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カーブロの戦い2

「殿下、殿下! ここは撤退いたしましょう!」


 ロストク軍の騎兵隊が背後から現れたとき、カルカヴァンは敗北を悟った。このままではよくても捕虜にされてしまう。悪くすれば戦死だ。それだけはなんとしても避けなければならない。


 もちろんイスファードにとって、そしてカルカヴァンにとっても、この敗北は大きな痛手となるだろう。直接的な被害だけではない。名誉と評判が大きく傷つくことになるのだ。面子と体面を気にする貴族社会の中で、それは耐え難い汚辱と言っていい。


 しかしそれでも生きてさえいればイスファードは王に、カルカヴァンはその義父になれるのだ。それを思えば一時の汚辱など取るに足らない。カルカヴァンはそう優先順位を定め、イスファードに撤退を進言した。


「馬鹿なことを言うな! ここで退けるわけがない! 戦えっ、そして勝つのだ!」


 しかしイスファードは撤退の進言を頑として受け入れない。彼は分かっているのだ。ここで勝たなければ、自分はこの先ずっとジノーファと比較され、後ろ指さされて嗤われ続けることを。


 そんな未来は断じて受け入れられない。イスファードは癇癪を起こしたように「戦えっ、そして勝て!」と喚いて命令を繰り返す。いよいよカルカヴァンが実力行使も止むなしと思い始めたころ、彼らの近くにロストク軍の騎兵隊が迫った。


「真の王太子とかいうイスファードを探せ! 首に縄をかけて陛下の前へ引きずって行け!」


「おお!」


 地鳴りのような鬨の声が聞こえて、イスファードは思わず首をすぼめた。劣勢をひしひしと感じ、顔から血の気が失せていく。そのタイミングでカルカヴァンがもう一度「殿下、撤退を!」と勧めると、今度は彼も素直に頷いた。


 ただ、撤退するとは言っても簡単ではない。後背を突かれているのだ。その時点ですでに退路を断たれているといっても過言ではない。馬首をめぐらし、ほんの十数騎だけを護衛にして、イスファードたちは戦場を彷徨った。


「まだか、まだなのか、エルビスタン公!」


「今しばらく、今しばらくご辛抱ください。必ずや退路を開いてみせますゆえ!」


「なぜこんなことになったのだ……。勝てると、勝てるとそう言っていたではないか!?」


 イスファードが喚く。その時、そんな彼を叱りつける声が響いた。


「見苦しいぞ、小僧!」


 ロストク軍の騎兵隊が現れる。率いているのは炎帝ダンダリオンその人だ。イスファードを小僧呼ばわりしたのも彼である。そしておよそ一〇〇〇騎の騎兵隊は瞬く間にイスファードらを包囲した。


 それを見て、カルカヴァンはもはや撤退が不可能であることを悟った。この上は生命を全うできさえすれば最上。そう考え、彼は武器を捨て馬から降りた。そして平伏して慈悲を乞う。


「降服いたします。ダンダリオン陛下。どうぞ、寛大なご処置を……」


「何を言っている!?」


 イスファードが悲鳴を上げる。それでもカルカヴァンは頭を上げようとはしなかった。これこそが彼らを救う最後の手立てであると理解していたからだ。しかしダンダリオンの返答は非情だった。


「許さぬ」


 それを聞いてカルカヴァンは思わず目を見開いた。そして絶望に慄きながら顔を上げる。そこにあったのは、不快げなダンダリオンの顔。その表情のまま、彼はこう言った。


「あのジノーファを押し退け王太子になろうというのだ。どれほどの器量か、余に見せてみよ」


 そう言ってダンダリオンは顔にまるで炎のような聖痕(スティグマ)を浮かび上がらせた。その瞬間、彼から暴力的なプレッシャーが放たれる。イスファードらは揃って身体を強張らせ、指も動かせないほどだった。


「どうした、やはりジノーファには及ばぬか?」


「……っ、うぁぁあああああああ!」


 ダンダリオンが挑発すると、嗤われたイスファードは絶叫して剣を抜いた。そして馬を走らせダンダリオンに斬りかかる。それを見てダンダリオンは、しかしつまらなそうに鼻を鳴らし、無造作に槍を横へ薙ぎ払う。


「あっ!?」


 振りかぶった剣を弾き飛ばされ、イスファードは声を上げる。そして次の瞬間、彼の首筋に槍の穂先が突きつけられた。


「こ、降服します……。ご、ご慈悲を……」


 イスファードは涙を流して哀願する。そんな彼をダンダリオンは冷たく見据えた。


「ゆ、許して……、命だけは……」


「陛下。ここは捕虜とされるがよろしいかと存じます」


 イスファードがいよいよ惨めに命乞いを始めると、ガムエルが横からそう口を挟んだ。その彼にダンダリオンは視線だけ動かして一瞥をくれる。彼は臆することなく、さらにこう言葉を続けた。


「ここでイスファード王太子殿下を討ち取れば、アンタルヤ王国との全面衝突は避けられますまい。ですが捕虜とすれば、賠償金に加え身代金も得ることができます。その金を新たなダンジョンを管理する拠点の建設のために用いればよろしいでしょう」


 スタンピードを起こした新たなダンジョンの攻略はまだ半ばである。その状態でアンタルヤ王国と全面衝突するのは分が悪い。ダンダリオンもそれは十分に理解していた。それで彼はため息を吐くと、こう呟いて槍を引いた。


「……つまらん。興醒めだな」


 そして聖痕(スティグマ)を消すと、さっさと馬首を巡らせる。ガムエルは馬上で一礼し彼を見送ると、命令を出してイスファードとカルカヴァンを捕らえさせた。二人が捕らえられたことを知ると、他のアンタルヤ兵たちも次々と武器を捨てて投降していく。


 こうしてカーブロの戦いは終結した。ロストク軍の大勝利である。



 □ ■ □ ■



 カーブロの戦いはロストク軍の勝利で幕を閉じた。一方、敗北したアンタルヤ軍の被害は甚大だった。全体の三割近くが戦死しており、負傷者はさらに多い。そして生き残った者もほとんど全てが捕虜となっている。近年稀に見るほどの大敗北だった。


 捕虜となった者の中には貴族が、しかも当主本人が多く含まれていた。これは今回の遠征軍がエルビスタン公爵家とその派閥が中心になって結成されたものだからである。派閥の首魁たるカルカヴァンが直々に出陣するのだから、他の家の当主たちもそれに倣わざるを得なかったのだ。


 それが、王太子イスファードを含め、ほとんど全て捕虜になった。解放のための身代金は巨額になるだろう。交渉はそれぞれの家と個別に行うため手間はかかるが、それに見合う、いやそれ以上の金が手に入るだろう。


 何にしても、まずはアンタルヤ王国と正式に講和を結ぶ必要がある。ただ、交渉事には強気で臨まなければならず、その申し出は相手方にさせるのが望ましい。それでダンダリオンは戦後処理に忙殺されつつも逆侵攻の構えを見せ、ガーレルラーン二世の出方を窺った。


 そしてカーブロの戦いから三日後、アンタルヤ王国から講和を結びたいとの申し出があり、その翌日に会談の席が設けられた。講和条件の擦りあわせを行うためである。ただ、すぐさま合意に至る事はなかった。


「十五州の割譲、賠償金として金貨三万枚ですと!? イスファード王太子殿下の身代金込みとはいえ、到底受け入れられるものではありません!」


 アンタルヤ王国側の外交官はそう言って要求を突っぱねた。そもそも最初に過大な要求を突きつけてくるのは交渉事の常。丸呑みになどしていては、外交官は務まらない。だがロストク帝国側の外交官もそう簡単には引き下がらない。


「ふざけないでいただきたい! そもそも五年間は相互不可侵という約束を先に破ったのはそちらであろう! なんでしたら、このままアンタルヤ王国へ逆侵攻しても良いのですぞ!?」


「我が国にはまだ十分な戦力がございます。一戦お望みなら相手になると、ガーレルラーン陛下は仰せです」


「ほう、イスファード王太子殿下はどうなってもよいと?」


「そ、それは……。いえ、ですが殿下も国のために命を投げ出される覚悟はおありでしょう」


 このようにして、一日目の話し合いは平行線で終わった。双方が予想したとおりの展開である。ダンダリオンもそれは承知しており、報告を受けた彼は小さく笑うと「任せる」とだけ応えた。


 それからふと、彼は悪戯を思いついたような笑みを浮かべた。それから部下に命じ、捕虜となっているイスファードを連れて来させる。そしてダンダリオンは今日の交渉のあらましについて、彼に教えてやった。


「……と、いうことらしい。ガーレルラーン二世がまことにもう一戦構えるつもりであれば、そなたの首を刎ね、蝋蜜漬にでもして送りつけてやらねばならぬな」


「…………っ」


「まあ、そういう構えを見せねば足元を見られると思ったのだろうがな。それにしても息子の身代金を値切るとは。そなた、実は疎まれているのではないのか?」


「そ、そんなことは……!」


 イスファードが必死になって否定する。ダンダリオンはそんな彼を嗤うでもなく、むしろ真顔になってさらにこう言った。


「だがな、考えてもみよ。今回の遠征に際し、なぜガーレルラーン二世は王家としてそなたの率いる戦力を用意しなかったのだ?」


「そ、それは……」


 イスファードは反論の言葉に詰まった。彼自身、不満に思っていたことだからだ。確かに今回の遠征軍の総司令官はイスファードだったが、しかし彼の子飼いの戦力は皆無だった。エルビスタン領軍がそうであるといえるが、しかしやはりそれはカルカヴァン子飼いの戦力と考えるべきだろう。


 同時に、全戦力を集めたのもカルカヴァンである。今回の遠征軍は実質的にカルカヴァンのものだったといっていい。王太子イスファードの初陣であるのに、父王ガーレルラーン二世は、彼のために少しも戦力を用意しなかったのだ。


 それが「そのほうがやりやすいだろう」という配慮であった事は分かる。しかし同時にイスファードはこうも考えてしまうのだ。もし自分のための戦力を用意してくれていたら、こうして惨めにも捕虜となることなどなかったであろうに、と。


 そもそも今回の遠征は、イスファードがジノーファよりも優秀であり、王太子として相応しいことを証明するためのものだ。それなのに戦力を用意しないのでれば、ガーレルラーン二世は一体何を考えていたのか。


「思うにガーレルラーン二世は、そなたらがこうして惨敗する事をむしろ望んでいたのであろうよ」


「……ッ」


 あえて言葉にはしなかった推測を聞かされ、イスファードは泣きそうに顔を歪めた。そんな彼に、ダンダリオンはガーレルラーン二世の思惑をさらにこう推測して聞かせてやる。


「ガーレルラーン二世の目的は、自らの権勢の強化であろう。そのために有力貴族であるエルビスタン公爵家と、公爵が率いる派閥の力を削ぎたかったのではないか」


 ありえる話だった。イスファードは王太子として冊立され、さらにエルビスタン公爵家の令嬢ファティマと婚約している。彼が政治の表舞台に立つようになれば、当然エルビスタン公爵家がその後ろ盾となるだろう。強力な政治勢力となるはずだ。


 その構図をガーレルラーン二世の側から見れば、彼の影響力はどうしても縮小することになる。もちろん彼が最高権力者であることは変わらない。しかしこれまで通りとは行かないはずだ。場合によっては今よりもさらに譲歩しなければならなくなったり、あるいは意に沿わぬ決定を強いられたりさえするかもしれない。


 それを避けるためにはどうすれば良いのか。方法は大きく分けて二つ。すなわち、自分の影響力を増し加えるか、台頭してくる新勢力の力をあらかじめ削いでおくか。ガーレルラーン二世が選んだのは後者であった、とダンダリオンは見る。


「お前の初陣にかこつけて自力で遠征を行わせ、そして負けさせる。敗戦による直接の損害に加え、『その責を問う』とでも言って領地を取り上げるなりすれば、かなりの力を削げるであろうよ」


 加えてイスファードやカルカヴァンに敗者のレッテルを貼ることができる。特にイスファードは「ジノーファに劣る」と言われ続けるだろう。不名誉なその評判は、名誉と面子を重んじる貴族社会において彼らを苦しめるに違いない。そしてそれもまた、新勢力の力を削ぐことに繋がる。


「自らの権勢を維持するため、息子に汚点を負わせるか。ともすれば命を落としていたかも知れぬと言うのに。ガーレルラーン二世も食わせ者だな」


「ち、違う……! 父上は、父上はわたしのことを愛しておいでで……、わたしのために……!」


「そうは言うがな。十五年も他人として接してきた子供を、いまさら我が子として愛せるものなのか? そもそも王族や貴族が富や権力をめぐり、その血縁内にあってどれほど醜く争ってきたのか、お前とて良く知っているであろうに」


 ダンダリオンの言葉がイスファードの心を抉った。彼はこれまでにお忍びで両親と会って、親子の絆を確かめたことはない。それどころか手紙を貰ったことさえなかった。いささかの形跡も残さぬためと分かってはいる。しかし実際に「我が子」と呼ばれるまで、自分は本当に王子なのかとイスファードは不安だった。


 その不安は、王太子に冊立されたことで取り除かれた。だがここへきて新たな不安が湧き起こる。自分は本当に望まれて王太子になったのか。父王は、本当は自分のことを疎んでいるのではないか。そう考え、イスファードの顔は青くなった。


 ここでダンダリオンに長子ジェラルドのことを持ち出してやれば、イスファードはもしかしたら一矢報いることができたかもしれない。しかし今の彼は自分のことで手一杯で、そこまでは頭が回らなかった。経験不足というよりは、まだ幼いためだ。そういう意味では、ダンダリオンはとても悪い大人だった。


「ふむ、体調が良くないようだ。下がって休め」


 ぬけぬけとそう言って、ダンダリオンはイスファードを去らせた。悄然としたその背中を見送り、彼は内心で苦笑する。いささかやりすぎたかもしれない。何にしても、大人気ないことをした。


 ダンダリオンがガーレルラーン二世の思惑をことさら悪い方へ推測し、それをイスファードに聞かせたのは、彼に父王への不信感を植え付けるためである。その不信感は敗戦という事実に基づくだけあって拭いがたく、まるで毒のように彼を侵すだろう。


 その不信感がガーレルラーン二世とイスファードの対立に結びつけば言うことはない。そこまで行かずとも、アンタルヤ王国の政治中枢が多少なりともぎくしゃくしてくれれば、戯言を聞かせてやったかいがある。ダンダリオンはその程度に思っていた。


(まあ、意趣返しのつもりがあったのは否定せんがな)


 いや、意趣返しですらない。意趣返しをするべきなのは、王太子の座を追われたジノーファなのだから。彼がやったのはただの嫌がらせである。それを自覚しつつ、ダンダリオンはワインを一杯求めた。


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