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出陣


 独立と建国を宣言したその直後から、ジノーファは忙しく動き始めた。高らかに行った宣言は、遠からずガーレルラーン二世の耳にも入るだろう。さすれば、彼は兵を催して攻めてくるに違いない。それまでにやるべき仕事が山済みなのだ。ここでのん気に感傷に浸るのは、阿呆のやることである。


 まずジノーファが手をつけたのは、法制度をどうするのかと言う問題だった。まったく新しい法制度を一から構築するには、大変な手間と時間がかかる。それを彼はたった一言で解決した。


「法制度は、当面の間アンタルヤ王国のものを踏襲する」


 実際、それしか手はなかったといっていい。ともあれ、制度的な変更がなかったおかげで、市民の混乱は最小限で済んだ。またジノーファを擁立した貴族たちも、ひとまずは自分達の権利が保障されて安堵したのだった。


 さらにジノーファは宣言を行ったその日に、自らの片腕となる宰相の指名も行っている。宰相は行政面でジノーファを支える、重要な役職だ。軍事面で彼を支えるのは、将軍に任命されたクワルドになるだろうから、つまり二人でイスパルタ王国の文武を司ると言っていい。


 この重要な役職に選ばれるのは、ダーマードであろうと言うのが大勢の見方だった。ジノーファと関わりが深く、また行政面での能力も確かだからだ。しかしジノーファが指名したのは彼ではなく、彼の叔父であるスレイマンだった。


「スレイマン卿とは……」


「王宮で働いていた経験を買われた、ということか」


「ジノーファ陛下は、彼と面識があったのだろうか……?」


 この人事に人々は驚いたものの、異論が出ることはなかった。一つには、ダーマードに権力が集まることを、他の貴族たちが危惧したからである。ダーマードにしても、自分が宰相になれなかったことは残念だが、スレイマンがその役職に就くことに不満はない。親族であるし、それだけの能力があることを知っているからだ。


 ただ、スレイマンは辺境伯領にいて、マルマリズに来ていない。それでダーマードを通じ、彼を招聘することになった。彼が来てくれれば書類仕事も減るだろう、とジノーファも期待している。


 次にジノーファは東域に存在する天領に対し、イスパルタ王国へ降るよう求める使者を出した。このやり取りにはもちろん相応の時間がかかったが、ジノーファがすでにマルマリズを押さえており、守備隊長のクワルドが彼を支持しているというのが大きかったらしい。ほとんどの天領は戦わずに降服することを選択した。


 ただ、ウファズの太守は態度を明確にせず、のらりくらりとかわして時間を稼ごうとしている様子だった。さらにロストク帝国との国境を守るセルチュク要塞ははっきりと拒絶の返事をしてきた。よって国内を安定させるためには、まずはこの二箇所をどうにかする必要があるだろう。


 ちなみに降伏した天領の代官らに、ジノーファは二つの選択肢を提示していた。一つはジノーファに仕えて現在の役職に残る道。もう一つは家財を纏めて国外へ去るという選択肢だ。最終的に、およそ半数がジノーファに仕えることを選び、もう半分は親類などを頼って国外へ行くことを選んだ。


 さて、降伏を求める使者を出した段階で、ジノーファはマルマリズに集まった貴族たちを一度自分達の領地に戻していた。クワルドにも兵の準備をさせている。ここから先は、確実に武力が必要になるからだ。そしてその際、彼はバラミール子爵という貴族に対してこう命じた。


「バラミール子爵。卿は兵を率いてマルマリズへ来るに及ばない。卿は領地に留まり、西方の監視に努めよ」


 バラミール子爵はダーマードの派閥の古参貴族で、イスパルタ王国の北西に領地を持っている。魔の森に対する防衛線の管理には直接関わっていないが、これまでダーマードに協力して防衛線の安定に尽力してきた。


 そして子爵の領地は、イスパルタ王国の西の国境に位置している。その西にあるのはアンタルヤ王国であり、さらに言えばエルビスタン公爵の派閥の影響力がとても強い地域だ。そういう事情もあり、またジノーファとイスファードの因縁も頭をよぎったに違いない。命令を聞いた貴族たちは、子爵本人も含め、おおよそ次のような感想を抱いた。


(ジノーファ陛下はやはり、イスファード王太子のことを意識しておられるのか……)


 ともかくそのようなわけで、バラミール子爵は領地に留まることになった。子爵を含めて全ての貴族たちは、戦は避けられぬものと覚悟を決めている。それで皆、独立と建国の宣言を見届けると、時間を無駄にすることなく領地へとんぼ返りした。


 さて、貴族らを領地に帰してからのことだ。ジノーファにはさらに、決めておくべきことがあった。マルマリズの前太守ムスタファーの処遇である。ジノーファはクワルドに命じて、彼を牢からつれて来させた。


 連れて来られたムスタファーは少々やつれた様子だったが、それでも足取りはしっかりとしていた。それほど長い間、牢にいたわけではないからだろう。そして引き出された広間で、太守の椅子に座る灰色の髪と目を持つ青年を見つけ、彼は大きく目を見開いて慄いた。


「あ、あ、貴方は……!」


 ムスタファーは混乱した様子だった。なぜ国外追放されたジノーファはここにいるのか。そもそも彼は本当にあのジノーファなのか。しかし本物以外にあのクワルドが傅くであろうか。


 言葉もない様子のムスタファーに、ジノーファはクワルドに命じて状況を説明させる。イスパルタ王国の建国など、自分が牢にいる間に情勢が大きく変化したことを聞かされ、ムスタファーは顔色を赤くしたり青くしたりと忙しい。そして最終的に顔色をなくした彼に、ジノーファはこう告げた。


「建国の恩赦だ。ムスタファー、卿を釈放する。その上で聞いてもらいたい。卿には二つの選択肢がある」


「な、なんでございましょうか、ジ、ジノーファ様」


 ムスタファーがジノーファを「陛下」と呼ばなかったので、クワルドが不快げにピクリと眉毛を動かす。しかし当の本人は気にした様子もなく、二つの選択肢についてムスタファーにこう説明した。


「一つ目の選択肢は、私に仕えてマルマリズの太守に返り咲くこと。二つ目は家族共々、国外へ去ること。ただしどちらの場合も、不正に蓄財した分は没収する」


 ムスタファーはすぐに答えることができなかった。彼が躊躇いがちに「考える時間が欲しい」と言ったので、ジノーファは一日だけ時間を与え、さらに彼が家族と相談することを許す。そして次の日、王統府(元太守府)にやって来た彼は、覚悟を決めた様子でこう答えた。


「ジノーファ陛下にお仕えさせていただきます」


 それがムスタファーの選んだ道だった。後日、彼自身が話したところによると、ジノーファに仕えることにしたのは、家族のことが大きかったらしい。彼の家族は屋敷に軟禁されていたのだが、軟禁されていただけで暴力などは一切振るわれていなかったのである。


 さらにムスタファーには年頃の娘がいたので、彼は娘のことを特に心配していた。だがいざ帰ってみれば彼女は少し食欲がないくらいで、乱暴された形跡はどこにもない。これを見てムスタファーはいたく安堵し、そして感激したという。


 また国外に出るとして、行く先はアンタルヤ王国しかない。これからアンタルヤ王国とイスパルタ王国の間で戦争が起こるのは確実で、下手をすればその騒乱に巻き込まれるかもしれない。


 また、ムスタファーはまんまとマルマリズを落とされた格好だ。それを知ったとき、ガーレルラーン二世はどう反応するのか。彼はそれが恐ろしかった。一方でジノーファは牢から出してくれたし、太守の職に戻してくれるとも言う。ジノーファに仕えることに大きな抵抗はなかった。


「そうか。ではムスタファー、よろしく頼む」


「ははっ」


 ムスタファーは平伏した。その彼に、ジノーファはさっそく命令を下す。その命令は彼が不正に溜め込んだ財産を、マルマリズの市民に還付せよというものだった。


 余談になるが、ここで「還付」という言葉を使うのは実はあまり正しくない。なぜならムスタファーは市民に対し、不正な重税を課していたわけではないからだ。むしろ、国に納める分から猫ババしていたのだから、還付するなら本来アンタルヤ王国に対してである。


 要するにジノーファは、本来ならアンタルヤ王国に納めるべきお金を使い、マルマリズの市民の人気取りをしたのである。人気取りと言えばいかにも俗っぽいが、民衆の支持を得るためにはこういうことも必要なのだ。


 しかもジノーファの懐は少しも痛まない。なかなか強かなやり方だ。しかもムスタファーが不正をしていたことは知れ渡っているから、それを正すことで、公正な王の姿を演出することもできる。


(ま、ジノーファ様はそこまで考えてないんだろうけど)


 ジノーファとムスタファーのやり取りを眺めながら、ユスフは胸の中でそう呟いた。人気取りとか演出とか、ジノーファはそんなことを考えているわけではない。確証はないものの、付き合いの長いユスフは、何となくそれに気付いていた。


 ジノーファがやろうとしているのは、要するに(みそぎ)だ。前述したとおり、ムスタファーが不正をしていたことは知れ渡っている。恩赦を受けたとはいえ、その彼がマルマリズの政を預かることを、面白く思わない市民は多いだろう。しかし太守が市民の反発を受けていては、マルマリズの情勢は安定しない。


 そこでムスタファー本人に、お金の還付と言う形で禊、つまり贖罪をさせるのだ。目に見える形で罪を償うことで、彼に対する市民の感情は和らぐだろう。これにより、ムスタファーはマルマリズを治めやすくなるに違いない。


 ジノーファが考えているのはこの程度のことだろう、とユスフは思っている。だが周囲の人々は、そうは受け取らない。ムスタファーが贖罪をしたことよりも、ジノーファがそれをさせたことに、人々は注目するのだ。


(父上みたいに)


 ユスフは内心で苦笑気味にそう呟いた。ムスタファーに禊をさせるのは、ジノーファがこの場で思いついたことではない。事前にクワルドやダーマードと相談して決めたことだ。そしてこの話がまとまった後で、クワルドはユスフにこう話していた。


『陛下は寛大な方だな。そして公明正大な方だ』


 結局のところ、多くの者はこういう感想を抱くのだ。結局のところ、演出して人気取りをしたのと同じ結果だ。本人にそのつもりがないのがまたジノーファ様らしい、とユスフは思っている。


 ところで、クワルドが抱いた感想は上記のものだけではなかった。その後に続けて、彼はこうも語っていた。


『正直、お甘いとも思う。だが今回に関して言えば、これで間違いはないだろう。甘いだけではなく、しっかりと現実も見ておられる。無論、あまりに理想が先行するようであれば、お諌めしなければならない。だが、それさえも陛下らしさであると、私は思うよ』


 そんな惚気(・・)を聞かされて、ユスフは肩をすくめたものである。ともかく父がそのつもりで、なおかつ口出しをしないつもりであるなら、ユスフとしては何もない。これまで通り、ジノーファに仕えるだけである。


 さて、ジノーファはマルマリズに貴族達の兵を参集させたわけだが、全軍を集めたわけではなかった。必要と思える分として、彼はまず一万五〇〇〇を集めることにした。ただしそれぞれの領地では追加の兵を集めており、要するにこれは第一陣だった。


 この内、三〇〇〇はマルマリズ守備隊の戦力であり、これはクワルドが率いることになる。そしてジノーファはこの三〇〇〇を東へ、つまりセルチュク要塞へ向かわせた。


 セルチュク要塞にはおよそ三〇〇〇の兵が詰めている。堅牢な城壁を持つこの要塞を落すのに、同数では足りない。それでクワルドの役目は当面、要塞の攻略ではなく相手の動きを掣肘することだった。


 実際、セルチュク要塞の戦力が外に出てきて暴れまわれば、ジノーファはその対処のために戦力を割かねばならなくなる。また遠からず西からはアンタルヤ王国の討伐軍が襲来するだろう。その時、要塞の戦力に後方を扼されるわけにはいかない。最低限、ここの戦力は封じ込めておく必要があるのだ。


「クワルド、頼んだぞ」


「はっ、お任せください」


 意気揚々とクワルドは出陣した。彼が発つのと入れ替わりに、ダーマードが領軍を率いてマルマリズへ入る。その中にはスレイマンの姿もある。ジノーファは改めて彼に宰相職に就くよう求め、彼はそれを快く引き受けてくれた。


 そしてさらにもう一人、心強い味方が同行していた。三人目の聖痕(スティグマ)持ち、ラグナである。彼はジノーファが国を興したと聞いて、一も二もなくこうして駆けつけたのだ。彼の姿を見て、ジノーファは歓声を上げた。


「ラグナ!」


「おお、ジノーファ! 久しぶりであるな!」


 ジノーファの姿を見て、ラグナも破顔する。そしてそのままにやりと笑みを浮かべると、胸に拳を当ててこう言った。


「いや、もう陛下とお呼びすべきでしたな。失礼つかまつった」


 急に改まった態度を取られ、ジノーファは苦笑した。とはいえ、王になるとはそう言うことである。それで彼も「今まで通りでいい」とは言わず、代わりにこう言った。


「まあ、人目のあるところでは気をつけて欲しい。……ところで、どうしてラグナがここに? 魔の森は大丈夫なのか?」


「魔の森のことは心配ご無用。収納魔法の使い手も増えましたし、後のことはシグムントらに任せておきました。それでここへ来たのは、恩をお返しするためでござる」


 魔の森から脱出するためにジノーファが尽力してくれたことを、ラグナは決して忘れていなかった。いずれその恩を返さねばとずっと思っていたのだが、ダーマードからジノーファが挙兵することを知らされ、ついにその機会を得たと彼は思ったのである。


 もちろん、ダーマードには彼なりの思惑があった。三人目の聖痕(スティグマ)持ちであるラグナが傍にいれば、ジノーファの王権に箔がつく。そしてラグナを従えるダーマードの権威も高まるだろう。


 ちなみに、ラグナはこれまで馬に乗ったことがなかった。その必要がなかったからだ。ただ、これからジノーファに付き従うとなれば、そうも言っていられない。それで防衛戦の司令所からダーマードの所へ行くまでの移動中に、彼は馬術を習得した。


 もちろん最初から上手くいったわけではないが、さすがに身体能力が高い。三日とかからず、馬を駆けさせられるようになった。そしてその甲斐もあり、ダーマードの出立には間に合わなかったものの、マルマリズへ向かう彼に追いついて合流し、こうしてジノーファの元へはせ参じたのである。


 閑話休題。マルマリズに集まった一万二〇〇〇の内、ジノーファはまず四〇〇〇の兵を西へ向かわせた。これは遠からず来るであろう、ガーレルラーン二世の討伐軍に備えるのが目的だ。この部隊を率いているのはジュンブル伯爵ロスタム。宰相となったスレイマンの推薦だった。


 そして一〇〇〇をスレイマンに預けてマルマリズに残し、ジノーファは七〇〇〇を率いて南へ、ウファズへ向かった。貿易港を確保し、ロストク帝国と交易を行うための環境を整えるのが目的である。


 イスパルタ王国の、そしてジノーファの戦いが始まろうとしていた。


ユスフ「俺たちの戦いはこれからだ!」


~~~~~~~~~~~


打ち切りじゃありませんよ?

今回はここまでです。続きはまた気長にお待ちください。


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[一言] 打ち切りは草
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