近況報告
「……ところで、ラグナやシグムントたちはどうしている?」
防衛線に到着したその翌日。幌のついた馬車に乗って指令所へ向かっている途中で、ジノーファはイゼルにそう尋ねた。アヤロンの民が移住してからどうしているのか、気になっていたのだ。
「そのお二人でしたら、精力的にダンジョン攻略を進めておられます。アヤロンのほかの方々も、新しい生活に慣れてきたようです」
「アヤロンの人々は、まだ指令所に?」
「はい。ダンジョン攻略のためには、指令所の立地がちょうどいいんです。それに辺境伯領も、まだそこまで余裕があるわけではないので……」
イゼルの言葉に、ジノーファは小さく頷いた。ダンジョンから一番近い拠点は、言うまでもなく指令所だ。攻略のためにそこが便利なのは当然だろう。また村を一つ新たに造るとなれば、多額の費用がかかることは容易に想像がつく。ラグナたちが第二のアヤロンの里を築くのは、もう少し先になりそうだった。
「でも、アヤロンの方々が指令所にいるおかげで、助かっている部分もあるんです」
「それは、攻略以外で?」
「はい」
助かっている分野の一つは、「家事」であるという。指令所内の掃除や洗濯、食事の準備などを主にアヤロンの女性たちが請け負ってくれるようになったのだ。そのおかげで指令所はずいぶん快適になったという。
また、アヤロンの民が培ってきた技術も、注目を集めている。特にドロップアイテムを使った一点物の武器や道具を作ることに関して、アヤロンの民は高い技術を持っていたのだ。
指令所内には工房があり、そこでは鍛冶師たちが主に武器を鍛えている。当然、彼らもアヤロンの民の技術に無関心ではいられなかった。金属加工に関しては彼らのほうが優れていたこともあり、現在は熱心に技術交流をしているという。
「そうか。ひとまず上手くいっているようで、何よりだ」
ジノーファはほっと胸を撫で下ろした。アヤロンの民は、言ってみれば異邦人。未開の野蛮人と見下す者もいるだろう。それで移住させたはいいものの、新天地に上手くやっているのか、ジノーファも心配していたのだ。
だが話を聞く限り彼らは逞しく、そしてしなやかに新しい生活に馴染んでいるようだ。ジノーファとしても一安心だった。
「そういえば、指令所からは遠い方のダンジョンにも道が通っていたけれど、向こうも攻略を始めたのか?」
「はい。もっとも、第二のほうは少しずつではありますが……」
ちなみに、指令所に近いほうのダンジョンは「魔の森第一ダンジョン(通称第一)」と呼ばれ、遠い方は「魔の森第二ダンジョン(通称第二)」と呼ばれている。現在、主に攻略が進められているのは第一ダンジョンのほうで、第二ダンジョンのほうは二つか三つのパーティーだけが攻略を行っているという。
『せっかく道ができたのだから、大部隊を送り込んで攻略を進めるべし!』
そういう意見も当然あったが、アヤロンの民は第一ダンジョンの攻略で手一杯だ。大部隊を送り込むには、その分の戦力を防衛線から引き抜かなければならない。防衛線が手薄になることに抵抗を覚える者は多く、今はまだ少数のパーティーでマッピング情報を収集しているだけの状態だった。
「それでも、収納魔法の使い手を派遣してもらっているので、パーティーの稼ぎは結構いいそうですよ」
イゼルのその言葉に、ユスフたちは大きく頷いた。普段からシャドーホールの恩恵を受けているだけあって、実感が篭っている。実際、マッピングを行っている者たちの懐もずいぶん暖かくなっているようで、他の者たちが羨んでいるようだ、とイゼルは話した。
「それで、肝心の効果のほうはどうなんだ?」
そう尋ねたのはシュナイダーだった。彼の言う効果とは、つまり「魔の森を沈静化する効果」である。わざわざ魔の森にあるダンジョンを攻略するのは、資源よりまずこれを狙ってのこと。加えて、現在はロストク軍も魔の森で活動している。気になるのは当然だろう。
「徐々に効果は現れています」
イゼルはそう答えた。アヤロンの民が攻略を始めた当初は目に見える効果はなかったものの、時間が経つにつれて効果が現れ始めている。モンスターの襲来は現在、最も多かった時と比べ、四分の一程度減っているという。特にエリアボスクラスのモンスターが現れる回数が減った。そのおかげで防衛線の負担は軽くなったと、末端の兵士たちも感じている。
「そいつはでかいな」
「ええ。大きな成果です」
シュナイダーとジノーファが、それぞれ感嘆の言葉を口にする。それだけモンスターの襲来が減ったのであれば、末端の兵士よりも指揮する側のほうが、負担の低減を感じているに違いない。
またエリアボスクラスが減ったのであれば、防衛線が破られる心配はかなり減ったと言っていい。昨年は実際に防衛線が破られて大きな被害を出したし、ダーマードはその対応と後始末に奔走することになった。再びそのような事態に陥る可能性が低くなったというのは、戦略的に大きな意味がある。
しかし何より大きいのは、希望を持てるようになったことだろう。魔の森が活性化して以来、モンスターの襲撃の頻度とそれに伴う被害、そして防衛線の維持費用は、常に右肩上がりだった。それが初めて減少傾向を見せ、しかもそれを継続しているのだ。兵士たちは生き残れる可能性が高くなったことを喜び、ダーマードは防衛線維持の目途が立ったことを喜んでいる。
先の見えない、すりつぶされるのを必死に先延ばしにするだけの絶望的な戦いに、ようやく光が差し込んだのだ。その変化がアヤロンの民の移住と魔の森のダンジョンの攻略に起因していることは、ダーマードら上層部だけでなく一般の兵士たちも、広く認識を共有している。
「やっぱり、継続的な攻略こそが重要、ってことか……」
シュナイダーは思案げにそう呟いた。つまりはそういうことだ。そしてその継続的な攻略を担ってくれているのが、他でもないアヤロンの民なのである。そういうわけで彼らは、最初こそ胡散臭げな目を向けられていたものの、最近ではすっかり受け入れられていた。
「ただ、アヤロンの方々やラグナ卿に注目が集まっている分、ニルヴァ様の印象は薄くなってしまっていますが……」
少々申し訳なさそうに、イゼルはそう言った。ニルヴァ、つまりジノーファの功績までが、アヤロンの民やラグナのものとされてしまっているのだ。イゼルも心苦しいのだが、ニルヴァの正体が正体だけに迂闊に話すこともできず、結局そのままになってしまっているという。しかしジノーファは気にした様子もなく、笑ってこう応えた。
「いや、かまわないし、むしろその方がいい。ニルヴァなんて怪しい人間のことは、さっさと忘れてもらうに限る」
それはジノーファの本心だった。そもそも彼は、崇められたり尊敬されたりしたくて、アヤロンの民の移住に手を貸したわけではない。辺境伯領の負担が軽くなり、アヤロンの民の生活が楽になれば、それで十分なのだ。
それにニルヴァに注目が集まれば、その正体がジノーファであることが露見する可能性も高まる。そうなれば王太子イスファードやエルビスタン公爵に攻撃の材料を与えることになり、辺境伯領としてはよからぬ事態に陥ることになるだろう。ようやく好転しつつある辺境伯領の状況を再び暗転させるようなことは、ジノーファとしても望むところではない。
「しかしそれだけ効果があるなら、他所でも同じようにやらないのかね?」
腕を組み、話題を変えてそう尋ねたのはシュナイダーだった。彼の言う「他所」とは、つまりエルビスタン公爵の派閥が受け持っている防衛線のことである。辺境伯と公爵の関係は冷え切っていて、現在のところ積極的相互不干渉といった有様だ。
しかしだからこそ、公爵は辺境伯領の防衛線に関心を持ち、間者を紛れ込ませるなどして情報を集めているはず。魔の森のダンジョンの攻略が進められていることや、実際に負担が軽減してきていることは、すでに掴んでいるだろう。ならば自分たちも、と考えてもおかしくはない。しかしイゼルの答えは意外なものだった。
「そう言った動きは、今のところ確認されていませんね。もっとも、わたしの管轄ではないので、確かなことは言えませんが……」
「ふうん……。成功例の情報を掴みながら何もしないってことはないだろうし、手ごろな場所にダンジョンがないのかもな」
シュナイダーは小さくそう呟いた。ちなみにイゼルの発言から、ダーマードもまたエルビスタン公爵が管理している防衛線へ間者を潜り込ませていることが窺える。イスファードについても詳しい情報を持っているかもしれないが、しかしジノーファはそのことには触れず、代わりにこう尋ねた。
「ところでイゼルの管轄というと、魔の森の探索かな?」
「ああ、いえ。最近は別のお役目をいただきまして。アヤロンの方々との連絡役を仰せつかっています」
はにかみつつ、イゼルはそう答えた。連絡役とはつまり、ダーマードとアヤロンの民の間に入る橋渡し役であり、同時に調整役でもある。とても重要な役目で、大きな出世と言っていい。彼女が武官風の装いをしているのも、立場が変わったことが理由の一つであるのかもしれない。
「そうか。おめでとう」
「はい、ありがとうございます。でも、魔の森の探索も続けているんですよ。三つ目のダンジョンを見つけて、そこも攻略できるようにすれば、沈静化の効果はもっと大きくなりますから」
イゼルの言葉にジノーファも頷いて同意する。確かに彼女の言う通りだ。ただ見つかったからと言って、すぐに攻略が始まるとは限らない。
森の深い位置にあれば手は出しづらいだろうし、そもそも今でさえ第二ダンジョンは本格的な攻略が始まっていない状態だ。仮に三つ目が見つかったとして、状況が整うまでは放置するしかないだろう。
ただその状況というのは、要するに「防衛線の戦力を引き抜ける状況」のことを意味している。この状況を整えるには、防衛線の戦力を増強するか、もしくはモンスターの襲来頻度を減らしその規模を小さくするか、そのどちらかだ。
しかしそのどちらとも、すぐに実現させるのは難しい。負担が減ったとはいえ、防衛線にはすでに限界ギリギリの戦力を投入している。これ以上の戦力を投入するためには、辺境伯領の生産能力を削る覚悟が必要だ。そしてダーマードにそこまでやるつもりはないだろう。
そして二つ目の条件だが、そもそもこれを達成したいがために、新しいダンジョンの攻略を考えているのだ。既存のダンジョンの攻略だけで達成しようと思うなら、相応の時間が必要になるだろう。
つまり、新しいダンジョンのことは置いておくとしても、攻略活動を拡大させるのは現状ほぼ不可能と言っていい。だからこそ、第二ダンジョンは本格的な攻略が行われていないのだ。しかしながら、短期間で攻略活動を拡大させる方策について、ジノーファとシュナイダーには心当りがあった。
「辺境伯は収納魔法の使い手を増やさないのか?」
イゼルにそう尋ねたシュナイダーだった。収納魔法の使い手がパーティーに一人いれば、攻略は格段にしやすくなる。ジノーファとここまで来たことで、彼はそれを実感として知っていた。
であれば、その使い手が増えれば、攻略の規模は自然と大きくなっていくだろう。第二ダンジョンの攻略だけでなく、まだ見ぬダンジョンへ手を伸ばす余裕も生まれるに違いない。ただ、イゼルの返答は少々拍子抜けなものだった。
「詳しいことは分かりませんが、閣下も収納魔法を有用と考えておられることに間違いありません。ご子息のセリム様をラグナ卿に預けて、収納魔法を覚えさせるおつもりのようです」
有用と考えているとはいっても、程度の差がある。考えていても行動に移さないなら、その重要度は低いということになる。そしてイゼルが詳しく知らないということは、水面下で動いているか、少なくとも大きな動きは見せていないのだろう。
表に出ているのは、息子を一人、アヤロンの民に預けたということだけ。しかも「収納魔法を覚えさせるため」という名目らしいが、この件については政治的な意味合いが強いのは一目瞭然だった。
セリムは今年で十六歳になる、ダーマードの庶子だ。彼をラグナに預けるということは、辺境伯とアヤロンの民の強い結びつきを内外に示すことが第一の目的に違いない。これによりアヤロンの民は辺境伯領内における立場を固め、余計なちょっかいを出されることもなくなり、ダンジョンの攻略に集中できるようになる。
加えてセリムは男子だから、恐らくはラグナの娘を嫁に貰うことになる。するとダーマードはラグナと、三人目の聖痕持ちと姻戚関係を結ぶ事になるのだ。これが政治的に大きな意味を持つことは言うまでもない。
またこれは将来も見据えてのことと思われる。つまり将来的には、セリムがアヤロンの民の頭領となりダンジョンの攻略を進める、というわけだ。もしかしたら、防衛線の指揮権はともかく、ダンジョンの管理権くらいは彼に与えるつもりなのかもしれない。
さて、ここまで少し知恵の回る者ならすぐに考え付く事柄だろう。だがシュナイダーはさらにその裏の意図も敏感に嗅ぎ取っていた。それを彼はこんなふうに言葉にして胸中で呟いた。
(目くらまし、かねぇ?)
印象操作、と言い換えてもいい。ダーマードは意図的に、収納魔法へ注目が集まらないようにしているのではないか。シュナイダーはそんなふうに感じたのだ。
情報は貴重だ。しかしアヤロンの民の移住を隠すことはできない。魔の森のダンジョンを攻略していることも同じ。それでよりセンセーショナルで食いつきのよさそうなエサを目立たせ、収納魔法についてその重要性を誤認させたいのではないか。シュナイダーはそんなふうに考察する。
そしてそのためのエサというのが、三人目の聖痕持ちであるラグナなのだ。彼に接近しその存在を目立たせることで、「最近の功績は全て三人目の聖痕持ちのおかげ」という印象を周囲に与える。そんな意図が見え隠れしている、ように感じる。ただ、全てはシュナイダーの直感でしかなく、確証は何もない。
(意図的にやっているのか、それとも副次的なものなのか……)
つまり、収納魔法から意識を逸らすためにやっているのか、ラグナが目立ちすぎて結果的にそうなってしまっているのか。もしかしたら意識的にやっているにしても、それは補強程度のことなのかもしれない。
(聖痕持ちは、どうやったって目立つだろうからなぁ)
ダンダリオンしかり、ジノーファしかり。あるいはダーマードもその扱いには苦慮しているのだろうか。そう思い、シュナイダーはそっと忍び笑いをもらした。
さて、そんな話をしながら馬車に揺られているうちに、ようやく指令所の姿が見えてきた。なんとなく会話が途切れ、その建物に彼らの視線が集まる。短い静寂を打ち破ったのは、シュナイダーだった。
「……話は変わるが、さっき話していたアヤロンの民が作る武器ってのは、ちょっと見てみたいな。いい交易品になるかもしれん」
「分かりました。後でいくつかお持ちします」
馬車の手綱を操りながら、イゼルはそう応える。彼らを乗せた馬車が指令所の門をくぐったのは、その少し後のことだった。
シュナイダー「ダーマード卿にも庶子か。もうちょっと上手に遊べよな」
ユスフ「殿下の手腕は、尊敬してます」
ノーラ「断じてそういう問題ではないと思います」