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陰謀の行方


 ネヴィーシェル辺境伯領から戻ってきた、その二日後。ジノーファはダンダリオン一世の執務室に来ていた。ダーマードからの書状を手渡すため、シュナイダーに頼んでこの場をセッティングしてもらったのだ。


「第二王子ファリクの擁立、か……」


 ダーマードからの手紙を読み終えると、ダンダリオンはあまり面白くなさそうにそう呟いた。そして向かいのソファーに座るジノーファに視線を向け、彼にこう尋ねた。


「どう考える?」


「私見ですが、そううまくはいかないでしょう」


 ダーマードに答えたのと同じ返答を、ジノーファはダンダリオンに返した。ただ、あの時は根拠を「勘」と言うことにしておいたが、実のところ彼はそれなりに筋道だった考えを持っている。彼はそれをこう話した。


「仮にファリク王子の擁立に成功したとして、実際に通商分野に口出しできるようになるのか、それは未知数です。ダーマード殿の派閥がそこまでの力を持つか分かりませんし、極端な話、彼が暗殺されてしまうかもしれない。現時点では、空手形の域をでないと言わざるを得ません」


 ダーマードは自信があると言っていたが、それがジノーファの意見だった。それにイスファードの対抗馬として考えると、ファリクではやはり力不足だ。仮に対立できるほどになったとして、イスファードはファリクを徹底的に潰そうとするだろう。「ロストク帝国との間で交易を拡大する」という案にも、強硬に反対するに違いない。そうなればやはり、実現は難しい。


 また、全てがうまくいったとしても、実際に交易が拡大するまでには相当な時間がかかる。ファリクの成長を待つ必要があるからだ。ダーマードの思惑に乗るのであれば、その間ずっと待ち続けなければならない。それがロストク帝国の国益に繋がるかどうか、微妙なところだ。そもそも、そうやって時間を稼ぐことそれ自体が、ダーマードの真の狙いであるかも知れないのだ。


「ふむ。確かにただ待つだけというのは、余の性に合わぬな」


 ダンダリオンは小さくそう呟いた。とはいえ国としての方針を彼の好みで決めるわけにはいかない。それで彼はジノーファにさらにこう尋ねた。


「それでジノーファよ。そなたはどうするべきと考える?」


「『ファリク王子の擁立に成功したなら、支援してもいい』。現状では、この程度の返答でよいのではないでしょうか」


「まあ、そうだな」


 ジノーファの返答を聞いて、ダンダリオンは満足げに一つ頷いた。彼もおおよそ同じ考えだったからだ。ダーマードの思惑がどこにあるにせよ、最終的な主導権はダンダリオンの側にある。影響力を強める機会ともなるだろうし、それならば今は謀略の行く末を見守るのも一興だろう。


 また現実問題として、現在ロストク帝国はイブライン協商国で戦線を一つ抱えている。援軍を出しているだけで、主体的に戦争をしているわけではないから、負担はそれほど重くはない。ただ戦争の趨勢がはっきりするまでは、アンタルヤ王国には出兵しない、というのが現在の帝国の方針である。


 そうなると、ここでダーマードの要請を断り、彼との関係を悪化させるのは悪手だ。加えてファリク王子擁立の動きそれ自体が、派閥間対立をより先鋭化させるだろう。それは帝国の付け入る隙となる。ここは騒乱の火種に薪をくべてやるべきところだろう。それでダンダリオンはジノーファにこう命じた。


「よし、ジノーファよ。次に辺境伯に会うときには、先程のように返答しておけ」


「書状などはしたためられないのですか?」


「ああ。今はまだ、口約束で十分だ」


 ダンダリオンがそう答えると、ジノーファは「分かりました」と言って一つ頷いた。話を終え、新たな指示を受けてから、ジノーファは宮殿を去って屋敷へ向かう。帰宅した彼を、ベルノルトを抱っこしたシェリーが迎えた。


「お帰りなさいませ、ジノーファ様。ほら、ベルもお父様にご挨拶なさい?」


「ちち、うえ!」


 シェリーに抱かれたベルノルトが、声を上げながらジノーファに向かって手を伸ばす。彼は半年ほど前に一歳の誕生日を向かえ、その頃から言葉を話すようになり、まだ片言だが今では意味のある単語も話すようになった。また一歳になる前から立って歩き回っていて、ジノーファとしても子供の成長の早さを実感する毎日だった。


「ただいま、シェリー。ベルも、いい子にしていたかい?」


 そう言ってジノーファがベルノルトの頭を撫でると、彼は「あい!」と元気よく声を上げた。屋敷の中に入ると、ジノーファはシェリーと並んでソファーに座り、彼女が淹れてくれた紅茶を飲んだ。


 二人のすぐ近くでは、ベルノルトがおもちゃで遊んでいる。我が子を見守るシェリーの眼差しは温かい。この一年半で、彼女もすっかり母親らしくなった。一方でジノーファが父親らしくなったかと言えば、彼はちょっと自信がない。


 まあ、それはそれとして。ジノーファはシェリーにダーマードの企みについて話す。ダンダリオンに話すまでは、この件については彼女にも内緒にしておいたのだ。一通り話を聞くと、彼女は少し険しい顔をしながらこう言った。


「まだ小さな子供を政争に巻き込むのは、あまり感心できませんね……。王子ともなれば、仕方がないのかもしれませんが……」


「うん、そうだね。でもまあ、そもそも擁立できるかも、まだ定かじゃないと思うよ」


「あら、そうなのですか?」


 傍に寄って来たベルノルトを膝の上に抱き上げ、シェリーは少し不思議そうな顔をしながらそう尋ねた。ジノーファは息子の頭を撫でながらこう答える。


「ああ。ガーレルラーン二世がどう判断するか分からないし、ヘリアナ侯爵家だって抵抗するかもしれない」


 ガーレルラーン二世がどう判断するのかは、ジノーファには想像もできない。ただ、ヘリアナ侯爵家は抵抗するのではないかと思っている。侯爵家は王家の傍流。大貴族とはいえ、ダーマードに唯々諾々と従っていては、面子を保てまい。


「それに姉上もいる。あの人なら、成人前の子供をみすみす連れて行かせはしないと思う」


 ヘリアナ侯爵家には、ユリーシャが嫁いでいる。そしてジノーファの知る彼女は、そういう女性だ。ファリクを王宮から侯爵家に引取ったのも彼女だし、彼が未成年のうちは政争に巻き込まれるようなことは絶対に許さないだろう。そう思ったからこそ、ジノーファもダーマードに釘を刺しておいたのだ。


「わたしはユリーシャ様のことはよく存じ上げませんが、ジノーファ様がそう仰るなら、きっとそうなのでしょうね」


 にこにこと微笑みながら、シェリーはそう話した。彼女の言葉に、ジノーファは小さく頷く。彼自身、それがただの願望でしかないと分かっている。けれどもやはり、そうであって欲しいと思うのだ。



 □ ■ □ ■



「ダンダリオン陛下のお言葉、しかと賜りました。ジノーファ様も、ありがとうございました」


「王子の擁立に成功したなら、支援しても良い」。ジノーファからダンダリオン一世のその返答を聞くと、ダーマードは莞爾と微笑んでそう言った。ロストク帝国の皇帝から前向きな返答が得られたことは、今後計画を進める上で重要だ。


 ただ、現時点で得られたのは口約束だけ。本当は書面の形で確約が欲しかったのだが、それは叶わなかった。それがあればファリク王子擁立のため、他の貴族たちに働きかけるときにも事は容易であったろう。そう考えると、残念でならない。


(要するに……)


 要するに、王子の擁立くらいは自力でやれ、ということなのだろう。それくらいのことができなければ支援する価値はない、というメッセージなのだ。ダーマードはそう解釈した。それに擁立がかなわなければ、確かに支援も何もない。


 ダンダリオンからの返答を受け、ダーマードは直ちに行動を開始した。派閥の主だった者たちを集め、ファリク王子擁立の方針を謀る。多少の反対意見を述べる者もいたが、イスファードを擁する最大派閥に抗するためには、こちらも王族を擁立する必要がある。そう説得し、最終的には全会一致の賛成を得ることができた。


 派閥内の意見を統一すると、ダーマードは幾人かの貴族たちと共に王都クルシェヒルへ向かった。彼は近年、活性化した魔の森に対処するべく領地に引き篭もりっ放しだったから、王都へ赴くのはひさしぶりである。


 王都へ到着すると、ダーマードはまずガーレルラーン二世に謁見を申し込んだ。謁見が叶ったのは二日後。すぐにとはいかなかったが、悪くない早さだ。これまでほぼ捨て置いたとはいえ、ガーレルラーン二世もやはりダーマードと彼の派閥は無視できないのだ。


「面を上げよ」


 連れて来た派閥の貴族たちと共に、ダーマードは謁見の間で久しぶりにガーレルラーン二世の声を聞いた。その声は、しかし彼の記憶にあるものを寸分違わず、重々しくて冷厳だ。彼はその声に、ジノーファに浴びせられたのとはまた異なるプレッシャーを感じ、背中に冷や汗を流す。しかしそれを表には出さず、彼は堂々とした態度でこう述べた。


「ははっ。こうして久方ぶりに陛下のご尊顔を拝し奉りましたこと、恐悦至極に存じます」


「うむ。それで此度の謁見、何用か?」


 挨拶もそこそこに、ガーレルラーン二世は本題に入った。東域や、魔の森などの様子を尋ねることもしない。それは、単純に興味がないからなのか、それとも逆に全て承知しているからなのか。それはダーマードにも分からないし、また彼の胸の内を読み解くこともできない。ここで腹の探り合いをするのも愚かしく、促されるままダーマードも本題に入った。


「今日こうして拝謁いたしましたのは、ファリク王子のことで申し上げたき儀があったからでございます」


「ほう、アレがどうかしたか?」


「はっ。畏れながら、王太子殿下には、ファリク殿下のほかにご兄弟がおられませぬ」


 そしてイスファードにはまだ、後継者となる男子が生まれていない。となれば、イスファードに万が一のことがあった場合、ファリクが王位を継承する可能性が出てくる。そうでなくとも、イスファードが王座についたあかつきには、ファリクには彼を補佐する役割が求められるだろう。


「ですがそのためには、殿下にそれ相応の学問を修めていただかなくてはなりませぬ。当家がそれをお手伝いできればと考え、こうしてお願いに参上した次第でございます」


「アレの養育は、ヘリアナ侯爵家が行っておる。それでは不足と申すか?」


「そうは申しませぬ。ですがヘリアナ侯爵家は代々政から遠ざかってきたお家柄。その分野に関しては、当家に一日の長があると確信しております」


「で、あるか」


 玉座の肘掛に頬杖をつき、ガーレルラーン二世は冷笑してそう言った。その冷たい笑みと視線が、ダーマードの五腎六腑を抉る。しかしそれでも、彼は視線を逸らさない。そしてこう言った。


「つきましては、お許しをいただきたく……」


「……よかろう。侯爵家が了承するのなら、好きにせよ」


 相変わらず熱のこもらぬ声でそう応えると、ガーレルラーン二世はそれ以上の興味を示そうとはせず、立ち上がって謁見の間を後にする。ダーマードは内心で安堵の息を吐きつつ、平伏してその背中を見送った。


 ともかく、ガーレルラーン二世から一応の許可は得た。王宮を辞すると、ダーマードは派閥の貴族たちを連れ立ちすぐさま、その足でヘリアナ侯爵家へ向かった。本来なら先触れを立てるべきなのだろう。しかし時間をおけば、間違いなくエルビスタン公爵の妨害が入る。ゆえにその暇を与えず、速攻で決着を付ける腹積もりだった。


「これはネヴィーシェル辺境伯。それに皆様お揃いで。いかがなされましたか?」


 玄関のところでダーマードらを出迎えたのは、ヘリアナ侯爵オルハンその人だった。どうやら、これからちょうど出かけるところであったらしい。ダーマードはにこやかに挨拶を交わしてから、すぐさま本題に入った。


「実はファリク王子のことで、お話したいことがあるのです」


「何でしょう。あの子がどうかしましたか?」


「実は、殿下を当家で養育申し上げることを陛下にお願いし、その許可をいただいて来たところなのです。つきましては、殿下に当家の屋敷へお移りいただけますよう、お迎えに参上いたしました」


 それを聞き、オルハンは顔に警戒の色を浮かべた。しかし取り乱すことはせず、ゆっくりと言葉を選びながら、彼はダーマードにこう尋ねる。


「……確認しておきたいのですが、陛下は本当に、ファリクをそちらで養育することについて、許可を出されたのですか? 陛下のお言葉を捻じ曲げたり拡大解釈したりすることは、場合によっては王命の詐称にあたります。どうなのですか?」


「……侯爵家が了承するなら好きにせよ、とお言葉をいただいております」


「でしたら、当家としては了承いたしかねます」


 オルハンがそう応えると、ダーマードは苦々しく顔を歪めた。オルハンも顔を強張らせているが、彼に引くつもりはない。彼は険しい表情のまま、しかしはっきりとダーマードにこう告げた。


「お話はそれだけでしょうか。でしたらお引取りください」


「……ともかく! 殿下にご挨拶はさせていただく!」


 そう言ってダーマードはオルハンを押しのけ、屋敷の中に入る。オルハンが慌てて手を伸ばすが、取り巻きの貴族たちが彼を取り囲んで抑えた。


 言うまでもなく、これはかなり非礼な行為だ。ダーマードにもその自覚はある。だがそれでも、ここでファリクの身柄さえ抑えてしまえば、あとはどうとでもなると彼は考えていた。


 ヘリアナ侯爵家は政治的な事柄には関わってはいけないと定めている家。エルビスタン公爵を巻き込んでまで、ファリクを取り戻そうとはしないだろう。あとは、最大派閥のやりように反感を抱いている貴族たちからも、ファリク王子擁立の支持を得れば、辺境伯家で彼を養育することを既成事実化してしまえる。


「ファリク殿下! いずこですか!?」


 玄関の扉を勢いよく開けて屋敷の中に入ると、ダーマードはそう声を上げてファリクを呼んだ。けれども返ってきたのは彼のものではない、涼やかながらも硬い声だった。


「何事ですか」


「これはユリーシャ夫人。お久しゅうございますな。また一段と美しくなられた」


「世辞は結構です。それでダーマード卿、これは何事ですか?」


 階段の中ほどに立ってダーマードのことを見下ろしながら、ユリーシャは険しい顔つきで彼に詰問する。ダーマードは内心の焦りを押し殺し、努めてにこやかにこう答えた。


「ファリク王子を当家で養育申し上げるべく、お迎えに上がったのです」


「そのお話でしたら、すでに夫が断ったはずです。お引取りを」


「まあまあ、そう仰いますな。殿下ご自身のお考えもありましょう。せめてご挨拶させていただけませんかな?」


「子供をたぶらかすようなやり口。責任ある大人のすることとは思えません。そもそも左様に重要なお話なら、先触れを立てて協議の場を設けるべきです。もう一度言います。この場はお引取りください」


「そうはいかぬのですよ。こちらにも事情がありましてな。魔の森のことも気がかりですし、そう長くは王都に留まれませぬ。ファリク王子に置かれましては、一刻も早く当家へお移りいただきたい」


 酷薄な笑みを浮かべつつ、ダーマードは一歩を踏み出した。しかしその瞬間、ユリーシャが柳眉を逆立てて彼を叱責した。


「誰が当家に踏み入ってよいと許可しましたか! 下がりなさいっ。そして出て行きなさい!」


「……っ」


 彼女の気迫に気圧され、ダーマードはその場に立ち竦んだ。いや、実際のところ、彼が気圧されたのはユリーシャに対してではない。彼女の後ろにジノーファの影を見たのだ。


『姉上を傷つけるようなことがあれば、わたしは貴方を許さない』


 彼の言葉が脳裏に甦る。あの時のプレッシャーが思い出され、ダーマードの足は動かなくなったのだ。そして立ち竦む彼に、ユリーシャはさらにこう怒鳴る。


「出て行きなさいと言ったのが分からないのですか!」


「……っ、失礼するっ」


 舌打ちをしつつ、ついにダーマードは退散した。彼とその取り巻きたちが敷地の外へ出ると、ユリーシャはようやく一つ息を吐いた。そしてファリクの部屋へ急ぐ。彼は侍女たちに守られながら、怯えた様子でクッションを抱いていた。


「あね、うえ。わたしは辺境伯のお家に行くのですか?」


「いいえ、あなたのお家はここよ。ここに居ていいのよ」


 ユリーシャは優しくそう言ってファリクを抱きしめた。そして泣きじゃくる弟を宥めながら、彼女はあらためて決意する。


 ――――ジノーファの二の舞には決してしない。わたしがこの子を守らなければ、と。


シェリー「ユリーシャ様……。要注意ですね……」

ベルノルト「おば、ちゃん?」

シェリー「ご、ご本人にそんなことを言ってはダメよ?」

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