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先回り


 散漫な攻撃を繰り返していた王太子軍が北へ向かって移動を始めるのを見て、バラミール子爵とジュンブル伯爵は揃って首をかしげた。彼らの意図を図りかねたのである。


「罠、か……?」


 ジュンブル伯爵がそう呟くと、バラミール子爵は躊躇いがちに頷いた。つまり北へ向かうと見せかけ、オズディール城から兵を誘い出そうとしているのだ。城の防備は堅いと見て、攻め手を変えてきたと考えれば筋は通る。


 南へ向かわなかったのは、恐らくマルマリズから北上中と思われる援軍に挟撃されないため。あるいはその逆もあり得る。つまり、先に援軍とぶつかり、その背中をオズディール城の戦力に突かれる、という具合だ。ともかく挟撃の危険を避けたと思われる。


 いや、挟撃はもちろん、イスパルタ軍の戦力が増えることそのものを警戒したのかも知れない。だが北へ向かう限りは、ひとまずオズディール城の戦力だけを相手にすれば良い。誘い出して野戦で蹴散らし、そのまま城内へ侵入する。そうでなくとも戦力を削り、改めて攻城戦を行う。そう考えたのではあるまいか。


「であれば、軽々に動かぬほうが良いでしょうな」


「うむ。見たところ敵の戦力は一万五〇〇〇ほどか。二万には届かぬ。だが我らよりは多い。誘いには乗らず、まずは援軍と合流するのが上策であろうな」


 そう言葉を交わし、バラミール子爵とジュンブル伯爵は頷き合った。とはいえ、何もしないわけにはいかない。まずは伝令を出して、王太子軍の正確な数や不可解な行動等について報告させる。さらに斥候を出し、北へ向かった王太子軍の動きを監視させた。


 そして戦いは、ここから急激なうねりを見せ始める。伝令を出した二日後、ジノーファが騎兵のみ二〇〇〇を率いてオズディール城へ合流したのだ。バラミール子爵とジュンブル伯爵は慌てて彼を出迎えた。


「陛下、いかがなされたのですか?」


「敵の様子を聞きたい。教えてもらえるか?」


 挨拶もそこそこに、ジノーファはそう尋ねた。戸惑いつつ、二人は斥候によって得た情報を彼に伝える。曰く、王太子軍は各地を略奪しつつ今も北上を続けている、と。


「略奪……?」


 ジノーファは耳を疑った様子だった。イスファードはアンタルヤ王国の王太子だ。彼はこの地をアンタルヤ王国の一部だと認識しているはず。そこで略奪を働くとは。にわかには信じられなかった。


 だが、王太子軍が略奪を行ったのは事実だった。それもかなりひどい略奪を行っていた。襲われたのは人口が一〇〇〇人にも満たない村々で、当然防備を固めることすらできない。文字通り、蹂躙された。男はまるで狩りの獲物でもあるかのように皆殺しにされ、食料をはじめ価値のあるものは全て奪われた。


 兵士たちは女に飢えており、女と見れば老婆でも犯した。なかには年端もいかぬ少年を手込めにする者もいたという。そして狂宴ののち、彼らは火を放って全てを焼き払い、また北を目指した。


「それが、王座に就こうとする者のすることなのか……!」


 ジノーファはそう呟いた。その瞬間、彼の内の激しい怒りが解き放たれ、重苦しくて寒々しい圧となって周囲の者たちにのしかかる。聖痕(スティグマ)が発動したのだ。バラミール子爵とジュンブル伯爵はその圧をまともに受けて、思わず身体を仰け反らせる。背中には幾筋もの冷や汗が流れた。


「陛下、落ち着かれよ」


 そう言ってジノーファの肩に手を置き彼を宥めたのは、三人目の聖痕(スティグマ)持ちであるラグナだった。ジノーファは我に返ると、目を閉じて気を鎮める。聖痕(スティグマ)も消したのだろう。圧も消え、周囲の者たちは人知れず安堵の息を吐いた。だがジノーファに話しかけられるような雰囲気ではない。沈黙する空気は、相変わらず重かった。


「……すまない。そなたたちに怒りをぶつけるのは筋違いだな」


「いえ。ここで陛下がお怒りになられたこと、それは民を慈しむ心の裏返しでありましょう。そのような主君を持つことができ、我らは幸せでござる」


 バラミール子爵がそう言うと、ジュンブル伯爵も同意して頷き、さらに周りの者たちも同調した。ジノーファは少々弱々しい笑みを浮かべ、彼らにこう応える。


「そう言ってもらえると、わたしも嬉しい。……ところで話を戻すが、敵軍の狙いは、恐らく防衛線だとわたしは思う」


 表情を改めてジノーファがそう話すと、周囲にざわめきが広がった。彼らは防衛線が狙われるとは思っていなかったのだ。


 しかしジノーファはそうは思わない。王太子軍がこのまま北上すれば行き着くのは防衛線だ。そこに攻撃を仕掛けて穴を開け、モンスターを領内へ差し招くのが目的であるに違いない。そこまではいかずとも、防衛線の負担を重くすることで、イスパルタ軍の戦力をそげると考えたのかも知れない。


 どちらにせよ、防衛線には危機が迫っている。そして防衛線の危機とは、その後ろで暮らす人たち全ての危機だ。国が滅びるだけではない。ヴァルハバン皇国の例もあるように、人類が駆逐されることさえ、覚悟しなければならぬ。それほどの危機なのだ。


「た、確かに、我々を混乱させることだけを考えれば、それもあり得るやも知れませぬが……」


「下手をすれば、国土が魔の森に呑まれまする。それを承知の上でやるのか……」


「確たる証拠はない。オズディール城の戦力を誘い出すことも、当然思惑の内だろう。あるいはこちらの穂先を避けて、北を荒らすことが目的なのかも知れない。だけどなんにしても、このままでは防衛線の維持には支障が出る。もとより放置する気はないけど、早急な対策が必要だ」


 ジノーファがそう力説すると、バラミール子爵とジュンブル伯爵は少々戸惑いを残しつつも揃って頷いた。それを見てから、ジノーファはさらにこう尋ねる。


「敵の行軍速度は?」


「遅い、と言って良いでしょう。どうやら連中、行軍には慣れていないようです」


 バラミール子爵の言葉に、ジノーファは頷いた。防衛線で戦っていた兵士たちを引き抜いたのなら、行軍の訓練など受けていないだろう。だが、ともかく彼らはここまで来たのだ。その間に慣れることはなかったのだろうか。ジノーファがそれを疑問に思っていると、ジュンブル伯爵がさらに続けてこう答えた。


「加えて、攻城戦のために多数の負傷者を抱えています。また、略奪をしていますので……」


 負傷者はどうしても足が遅くなるし、略奪をするのにも時間はかかる。まして凶宴を貪っているのなら、なおさらだろう。再びこみ上げてくる怒りを抑えつつ、ジノーファは計算を巡らせた。


「今なら、先回りできるかも知れない……」


 ジノーファがそう呟くと、バラミール子爵とジュンブル伯爵はぎょっとして彼の顔を見た。そんな二人にジノーファは自分の考えを説明する。そしてそのおよそ三時間後、彼は再び騎兵を率いてオズディール城から出撃した。



 □ ■ □ ■



 王太子軍がオズディール城の攻略を一旦棚上げし、北上を開始してから今日で五日目になる。下がりっぱなしだった彼らの士気は、北上を始めてから急速に回復し、今では末端の兵士に至るまで意気軒昂としていた。


 王太子軍が北上したことには、いくつかの理由がある。オズディール城の防備は堅く、あのまま攻め続けても攻略は容易ではなかった。それで一度素通りする素振りを見せ、敵軍をおびき出すつもりだったのだ。


 ただ、敵はこの誘いに乗らなかった。イスファードは「臆病な連中だ」と嘲ったが、内心で安堵を覚えていたことは否めない。それくらい王太子軍の、特に農兵の士気はひどく落ち込んでいて、まともに戦える状態には見えなかったのだ。


(脆いな……)


 イスファードは内心で舌打ちする。とはいえ、これを何とか立て直さないことには、自らの大願を遂げることもできない。それで、この士気を回復させることもまた、イスファードが軍を北上させた理由の一つだった。


 行軍中、彼は「略奪はし放題だぞ!」と言って兵士たちを鼓舞していた。そのアテが外れたことが、士気低下の一因だ。ならばその約束を守れば、士気は回復するに違いない。そしてますます自分に忠誠を誓うようになるはず。イスファードはそう考えたのだ。


 略奪を受けることになる民衆に対して、イスファードが同情を覚えることはなかった。敵対派閥の領民で、しかも今は反逆者のために税を納めている。そう考えるとロストク帝国などより、さらに忌々しく思う。飼い犬に手を噛まれた気分で、むしろ相応しい報いを与えてやらねば気が済まない。


『反逆者に与するなど、アンタルヤの民にあるまじき行い。懲罰をくれてやるべきでしょう』


『そうだな。一罰百戒。これを見せしめとすれば、国内の綱紀も粛然とするであろう。愚民どもには、アンタルヤの民として自覚を持ってもらわねばな』


 イスファードと副将のジャフェルはそんな言葉を交わしたという。彼らがこれをどこまで本気で話していたのかは分からない。ただいずれにしても、ひどく醜悪な会話だ。そしてこのとき彼らが浮かべていたであろう笑みは、さらに醜悪であったに違いない。


 閑話休題。とはいえ、これら二つだけが理由なら、北ではなく南へ向かっても良かった。むしろ、南へ向かった方が大きな街がある。オズディール城に圧力をかけることができ、また援軍を叩くことも視野に入れられる。普通に考えれば、南へ向かった方が戦略的な意義は大きい。


 それでもイスファードが北へ向かったのは、このままでは自力でイスパルタ王国を、そしてジノーファを叩き潰すことができないと思ったからだ。いや、できないと認めたわけではない。だがこのままでは難しいということは、認めざるを得ない。


 そもそも、王太子軍は一万五〇〇〇の戦力しかないのだ。さらに攻城戦のため、参戦可能数は一万四〇〇〇を割り込んでいる。そして王太子軍のさらなる増強は難しい。一方イスパルタ王国の戦力は、全部かき集めれば五万に届くだろう。この戦力差はいかんともしがたい。


 いや、イスファードが最も気にしていたのは、実のところイスパルタ軍の戦力ではない。彼が気にしていたのは、父王ガーレルラーン二世の動向だ。彼は父王の命令に背いて軍を動かした。それが露見すれば、ガーレルラーン二世は激怒するに違いない。


「……っ」


 父王の激怒する様子を想像すると、さすがにイスファードも背筋が寒い。王命に背いた彼を、ガーレルラーン二世は許さないだろう。


 ただその一方で、イスファードは楽観的でもあった。重すぎる沙汰がくだされることはないだろうと思っているのだ。しばらくは防衛線からも離れて、謹慎しなければならないかもしれない。だが、恐らくはその程度だ。


 なにしろ、イスファードの他に王子と言えばファリクしかいない。そしてイスファードが廃嫡され、ファリクが王太子に冊立されることなどあり得ない。メルテム王妃が頑強に反対するだろう。


 廃嫡できない以上、イスファードにくだせる罰はせいぜい謹慎だ。エルビスタン公爵に咎めがいくかも知れないが、防衛線のことがある以上、以前のように大きく力を殺ぐことはできない。


 そのような見通しがあったからこそ、イスファードは王命の無視に踏み切ったのである。決して、後先考えずに激情を押し通した訳ではないのだ。後は勝てば良い。勝ってジノーファの首を挙げれば、ガーレルラーン二世といえども彼を咎めることはできないのだから。


(そう。勝てば良いのだ、勝てば!)


 イスファードはそう自らを励ました。ただし、彼に残された時間はあまり多くない。間もなくガーレルラーン二世は討伐軍を催すだろう。彼が東域へ踏み込んでくれば、確実にイスファードのやっていることは露見する。それまでにジノーファの首を取らなければならない。


 そのために北へ向かい、防衛線を狙うことにしたのだ。防衛線が破られたことを知れば、ジノーファは全軍を集結させる前であっても動かざるを得ない。慌ててこちらへやってくるだろう。そこを待ち構えて叩くのだ。兵士たちの士気は上がっている。決して難しいことではない。


 モンスターが国内へ雪崩れ込むかも知れないが、イスファードにとってはかえって好都合だ。モンスターに対処するため、ジノーファは兵を分散させざるを得ない。本陣を一気に強襲すれば、奴を討ち取ることは容易だろう。


 このように考えていたわけだから、ジノーファが現れるのは防衛線を攻撃した後になる、とイスファードは思っていた。しかしその予定は大幅な変更をよぎなくされる。それは小高い丘の上。防衛線まであと少しというところで、王太子軍の前に騎兵の一団が現れたのだ。


 その一団は双翼図の旗を掲げていた。オズディール城にもその旗は掲げられていたので、その一団がイスパルタ軍の騎兵隊であることを、イスファードはすぐに理解する。そしてその騎兵隊の先頭には、灰色の髪を風にたなびかせる青年がいた。その青年が、イスファードのことを見下ろしている。


 ジノーファだ。イスファードはそう直感した。最後に顔を見たのはもう何年も前のことだが、確かに彼の面影がある。そして彼がジノーファを認めると、向こうも彼のことを認め、口元に小さな笑みを浮かべる。その光景が、イスファードの目にやけにはっきりと写った。


 嗤われた。イスファードはそう思った。見下ろされたばかりか、あろうことか嗤われたのだ。それも、よりにもよって、あの道化に。到底許せるものではない。イスファードは手綱を握りしめ、屈辱に打ち震えた。


 そんな彼の目の前で、ジノーファと思しき青年が片手を掲げた。イスファードは攻撃の合図かと思って身構えるが、彼の予想は外れた。それを合図に彼らは背中を見せて撤退を開始したのである。それを見て、イスファードは叫んだ。


「追え! 皆殺しにしろっ!!」


 そう叫ぶが早いか、イスファードは馬の腹を蹴って駆け出した。周りの騎兵たちが慌ててそれを追いかける。彼らはエルビスタン領軍が誇る騎兵隊。カルカヴァンが手塩にかけて育てただけあって練度は高く、彼らはすぐにイスファードに追いついた。そして隊長が彼にこう声をかける。


「殿下、これでは歩兵が追いつけませぬ! 一度速度を緩めて……」


「うるさい! これは千載一遇の好機なのだ! 奴を殺せば全てが丸く収まるのだ。それが分からんのか!?」


「……っ」


 怒鳴ってそう返され、隊長は口をそれ以上の言葉を飲み込んだ。何を言っても無駄と察したのだ。いや、時間をかければ説得できるかも知れない。しかし今はその時間がない。敵を追っている最中に、悠長なことはできないのだ。


 隊長は腹を決めた。見たところ、敵騎兵隊は数百騎程度、多くても一〇〇〇騎だろう。対してこちらは、騎兵だけで三〇〇〇騎。三倍以上の戦力がある。また、この先にあるのは防衛線だけ。なんなら、このまま喰いちぎってやればいい。


 千載一遇の好機であることは確かだ。隊長はそう考え、身振りで部下たちに指示を出す。すると騎兵たちがイスファードの周囲を取り囲んで防備を固める。イスファード本人は少々疎ましげだったが、それでも隊長が覚悟を決めたことは伝わったのだろう。彼はニヤリと笑い、敵の背中を追い続けた。


 この先には防衛線しかない。それは騎兵隊の隊長だけでなく、イスファードも思っていたことだ。要するに二人とも、この先に大きな戦力が待ち構えていることはないと思ったのだ。


 その判断は、正しい。しかし防衛線があるということを、彼らはもっと真剣に考えるべきだった。その代償を、彼らは彼らの血で支払うことになる。


 逃げる騎兵の集団が、緩やかなカーブを描きながら西寄りに進路を変える。イスファードらもそれを追うように進路を変えた。すると、彼らは防衛戦に対し斜めに接近していくような形になる。いわば、横っ腹を見せた格好だ。


 しかし隊長もイスファードも、それをまずいとは思わなかった。まだ十分に距離があったからだ。しかしそんな彼らをあざ笑うかのように防衛線から弓矢が放たれ、そして銀色の雨となって降り注いだ。


「何っ!?」


 なぜ矢が届くのか。イスファードが動揺したように声を上げる。それでも彼は駆けさせる馬の足を止めない。そしてそれは正解だった。こういう場合、足を止めてしまえばただの的でしかない。動き続けたほうが、危険は少ない。


(ジノーファを殺す! それで私の勝ちだ!)


 降り注ぐ矢のために、イスファードに従う騎兵たちが一人また一人と倒れていく。それでも、彼は猛然とジノーファの後を追う。だがその猛追に対し、痛烈な冷や水が浴びせられる。


 炎が、飛礫が、雷が、氷槍が、魔力弾が、騎兵隊にたたき込まれたのである。それは防衛線から放たれた、魔法による一斉攻撃だった。



ユスフ「ウチの陛下はフットワークが軽い」

ラグナ「うかうかしていては、置いていかれるわい。がははは!」

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