同士討ち
イスファード率いる騎兵隊に、魔法による一斉攻撃が叩き込まれた。爆音が鳴り響き、土煙が派手に舞い上がる。さすがに堪らず、彼らの足が止まった。その隙に、ジノーファは防衛線に急造された土塁の北側へ回り込んだ。
なぜここにジノーファがいるのか。一言で言えば、回り込んだからだ。しかし言うのは簡単でも、実際にそれを行うのは容易ではない。だが彼はそれをやってのけた。
ジノーファは騎兵の快速を生かして王太子軍より先に防衛線にたどり着いたのだ。ただ、普通に馬を駆けさせるだけでは不可能だったろう。馬は生き物。速いペースで駆けさせれば、当然疲れて動かなくなる。
そこでジノーファは、騎兵一人につき三頭の馬を用意した。つまり馬を交換しながら駆けることで、一頭あたりの負担を軽くしたのだ。これはロストク帝国にいた頃に本で読んだ、遊牧民の軍事行動の様子を参考にしたものである。
ただし、問題もある。騎兵一人につき三頭の馬を用意すると言うことは、馬の数に対して三分の一の兵士しか連れて行けないと言うことだ。実際、ジノーファに付き従って北へ駆け上ったのは七〇〇人だけだった。
ジノーファと一緒にオズディール城へ入った騎馬は二〇〇〇。ジノーファはさらに一〇〇の騎馬を借りた。馬の数は合計二一〇〇で、その三分の一で七〇〇だ。ちなみに残りの兵士はジュンブル伯爵の指揮下に入れてきた。今、彼らはオズディール城を出撃し、王太子軍の後を追って北上している最中だ。
強行軍のかいもあり、ジノーファは王太子軍に先んじて防衛線に到着することができた。それが昨日のことである。彼はすぐさま斥候を出して敵軍の位置を探らせ、さらに防衛線の兵士たちに命じて迎撃の準備をさせた。
ただ準備と言っても、時間もないし、できることには限りがある。それでジノーファが命じたことはただ一つ。堅固な土塁を造らせることだけだった。土塁だけなら、土魔法を駆使すれば比較的容易に作れる。夜半過ぎまでかかったものの、幸いなことにモンスターの襲来もなく、十分に堅固と思える土塁が完成した。
そして翌日、つまり今日の朝。ジノーファは朝食を食べながら、地図を睨み付けていた。斥候からの情報と合わせ、王太子軍が現在どの辺りにいるかを予想しているのだ。あまり行儀は良くないのだが、ユスフも同じようにしているので、注意する者はいなかった。
『この辺り、かな?』
『聞いた限りでは行軍速度は遅いという話ですし、この辺りではないでしょうか?』
ジノーファが指さしたのよりも、多少南側の場所をユスフが指さす。誤差の範囲というには、少々距離がある。その差は、要するに敵に対する二人の評価の差だ。ともあれそれを気にすることなく、ジノーファは腕を組んでまた地図を睨み付ける。次に彼が目を付けたのは、防衛線から一時間ほど馬を駆けさせたところにある、小高い丘だった。
(ここなら……)
その小高い丘は、王太子軍が北上してくるルート上にあった。実際にはおそらく迂回されるのだろうが、ともかく見落とされる心配はない。そして防衛線からの距離もちょうどいい。
ジノーファは一つ頷くと、手早く朝食の残りを平らげ、ユスフに命じて主だった者たちを集めた。そして自らの作戦を説明する。つまり丘の上で敵軍を待ち構え、敵の騎兵隊を歩兵隊から引き離してそのまま防衛線まで誘引。そこを一気に叩くのだ。
『どうだろうか?』
『……敵の戦力は一万五〇〇〇ほど。その数が一挙に押し寄せれば、防衛線はひとたまりもないでしょう。敵の騎兵隊に狙いを定めることには賛成です。ですが、わざわざ陛下が囮役をされなくとも……』
そう苦言を呈する者もいたが、ジノーファは自分がやると言って譲らなかった。それに斥候に確認させたが、やはり敵軍にはイスファードがいるらしい。狙いはそこだ。彼を釣り上げれば、敵の騎兵隊も動かざるを得ない。
この作戦は上手くいった。ジノーファは自らを囮にして、まんまとイスファードを釣り上げたのである。王太子軍の騎兵隊は歩兵隊と引き離され、準備を万端に整えた防衛線へと誘引された。
まず放たれたのは弓矢だ。普通に放ったのでは届かないはずの距離だったが、弓矢は敵の騎兵隊にまるで銀色の雨のように降り注いだ。風魔法を駆使して、弓矢の飛距離を伸ばしたのだ。これもジノーファのアイディアだった。
そして敵の騎兵隊がさらに近づいてきたところで、本命が叩き込まれた。魔法による一斉攻撃だ。これにより敵の足が止まる。そこへ続けてまた矢が放たれ、敵の傷口を広げていく。
敵は混乱している様子だった。騎兵の中に弓を扱う者はいないのだろう。向こうから矢が飛んでくることはない。一方的な展開になった。しかし土塁の上からその様子を見るジノーファの表情は険しい。一方的にも関わらず、敵が崩れないのだ。
「もう一度出るぞ! 馬を替えろ!」
ジノーファは部下たちにそう命令を出す。そして自らも新しい馬に乗り換えると、直ちに出撃する。「陛下!」と呼ぶ声が聞こえたが、ジノーファはそれに応えない。代わりにこう命じた。
「援護しろ!」
魔法が連続して敵に撃ち込まれ、敵の混乱が拡大する。それを見計らって、ジノーファは駆け出した。それを援護するべく、弓矢が山なりに放たれる。銀色の局地的豪雨を傘にして、ジノーファ率いる騎兵隊は敵軍の中へ飛び込んだ。
「おおおおおお!!」
雄叫びを上げながら真っ先に切り込んでいくのはジノーファ、ではなくラグナだ。尋常ではない威圧感が放たれているから、聖痕は発動済みだろう。彼が得物としているのは、槍ではなく六角棒。無骨なそれを縦横無尽に振り回し、彼は敵を馬上からたたき落としていく。
そんなラグナの左側。馬半頭分ほど遅れて続くのがジノーファだ。左側にいるのは、右手で六角棒を振るうラグナの弱点をカバーするためだ。それではジノーファの左側が弱点になりそうなものだが、抜かりはない。彼は今、左手で槍を振るっていた。
ジノーファは右利きだ。しかし双剣を振るうこともあり、武器ならば左手でも不自由なく使うことができる。もちろん、技術的には右手に及ばない。だが武術大会で競っている訳ではないのだ。戦場では勢いと膂力さえあれば、それで十分すぎるほどの脅威となる。
ラグナを狙った騎兵を、ジノーファが勢いに任せて槍で貫く。彼もまた聖痕は発動済みだ。二人の聖痕持ちに率いられ、イスパルタ軍の騎兵隊は士気が大いに高まっている。寡兵といえども、それをものともせず、彼らは敵を蹂躙していく。
「「「おおおおお!」」」
兵士たちの雄叫びが響き渡る。そんな中にあって、ジノーファは冷静さを保っていた。彼は槍を振るいながら、周囲の様子を油断なく窺う。そしてラグナにこう指示を出した。
「ラグナ、このまま突き抜けてくれ」
「承知!」
ジノーファの指示通り、彼らは王太子軍の騎兵隊を喰い千切って突き抜け、そのまま南へと向かった。それを見て、イスファードは彼らの後を追う。彼の頭にはジノーファを殺すことしかなかった。
残された王太子軍の騎兵たちもまた、イスファードに従って南へ向かう。その背中にはもちろん追撃の弓矢や魔法が撃ち込まれたが、彼らはすぐに射程外へ出てしまったため、さほど大きな損害とはならなかった。
追撃の兵を出せればまた違ったのかも知れない。だがそれほど多くの兵がいるわけではないし、また防衛線を空にするわけにもいかない。だがそれでも、敵を撃退したことで防衛線からは歓声が上がった。
さて、南へ向かうジノーファらは快足を鳴らし、イスファードらをぐんぐんと引き離していった。これは騎兵の技量や馬の能力差というより、むしろ馬に蓄積された疲労の差だった。ジノーファたちは馬を替えているが、イスファードらは同じ馬に乗り続けている。その差が如実に表れたのだ。
やがて南へ下るジノーファらの前に、歩兵の一団が現れる。王太子軍の歩兵隊だ。先行してしまったイスファードの後を追うべく、彼らはかなり急いだ様子で歩を進めている。そのせいで隊列は大いに乱れていた。
それを見て、ジノーファはすっと視線を鋭くする。今、双翼図は掲げられていない。ぱっと見ただけでは、どこの騎兵か分からないだろう。「ならば」と思い、彼は短くこう命じた。
「突撃!」
たった七〇〇の騎兵が、歩兵ばかりとはいえ一万二〇〇〇もの敵に襲いかかった。王太子軍の迎撃の準備が整わないうちに、ジノーファらは敵軍の真っ只中へ飛び込んだ。そして雑兵を打ち払い、跳ね飛ばし、真っ直ぐに突き進んでいく。その様子はあたかも、小刀が紙を切り裂いていくかのようだった。
そして彼らはついに、敵陣の中央突破に成功する。戦果の拡大を狙うのなら、反転するべきだろう。だがジノーファはそうせず、彼らはそのまま南へ向かった。
こうして彼らは戦場から離脱したわけだが、戦いはまだ終わっていなかった。むしろこの戦いの最も愚かしく凄惨な部分はこれから始まろうとしていたのである。
「くぅっ……、してやられた!」
敵の騎兵隊が自軍を切り裂いて突破していく様子を見て、王太子軍の副将ジャフェルは馬上で臍を噛んで悔しがる。イスファードの後を追うべく急いでいたのが裏目に出た格好だ。まともに迎撃態勢を整えることもできず、敵の突入を許してしまった。
ただ、急いでいたことだけが原因ではない。要するに、ジャフェルは油断したのである。騎兵の一団が前方に現れたとき、彼はそれを味方と勘違いしてしまったのだ。なにしろ敵の騎兵隊は味方の騎兵隊に追われていた。それがまさかこちらへ突っ込んでくるなど、夢にも思わなかったのである。
(味方の騎兵隊は……、殿下はどうなった!?)
ジャフェルの内心に焦りが募る。イスファードの安否が気になった。だが同時に、軽々に動くこともまた憚られた。
敵の騎兵隊がこちらへ来たと言うことは、味方の騎兵隊は突破されたことになる。ということはそれが可能な戦力が、この先で待ち構えていたのだ。
そうであるなら、先ほどの騎兵隊がそのまま南へ駆け抜けていったのは、恐らく囮となるためだ。彼らを追おうとすれば、味方の騎兵隊を蹴散らした別働隊が北から現れて、逆にこちらの背中を襲う手筈に違いない。ジャフェルはそう考えた。
「敵が来るぞ! 迎撃準備! 隊列を整えろ!」
ジャフェルは大声でそう命令を出した。中央突破を許したことは痛手だったが、しかし敵は反転せずそのまま離脱していった。敵が少数だったこともあり、損害と混乱は最小限で済んでいる。そのおかげで、立て直しは比較的容易だった。
そしてしばらくすると、北からまた別の部隊が現れた。それを見て、ジャフェルは嗜虐的な笑みを浮かべる。敵の数はそれほど多くない。先ほどの借りを返してやると、彼は復讐心を滾らせた。そして声を張り上げてこう命じる。
「弓隊、放てぇぇえええ!!」
一方、イスファードは前方に現れた歩兵の一団を見て首をかしげていた。彼らはジノーファの率いる騎兵隊を追っていた。それなのになぜ、歩兵隊が現れるのか。
普通に考えれば、あれはジャフェルが率いる味方だ。しかしそうであるなら、ジノーファらはあれとぶつかったはず。なぜ戦闘の気配がしないのか。イスファードは訝しんだ。まさかすでに突破された後であるなど、彼の埒外だった。
彼が首をかしげている間にも、両者の距離は縮まっていく。そしてついに、歩兵隊から騎兵隊に対し弓矢が放たれた。
それを見てイスファードは激怒した。あれは敵であったのだ。彼らが引き離されている間に、南からイスパルタ軍の別働隊がジャフェル率いる歩兵隊を強襲したに違いない。そしてそのまま、こうして自分たちを待ち受けていたのだ。
「舐めた真似を……! 突撃! 蹴散らせ!」
「殿下!」
「どのみち退路はない! 後退したところで挟み撃ちに遭うだけ。ならば敵陣を突破し味方と合流する!」
イスファードがそう言うと、騎兵隊の隊長も顔を強張らせつつ頷いた。そして降り注ぐ弓矢をかいくぐり、イスファードは騎兵隊を突撃させた。
言うまでもなく、騎兵隊も歩兵隊も、どちらも王太子軍である。つまりこれは同士討ちだった。しかし双方共に、相手が敵だと思い込んでいる。味方同士による凄惨な殺し合いが始まった。
その様子を、ジノーファは少し離れたところから眺めていた。何もかもが上手くいった。イスパルタ軍と王太子軍は軍装がほぼ同じなので、少し見ただけでは判別がつかないことも上手く作用した。おかげで敵は同士討ちをしている。
だがジノーファは素直には喜べなかった。今回の作戦では、ジノーファに対するイスファードの強い敵愾心を利用している。だからこそ、ジノーファが囮となることで彼を振り回すことができたのだ。
ジノーファ自身、こんなに上手く行くとは思っていなかった。しかし現実はご覧の通りである。目の前の愚かしく凄惨な光景は、それだけイスファードが彼を憎んでいることの裏返しだ。
(そこまで嫌われる覚えはないのだけど……)
内心でそう呟き、ジノーファは眉をひそめる。正直、作戦が上手くいった喜びより、いわれのない憎しみをぶつけられた困惑の方が勝っていた。そんな彼のところへ、ユスフが報告を持ってくる。
「陛下、斥候が戻ってきました。ジュンブル伯爵の部隊が、近くまで来ています」
「分かった。そちらと合流しよう」
ジノーファは一つ頷いてそう応えた。再突撃して引っかき回してやろうかとも思ったが、それは止めておく。それが必要であるとは思えなかったからだ。無用な血を流すのは、彼の望むところではない。
ジノーファは馬首を巡らし、さらに南へ向かった。その際、敵と間違えられないよう、双翼図を掲げさせる。程なくして、彼はジュンブル伯爵率いるおよそ五〇〇〇の部隊と合流した。
「陛下! よくぞご無事で!」
「ジュンブル伯も、よく急いでここまで来てくれた。首尾は上々だ」
そう言ってジノーファはジュンブル伯爵にこれまでの経緯を手早く説明する。ジュンブル伯爵は感嘆の声を上げたが、ジノーファは表情を緩めず、さらにこう言った。
「北へ急ごう。敵がいつまでも同士討ちをしているとは思えない。万が一にも、防衛線を狙われるわけにはいかない」
「はっ!」
ジュンブル伯爵も真剣な顔をして頷く。合計で六〇〇〇近い戦力になったイスパルタ軍は、再び北を目指して動き始めた。
イスパルタ軍が再び王太子軍を補足した時、彼らの同士討ちはすでに収まっていた。ただ、遠目にも意気消沈としているのが分かる。実際、イスパルタ軍が戦闘隊形を整えて距離を詰め始めると、王太子軍は慌てた様子で西へ向かい撤退を始めた。それを見てジュンブル伯爵がこうジノーファにこう尋ねる。
「追撃なさいますか?」
「……いや、止めておこう」
ジノーファは王太子軍を追撃しなかった。一つには、時刻がすでに夕方にさしかかっていたためである。追撃するとなれば、夜を徹してのことになるだろう。彼はそれを避けたのだ。
何より、王太子軍は同士討ちによって大きな損害を出したはずだ。防衛線のことも考えれば、再び攻め込んでくる余裕はないだろう。ならばことさら出血を強いる必要はない。そう思いつつ、ジノーファは撤退する王太子軍の背中を見送った。そんな彼に、ジュンブル伯爵が笑顔を浮かべながらこう言葉をかけた。
「勝ちましたな、陛下」
「勝った、のか?」
「はい。大勝利でございます。全ては陛下の勲でしょう」
勝ったと言われて、ジノーファは不思議な感じがした。なるほど、負けはしなかったし、敵も追い払った。だが、勝利とはもっと輝かしくて劇的なものだと思っていた。そのせいか、ジノーファは少し苦笑の滲む顔でこう言葉を続けた。
「……ああ、ひとまずは負けずに済んだようだ。それを喜ぶとしよう」
この日、ジノーファは建国以来初めての戦闘で、初めての勝利を収めた。
ジャファン&イスファード「あれは敵だ!」