより下なら中層だ。
なるほど、と言ってジノーファは頷いた。最近見つけた水場のことなら、彼もよく覚えている。さてどのルートで行こうかと彼は頭の中で地図を引っ張り出し、シェリーとも相談して準備を進めた。
そしていよいよ攻略の当日。ジノーファとシェリーはいつもと変わらない様子でダンジョンの中に入った。二人のほかにも大勢が中に入り、ぞろぞろと進んでいく。効率よく先へ進むためのルートというのは、浅い場所ほど限られてくる。出入り口付近ではこんなふうに固まってしまうのも仕方のないことだった。
ただジノーファとシェリーは、その集団の中から早々に離脱して横道に入った。効率よく先へ進むためのルートというのは、より正確に言えば「荷物を持った者たちが効率よく先へ進むためのルート」である。つまり身軽な二人なら、もっと別のルートを行くことも可能なのだ。
時折現れるモンスターを蹴散らしながら、二人は細い通路を進む。しばらくすると、二人は縦穴に出た。下の様子は全く見えない。ただ冷たい風だけが吹き上げてくる。もしかしたら、最深層にまで続いているのかもしれない。
もっとも、この縦穴に用はない。用があるのは、縦穴を挟んで向こう側にある通路だ。縦穴の幅は三メートル程度あるだろうか。ジノーファは軽やかに跳躍して向こう側へ渡った。彼に続いてシェリーも跳躍する。細作である彼女の動きは軽い。危なげなく着地して、ジノーファの背中を追った。
二人の様子を見ていると、なんでもない事のように思えるだろう。しかし大抵のパーティーは大きなバックパックを担いで攻略をしているのだ。そんな彼らが二人と同じようにするのはまず無理と言っていい。
ということはつまり、この辺りには二人以外のパーティーはいないということだ。ここは以前にも通ったことのあるルートだから、それが何を意味するのかシェリーはよく知っていた。
「やっぱり、モンスターが多くなってきましたね……」
シェリーがそう呟くと、ジノーファは一つ頷いて応えた。モンスターが多ければ、それだけ危険は増す。この辺はまだ上層だからそこまで強いモンスターは出てこないが、しかし注意は必要である。
ただ、悪いことばかりではない。モンスターが多いという事は、それだけ戦利品も多く得られるということ。要するに効率よく稼ぎ、そしてレベルアップできるのだ。ジノーファが一人で攻略しながらも聖痕持ちになれたのは、こういう理由もあるに違いないとシェリーは思っている。
聖痕持ちになるための条件は解明されていないが、ともかく大量のマナを吸収する必要があるのは確かだ。確かに一人で多くのモンスターを屠り、そしてその魔石を独占すれば、普通に攻略するよりもはるかに効率よくレベルアップできる。こうして他のパーティーが近寄らない場所で攻略するスタイルが一助になったのは間違いないだろう。
ただ、ジノーファはそれだけで聖痕持ちになったわけではなかった。ことマナの吸収に関して言えば、大量の魔石を独占する以上のことを彼はしていたのである。そして最近ではシェリーもそのおこぼれに与っていた。
「あ、シェリー。ここだ」
突然、ジノーファがそう言って通路の壁を指差した。シェリーの目にはなんの変哲もない、ただのむき出しの岩肌にしか見えない。しかしジノーファの目にはまったく別のモノが見えていることを、彼女はこれまでの攻略を通して知っていた。
ジノーファに促され、シェリーは彼が指差した箇所に手を当てた。そして魔石からマナを吸収するときのように、そこからマナを吸収する。固まっていた身体がほぐれていくような、滞っていた血流が動き始めたような、そんな感覚。間違いなくダンジョンの壁からマナを吸収して、シェリーは「ふう」と吐息をもらした。
もしもこの場に第三者がいたとしたら、きっと目の前の出来事に困惑したに違いない。シェリーもまた、最初は困惑したものだ。魔石からではなく、こうしてダンジョンそのものからマナを吸収できるだなんて。そんなことは考えたことすらなかった。
「吸収できた?」
「はい、ありがとうございました」
シェリーがそう礼を言うと、ジノーファは「良かった」と言って微笑んだ。本来灰色の瞳を青く輝かせながら。これが彼の使う二つ目の魔法、妖精眼だ。
妖精眼の効果は単純だ。すなわち、マナの可視化である。ジノーファはマナを目で見ることができるのだ。彼の目に、マナは青く輝いて見えるという。
そしてより強く輝いている場所、つまり高濃度のマナが固まっている場所、ジノーファがマナスポットと呼んでいる場所を見つけ、そこから直接マナを吸収する。アンタルヤ王国にいた頃から、彼はこのようにしてマナを吸収してレベルアップしてきた。魔石以外からもマナを吸収できるのだから、成長は早いに決まっている。
加えて言えばマナスポットは、他のパーティーがあまり近づかない場所に多い。まさに今、ジノーファとシェリーがいるような場所だ。そしてジノーファの魔法シャドーホールがなければ、ここへ来ようとは思わなかっただろう。
つまりシャドーホールと妖精眼、二つの魔法を駆使することで、ジノーファは大量のマナを吸収してきたのだ。しかもアンタルヤ王国にいた頃は一人で攻略を行っていたから、それを独占していたことになる。
(これが、ジノーファ様がお一人で攻略を行われ、そして聖痕持ちにまでなられた秘密)
秘密というほど本人は隠していないが、少なくとも彼が使う二つの魔法が彼のすさまじい成長速度を支えていた事は間違いない。そこまで気付き、そして未来のことを考えたとき、シェリーは思わず身震いした。
ジノーファがいつ聖痕持ちになったのか、正確な時期は分からない。しかし弱冠十五歳にも満たない年齢で聖痕持ちになったこと、それ自体が恐ろしく異常である。しかしそれ以上に恐ろしいのは、彼の成長がまだ続いていることだ。弱冠十五歳にも満たない年齢で聖痕持ちになった、その成長速度で。
(いえ、そこまでではありませんか……)
シェリーは内心で苦笑した。ジノーファは今、彼女と二人で攻略を行っている。マナの分配は半分ずつで、つまり彼の成長速度はこれまでの半分程度。一見すると足を引っ張ってしまっているわけだが、彼女はなぜかそのことに安堵を覚えるのだった。
さて、二人は中層にある水場を目指してさらにダンジョンの中を進む。この辺はスケルトンやスライムなどのモンスターが多い。一番厄介なのはコウモリのようなモンスターで、二人も攻撃を当てるのに苦労させられた。
モンスターを倒し、ときどき壁や床面などからマナを吸収しながら、二人は奥へと進む。そうしているとジノーファがまた「あっ」と声を出した。妖精眼でまた何かを見つけたらしい。
妖精眼が役に立つのは、マナスポットを見つける場合だけではない。不自然に濃度が低くなっていたり、あるいは淀んでいるように見えたりする場所がある。そういう場所には不純物が埋まっていることが多い。そしてこの場合不純物とはつまり金属インゴットや宝石の原石などのこと。つまり妖精眼は採掘ポイントを見つけるのにも役立つのだ。
「ここ、ですか?」
「うん。そう、見えるのだけど……」
ジノーファが示した壁面は、他と比べて何の変哲もないように見える。しかしシェリーはそこが採掘ポイントであることを疑っていない。それで彼女は一歩前に出ると、ジノーファが示した壁面に手のひらをそえた。
(ふう……)
一つ深呼吸してから、シェリーは魔力を練る。そして慎重に手のひらから壁面へと魔力を染みこませ、一気に破裂させた。浸透勁と呼ばれる技だ。
ビキィィ、と石がきしむような音が響く。シェリーが手を離すと、壁面にはヒビが入っていた。ちょっと触るとボロボロと崩れていく。そうやって壁面を崩していると、やがて岩石以外のものが出ていた。
「これは……、インゴットだね」
黒い塊を手に持ち、ジノーファはそう言った。同じような黒い塊が、さらに三つ四つと出てくる。彼はそれを手早くシャドーホールの中に収めていった。やがて壁面が崩れなくなると、シェリーが振り返って彼にこう尋ねた。
「もう一度崩しましょうか?」
「いや、もう無さそうだ。ありがとう」
ジノーファが礼を言うと、シェリーは「どういたしまして」と言って微笑んだ。壁面には抉られたように穴が開いている。その穴を見てジノーファは感心したように頷いた。
「浸透勁まで使えるなんて、やっぱりシェリーは頼りになる。それに、頭がいい。浸透勁をこんなふうに使うなんて、わたしは考えもしなかった」
「メイドですから」
ジノーファに褒められ、シェリーはくすぐったそうに微笑んだ。浸透勁とは本来、硬い鱗や甲殻を持つモンスターに対し、直接その内部を破壊するための技だ。決して、中まで硬いダンジョンの壁面を崩すための技ではない。それで今回のような使い方はかなり邪道と言えた。
とはいえ、邪道で何が悪いのか。少なくともジノーファがつるはしで壁面を崩すより、シェリーが浸透勁を使った方がずっと速い。だからこそ彼女はそうしたのだ。それを邪道と呼んで否定するのは、頭が固いことの証左に過ぎないだろう。
ちなみに、なぜシェリーが浸透勁を使えるのかと言うと、それは彼女が使う得物に理由があった。細作である彼女は、主にナイフやダガーを好んで使う。これらの武器は小回りが利く反面、軽くて重さが足りず、そのため斬撃が通じない相手にはめっぽう弱い。つまり硬い鱗や甲殻を持つモンスターだ。それらのモンスターに対抗するために、シェリーは浸透勁を覚えたのである。
採掘ポイントから鉱物と思しき黒い塊を回収すると、二人はまた先を目指して歩き始めた。崩した壁面はそのままだが、時間が経てば元通りになるので心配はいらない。ただ、壁面として元通りになっても、採掘ポイントとして元通りになるかは微妙なところだ。
採掘ポイントは、何が採れるかは別として、同じ場所に現れやすいことが経験則として知られている。そして採掘ポイントの回復は、規模が大きいほど早い。それは、その場所に関わるマナの量が多くなるからだとジノーファは思っている。
逆を言えば、規模の小さな採掘ポイントは回復が遅い。そして今回の採掘ポイントの規模は極小だ。ジノーファの経験則から言って、こういう場所は一度採掘したらそれっきりということもザラにある。つまり、あまり期待しないほうがいいだろう。
もっとも、採掘ポイントはここだけではない。規模は同じように小さいものがほとんどだが、他のパーティーが近づかないこの辺りには、手付かずの採掘ポイントが多数ある。また同じ場所に回復しないだけで、他の場所にひょっこり現れることもあり、そういうものを回収していけば結構な稼ぎになる。
本来であれば見つけるのが難しいのだが、しかし今のように妖精眼を使えば採掘ポイントを見つけるのは簡単だ。しかもジノーファにはシャドーホールがあるから、「荷物が多いから回収できない」ということがない。この二つの魔法が彼を経済的にも支えているのだ。
「こんなに便利な魔法なのに、どうして陛下にはお教えしなかったのですか?」
「あまり、手札を見せない方がいいかと思ったのだ」
ジノーファは苦笑してそう答えた。以前、ダンダリオンたちとダンジョン攻略を行ったとき、ジノーファは妖精眼を使わなかった。あえてシャドーホールを使ったのは、一種の印象操作である。手札はこれで全部、と思わせたかったのだ。
そんな小細工をしたのは、あの時はまだ捕虜の身分だったからだ。ダンダリオンの成長に貢献するのは、アンタルヤ王国のためにならないと思ったのである。それで、妖精眼を使うようになったのはシェリーと攻略を行うようになってからだった。
もちろん、シェリーはすでに妖精眼のことをダンダリオンに報告している。その報告を聞いたとき、彼は唖然としてもう一度同じ説明を求めた。理解が及ばないと言うよりは、信じられなかったのである。
その気持ちは、シェリーも良く分かる。彼女もまた、ジノーファと攻略をするようになって、それまでの常識が崩れ落ちる音を何度も聞いた。シャドーホールと妖精眼はその最たるものと言っていい。
しかしながら、だからこそ。今はジノーファと攻略をすることにやりがいを感じている。彼という傑出した才能の一助となること。それが今のシェリーのささやかな願いだった。
シェリーの一言報告書「妖精眼。つまり、ジノーファ様は妖精……?」
ダンダリオン「落ち着け」