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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
道化と冠 前編

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マルマリズの守備隊長1


 帝都ガルガンドーを出立したジノーファ一行は、馬を駆ってアンタルヤ王国を目指していた。ちなみにこの馬はユスフが手配したものだ。その他の手配も彼が手抜かりなくやってくれたので、二人と一匹の旅は比較的順調だった。


 さて、アンタルヤ王国とロストク帝国は互いを敵国と見なしている。ただ、ここ五年ほどは不可侵条約のおかげもあって戦端は開かれていない。加えて、隣国同士という地理的な立地は変えようがない。それで決して規模は大きくないものの、両国の間には人の行き来があった。


 人の行き来があるということは、両国の間には街道が通っているということである。そしてその街道上には、国境の管理と警備を行うため、砦が設けられていた。アンタルヤ王国が建設した砦で、「セルチュク要塞」という。


 ガーレルラーン二世はこれまでに二度、東へ兵を進めているが、その際に後方の拠点としたのもセルチュク要塞である。まさに国防の要と言っていい。ジノーファらがまず目指したのはこの要塞だった。


 つまり彼らは、堂々と正門を通ってアンタルヤ王国へ入国したのである。ジノーファが国外追放処分とされており、さらにこれから独立の狼煙を上げようとしていることを考えると、ずいぶん大胆な行動だ。


 ユスフは心配していたようだが、ジノーファは上手くいくと思っていた。末端の兵士であればジノーファの顔など知らないだろうし、独立の話も口に出さなければ分からない。堂々としていれば不審に思われることはないだろう。


 実際、彼らは簡単に入国することができた。ニルヴァ名義の手形があったおかげで、入国税も安く済んでいる。要塞から遠く離れ、緊張の解けたユスフが安堵の息を吐くと、ジノーファは少し得意げな笑みを浮かべるのだった。


 そうやってアンタルヤ王国内に入り、二人がまず目指したのはネヴィーシェル辺境伯領、ではなく東域の中心都市マルマリズだった。当初はジノーファもまっすぐ辺境伯領へ向かうつもりだったのだが、帝都ガルガンドーで準備をしていた間、ユスフがそうすることを勧めたのだ。


『ジノーファ様。ネヴィーシェル辺境伯領へ行く前に、まずマルマリズに行って、父にお会いになられませんか?』


『ユスフのお父上というと、クワルド殿だね。確か、マルマリズで守備隊長をしておられるとか』


 ジノーファが記憶を引っ張り出してそう応えると、ユスフはしっかりと頷きこう言葉を続けた。


『はい。正直に申し上げて、わたしはダーマード卿ら東域の貴族たちを、心底信頼する気にはなれません。彼らが考えているのは、あくまでも自分達の利益です。この先の情勢如何によっては、ジノーファ様を裏切るかもしれません。国を興すという大事業をなさるには、信頼できる味方が必要ではないでしょうか!?』


『確かにクワルド殿が味方してくれるなら心強いが……』


 ジノーファは少し言いにくそうにして、そこで言葉を切った。クワルドはジノーファが殿を言いつけられたとき、実質的に部隊を指揮した隊長であり、共に死線を潜り抜けた戦友である。指揮官としても有能な男だから、彼を味方に引き込めれば心強いのは事実だ。


 しかし、クワルドは近衛軍の士官である。マルマリズの守備隊長であり、その立場はガーレルラーン二世の直属の部下と言っていい。マルマリズを治める太守にさえ、その任命と罷免の権限はないのだ。


 シュナイダーから見せてもらった資料の中にも、クワルドに関する情報があった。マルマリズ守備隊長としての彼は、品行方正そのものであり、部下にも良く慕われているとあった。また実績からして、彼が有能な指揮官であることも疑いない。


 クワルドがマルマリズ守備隊長となる前、東域では幾つか大きな盗賊団が暴れまわっていた。それらの盗賊団は、主に貴族の領地で襲撃を行い、その後に天領へ逃げ込む、ということを繰り返していたのである。


 こうなると一貴族では手が出せなかった。もし領兵が許可なく天領へ足を踏み入れれば、それは王家に対する反逆と見なされるだろう。盗賊団の前に彼らの方が処断されかねない。歯軋りしつつ、彼らを見送るより他なかったのだ。


 このように天領へまたがる犯罪の取り締まりは、本来マルマリズ守備隊の行うべきところだ。しかしクワルドの前任者は、天領に被害が出ていないことを理由に、守備隊を動かすことを渋った。そのため被害は拡大し、それが前任者更迭の理由となった。


 もっとも、ガーレルラーン二世は更迭の時期を見計らっていた節がある。要するに、クワルドを左遷する段になり、そのためには前任者が邪魔なので、適当な理由をつけて更迭したのだ。


 まあ、それはそれとして。前任者の更迭理由が理由であったから、クワルドとしては速やかにそれらの盗賊団を討伐する必要があった。そして彼はそれに成功した。こうして彼は自らの能力の高さを証明し、東域の治安は格段に良くなった。そのおかげで、彼の評判はいい。


 またクワルドについては、愛国心が強いとの分析もなされていた。その理由は彼が再三、魔の森への防衛線に対し、マルマリズ守備隊から援軍を送ることを認めるよう、ガーレルラーン二世に上申しているからだった。


 前任者の例からも分かるように、基本的にマルマリズの守備隊長は、その地域の貴族に対して冷淡だった。貴族を援護したところで、マルマリズやその守備隊長には何の利益もないからだ。ガーレルラーン二世が却下し続けているので、援軍は実現していないものの、クワルドの姿勢は自らの立場よりも国益を優先する愛国者のそれと映ったのだ。


 ただ、シュナイダーは彼のことを、ただの愛国者とは見ていなかった。むしろ、魔の森の活性化という危機に際し、その脅威を正しく認識している冷静な戦略家だと、彼は考えていた。


 ジノーファも同じ意見だ。さらにガーレルラーン二世に止められれば、猪突することもない。腹の内は分からないが、分を弁えた、忠実な指揮官だ。


(確かに、そういう方だった……)


 資料を読みこんで受ける印象は、ジノーファの記憶とも合致している。戦略家としての見識が不確かであったなら、あの時ロストク軍と共闘することに頑として反対していたはずだ。また一緒にいたのは短い時間だったが、クワルドは忠義に厚い人物であったように思う。


 その彼が、果して祖国への大逆に加わるだろうか。もちろんジノーファはそれを期待してはいるが、助力を確信できるほどの材料を持ち合わせていない。それで彼に声をかけるのは、実際に事を起こしてからにするつもりだった。


 ただユスフに言わせると、それはジノーファの思い過ごしと言うか、勘違いである。クワルドはジノーファに大変な恩義を感じているし、バハイルの話によればガーレルラーン二世のことはすでに見限っている。だから会いに行きさえすれば、ほぼ確実に力を貸してくれるはずだ。それでユスフはジノーファにこう訴えた。


『父のことは、わたしが必ず説得いたします! ですからマルマリズへ参りましょう、ジノーファ様!』


『……分かった。ユスフがそこまで言うのなら、そうしよう』


 少し考え、ジノーファはそう決断した。彼自身、クワルドのことをよく知っているとはいい難い。一緒に戦ったとはいえ、それは一日か二日の話。人となりを理解し、信頼関係を築くには、あまりにも短い時間だ。


 だがユスフは違う。ジノーファと彼はこれまで、およそ五年にわたって行動を共にしてきた。友人としても従者としても、彼のことは本当に信頼している。その彼がここまで強く勧めるのだから、それに従ってみることにしたのだ。


 馬を駆けさせたことで、アンタルヤ国内に入ってから三日目のお昼前に、二人はマルマリズに着くことができた。マルマリズはトゥユズ湖という大きな湖の、湖畔に位置する都市だ。東西の湖畔にそれぞれ都市が建てられており、西マルマリズ、東マルマリズと呼ばれている。二つ合わせてマルマリズであり、見方によってはトゥユズ湖そのものがマルマリズという都市であるともいえるだろう。


 実際、その理解はあながち間違いではない。トゥユズ湖とそこに繋がる河川を利用した水上交通網こそが、マルマリズを東域の中心都市たらしめているのだ。特にオロンテス川は南方へ流れくだり、その河口付近では貿易港のウファズが栄えている。まさに要衝中の要衝と言っていい。


 さて二人が到着したのは、東マルマリズのほうである。東マルマリズは、別名「浮き城」とも呼ばれる、堅固な城塞都市だった。堅牢な二重の城壁を備え、トゥユズ湖と湖から水を引き込んだ水掘によって完全に周囲を囲んでいる。これは言うまでもなく、東からの武力侵攻を想定してのことだった。


 当然、これを正面から攻めて落すのは非常に困難である。ここを任されたクワルドを味方に付けられるかどうかは、イスパルタ王国建国の成否にも大きく関わってくるだろう。ユスフの勧めに従って正解だった、ジノーファは思った。


(いや、それが決まるのはこれからか……)


 ジノーファはそう思い直す。ただその緊張をおくびも出さず、ニルヴァ名義の手形を提示して、二人は都市の中に入った。その際、雑談の中で用件を聞かれたのだが、「昔の知人に会いに」と答えておいた。ウソではない。


 ちなみに太守がいるのは西マルマリズの太守府で、東マルマリズには守備隊の司令隊舎がある。役割を考えれば当然だろう。とはいえ、ここへ実際に敵軍が攻めてきたのは、もう三十年以上も前の話である。それで常在戦場の無骨な都市というよりは、交易で栄える活気のある都市という印象だった。


 ユスフに案内され、ジノーファはクワルドの屋敷へ向かう。ただユスフもこの街には不慣れで、何度か人に道を尋ねてようやくそこへたどり着いた。


「まあ、ユスフ坊ちゃん! 立派になられて……!」


 クワルドの屋敷の、特に古参の使用人たちはユスフのことを覚えていた。それで二人はすぐに中へ通される。少し待つと、年の頃は四十代の半ばだろうか、一人の女性が息を切らして現れた。


「ユスフ……!」


「母上……」


 女性はユスフの母親であったらしい。そういえば確かに、良く似た亜麻色の髪の毛をしている。彼女は目に涙を浮かべながらユスフを抱きしめ、ユスフも気恥ずかしそうにしながらそれに応えた。


「それで、そちらの方は……?」


 抱擁を解くと、ユスフの母は息子の連れのほうに視線を向けた。それを受け、ジノーファは被っていたフードを脱ぐ。灰色の髪と灰色の瞳が露わになり、彼女ははっと息を飲む。そんな彼女にジノーファは小さく微笑み、そしてこう告げた。


「ニルヴァ、と申します。今は、そういうことにしておいて下さい」


「それで母上、父上はどこにいますか?」


「今はまだ、隊舎でお仕事中です。これから人を呼びに行かせましょう」


「そんなに急ぐようなことでは……」


 ジノーファはそう言って恐縮したが、ユスフの母は朗らかに笑ってこう応えた。


「いいえ、せっかくユスフが帰ってきたのです。早く教えてあげなければ、あの人の方がへそを曲げてしまいますわ」


 ジノーファはそれ以上何も言わず、小さく一礼した。彼女が自分の意を汲んでくれたことが分かったからだ。


 それからすぐに、守備隊の司令隊舎にいるクワルドのもとへ使いが出された。彼は末の息子が帰ってきたと聞かされいぶかしんだが、しかしすぐさまその言葉の裏にあるものを察した。


 ユスフは現在、ジノーファに仕えている。クワルドがそうさせたのだ。であれば彼が一人でのこのこと帰ってくるというのは、少し違和感がある。それが思い違いで、本当にただの里帰りであるなら、こうも急いで報せを寄越すことはしないだろう。


 むしろジノーファを案内してきたと考えるほうが自然である。仮に一人で帰ってきたのだとしても、手紙を預かってきたなど、ジノーファ絡みの事情があるはずだ。少し前にバハイルから聞いていた報告が、その予感を強くする。


(ジノーファ様……)


 今でも目を閉じれば、あどけない少年だった彼の姿を思い出す。その思い出の味は、いつも苦い。殿を務めたあの折、炎帝ダンダリオン一世と一騎打ちを演じるジノーファを一人残し、クワルドは部隊を撤退させたのだ。


 それは作戦上、必要なことだった。しかしあの時覚えた、腸のねじくり返るような慙愧の念を、クワルドは今もまだ抱えている。彼は炎帝と戦うジノーファを、末の息子と幾ばくも変わらぬ少年を、敵軍の眼前に置き去りにしたのだ。


(しかも、それがジノーファ様を救ったのだから、なおさらやりきれぬ……)


 その後の状況の推移も、クワルドにとってはまた苦い。真の王太子としてイスファードが冊立され、ジノーファはその功を顧みられることなく国外追放された。あの時もしもジノーファを連れ帰っていたら、彼は殺されていたかもしれない。そのせいでクワルドは後悔のやり場に困っている。


 あれからずっと、クワルドは気持ちの整理を付けられずにきた。今もまだ、あの戦いについて自分がどう思っているのか、言葉にできない。ただ一つ言えることは、彼にとってあの撤退戦はまだ終わっていないと言うことだ。


 クワルドは早々に仕事を切り上げ、家へと急いだ。そして応接間でその人を、灰色の髪を伸ばし穏やかに微笑む青年の姿を見て、クワルドは立ち尽くした。まさか、という思いが頭をよぎる。目の前の光景が信じられない。


 少年の頃と比べ、彼の表情は柔らかく、顔立ちは精悍になった。けれども青年は確かに、在りし日の彼の面影を残している。クワルドは身体を震わせ、慄くようにその名前を口にした。


「ジノーファ、様……」


「やあ、クワルド殿。久しぶりだ」


 その声を聞き、クワルドの目に涙が溢れた。様々な思いが彼の胸に去来し、溢れかえって言葉にならない。それでも言わねばならないことがある。彼はジノーファの前に跪き、そしてこう告げた。


「ご報告いたします……。あの時お預かりいたしました六八七名の兵士ら全て、殿下のご命令どおり全員を家族の下へ帰すことができました」


 その人数は、クワルド自身を含めたものだった。彼もまた、ジノーファのおかげで生きて家族と再会することができたのだから。


「……そう、か。うん、良くやってくれた。気になっていたから、知ることができてよかった」


 クワルドの突然の報告に少々驚きつつも、ジノーファは穏やかに微笑みながらそう応えた。そして彼の手を取り、さらにこう告げる。


「ありがとう、クワルド殿」


「ははっ!」


 滂沱のごとくに涙を流しながら、クワルドはそう声を上げた。この時ようやく、彼の長かった殿の任が終わったのである。


ユスフ母「今晩のご飯はユスフちゃんの好物ばっかりですよ~」

ユスフ「子供扱いはやめてくれ!」

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― 新着の感想 ―
[一言] とても感動した( ;∀;)
[一言] 今更なんですけどクワルドは自分の息子がジノーファに仕えているのに何でそれで国から処分されたりはしなかったんでしょうか? 国にバレてなかっただけ?
[良い点] ここで任務報告とか胸熱過ぎますぅ
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