表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/364

引越し


 ダンダリオンから紅玉鳳凰勲章と一等地のお屋敷を下賜された、その次の日。ジノーファは少しだけ憂鬱な気持ちで朝を迎えていた。


(ここでの暮らしも、もう終わりか……)


 ジノーファは屋敷を下賜された。そして今日、朝食を食べてからそこへ案内してもらうことになっている。今後はそこで暮らしていくのだ。それは新しい生活の始まりを意味していた。


 ただ、彼は新しい生活が不安で憂鬱になっているのではなかった。生活の拠点が屋敷へ移れば、宮殿に立ち寄る機会も少なくなるだろう。ここで培った人間関係が希薄になってしまうのは少し惜しい。なにより……。


(シェリーにも、そう簡単には会えなくなってしまうな……)


 それが一番の、心残りだ。


 さて朝食を終えると、ジノーファは身支度を整えた。ただ、そもそも私物がほとんどない。身支度はすぐに終わった。そして彼が迎えを待っていると、ちょうど部屋のドアがノックされた。


「失礼します」


「シェリー!?」


 ジノーファが驚きの声を上げる。部屋に入ってきたのはシェリーだった。彼女はにっこりと微笑むと「はい」と返事をする。そしてこう言葉を続けた。


「お支度は済んでおられるでしょうか?」


「あ、うん。大丈夫だ」


「では、ご案内いたしますね」


 シェリーに案内され、ジノーファは宮殿の廊下を歩く。顔見知りになった兵士やメイドたちが声をかけてくれて、彼はそのたび気さくに応じた。


 シェリーはすぐに宮殿の外へ向かうのではなく、まずダンダリオンの執務室へジノーファを案内した。寄るようにと事前に言われていたらしい。ジノーファもかなうことなら彼に挨拶をしておきたかったので、否やはない。二人が執務室に入ると、ダンダリオンは笑顔で彼らを迎えた。


「おお、ジノーファか。これから屋敷の方へ向かうのか?」


「はい。ダンダリオン陛下には多大なご配慮をいただき、感謝の言葉もございません」


「よせよせ。少しばかり恩を返しただけだ」


 そう言ってダンダリオンは快活に笑った。つられてジノーファも笑う。それから二人は少しの時間、話をした。内容は主に帝都でのジノーファの暮らしについてで、そのなかで図書室の話がでた。


「ほう、図書室をよく使っていたのか。どうだ、あそこは。気に入ったか?」


「はい。豊富な蔵書があり、感服いたしました」


「そうか。ではこれからも自由に使うと良い。許可は出しておこう」


「よろしいのですか!?」


 ジノーファは喜色もあらわに声を上げた。そんな彼に対し、ダンダリオンは鷹揚に頷く。


「ああ。兵士達の調練に付き合ってもらった礼だ。他に何か願いはあるか?」


「……では、帝都のダンジョンに入る許可をいただけますでしょうか?」


「良かろう。後で許可票を届けさせる」


「ありがとうございます」


 ジノーファはそう礼を言って頭を下げた。これでダンジョンに入ることができる。紅玉鳳凰勲章の年金があるから、生活に困る事はないだろう。しかし隠居するにはまだ早いし、前向きでいるためにはともかく「やるべきこと」が必要なのだ。


「陛下、そろそろ……」


 会話の区切りを見計らい、秘書官と思しき男がダンダリオンに声をかけた。ダンダリオンの机の上には、今日の分なのだろうか、紙の束が山積みになっている。それを見て少しだけ嫌な顔をすると、しかし小さく苦笑してから彼は立ち上がった。


「そうだな。ジノーファ、またドロップ肉を食わせてくれ。シェリー、ジノーファのことを頼んだぞ」


 そう言って仕事に戻るダンダリオンに一礼してから、ジノーファとシェリーは彼の執務室を辞した。それから外へ出ると馬車が用意されており、二人はそこへ乗り込んだ。


 下賜された屋敷までは、馬車でおよそ十分。一等地と言われていたが、その通り宮殿に近く、また周囲にも大きなお屋敷が立ち並んでいる。その中で比べれば、ジノーファが下賜された屋敷は小さい方だった。


 屋敷の正門を潜ると、使用人たちが馬車を出迎えた。使用人は全部で四人。男性が二人、女性も二人だ。ジノーファが馬車から降りると、一人の男が進み出て優雅に一礼しこう言った。


「お待ちしておりました、旦那様」


「うん、これからよろしく頼む」


 ジノーファは笑顔でそう応じた。それから屋敷の中へ入り、客間へ通される。勧められるままソファーに座ると、メイドの一人がすぐにお茶の用意を始めた。そして先ほどの男がテーブルを挟んで彼の正面に立ち、もう一度優雅に一礼する。


「改めまして、旦那様。今日、旦那様をお迎えすることができ、使用人一同、大変喜ばしく存じております。私は家令のヴィクトールと申します。ご用命の際には、何なりとお申し付けください」


 家令とはその家の事務や会計を管理し、また使用人の監督に当たる人物の事を指す。要するに、使用人の中で最も偉い人物だ。家令はその家の事情について主人よりも詳しい場合が少なくなく、有能で、何より信頼できる人物であることが求められた。


 ヴィクトールと名乗ったその男は、白髪の混じったロマンスグレーの髪をしていた。いかにも知的な顔立ちをしているが、しかし同時に柔和で、冷たい印象は感じない。痩身で、背筋は伸びており、所作の一つ一つに品がある。


 ダンダリオンが手配してくれたのだから、使用人の質についてジノーファは何も心配してはいなかった。ただこうして一目見て、彼はヴィクトールが信頼にたる家令であることがすぐに分かった。むしろこれほどの人物をよくぞ見つけてくれたものだと、改めてダンダリオンに感謝した。


「うん。よろしく、ヴィクトール。それで早速なのだけど、他の使用人たちを紹介してもらっていいだろうか?」


「はっ。ではまず……」


 まずヴィクトールが紹介したのは、厨房を預かるコックのボロネス。筋肉隆々の大男だが、快活に笑うので威圧感はない。若い頃にはアンタルヤ王国で料理修行をしていたこともあるといい、ジノーファの口に会う料理を作れるはずだとヴィクトールは太鼓判を押した。


「ボロネスです。精一杯作らせてもらいますが、人には当然好みがございます。何かお気に召さない点があれば、どうぞご遠慮なくお申し付けください」


「うん、そうさせてもらうよ。時々、おやつをねだりに行くかもしれないけど、その時も頼む」


 ジノーファがそう言うと、ボロネスは楽しげに笑って「お待ちしております」と応えた。そしてヴィクトールが咳払いをしてから、使用人の紹介を再開する。


 次に紹介されたのは二人のメイド。年かさの方はヘレナといい、年少のほうはリーサという。ただし、年少とはいえリーサもジノーファよりは年上だ。屋敷内の雑事は、主にこの二人が担当する。厨房を手伝う場合もあるというので、かなり幅広い分野で働いてもらうことになりそうだった。


「ヘレナと申します。簡単なご用事であれば、わたし達にお申し付けください」


 そう言いながら、ヘレナは淹れたての紅茶をジノーファの前に置いた。彼は「ありがとう」と言ってから、その紅茶を一口啜る。そして満足げに目を細めた。


「美味しい……。ヘレナは紅茶を入れるのが上手なのだな」


「これくらいしか能がなく、お恥ずかしい限りです」


「そんなことはない。リーサもこれからよろしく」


「はい。精一杯、勤めさせていただきます」


 ヘレナとリーサが揃って一礼する。その所作は二人とも美しく、彼女たちが以前からそれなりの場所で働いていたことを暗示している。本当にダンダリオンは良い使用人を集めてくれたようだ。


「旦那様が雇用なさる使用人はこれで全部でございます。庭師がおりませんので、手入れをする際には専門の業者に依頼するのがよろしいでしょう」


「そのへんのことは、ヴィクトールに任せるよ。良いようにやって欲しい」


「はっ、畏まりました。それと、最後にもう一人、旦那様の専属メイドをご紹介いたします」


 それを聞いてジノーファは首をかしげた。この場にはもう、紹介してもらうべき人物は残っていない。少々困惑した様子を見せる彼の前に立ったのは、なんとシェリーだった。


「ダンダリオン陛下のご命令により、旦那様の専属メイドとして派遣されてまいりました、シェリーと申します。どうぞ末永く、よろしくお願いいたします」


「え、いや、でもシェリーは宮殿の……」


「今日からは、旦那様の専属メイドでございます」


 やんわりと、しかしきっぱりとした口調でそう言われ、ジノーファは少しだけ圧倒された。思っても見なかった展開に頭がついていかない。ダンダリオンが言っていた「ジノーファのことを頼んだぞ」というのはこういうことなのか、と彼は遅まきながらに悟った。


 いろいろな疑問が、頭の中でぐるぐると回る。何を尋ねれば良いのか、考えがまとまらない。ただそんな中で、ジノーファは確かに自分が喜んでいることに気がついた。


(そうか……、シェリーは傍にいてくれるのか……)


 これで心残りはなくなった。


 ちなみにシェリーは決してジノーファに付きっきりというわけではなく、普段はヘレナやリーサと一緒に屋敷の仕事も行うと言う。ただ彼女はあくまでもダンダリオンの部下。給料も彼(国)が出している。指示系統も独立していて、究極的に言えばヴィクトールはおろかジノーファの指示にさえ従う義務はない。


 もっとも、シェリーとてすき好んで波風を立てようとは思っていない。常識的な命令であれば、全面的に従うつもりである。いや、そもそもそれ以上のことをさえ、彼女はダンダリオンから命令されていた。


 彼女がそのことをジノーファに説明したのは、使用人との顔合わせが終わり、彼が自室として使う部屋に案内されたときのことである。彼をそこへ案内したシェリーは、不意に真剣な顔をしてジノーファにこう話しかけた。


「旦那様。わたくしの件について、説明しておかなければならないことがございます」


 ジノーファも真剣な顔をして一つ頷いた。そもそもこうして専属メイドが派遣されてくると言うのは、通常ありえないことだ。ということは、ダンダリオンは何か思惑があるに違いない。


 このタイミングでそれを説明すると言う事は、他の使用人たちにはあまり知られたくないことなのだろう。ジノーファはそう考え、そしてその予想は当たった。シェリーはまず自分自身についてこう告白したのである。


「わたくしは、細作でございます」


 一般に、政治・経済・軍事・技術などの情報を入手していち早く味方に知らせ、また敵の活動を阻害・かく乱することが、細作の主な任務とされる。そのためには非合法的な手段を用いる場合もあり、表舞台には姿を現さない、裏側の人間だった。


 その細作が、わざわざ傍に侍るようにと派遣されてきたのだ。その意図について、ジノーファはすぐに察した。


「つまり、シェリーはわたしの監視役か」


 手を打つようにして、ジノーファはそう言った。シェリーも固い顔をして頷く。つまり彼の行動はシェリーを通してダンダリオンに報告されるのだ。しかしそれと察しても、不思議と不愉快な気分はしない。何しろ彼は、追放されたとはいえ敵国の元王太子。警戒するのは当然だろう。むしろ納得した。


「でも、シェリーは大丈夫なのか? 細作であることを、わたしに明かしてしまって」


 細作であることを、監視役であることを告白されれば、普通は警戒する。その結果仕事に支障をきたしたり、そうでなくとも勝手に身分を明かしたことを咎められたりはしないのか。心配するジノーファを見て、シェリーは少し困ったように微笑んだ。


「旦那様はお優しいのですね……。わたくしはてっきり、怒鳴られて嫌われるものと覚悟していたのですが……」


「そうしたほうが良かっただろうか?」


 ジノーファがそう悩ましげに尋ねるものだから、シェリーはたまらずに笑ってしまった。メイドとしてあるまじきことだが、ジノーファならこの程度のことでは腹を立てたりはしないだろうという確信があった。現に、彼は困ったように苦笑するばかりだ。そしてひとしきり笑ってから、シェリーはこう答えた。


「失礼しました……。いえ、怒鳴られも嫌われもせずに済んで良かったです。それと、正体を明かしたことですが、陛下から許可をいただいておりますので、大丈夫ですよ」


「それは良かった。それにしても、なぜわざわざ明かそうと思ったのだ?」


「一つには、ダンジョン攻略にご一緒するためです」


 ダンダリオンに許可を求めたことから分かるように、ジノーファはダンジョン攻略を行って収入を得るつもりでいる。シェリーはそれに同行するつもりでいたのだが、しかしただのメイドと思われていては、ジノーファは同行を許可しないだろう。それで細作であることを明かし、戦闘技能を修めていることをアピールしたのだ。


「成長限界には達しておりませんが、腕には覚えがあります。訓練の一環としてダンジョンには潜っておりましたし、必ずお役に立ちますので、どうぞご一緒させてください」


「……うん、よろしく頼む」


 少し考えてから、ジノーファはそう答えた。もちろん、彼には一人でも攻略を行える自信と実力がある。しかしこれまでに「味方がいてくれたらいいのに」と思う場面は多々あった。特に仮眠を取る場合などは、味方が一人いてくれるだけでずいぶんと話が違ってくるものだ。


「シェリーが一緒なら、わたしも心強い」


「はい。精一杯、努めさせていただきます」


「うん。でも、正体を明かした理由は、それだけではないのだろう?」


「……つまり、信頼を得たかったのです」


 苦笑しつつ、シェリーはそう答えた。それを聞いてジノーファは首をかしげる。信頼を得たいのであれば、後ろ暗い正体は明かさない方が良いのではないだろうか。しかしシェリーは首を横に振ってこう答えた。


「短期的に見ればそうでしょう。ですがわたくしはかなり長期間、旦那様にお仕えすることになります」


 これからはたくさんの人がジノーファに接触してくるだろう。その中には他国の回し者がいるかもしれない。シェリーが細作つまり監視役であることをその回し者がジノーファに教え、それによって彼がダンダリオンに対して不信感を抱くこと。シェリーはそれを警戒していた。


 それでならばいっそと思い、自分から正体を明かしたのだ。短期的には嫌われ警戒されるとしても、長期的に見れば新たに信頼関係を築くことは十分に可能。そう考えてのことである。


 その結果は、シェリーの思っていた以上になった。ジノーファは彼女の正体をあっさりと受け入れ、不信感を抱く事は少しもなかったのである。加えてダンジョン攻略も一緒にできることになった。最上の結果、と言っていい。


「正直、ほっといたしました」


「それは、良かった。……ところで、わたしからも一つお願いがあるのだけれど」


「はい、何でしょうか?」


「わたしのことは、その、名前で呼んで欲しい」


 ジノーファは若干顔を赤らめ、視線を逸らしながらそう頼んだ。それを聞いてシェリーは驚いたような顔をしたが、すぐに優しげな笑みを浮かべて頷く。そしてこう言った。


「はい、畏まりました。ジノーファ様」


シェリーの一言報告書「ジノーファ様はお優しいご主人様です」

ダンダリオン「早速ほだされてるな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ニンジャ!ナンデ!?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ