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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
騒乱の足音

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ニオール地方


 先遣隊を率いるフレイミースから「来援を請う」との報せを受け取ると、ランヴィーア王国王太子にして遠征軍総司令官のエリアスは深く頷いた。これは一種の符号であり、要するに作戦通りに進んでいることを報せてきたのだ。


 さらに、実際に戦闘を行ったアルガムからもその報告が届いている。彼は野戦で蹴散らした敵の規模を二万から三万と見積もっている。ただ敵の様子からして彼らが篭城を選択したことに疑いの余地はない。野戦の目的は時間稼ぎであり、そうであるなら全軍が外へ出てきたとは考えにくい。トゥール方面の敵の総数は四万から六万程度であろう、と彼は推測していた。


 その報告を読んで、エリアスはもう一度頷いた。アルガムの見立てが正しければ、トゥール方面にはかなりの敵が集結していることになる。逆を言えば、他は手薄になっているはず。沿岸方面には戦力を残してあると思われるが、そうであるなら今はかえって好都合だ。


(先遣隊が足を止めて陣を敷いたことで、敵は先遣隊が本隊と合流するつもりと考えるはず……)


 ならばトゥール方面にはさらなる来援があるはず。他はさらに手薄になり、まともな戦力は沿岸方面にしか残らない。ということはそこさえ避ければ、あとは無人の野を行くがごとくだ。


「出陣するぞ!」


 エリアスは号令を下した。ついに遠征軍の本隊たるランヴィーア軍七万が動く。彼らは貿易港のある沿岸方面、ではなく。当初の計画通り、肥沃な穀倉地帯として知られるニオール地方へ雪崩れ込んだ。


 ランヴィーア王国が最も欲しているのは言うまでもなく貿易港や塩田だが、その他にも欲して止まないものがあった。それが肥沃な穀倉地帯である。


 ランヴィーア王国は砂漠が多く、国力が高いとは言えない。真の強国となるために、食料庫となる穀倉地帯を手に入れることは欠かせない。また遠征軍の将兵を養うためにも、ニオール地方の食糧生産能力は魅力的だ。それでエリアスは父王オーギュスタン二世とも相談し、遠征軍の最初の目標を国境近くの穀倉地帯、すなわちニオール地方に定めたのである。


 もちろん、エリアスとて貿易港を手に入れることの重要性は弁えている。王国の悲願は王族の悲願。彼自身、貿易港は喉から手が出るほど欲しい。ただ、そのことは周囲に知れ渡りすぎている。ランヴィーア王国が大規模に兵を催せば、その目的が貿易港であることはあまりにも明白だ。相手もまた、万端に準備を整えるだろう。


 そこでエリアスはその状況を逆手に取ることにした。貿易港のある沿岸地方ではなくニオール地方を標的とすることで、いわば戦略的な奇襲を仕掛けたのだ。さらに彼はこの奇襲を成功させるため、もう一手策を弄することにした。


 それが先遣隊によるトゥール方面への進軍および攻撃だった。これにより遠征軍の目的がダンジョンであると誤認させ、ニオール地方を手薄にする。それがエリアスの狙いだった。アルガムを先遣隊に入れたのも、彼の持つ因縁を利用し、攻撃の本気度を敵に見誤らせるためだ。


 さらに先遣隊がトゥールから中途半端な位置に陣を敷いたのも、エリアスの作戦の一部だった。この不可解な行動を前に、イブライン軍は遠征軍の意図を探るだろう。そして合理的な理由は本隊との合流以外にない。自分たちで出した結論なら、それを疑うことはないだろう。


 仮に、トゥール方面への攻撃が陽動であると見破られてもかまわない。その場合、遠征軍の本命はやはり貿易港であると敵は思うだろう。敵は沿岸方面に集結し、やはりニオール地方は手薄になる。


 ただし、いくら策を弄したところで全ては机上の空論である。それで実際に国境を越えニオール地方へ軍を進め、眼前に敵軍が現れなかったとき、エリアスは喜ぶよりもむしろ安堵した。


「よし。これで初手はほぼ完全に相手の裏をかいた。だが協商国も我々の狙いに気付くはず」


「御意。なればこそ、ここから先は迅速に動かなければなりませぬ」


 エリアスは信頼する幕僚とそう言葉を交わした。そして全軍に対し、ニオール地方の制圧を命じる。その際、なるべく無傷での制圧を厳命する。この穀倉地帯は今後、遠征軍の食料庫となるのだ。その食料庫が空では、遠征軍の活動に支障が出る。


 さて、一方のイブライン協商国評議会は、遠征軍のこの動きに仰天した。彼らはまさかニオール地方が狙われるとは思っておらず、完全に不意を突かれた格好だった。責任の押し付け合いのために評議会は紛糾したが、それも一時のこと。早急に対策を講じなければならず、そして打てる手は限られていた。


「そ、そうだ! トゥールへ派遣した増援部隊があったろう、それをニオール地方へやればいい!」


 それがほぼ唯一の手だった。トゥールからも兵を出して合流させるという案も出たが、これは却下された。時間がかかるのと、先遣隊がいまだトゥールを狙える位置に陣取っているためだ。


「そうは言うが、敵の正確な数は分からんのだぞ! 増援部隊だけで足りるのか!?」


「遠征軍の全戦力は十万程度と推定されます。先遣隊は五万程度と言う話ですから、ニオール地方に攻め込んだ本隊は、多くても五万から八万程度ではないでしょうか?」


 そう発言したのは、ルイスと言う名の評議員だ。増援部隊はおよそ五万。勝つことは難しいかもしれないが、しかし敵軍の動きを掣肘することは可能だ。その間にさらなる増援部隊を組織すればよい。


「ともかく、敵に主導権を取られているのです。多少の無理があろうとも、ここは動かざるを得ない。そうしなければ、傷は広がる一方です」


 ルイスの言葉は正論だった。ただ、それを言う彼の立場が悪かった。彼の兄は領主なのだが、トゥールはその兄の領地にあるのだ。それでこんな勘繰りをする者が現れた。


「貴様! トゥールに駐在する戦力を減らしたくないからと言って、賢しいことを並び立てて我らを煙に巻こうとしているのではあるまいな!?」


「なっ!? そのようなこと、あるわけがないでしょうっ!」


 ルイスは気色ばんで反論したが、だからこそ後ろ暗いことがあるように見えてしまうのは、権力を持つ者たちの業かも知れぬ。評議会はまた紛糾したが、それでも最終的に増援部隊をニオール地方へ向かわせることが決まり、そのことを伝えるべく伝令が出された。


 伝令から命令の変更を伝えられると、増援部隊は直ちにニオール地方へ向かった。なおこの時から増援部隊はニオール方面軍と呼称が改められた。トゥールへの増援部隊ではなくなったからだ。またトゥールに駐在している部隊はトゥール方面軍と呼称される。


 そして大統歴六三九年七月九日。ニオール地方の外れにあるサンマロ平原で両軍は相対した。ニオール方面軍は徹底的に守りを固めた。彼らの目的は、新たな増援部隊が組織され合流するまでの間、時間を稼ぐこと。


 兵力に差があるとはいえ、それは決定的とは言えず、遠征軍本隊はこれを攻めあぐねた。双方が長期戦を想定する中、しかしこの戦いはたった五日で終わった。ロストク軍二万がニオール方面軍の側面を強襲したのである。


 ロストク軍二万は先遣隊としてトゥールを睨む位置に陣を敷いていた。ただ上層部は当然、遠征軍本隊の目標がニオール地方であることを知っている。そうである以上トゥールへ増援が来ることはほぼないし、トゥール方面軍が打って出てくる可能性も低い。


 であれば、ここで先遣隊が何もせずトゥールと睨み合いをしているだけでは、五万の戦力が遊んでいるに等しい。仮にトゥール方面軍が打って出てきたとして、これを防ぐのにやはり五万もの戦力は必要ない。


『何か、本隊の援護ができますかな……?』


 そういう発想になるのは、むしろ当然だろう。本隊が敵とぶつかるのであれば、それはサンマロ平原だと思われる。それで先遣隊はサンマロ平原に斥候を出して、そこを監視させていたのである。


 そしてその読みは当った。両軍がサンマロ平原で相対したとの報告を受け、ロストク軍二万が動いたのである。なお、ランヴィーア軍三万はそのままトゥールに睨みを利かせている。先遣隊の全軍が動いた場合、トゥール方面軍に背後を突かれる可能性があるからだ。


 ロストク軍二万による強襲により、ニオール方面軍は隊列を大いに乱した。その隙を見逃さず、エリアスはすかさず全面攻撃を命令する。その圧力に耐え切れず、ニオール方面軍はついに壊走した。


「追撃しろ!」


 エリアスは追撃を命じた。遠征はまだ始まったばかり。ここで敵の戦力を削げるだけ削いでおかなければならない。遺棄された死体は二万を超え、サンマロ平原の空は無数のハゲワシで覆いつくされたという。


 さてニオール方面軍を撃退すると、エリアスはニオール地方の実効支配を強めた。この勢いに乗って他の地域、特に沿岸方面へ進軍するべしという意見もあったが、彼は慎重策を選んだのだ。


 ニオール地方を占領したのは、そこを遠征軍の食料庫とするため。ただしそれはすでにある食糧を奪うことだけを意味しない。税と言う形で継続的に取り立て、遠征軍の補給線を安定させる。そして遠征が終わったあかつきには、ニオール地方はランヴィーア王国の食糧庫となるだろう。


 それがエリアスの考えであり、その方針は決して間違っていたわけではない。補給線の安定は、遠征を続ける上で極めて重要だ。ただし今回は、それが裏目に出たと言わざるを得ない。


 補給線の安定を優先したことで、エリアスはイブライン協商国に時間を与えてしまったのだ。そしてニオール方面軍の敗北を知った評議会は、いよいよ危機感を強めた。というよりは、腹を据えたと言ったほうが正しいか。要するに、商人の国が本気になったのである。


 彼らは文字通り、金に糸目をつけずに傭兵を集めた。金払いが非常に良かったので、国外からも大勢の傭兵が集まった。傭兵たちが貰った金を気前よく使うので、協商国は特需に沸いた。


 記録によれば、協商国は合計で十万に迫ろうかと言う傭兵をかき集めている。ただし、これを一挙に動員して雪辱戦を、とは残念ながらならなかった。


 一つには、一度に十万もの傭兵を集めたわけではないからだ。傭兵は継続的に募集されており、特に遠征初期の頃は数的に劣勢だった。


 加えて、傭兵をどう使うのか、評議会でも意見が分かれた。数的に劣勢であることもあり、被害の拡大を怖れる一派が優勢となり、彼らの声がイブライン軍の行動にも反映された。つまり積極的には戦わず、遠征軍をニオール地方に封じ込める作戦が取られたのだ。


 エリアスはこれを静観した。ニオール地方を囲むように配置された敵部隊に対し、掣肘させるための部隊を出してにらみ合わせるに留めたのである。前述したとおり、彼は補給線の安定を優先しており、敵が攻めてこないのなら積極的に打って出る意志には乏しかった。


 またエリアスは敵の大部分が傭兵であることを知っている。彼らを雇い続けるには膨大な資金が必要だ。ニオール地方を押さえた以上、長期戦に有利なのは遠征軍であり、敵は遠からず金欠に陥るはず。彼はそう見込んでいた。


 ただし結論から言えば、この見込みは外れた。彼は商人の国の本気を侮っていた。協商国の大商人たちは傭兵たちを養い続けた。そして敵が瓦解しない以上は、遠征軍も部隊を割いて各方面の敵と相対しなければならない。結果、補給線が安定していざ動こうとしたときには、しかし自由に動かせる兵が少なく、沿岸地方へ攻め込むことはできなかった。


 ここへ来て、戦争は長期戦の様相を呈し始める。ただ、この戦争が後に「十年戦争」と呼ばれることを、まだ誰一人として予想していなかった。



 □ ■ □ ■



 大統歴六三九年六月末。サンマロ平原でランヴィーア―イブライン両軍が相対する、その少し前。ジノーファはネヴィーシェル辺境伯領の北端、魔の森に対する防衛線を訪れていた。言うまでもなく、密貿易のためである。


 彼が密貿易のために防衛線を訪れるのは、これですでに六回目。もうすっかり慣れたもので、彼はシャドーホールから運んできた荷物を取り出して引き渡す。それから用意されていた物資をシャドーホールに収納し、差額分を金銭で支払う。


 当初の計画では、金銭は支払うのではなく受け取るはずだった。つまり、ネヴィーシェル辺境伯領へ持ち込んで供給する物資のほうが多いはずだった。それが今では、かえって受け取って持ち帰る荷物の方が多くなっている。


 その理由は主に二つ。第一に、ネヴィーシェル辺境伯の派閥が拡大し、より多くの物資が防衛線に集まるようになっている。その結果、辺境伯領外の特産品や、それこそ海の向こうから来た舶来品まで手に入るようになった。いわば、取り扱う商品が増えたのだ。ダーマードの努力の成果、と言っていい。


 二番目の理由には、魔の森で活動するロストク軍が関係している。彼らが消費する大量の食糧を、ネヴィーシェル辺境伯領から調達するようになったのだ。試算した結果、その方が安上がりであることが分かり、シュナイダーに対してダンダリオンから命令が下ったのである。


 無論、食糧の全てを辺境伯領に依存しているわけではない。とはいえ現在、半分近くをそこから仕入れている。実のところ、当初見込んでいた収支バランスが崩れた最大の理由はコレだった。もっとも、その分の費用はちゃんと請求しているので、密貿易の収支はばっちり黒字だ。ジノーファも稼がせてもらっていた。


 閑話休題。密貿易の窓口となっているのは、おもにイゼルだった。これはもちろん、ジノーファとの繋がりを重視してのことである。


 本当ならダーマード自身が対応したかったのだが、彼には他にするべき仕事が多くある。ただでさえ、派閥が拡大したために仕事量が増えているのだ。そちらをしなければ、領内の政が滞る。それでイゼルに任せた、という次第だった。


 ただ、だからと言って完全に任せきりというわけではない。今日は久々に、ダーマードが指令所に来ていた。名目は毎度同じく、防衛線の視察であるという。


「やあ、ニルヴァ殿。久しぶりですな」


「これはダーマード閣下。お久しぶりです」


 二人はにこやかに握手を交わす。それからあれこれ、多少言葉をぼかしつつ、近況について話し合った。


「最近は、こちらもずいぶん楽になったものです」


 そう言ってダーマードはしみじみとそう語る。楽になったというのは、防衛線維持のための負担のことだ。シュナイダーの助言を受け、ダーマードは東域の貴族たちにもう一度声をかけた。つまり、エルビスタン公爵たちを支援することを止め、自分たちを支援してくれるよう頼んだのだ。それは要するに彼の派閥に入ることを意味していた。


 東域の貴族たちは当然、難色を示した。最大派閥に逆らってはどんな報復を受けるか分からない。それを怖れたのだ。しかしダーマードは具体的な数字を示して彼らを説得した。つまり自らを支持すれば今よりも負担が軽くなることを、具体的な数字で示したのだ。それが功を奏し、彼の派閥の勢力は東域全体に広がった。それが密貿易にはずみをつける結果にも繋がったことは、前述したとおりである。


 さらにその密貿易により、大量の食糧を輸出できるようになった。特に目立った特産物のない辺境伯領にとって、なんでもない食糧を輸出できることは、稼ぐ上で非常にありがたい。これにより辺境伯領の財政は落ち着きを見せ、防衛線の維持も十年単位で可能であろうと試算されている。


「まあその分、仕事は増えましたがな」


 ダーマードはそう言って楽しげに笑った。未来に希望が見える分、増えたとはいえ、それはやりがいのある仕事なのだろう。ただジノーファは少し気になることがあり、彼にこう尋ねた。


「では、お忙しいでしょうに。こちらへいらして大丈夫なのですか?」


「なに、時間のやりくりは、やろうと思えば何とかなるもの。それに、そろそろ息子にも仕事を覚えてもらわねばなりませんからな。良い機会ですよ」


 ダーマードの嫡子は、名をメフメトという。彼が留守居役として執務を代行しているので、ダーマードはこうして防衛線へ視察に来ることができるのだ。もっとも彼のニンマリとした顔からして、意図的に仕事を押し付けている側面もありそうだが。


「ところでニルヴァ殿、立ち話もなんだし、一緒に食事でもどうかな?」


「わたしでよければ、喜んで」


 ジノーファがそう答えると、ダーマードは笑みを浮かべて喜んだ。そして二人は指令所のほうへ歩いていく。その後ろにユスフとノーラとラヴィーネ、そしてイゼルが続いた。



エリアス「腹が減っては戦はできぬ、というではないか。まあ、兵は拙速を好む、ともいうが……」


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