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準備、そして出立


 アンタルヤ王国の東域を、イスパルタ王国として独立させる。その計画にダンダリオンは一応の理解は示した。しかし肝心な部分、ジノーファ自身の動機について、まだ何も聞いていない。それで彼はその部分についてこう尋ねた。


「そもそも、お前はなぜ国を建てようなどと思ったのだ?」


 指し手としてなにかやってみろ、とかつて彼を嗾けたのはダンダリオン自身である。ただその一方で、彼が国を興すことまでするとは、ダンダリオンも考えていなかった。彼は今の生活に十分満足しており、それを丸ごと投げ捨てるようなことはしないだろうと思っていたのだ。


 それが、蓋を開けてみれば独立と言う、一種賭けのような計画に手を出すという。意外というか、一見してジノーファには似つかわしくない。ダンダリオンが疑問に思うのも当然だろう。


「野心や功名心のゆえ、というのはおかしいでしょうか?」


「おかしいな。お前がことさら地位や名声を求めているようには見えん」


「……わたしはただ、なるべく混乱の少ない方法を選びたいのです」


 少し戸惑うようにしてから、ジノーファはそう答えた。シェリーに告げたのとは別の答えだ。しかしどちらも彼の本当の気持ちである。言葉は違えど、根っこは一緒なのだ。


「なるほど、混乱の少ない方法、か」


 ジノーファの返答を聞き、ダンダリオンは小さく笑った。独立国家の立ち上げという手法は、一見して混乱を招くように見える。だが逆に、独立せずこのままアンタルヤ王国の一部であり続けたらどうなるだろうか。


 アンタルヤ王国の東域はいずれ、戦火によって蹂躙されるだろう。それがジノーファの予測だった。ロストク帝国の侵攻のことだけを言っているのではない。それを好機と見た他の派閥までもが、兵を差し向け略奪を行う。そんなことさえありえるのではないかと、彼は思ったのだ。


 実際、その可能性はないわけではないな、とダンダリオンも思っている。対立派閥の差し向けた軍が、東域で行儀良くしていてくれると期待するのは愚かだろう。どさくさに紛れて火事場泥棒に勤しむくらいのことはしかねない。派閥の内部でも分裂が生じるだろう。その時、東域の混乱は拡大するに違いない。


 要するに、今のダーマードらは敵味方の区別がはっきりしない状態なのだ。独立することによって敵と味方を明確にし、それによって混乱を最小限に抑える。ひいてはそれが戦禍の被害を抑えることにつながる、とジノーファは考えたのだ。


 やはりジノーファはアンタルヤの王太子だ。ダンダリオンは改めてそう思った。彼の根底にあるものは、殿軍を率いたあの時から、きっと変わっていない。彼の腹はそれで決まった。


「ロストク帝国がそのイスパルタ王国とやらの後ろ盾となること。決してやぶさかではない。だが条件がある」


 ダンダリオンが求めた条件は二つだった。一つ、皇女マリカーシェルを王妃として迎えること。二つ、自由な交易を保証すること。どちらもダンダリオンにとって、決して譲れない条件である。


 本命は二つ目であろう。自由な交易が認められなければ、ロストク帝国にとってイスパルタ王国の後ろ盾となることに旨みがない。そして旨みがなければ、武力侵攻を求める声が高まる。平和な関係を築きたいのなら、この条件は絶対だ。


 ただ、一度満足のいく通商条約が交わされたとして、それが永続するかは別問題だ。ジノーファのことを信頼していないわけではないが、建国したばかりの新国家は、やはり未熟で不安定に映る。


 それで、条約の確実性を担保するためにも、一つ目の条件が必要なのだ。マリカーシェルがイスパルタ王国の王妃となれば、ジノーファの治世中はもちろん、その子供の時代も確実に履行されるだろう。まあダンダリオンも親であるから、娘を望む相手のところへ嫁がせてやりたいという、個人的な願望が混じっていないわけではないが。


(まあ、予想通り、かな)


 ダンダリオンが提示した条件を聞き、ジノーファは胸中でそう呟いた。彼にとってもこの二つの条件は事前に予測できていたもので、不意打ち的な驚きはなかった。また不利益になるかと言えば、そんなことは全くない。それどころか彼にとって、またこれから建国するイスパルタ王国にとっても、利のある話と言える。


 マリカーシェルを王妃として迎えれば、イスパルタ王国とロストク帝国の同盟関係は確たるものになるだろう。帝国の強力な軍事力を当てにできるようになるのだ。実際に兵を借りるかはともかく、それが可能であると言うだけで、敵と味方の双方に与える影響は大きい。


 またアンタルヤ貴族は自主自立の気風が強い。そんな彼らを束ねる上で、ロストク帝国との間に姻戚関係と言う個人的な繋がりがあるのは、ジノーファ個人にとっても間違いなくプラスとなる。逆にこれがなければ、天領全てを押さえたとしても、貴族らに睨みを利かせるには迫力が足りないだろう。


 自由な交易の保証も、イスパルタ王国にとってはかえってありがたい話だ。アンタルヤ王国との断絶は規定路線であり、イブライン協商国とも関係は微妙になるだろう。その時に交易相手がいるのは、国を富ませる上で重要だ。


 またガルガンドーとウファズが交易路でつながれば、イスパルタ王国はロストク帝国のさらに北にある国々とも交易ができるようになる。つまり新たな市場の開拓であり、うまくすればウファズはこれまで以上に栄えるだろう。そしてイスパルタ王国全体がその恩恵を受けるのだ。


 ロストク帝国の影響力が強まることに懸念はあるものの、それは今更だろう。総じて考えれば、非常によい話であると言っていい。そう、ジノーファの極めて個人的な葛藤さえ無視すれば、とても良い話なのだ。


(シェリー……)


 ジノーファは胸の中で妻の名前を呼んだ。マリカーシェルを王妃として迎えれば、当然シェリーの立場はその下と言うことになる。彼女自身は「気にしない」と言っていたが、ジノーファの方は気にしていた。


 まるで自分の都合のために、シェリーをないがしろにしてしまうかのように感じるのだ。自分は彼女を愛している。ジノーファはそのことを確信している。だが行動が伴わない愛は、何の意味もないのではないだろうか。


「どうだ、呑めるか?」


 あるいはジノーファの葛藤に気付いたのだろうか。挑むように、あるいは脅すように、ダンダリオンは彼にそう迫った。その眼差しからは逃れられない。いや、逃げてはいけないのだと、ジノーファは自分に言い聞かせた。


「……承知、いたしました」


 ジノーファがそう答えると、ダンダリオンは「うむ」と頷いて晴々とした笑みを浮かべる。一方のジノーファは、やはり少々心苦しい。それを知ってか知らずか、ダンダリオンはさらにこう尋ねた。


「他にまだ、言うべきことがあるか?」


「……畏れながら、一つお願いがございます。シェリーとベルノルトを、陛下のもとで庇護していただけないでしょうか?」


「余としてはかまわぬが、良いのか?」


 ダンダリオンはそう聞き返した。ジノーファが言っているのは、妻子を人質として差し出すことに等しい。だが彼ははっきりと頷いてこう言った。


「はい。戦火の只中へ連れて行くよりは、陛下のもとにいたほうが安全でしょう」


「そうか。うむ、では任せておけ」


 ダンダリオンがそう請け負うと、ジノーファは深々と頭を下げた。仮にイスパルタ王国の建国が上手く行かなかったとしても、これでシェリーとベルノルトは大丈夫だ。ジノーファは一つ、肩の荷が下りたように感じた。


 それから二人は話し合いを続けた。そして話し合いを終えて宮殿を辞すると、ジノーファは次にシュナイダーのところへ向かう。イスパルタ王国の話をすると、彼もまた驚いてこう言った。


「そいつはまた、大胆不敵というか、何と言うか……」


 それ以外に言葉が見つからないといったふうに、シュナイダーは首を左右に振った。そんな彼に、ジノーファは少し申し訳なさそうにしながらこう告げる。


「ですので、密貿易にはもう協力できなくなりました」


「ああ。そんなことやってる場合じゃないよな。こっちもそれどころじゃないだろうし、気にするな」


「ありがとうございます。それと一つお願いがあるんですが、殿下が集めたアンタルヤ王国東域に関する資料を、見せてもらえませんか?」


 ジノーファがそう頼むと、シュナイダーの視線が少しだけ鋭くなった。密貿易と調略のために、彼のもとには多くの情報が集まっている。ジノーファにとってその情報は、まさに喉から手が出るほど欲しい代物だった。


「分かった。好きにしな。それと投資してもらった分も、きっちり色を付けて返してやる」


 気前良くそう答えるシュナイダーに、ジノーファはもう一度礼を言った。それから数日の間、ジノーファは彼のところに入り浸り、そこにある資料を読み漁った。


 知っていることもあったが、知らなかったことの方が多い。ジノーファはそれらの情報を、必死になって頭に叩き込んだ。そして、そんなことをしているある日のこと、シュナイダーがふと彼にこんな事を尋ねた。


「ジノーファ、一つ聞いていいか?」


「なんでしょう?」


「どこからどこまでが、お前のシナリオなんだ?」


 シュナイダーがそう尋ねると、ジノーファの肩がピクリと揺れた。彼はゆっくりと読んでいた資料から目を離し、視線をシュナイダーのほうへ向ける。そして逆にこう問い返した。


「何のことでしょうか?」


「とぼけるなよ。おおよその話は聞かせてもらったが、お前さんが考えていたことは、まだ他にもあるんだろう?」


 にやにやと笑いながら、シュナイダーはそう問いただす。それに対し、ジノーファは苦笑しながらこう答えた。


「別に、シナリオというほどのものじゃありませんよ。ただ本当に傀儡になるのはイヤだったので、彼らの方から話を出してくれないかと、まあそう考えていただけです」


 それを聞いて、シュナイダーは「なるほどな」と言って小さく笑った。自分から「王になりたい」と言えば、ジノーファはダーマードらに協力を求める格好になる。その場合、彼らには恩賞を渡す必要があり、ジノーファの力は弱くなる。


 だが逆に、ダーマードらの方から「王になってください」と言わせれば、ジノーファはそれを断る選択肢を持てる。ダーマードらのほうこそ、ジノーファに利を見せなければならなくなるのだ。


「なるほどなぁ。それで首尾よく天領全てを手中に収めたってわけか」


 シュナイダーは感心した様子でそう言った。実際、貴族の習性を上手く利用したといっていいだろう。彼らは派閥の理論や損得勘定で動いている。だからこそ、他人もそうだと考えるのだ。


「まあ、わたしも同じ穴の(むじな)ですよ」


「そう卑下したもんじゃないさ。高潔なだけじゃ、世の中渡っていけない。特に、政の世界ってヤツはな」


 実際、ジノーファにも自分達の理論が通じると分かり、ダーマードらは一面で安心したに違いない。話が通じると思えばこそ、手を取り合って協力し合えるのだ。理解不能な人間を王にしようとは誰も思わないだろう。


「それで、この先のシナリオはどうなっているんだ、ん?」


「だから、シナリオと言うほどのものはないですよ」


 そうは言いつつ、ジノーファは幾つかのアイディアを話した。それを聞いて、シュナイダーも自分のアイディアを話す。そうやって話し合う中で、ジノーファはこの先どう動くかを決めたり、あるいは修正したりしたと言われている。そういう意味で、イスパルタ王国建国に際し、シュナイダーの影響は大きかったと言っていい。


 さて、ついにジノーファが出立する日が来た。その日、朝霧の中、旅装を調えたジノーファは、見送るシェリーを抱きしめてしばらく放さなかった。これから暫くは会いたくても会えなくなる。自分で選んだこととは言え、それが辛かった。


 彼女を残していくことが本当に正しいことなのか、ジノーファは今も確信が持てない。正しいはずだと考えて、それを選択した。だが模範解答があるわけでも、誰かが「正解」と保証してくれたわけでもない。これから悔いのない選択にしていくのだ、と彼は自分に言い聞かせた。


「ベルのこと、頼んだ」


「はい。任されました」


「シェリーも、身体に気をつけて」


「はい。ジノーファ様も」


 抱き合ったまま、二人はそう言葉を交わした。それでもまだ、ジノーファはシェリーを放そうとはしない。名残惜しむというよりは、精一杯気持ちを伝えようとしているかのようだった。


 次に会うときにはおそらく、ジノーファの立場は今と大きく変わってしまっている。それだけではない。マリカーシェルを王妃に迎えることになるのだ。二人だけだった夫婦の関係は、今度は三人の関係になる。


 そのことについては、すでにシェリーにも話してあり、今日までに何度も話し合ってきた。シェリーの態度は初めから一貫しており、悩むというよりは愚図るジノーファを彼女が宥めるというのが、基本的な構図だった。


『マリカーシェル殿下に不満があるわけじゃないんだ。ただ、何と言うか……』


『わたしは、むしろマリカーシェル殿下で良かったと思っておりますわ』


『でも、やっぱりなぁ……』


『ジノーファ様のお気持ちは嬉しいです。でもわたしは王妃の器ではありませんわ。お傍にいられるだけで幸せです』


 こんな会話を延々と続けたものである。「ジノーファ様はずっと難しい顔をしているのに、シェリー様はにこにこと笑顔で、その対比がおかしかった」とユスフは書き残している。


 さて、ジノーファとシェリーはずいぶん長いこと抱き合っていたが、最後にキスを交わしてようやく離れた。それからジノーファはヴィクトールの方に視線を向ける。そして彼にこう言った。


「ヴィクトール、皆を頼む」


「はっ、お任せください」


 屋敷には十分なお金を残してある。彼に任せておけば何も問題はない。それからジノーファは使用人に一人ずつ声をかけていく。皆、信頼できる者たちだ。彼らがいるから、ジノーファは後のことを心配せずにいられる。


「ジノーファ様、そろそろ……」


 使用人たちに声をかけ終わると、ユスフが後ろから声をかける。ジノーファは小さく頷くと、最後にシェリーにこう告げた。


「それじゃあ、シェリー。往ってくる」


「はい。どうかご無事で」


 それを聞いて、ジノーファは小さく微笑んだ。「ご武運を」とは言わないところに、シェリーの本当に気持ちが滲んでいるように感じる。それが嬉しかった。


「よし、往こう。ユスフ、ラヴィーネ」


「はい!」


「ワンッ」


 後ろ髪引かれる思いを断ち切って、ジノーファはシェリーに背を向けた。彼に従うのは一人と一匹。これから国を興そうというのに、あまりにも少ない味方の数だ。けれども一人ではないことが、ジノーファはとても心強かった。



シュナイダー「あの純粋培養されてきたジノーファがなぁ」

ノーラ「殿下と関わった時点で純粋培養ではないと思います」


~~~~~~~~~~


今回はここまでです。

続きは気長にお待ちください。

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