費用と予算
下賜された屋敷に移ったその日の午後。ジノーファは改めてヴィクトールのことを呼んだ。彼は家令であり、この家の会計を管理している。そのへんのことを聞きたかったのだ。
「単刀直入に聞くけど、お金は足りるだろうか?」
ジノーファには現在、紅玉鳳凰勲章に付随する年金として、年間に銀貨二四〇〇枚の収入がある。一般的に銀貨三〇〇~四〇〇枚で一家族が一年間暮らせると言われているから、かなりの収入があると思っていい。
ただ、ジノーファは決して一般的な暮らしをしているわけではない。大きなお屋敷に住み、使用人を四人も雇っている。当然、必要になる予算もそれ相応だ。もちろんダンジョン攻略をして稼ぐつもりではあるが、現在の収入でどれくらい賄えるのかは知っておきたかった。
「それは、旦那様がどの程度交友関係を持たれるかで変わってまいります」
ヴィクトールはすぐにそう答えた。例えばジノーファがほとんど隠居じみた生活を送るのであれば、銀貨二四〇〇枚の年金だけでも何とかなるだろう。しかし周囲の人々と交友関係を持つようになれば、その分の交際費が必要になる。
「極端な例ではありますが、皇帝陛下がお忍びでお越しになった場合、安物のワインをお出しするわけには参りません。それなりのものをお出しする必要がありますが、そのためには当然、それ相応の費用がかかります」
そのほかにも、例えば結婚式に呼ばれれば、ご祝儀を渡す必要がある。友人の屋敷へ招かれた場合、手ぶらで伺うわけにはいかないから、手土産を用意しなければなるまい。貴族社会の中で人間関係を構築しようとすると、多額の費用がかかるのだ。
「加えて、申し上げにくいことではありますが、この屋敷にしても十分に整えられているとは申せません。最低限度のものは揃っておりますが、買い揃えねばならないもの多々あります」
その最たるものは、ジノーファの私物だろう。特に衣服は早急に揃えなければならない。しかも帝都ガルガンドーには四季の移ろいがあるから、それぞれの季節に合わせた衣服を準備しておく必要がある。
「なるほど。やはり、足りないか……」
「申し訳ございません」
「ヴィクトールの謝ることじゃない。……それで、具体的にはあとどのくらい必要なのだ?」
「銀貨で一〇〇〇枚もあれば、十分と存じます」
ヴィクトールはすぐにその数字を挙げた。きっとすでに計算を済ませていたのだろう。有能な家令の仕事に、ジノーファは満足げに頷いた。
「分かった。ではひとまず、その金額を目標にダンジョン攻略を行うとしよう」
「屋敷には幾つか魔道具がございます。ダンジョン攻略を行われるのでしたら、魔石を換金せずにお持ちいただければ、屋敷で使うことができます」
つまりその分の経費を圧縮できる、ということだ。ジノーファもそれを察し、一つ頷いてから「じゃあ、そうしよう」と応えた。そして最後に彼はヴィクトールにこう命じた。
「それと、これから毎月、会計報告を出して欲しい」
「はっ、承知いたしました。明細は必要でしょうか?」
「いや、簡単なものでいいよ。でも見せてもらう事はあるかも知れないから、明細はヴィクトールが管理しておいてくれ」
ヴィクトールが了解して一礼すると、ジノーファは彼を下がらせた。そして夕方になると、宮殿からダンダリオンの使いが屋敷を訪ねてきた。約束していたダンジョンに入るための許可票を持ってきたのだ。
許可票は、いわゆるドッグタグと呼ばれるタイプのものだった。ペンダントトップの小さなプレートにダンジョンに入ることを許可する旨と、許可票の有効期限が打刻されている。裏にはジノーファの名前も打刻されていて、認識票としても使えるようになっていた。
「そういえば、シェリーは一緒にダンジョンに潜ると言っていたけど、許可票は持っているの?」
「はい。持っております」
そう言ってシェリーは胸元に手を入れ、首に下げていた許可票を取り出して見せた。ジノーファのものとは少しデザインが異なる。彼女のものは直轄軍の認識票であり、これが許可票をかねているのだと言う。ダンダリオン子飼いの細作たちは、ダンジョンに入るために皆これを与えられているのだと言う。ただし直轄軍の名簿に彼らの名前はない。彼らはあくまで裏側の住人なのだ。
まあそれはそれとして。許可票が届けられたことで、ジノーファは晴れてダンジョンに入れるようになった。それで翌日、彼はシェリーを伴い、早速ダンジョンへ向かった。
帝都ガルガンドーには北と南東方向に一つずつ、合計で二つのダンジョンがある。さらに西側には北海と呼ばれる海があり、三方をダンジョンと海に囲まれたこの地はまさに要害と言えた。
さて、帝都に二つあるダンジョンの内、ジノーファとシェリーが向かったのは北側のダンジョンだった。北側のダンジョンは直轄軍が管理しており、兵士たちが訓練のために使用している。特殊な許可票、つまり直轄軍の認識票を持った者でなければ入れない。
「あれ、わたしの許可票で入れるのかな?」
ジノーファが貰った許可票は、直轄軍の認識票ではない。しかしシェリーは心配はいらないと言ってこう説明した。
「ジノーファ様の許可票は、いわゆる貴族用のものになります」
安定した統治と支配を行うために、ダンジョン攻略は避けては通れない。しかし攻略をいわゆる平民だけに任せていては、レベルアップした彼らの反乱が怖い。それで「ダンジョン攻略は高貴な者の義務」という考え方が貴族社会には広がっている。
炎帝ダンダリオンのお膝元である帝都ガルガンドーでは、特にその気風が強い。そのため貴族たちも積極的にダンジョンに潜り攻略を行っている。攻略をしないと「軟弱者」と呼ばれ軽蔑されるので、彼らも必死だった。
特に家督を相続できない子息たちは積極的だ。その中には将来的に直轄軍の士官になることを目標にしている者も多く、例えばルドガーなどもそのクチだ。それで彼らの実力は決して馬鹿にはできないレベルだった。
貴族用の認識票があれば、帝都に二つあるダンジョンのどちらにも入ることができる。ただ追いはぎ等の危険を考慮し、大抵の貴族は北側のダンジョンを攻略していた。
さらにジノーファたちの場合、シェリーが持っているのは直轄軍の認識票だ。この許可票では北側のダンジョンにしか入れない。もちろん南東のダンジョンに入るための許可票を手に入れることは可能だ。しかしそのためにはまた手続きが必要になるし、距離的に考えても屋敷から近いのは北側。それで彼らは北側のダンジョンを攻略することにした。
ダンジョンに向かうと、そこには明らかに兵士ではない者たちの姿もあった。武装しているので攻略を行うつもりなのだろうが、しかし直轄軍の装備とは異なり周りから少し浮いている。つまり彼らが貴族用の許可票を持っている者たちだ。ふとジノーファは自分も浮いて見えるのだろうかと考え、少し気恥ずかしくなった。
「……はい、確認いたしました。どうぞお気をつけて」
許可票を見せて、ジノーファとシェリーはダンジョンの中に入った。片方は貴族用の許可票を持ち、片方は直轄軍の認識票を持つという異色の二人組みだったが、係員の兵士は顔色一つ変えない。プロ意識が高いのか、ジノーファの名前を見て諸々を察したのか、恐らくはその両方であろう。
ダンジョンの中に入ると、ジノーファはシェリーに案内してもらい、出入り口に近い浅い場所をウロウロした。本格的な攻略を行う気はない。今日は様子見なのだ。そして一時間ほど経ったところで、ジノーファはシェリーにこう声をかけた。
「そろそろ、外に出ようか」
シェリーの案内で出入り口の近くまで来たとき、ジノーファは彼女を呼び止めた。彼はしゃがみ込むと自分の影に手をいれ、そしてそこから荷物を取り出した。それを見てシェリーは驚いた。
ダンダリオンからシャドーホールのことは聞いていたし、攻略中も使っていたので荷物を取り出したこと自体に驚きはない。しかし問題はその量だ。明らかに今日獲得した分を上回っている。
「ジノーファ様……、それは……」
「今までの戦果、かな。換金するのが面倒で、ついため込んでしまった」
そう言ってジノーファは苦笑した。つまりアンタルヤ王国にいた頃に、ダンジョン攻略を行って獲得した分ということだ。彼は一人で攻略を行っていたと言う話だから、こうしてため込んでいてもそれに気付く者は一人もいなかったのだろう。
(ああ、そうか……)
同時にシェリーは気付く。ジノーファが今日ダンジョンに来たのは、攻略のためではなくこうしてため込んだ分を取り出すためだったのだ。シャドーホールは魔法だから、ダンジョンの中でしか使えないのである。
「見せていただいてもよろしいでしょうか?」
「うん、いいよ」
許可を貰ってから、シェリーはジノーファが取り出した戦利品の数々をよくよく眺めた。魔石の中にはエリアボスのものと思しき、大きなものが幾つも混じっている。ドロップアイテムも大きな牙や竜鱗など、立派なものが多い。シェリーが感嘆の吐息をこぼしていると、ジノーファは次に小さな包みを取り出した。
「これが今日の本命。見てご覧」
少し自慢げにそう言って、ジノーファは包みの中をシェリーに見せた。それを見て彼女は思わず息を飲む。そこには色とりどりの原石が入っていた。まだカッティングされていないので輝いてはいないが、しかしこれを換金した場合、かなりの額になることは明白だ。
「これは……、採掘されたのですか?」
「うん、そう。インゴットの類もあるんだけど、それはまた今度だな」
そう言ってジノーファは原石の入った包みをポケットに入れ、さらに影の中から大きなバックパックを二つ取り出した。そして一つには魔石をいれ、もう一つにはドロップアイテムをいれる。ずっしりと重いバックパックをそれぞれ担ぎ、ジノーファとシェリーは出入り口へ向かった。
「そうだ。シェリーの取り分はどうしようか?」
その途中、ジノーファはふと思い立ってそう尋ねた。経験値の分配は半分ずつにしたのだが、今回の換金分は彼がため込んでいた分が多い。どのくらいをシェリーに渡すのが適当なのかジノーファは考え込んだが、しかし当の彼女がこう言った。
「いえ、わたしは大丈夫です」
「だが、それでは公平じゃないだろう?」
「わたしの場合、ジノーファ様と一緒に攻略を行うのも仕事の内ですから。それに危険手当なら陛下からいただきますので、ご心配なく」
シェリーは少し困ったように微笑んでそう言った。実際のところ、ダンダリオンが危険手当を出してくれるかは未知数なのだが、彼女の主は吝嗇ではないのであまり心配はしていない。そして彼女は話題を逸らすこともかねて、逆にこう尋ねた。
「それはそうとジノーファ様。先ほどの原石もここで換金なさるおつもりですか?」
「うん、そのつもりだ」
「その、差し出がましいことを言うようですが、それはとても勿体無いです」
少し言いにくそうにしながら、シェリーはジノーファの方針に異論を差し挟んだ。ダンジョンの出入り口付近には魔石やドロップアイテムの換金窓口がある。ジノーファはそこで換金してもらうつもりだったのだが、彼女には別の案があるようだった。
「では、他にどうしたらいいのだろう?」
「腕のいい、信頼できる細工師にアテがあります。その者にカッティングを依頼されてはいかがでしょうか。そうすれば、価値は何倍にもなると存じます」
それは名案であるように思えた。それに美しくカッティングされた宝石はそれ自体が財産になる。今は換金せず、そのまま保管しておいても良いだろう。
「分かった。じゃあ、そうしよう。それにしても、シェリーはよくそんな細工師のことを知っていたなぁ」
「メイドですから」
シェリーはニッコリと微笑んでそう答えた。それを聞いてジノーファは苦笑する。彼女の本職は細作であるはずなのだが。昨日、彼女もそれを自己申告していたはずなのだが。しかし妙に説得力があるので、ジノーファもあれこれ追求しようとは思わなかった。
さてジノーファとシェリーがダンジョンの外に出ると、許可票の確認をしている係員が少し驚いた顔をする。二人が担ぐ大きなバックパックに目が留まったのだ。しかし話しかけてくる事はしなかったので、二人はそのまま換金窓口へと向かった。
魔石は屋敷で使うので、ドロップアイテムのほうだけを換金する。換金額は銀貨で四三二枚にもなった。その内、銀貨四〇〇枚分を金貨で貰う。銀貨一〇〇枚で金貨一枚なので、金貨四枚だ。そのお金を受け取るときに、窓口のお姉さんがジノーファにこんなことを尋ねた。
「ところでジノーファ様。今日は、ドロップ肉はないのでしょうか?」
「今日はないんだ。でも、どうしてそんなことを聞くのだ?」
「実は陛下が楽しみにしておりまして……」
そう言って窓口のお姉さんは苦笑を浮かべた。それを聞いてジノーファも苦笑する。「またドロップ肉を食わせてくれ」とダンダリオンが言っていたのは本気だったらしい。とはいえ今日は本当にドロップ肉がない。
ため込んでいた分は捕虜だった頃に全て提供したし、今日はドロップしなかったからだ。それで次にドロップしたら必ず持ってくることを約束し、ジノーファとシェリーは屋敷へ戻った。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「うん、ただいま」
屋敷に戻ると、ジノーファは魔石とお金をヴィクトールに預けた。大量の魔石を見てヴィクトールは目を丸くする。魔石を換金せずに持ち帰ることを勧めたのは彼だが、この量は想定していなかったらしい。
それからジノーファとシェリーは一度部屋で着替えてから、またすぐに外出した。シェリーが話していた細工師を紹介してもらうためだ。彼女に案内されてやってきたのは、上流階級向けの店が立ち並ぶ一角から少し外れた場所にある工房だった。
「なんだ。おめぇさんか。今日は何のようだ?」
工房主の男はシェリーの顔を見ると、つまらなそうにそう尋ねた。ぶっきらぼうな物言いで、ジノーファは少しだけ面食らう。彼のこれまでの人生において、あまり遭遇しなかった類の人間である。
「いえ、今日は……」
「用があるのはわたしだ。一つ仕事を頼まれてくれないだろうか?」
そう言ってジノーファはシェリーの前に出た。男は彼の姿を見て胡散臭げに眉をひそめ、それから後ろに立つシェリーに視線を向ける。彼女が頷くと、男はため息を吐いて二人を中に入れた。
「それで、仕事というのは?」
リグドーと名乗った男は、茶も出さずに早速そう尋ねた。プライドをこじらせた貴族なら激高しそうな態度だが、ジノーファは気にした様子もない。包みを取り出し、そしてこう言った。
「これのカッティングを頼みたい」
「こいつは……」
包みの中の原石を見て、リグドーもわずかに目の色を変えた。すこしはやる気になってくれたようで、ジノーファも内心で安堵する。そして彼はさらにこう報酬を提示した。
「報酬は、この中から好きな石を二つでどうだろう?」
「いや、それだと貰いすぎな気がするんだが……」
「シェリーから、貴方は腕のいい細工師だと聞いた。なら、それに見合う報酬をわたしは支払いたい」
ジノーファがそう言うと、リグドーはとうとう笑い出した。そしておもむろに立ち上がると、折り目正しく一礼する。
「失礼しました。ぜひ、やらせてください」
「うん。よろしく頼む」
そう言って、ジノーファはリグドーと握手を交わした。一週間後には仕上がると言うので、その頃に取りに来ると伝え、ジノーファとシェリーはリグドーの工房を後にする。やるべき事を終え、屋敷に帰ろうかと思っていたジノーファを、シェリーが後ろから呼び止めた。
「お待ちください、ジノーファ様。せっかくですから、衣装を買って参りましょう」
「いや、しかしお金が……」
確かにジノーファの衣装は早急に買い揃える必要がある。ここからなら店も近い。ただ上流階級向けのお店だけあって、値段の方もそれ相応だ。そして今日は手持ちがそれほど多くはないはずだった。しかしシェリーは笑顔でこう答える。
「大丈夫です。ヴィクトールさんから金貨を三枚預かっています」
間違いなく、先ほど換金してきた分だと思われる。ジノーファは苦笑して買い物に同意し、そしてたっぷりとシェリーの着せ替え人形になった。
シェリーの一言報告書「ご主人様を着せ替え人形にする。これぞメイドの醍醐味! あと、危険手当ください」
ダンダリオン「どっちが本題なのか、それが問題だ」