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放蕩皇子

 ジノーファが下賜された屋敷で暮らすようになってから、十日が過ぎた。リグドーに依頼した仕事も完了しており、色とりどりの宝石は全てヴィクトールに渡してある。それから調度品の類が幾つか増えていたので、恐らくは一部換金してそれらを購入したのだろう。必要に応じて使って欲しいと言っておいたものなので、必要なものだったのだろうとジノーファは思っている。


 ダンジョンにも何度か潜っているが、本格的な攻略はまだ行っていない。行き詰っているわけではなく、まだ様子見をしている段階なのだ。加えて、ため込んでいた魔石やドロップアイテムの類を換金していて、今はそちらがメインだった。


 なお、ドロップ肉が出た場合には約束通り換金窓口へ持ち込んでいる。一つ屋敷に持ち帰ったこともあり、ボロネスに頼んで調理してもらった。とても美味しく、使用人たちにも好評だったので、また持ってこようとジノーファは思っている。


 宮殿の図書室も、ジノーファは何度か利用していた。ダンダリオンが「許可を出しておく」と言ってくれていたが、その通りほとんど顔パスで使うことができた。のめり込んで時間を忘れ、またシェリーに怒られてしまったのはご愛嬌だろう。


 そのようにしてジノーファが帝都ガルガンドーでの生活にも慣れてきた頃、彼の屋敷に来客があった。初めての来客、というわけではない。ただ珍しいのは事実だ。訪ねて来たのは、それなりに地位のある者だったのである。


 そういう、いわゆる貴族階級に属する者が訪ねてくるのは、これが初めてだ。彼らはジノーファのことを、特別誼を結ぶ必要のない者と考えているからだ。その原因は先日行われた論功行賞にある。


 なるほど、ジノーファは紅玉鳳凰勲章と屋敷を与えられた。しかし何かしらの官職に就いたわけではない。つまり権力も影響力も、彼はほとんど持ち合わせていないのだ。確かに聖痕(スティグマ)持ちではあるが、しかしその真価はダンジョンの中でこそ発揮される。ダンジョンの外では、彼は何の力もない子供だった。


 スタンピードの対処に関して、確かにジノーファには恩がある。それに聖痕(スティグマ)持ちが敵に回るのは面倒だ。加えて彼を厚遇すれば、ロストク帝国の懐の深さを諸外国にアピールできる。しかしどこの馬の骨とも知れない相手を政治中枢に加える気はない。


 よって、飼い殺しにする。それこそがダンダリオンの意図であると、貴族階級の者たちは推測したのだ。そしてダンダリオンのもとから専属メイド、すなわち監視役が派遣されていることを知ると、いよいよ彼らは推測を確信に変えた。


 そしてその時点で、彼らはジノーファに接触する気をなくした。今彼と誼を結んでも、特に利益には結びつかないと判断したのである。もちろん、将来的には分からない。それで敵対だけはせず、現在のところは様子見に徹するというのが彼らの基本方針だった。


 閑話休題。それはそうとして、来客のことである。この日訪ねて来たのは、ジノーファとも顔見知りの相手だった。その来客の名はルドガーという。ジノーファとは、一緒にダンジョン攻略をした仲である。


「ルドガー殿!」


「やあ、ジノーファ殿。久しぶりだ」


 ジノーファとルドガーは親しげに握手を交わした。いや、実を言えばルドガーはどんな顔をして会えば良いのか悩んでいたのだが、ジノーファの方が笑顔を見せて駆け寄ってきてくれたので、そんな悩みはどこかへ飛んで行ってしまった。


「それで、ルドガー殿。そちらの方は?」


 ジノーファの視線が、すっと横へ動く。そこにはもう一人、別の男がいた。長身で、赤毛である。衣服を着崩しているが、だらしない感じはせず、むしろ洒落て見える。髪を伸ばして後ろでまとめているが、ジノーファよりは短かった。


「ああ、こちらは……」


「シュナイダーだ。よろしくな」


 シュナイダーと名乗った男は、そう言ってジノーファに右手を差し出した。その手を握りながら、ジノーファはわずかに首をかしげる。シュナイダーとはこれが初対面。それは間違いない。しかしどうも、彼の顔には見覚えがあった。


「あっ」


「ともかく、屋敷に入っていただいてはいかがでしょうか?」


 ジノーファが何か察して目を見開いていると、ヴィクトールがそう勧めた。その勧めに従い、ジノーファは二人の客人を屋敷の中に招きいれる。客間に通すと、ヘレナがすでに紅茶の準備をしていた。


「それで、今日はどういったご用件でしょうか? シュナイダー殿下」


 ジノーファがそう尋ねると、シュナイダーはにやりと口元を吊り上げた。そういう仕草が父親のダンダリオンとよく似ている。彼は出された紅茶を一口啜り「美味いな」と呟くと、少しもったいぶってからこう答えた。


「特に用はない。一度、ジノーファ殿に会ってみたかっただけだ」


 本当はもっと早く会いに行こうと思っていたのだが、今まで父上や兄上に止められていたのだ、と彼は言う。そして「ようやく会えて嬉しいぞ」と言って、ジノーファの顔をまじまじと見た。


「は、はぁ。それで、会ってみた感想はいかがでしょうか?」


「思っていた以上に普通だな。能ある鷹は爪を隠すというが、もう少し分かりやすくないと、凡夫と見分けがつかんぞ」


「……髭でも伸ばせばよいでしょうか?」


 ジノーファが悩ましげにそう応えると、シュナイダーとルドガーは小さく、だが愉快気に笑った。髭など伸ばしてもきっと似合いはしないだろうと、本人以外の全員が分かっていた。


 それからしばらくの間、三人は会話を楽しんだ。そうこうしている内にジノーファのことを気に入ったのか、シュナイダーは彼を誘ってこう言った。


「どうだ、ジノーファ殿。これから街のほうへ遊びに行かないか。案内してやるぞ」


 ジノーファは少し困ったようにルドガーの方を見た。しかし彼は諦めたように肩をすくめるばかり。その様子を見て、ジノーファはシュナイダーにまつわるある噂を思い出した。「ロストク帝国の第二皇子は放蕩者である」という噂である。


 ダンダリオンには息子が三人いる。シュナイダーはその二番目で、つまり第二皇子だ。皇位継承権は皇太子ジェラルドに次ぐ第二位。間違いなく、帝国国内における最重要人物の一人である。


 ただ、彼は「皇位になど興味はない」と公言して憚らない。それが保身なのか、それとも本心なのかはわからない。とはいえジェラルドは名実ともに次期皇帝としての地位を固めているし、また彼にはすでに嫡子も生まれている。ダンダリオンからジェラルドへ、そしてその子供へと皇位が移っていくのは、ほぼ規定路線であると考えられていた。


 まあそれはそれとして。シュナイダーに放蕩癖が現れ始めたのは、今のジノーファよりも年少のころである。彼はたびたび宮殿を抜け出しては町へ繰り出し遊びまわるようになっていた。高貴な者の義務としてダンジョン攻略も行っていたが、それさえも遊ぶ金欲しさであり、ダンダリオンを呆れさせたと言う。


 しかしながら、彼はそのうち気付くようになる。ダンジョン攻略だけでは十分に遊ぶ金を稼げないことに。この場合、稼ぐ金額よりも遊び方に問題があるのだが、ともかく彼はもっと稼げる方法を探した。そして手を出したのが、交易だった。


 皇子の地位を駆使して政治中枢で情報を集め、輸入と輸出を行う。それでも失敗する事はあったが、しかし他より断然優位な立場にいることは間違いない。彼は順調に金を稼ぎ、そして派手に遊んだ。それでも自分の稼ぎの範囲内で遊ぶので、その豪遊を咎められる事はほとんどない。


 ちなみにシュナイダーはまだ結婚していない。今年で二二歳であり、年齢的には結婚していてもいいのだが、本人は「結婚は臣籍に下ってから」と言っている。皇位継承に関わる問題を減らすという観点から言えば、殊勝な心がけだ。ただその一方で「皇子の肩書きは便利なのでもう少し粘りたい」と嘯いており、要するに遊び足りないのだろうと周囲を呆れさせていた。


 そしてそんな彼に誘われて、ジノーファたちは街へ繰り出した。シュナイダーは慣れた様子でジノーファをあちこち連れまわす。露店でミートパイを買って歩きながら食べるなんて、彼には初めての経験だった。広場でジャグリングをしていた芸人に小銭を投げてやると、シュナイダーがおもむろにこう言った。


「見世物小屋にでも行くか」


 見世物小屋では何人もの芸人が芸を見せている。小屋お抱えの芸人もいれば、国をまたいで芸を見せる旅の一座もいるという。演劇はよく分からなかったが、異国の楽器の演奏はジノーファを喜ばせた。シュナイダーのお気に入りは演舞で、ルドガーが身を乗り出したのは手品だった。


 物見小屋を後にすると、ジノーファたちは下町の食堂で夕食を食べた。こういう店に入るのもジノーファは初めてで、ついきょろきょろと辺りを見渡してしまう。一方、シュナイダーとルドガーは慣れたもので、手早く注文を済ませると給仕の少女に小銭を握らせていた。


「ここはな、臓物の煮込みがうまいんだ。他にも……」


 そう言ってシュナイダーは幾つか店の名前と、そこのおすすめ料理を挙げていく。その中には娼館の名前も混じっていて、それに気付いたルドガーがギョッとした顔をするが、ジノーファには分かるはずもない。いちいち頷き、「今度行ってみたいです」と言って目を輝かせた。


 小銭を握らせたおかげなのか、ジノーファたちの料理は比較的早く運ばれてきた。シュナイダーの言ったとおり、臓物の煮込みは美味しい。店内は賑やかで、マナーを気にしなくていい食事は気楽だった。


「さあジノーファ、楽しい夜はこれからだぞ」


 夕食を終えて店の外に出ると、シュナイダーがそう言ってジノーファの首に腕を絡めた。お酒が入っていることもあり、彼は陽気だ。いつの間にかジノーファのことも呼び捨てにしている。そして「いいところに連れて行ってやる」と言って、そのまま彼のことを引きずっていく。ルドガーは諦めたようにため息を吐くと、その後を追った。


「ここは……」


 ジノーファがシュナイダーに連れて来られたのは賭博場だった。薄暗い照明と紫煙の臭いがいかがわしい雰囲気を醸し出す。ただ、後で聞いた話だが、これでも上品でお行儀のいい賭博場だったそうだ。


「遅かったな。ようやく来たか」


 その賭博場の店内に一人の男がいた。シュナイダーとよく似た顔立ちだが、彼とは違って赤い髪は短く刈り込まれている。シュナイダーとルドガーはもちろん、ジノーファも見知っている相手だった。


「へっ……!?」


 驚いて声を上げようとしたジノーファの口を、ルドガーが慣れた手つきで塞ぐ。ただし本人の顔は不本意そうだ。ダンダリオンの後ろではガムエルも同じような顔をしている。そんな部下たちの様子を無視して、彼は目を見開いたままのジノーファの耳元に顔を近づける。そして小声でこう言った。


「ここではダンと呼んでくれ。直轄軍の士官ということになっている」


 ちなみにガムエルは部下だそうだ。間違ってはいない。ジノーファがコクコクと頷くと、ようやくルドガーが手を放す。それでも彼はまだ信じられない様子で、ダンダリオンの顔をまじまじと見ている。


「親父殿……、なんでここに……」


 シュナイダーはバツが悪そうに頭をかいた。その様子は悪戯の準備を親に見つかった子供のようである。そんな息子を見て、ダンダリオンはにやりと得意げな笑みを浮かべた。


「ジノーファを連れ出したと聞いたからな。ここへ連れて来ると思っていたぞ」


 見透かされて、シュナイダーは仏頂面をした。報告したのはシェリーだろうか。置いていかれたことへの意趣返しかもしれない。拗ねた様子のシェリーを想像し、ジノーファはつい笑ってしまった。


「ジノーファ、小遣いをやろう。社会勉強に少し遊んで来い」


 息子をやり込めてから、ダンダリオンはそう言ってジノーファに数枚の銀貨を握らせた。彼が少し緊張した面持ちでカードをやっているテーブルへ近づくのを見送ってから、ダンダリオンは息子をカウンターに誘った。酒とつまみを注文し、彼を隣に座らせる。一つ、確認しておかなければならないことがあった。


「娼館には連れて行ってないだろうな?」


「ああ。でも、あいつだってそろそろ女を覚えてもいい年頃だろうに」


「女を覚えるのは構わん。だが初めてが商売女で、下手に入れ込まれても困る」


「入れ込んでいるのは親父殿のほうじゃないのか?」


 シュナイダーにそう言われ、ダンダリオンはふっと笑った。確かにジノーファのことは気に入っている。だがそれだけで初めての相手まで気にしているわけではない。


「二つの海をつなげられたら、面白いとは思わんか」


「っ、そういう……」


 合点がいったようで、シュナイダーは何度も頷いた。ロストク帝国は西側を海に面している。北海と呼ばれる海だ。この海は北東に向かって大きく口をあけており、いわば巨大な湾だった。


 水は確かに全て海水である。ただ、大海と呼ぶには小さすぎるし、何より大きく開いた口はしかし冬には流氷で閉ざされる。三方を陸地に囲まれているため、静かで恵豊かな海ではあるが、その一方で主要な交易路からは外れていた。


 もちろん、この海でまったく交易がなされていないわけではない。実際、ロストク帝国は北海を挟んで対岸の国々と交易を行っている。しかしこの時代、海上交易の主たる舞台は帝国から見て南に広がる大洋だった。


 この大洋にでることが、ロストク帝国の悲願の一つである。そしてそのための標的となっている国の一つが、何を隠そうアンタルヤ王国だった。


「アレは剣だ。国を切り取るための、な。切れ味を鈍らせるようなことは、してくれるなよ」


「なら、こんなところで遊ばせていて良いのか?」


「お前とて遊んでいるだろう。ジェラルドにも教えてやったしな。これくらいは嗜みというものだ」


 ダンダリオンがそう嘯くと、シュナイダーは苦笑を浮かべた。名前が出たジェラルドだが、彼は賭博で痛い目を見たことがある。一人でここよりも粗雑で品の悪い賭博場に行ったときのことだ。イカサマ師にカモられ、パンツ一枚になるまでむしり取られたと言う。さすがに懲りたのか、以来ジェラルドは賭博に手を出していない。


「さて、俺はもう行くぞ」


 酒を飲み干し、ダンダリオンはそう言って立ち上がった。ガムエルがホッとした様子でその後に従う。シュナイダーが意外そうにこう声をかけた。


「遊んでいかないのか?」


「ジノーファに小遣いをやって素寒貧だ。お前たちもほどほどにしておけよ」


 そういい残してダンダリオンとガムエルは賭博場を出て行った。ようやく親の監視がなくなったので、羽根を伸ばして遊ぼうかとシュナイダーも席を立つ。そんな彼にカウンターの向こうにいるマスターがこう声をかけた。


「すみません。お連れ様の御代を払っていただけませんか?」


 どうやらダンダリオンは素寒貧のくせして飲み食いし、その支払いをシュナイダーに押し付けたらしい。シュナイダーは顔をゆがめつつ、懐から財布を取り出すのだった。


シェリーの一言報告書「お宅の放蕩皇子を何とかしてください」

ダンダリオン「よしきた」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 誼を得るという言い回しは一般的ではないです。 誼を通ずる または、誼を結ぶ の方が間違いがないかと思います。
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