再び辺境伯領へ
ジノーファたちが魔の森に到着した、その翌日。予定通り最初の誘引作戦が決行された。回収された魔石は全部で三八四六個。およそ四〇〇〇体のモンスターが誘引され、そして討伐された。
この内、エリアボスクラスは全部で三体。その内の二体をジノーファが討伐した。シュナイダーがジノーファの戦いぶりを見るのはこれが初めてだったのだが、その見事な戦いぶりに彼は口笛を吹いて感嘆していた。
「見事だぜ。もともと心配はしていなかったが、これならダンジョンの移動も問題ないな」
戻ってきたジノーファを、シュナイダーはそう言って少し興奮気味に迎える。一日待ってよかった、と彼は思った。こうしてジノーファの戦いぶりを実際に見たことで、少数での移動ということで覚えていた一抹の不安も完全に吹き飛んだ。
さて、さらにその翌日。ジノーファたちは朝早く拠点を出立した。ただ、徒歩でダンジョンへ向かうわけではない。司令官から騎兵を貸してもらい、彼らに送ってもらってダンジョンへ向かった。
「では殿下、ご武運を」
「ああ、司令官によろしく伝えてくれ」
「はっ。それといらぬ心配とは思いますが、ダンジョンの中はやはりマナ濃度が多少高い状態のようです。お気をつけください」
そう言い残し、騎兵たちは馬首を翻した。来た道を戻っていく彼らの背中を見送ってから、ジノーファたちはダンジョンの中へ入る。メンバーはジノーファ、シュナイダー、ユスフ、ノーラ、そしてラヴィーネ。先頭を進むのはもちろんジノーファで、最後尾にはユスフがついた。
「では行きましょう。ノーラ、ルート案内を頼む」
「はっ、お任せください」
活きいきとした声でノーラが応える。地図を持つ彼女の指示に従いながら、ジノーファたちはダンジョンの中を進んだ。モンスターが断続的に襲い掛かってくるが、ラヴィーネのおかげで不意を打たれることもなく、全て危なげなく倒すことができた。
「そらよ、っと!」
掛け声と共に、シュナイダーが剣を振るう。鋭いその刃は、ユスフに後ろ足を射抜かれてびっこを引いていた、狼に似たモンスターを下から斜めに切り裂いた。モンスターは短い断末魔の叫び声を残し、灰のようになって崩れ落ちる。他にモンスターがいないことを確認すると、シュナイダーは剣を鞘に戻した。そして後ろを振り返ってこう言った。
「やっぱりユスフもいい腕をしてるな。さすがはジノーファの従者だ」
「恐縮でございます」
シュナイダーに褒められ、ユスフは折り目正しく一礼した。シュナイダーからは「堅苦しくしなくていい」と言われているのだが、しかし相手はロストク帝国の第二皇子。そういうわけにもいかない。
ただ、彼はジノーファの屋敷へよく遊びに来るし、街へ繰り出すときにはユスフもだいたい同行する。彼の気さくな性格はユスフも良く分かっているので、緊張した様子はなかった。
「どうだ、俺のところへ来ないか? 銀胡蝶館を紹介してやるぞ」
「……大変、光栄に存じます。ですが、わたしはジノーファ様に一生お仕えすると決めております。どうかご容赦いただきたく……」
そう言って、ユスフはさらに一段深く頭を下げた。シュナイダーも本気でスカウトしたわけではなかったのだろう。「そうか」と言って軽く笑うと、それ以上彼を誘うことはしなかった。
ちなみに銀胡蝶館というのは、帝都ガルガンドーにある会員制の高級娼館だ。スカウトの誘い文句にそんなところを持ち出すのは、いかにも放蕩皇子のシュナイダーらしい。もっともユスフの返事が少し遅れたので、彼の心をぐらつかせることはできていたのかもしれないが、まあそれはそれとして。
「ジノーファ、ほらよ」
シュナイダーは魔石を拾い上げると、それをジノーファへ放った。二人の会話を聞いていたジノーファは、苦笑しつつそれを受け取りマナを吸収する。ユスフとノーラも自分で倒したモンスターの魔石からマナを吸収していた。
今回の攻略では、戦利品は全てジノーファの取り分と言う事になっている。シュナイダーはすでに成長限界に達しているので、これ以上マナを吸収することはできない。そもそも、密貿易で見込まれる利益に比べれば、攻略で得られるお金は微々たるもの。それで戦利品は全て報酬に含まれる、という形にしたのだ。
マナを吸収し終えると、ジノーファは魔石とドロップアイテムをシャドーホールに放り込む。それをしながら、彼はふとシュナイダーのほうへ視線を向けた。そして彼にこう話しかける。
「殿下も、剣術がお達者ですね」
「まあ、俺も皇族の端くれだからな。鍛錬は続けている。遊んでばっかりいるわけじゃないんだぜ」
シュナイダーはにやりと笑ってそう応えた。その後ろではノーラがとても疑わしげな顔をしていたが、シュナイダーからは見えないし、ジノーファも気付かないフリをする。そしてシュナイダーにさらにこう尋ねた。
「ジェラルド殿下とは剣筋が少し違うようですが、別の流派ですか?」
ジェラルドが振るうのは、基本に忠実で隙のない剣だ。意外性はないものの堅実で、しかも高いレベルで仕上がっているから、大きく崩れることがない。正統派のど真ん中だ。ジノーファが見たところ防御に重きを置いているようだったが、それはきっと立場ゆえの選択だろう。
一方シュナイダーの剣は、一見すると隙が多い。しかし実のところその隙は罠で、喰いつこうとしたところへカウンターを仕掛けるのだ。正統派とはいい難いが、トリッキーで読みにくく、敵に回すにはイヤな相手と言える。彼は技の引き出しも多そうなので、ジノーファは特にそう感じていた。
このように二人の剣は、ほぼ正反対と言っていい。それでジノーファは別の流派を習ったのだと思ったのだが、シュナイダーはそれを笑って否定した。
「いや、流派は同じだ。俺はいろいろとアレンジしてるんだ。指南役にはやり過ぎだって渋い顔されてるよ」
そう言って、シュナイダーは楽しげに笑った。ということは二人の剣の違いは流派の違いではなく、むしろ性格の違いから来るものなのだろう。そう考えてみると、確かに彼らの剣筋はそれぞれの性格をよく現している。
加えて、シュナイダーの剣は本来、対人戦闘でこそ真価を発揮するもの。だがこれまでの戦闘で、彼はモンスター相手であっても苦にした様子はない。それはきっと、叩き込まれた正統派の下地があればこそなのだ。
ともかくシュナイダーは足手まといにはならなかったし、むしろ頼りになる戦力だった。戦闘を繰り返すうちに、連携もこなれてくる。彼らは手こずることなくダンジョンの中を進んだ。
「この先に水場があります」
「じゃあ、少し休憩しよう」
途中の水場で、ジノーファたちは休憩を挟んだ。滝の裏でラヴィーネが隠し通路を見つけた水場だ。時間的には少し早いのだが、彼らはそこで昼食を取ることにする。ジノーファがいそいそとドロップ肉を焼き始めると、シュナイダーが目を輝かせた。
「お、それが噂の……」
「噂になっているんですか?」
「ああ。ジノーファと攻略をすると、うまい肉を食わせてもらえるってな。ジェクトの奴が自慢してたんでな、実はちょっと期待してたんだ」
シュナイダーはそう言って楽しげに笑った。ちなみにジェクトとは例の十勇士の一人だ。確かにジノーファは彼にもドロップ肉のステーキを振舞ったことがある。自慢するほど気に入ってくれたようで、嬉しいやらこそばゆいやら、だ。
「今日も期待してるぜ、シェフ殿?」
「はは、頑張ります」
気負いなくそう応えてから、ジノーファは熱したフライパンにバターを溶かし、分厚く切ったドロップ肉を焼き始めた。たちまち、食欲をそそる香りが漂う。そうやって肉を焼いている最中、彼はふとこんなことを考えた。
(もしも……)
もしも、自分が本当の両親の下で育てられていたら、こうして料理を作って人に振舞う生き方もあったのだろうか。
自分のルーツが不明であることを、彼はもうあまり気にしていない。ただ、こうして料理をするのは嫌いではないし、自分が作ったものを人が「美味しい」と言って喜んでくれるのは嬉しい。料理人という生き方も、ありえたかもしれない。
(埒もないことだ……)
肉を焼きながら、ジノーファは小さく苦笑した。全ては意味のない仮定の話。そもそも少し肉を上手く焼けるくらいで料理人を名乗っていては、ボロネスに渋い顔をされてしまう。「それではまだ料理人とは呼べませんな」と、そんな台詞まで聞こえてきそうだ。
(それに……)
それに今と違う生き方をしていたら、当然シェリーと出会うことも、そして結ばれることもなかっただろう。ベルノルトも生まれては来なかった。だからもし今、生き方を選べるとして、ジノーファはきっと今と同じ運命を選ぶだろう。
(わたしは不幸じゃない……)
その思いを噛み締めつつ、ジノーファは肉をひっくり返す。ちょうどいい具合に焼き色がついていて、彼は満足げに微笑んだ。さらにもうしばらく待ち、焼きあがったステーキをフライパンの上で切り分ける。切り口を確認してみると、ほんのりレアの絶妙な焼き加減だ。
「どうぞ」
「おお、こいつは旨そうだ!」
ジノーファがフライパンごと差し出すと、待ち構えていたメンバーが次々にフォークを突き刺しステーキを口へ運ぶ。食べた感想はみな上々で、ジノーファは顔をほころばせながら次のステーキに取り掛かった。
食事休憩を終えると、ジノーファたちはまたダンジョンの中を進み始めた。途中、エリアボスとの戦闘もあったが、ジノーファを中心に危なげなく退ける。短い休憩を何度か挟みつつ、彼らは出口を目指した。
「殿下、仮眠は取らなくても大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。このまま行こう。それと、向こうに着いたら“殿下”は禁止だ。さすがに、末端の兵士たちにまで身分がバレるのはまずいからな」
その言葉にジノーファは頷く。確かにシュナイダーがロストク帝国の第二皇子であることは、なるべく人には知られない方がいいだろう。
「分かりました、シュナイダー殿。わたしのことも、向こうではニルヴァと呼んでください。手形の名前はそれになっているので」
「了解だ」
そんなふうに確認を終えると、ジノーファたちはそこから一気に出口を目指した。ダンジョンの外に出ると、彼らは一様に驚いて目を見開く。出口から南へ、つまり防衛線の方へ道が切り拓かれていたのだ。
道と言っても、石畳で舗装してあるわけではない。だが木を伐採して切り株を取り除き、荒くではあるが平らに均してある。馬車を使うには少しデコボコしているかもしれないが、歩くぶんには不自由しないだろう。
「こいつは……」
「恐らく、アヤロンの民が切り拓いたのでしょう」
驚いた様子で呟いたシュナイダーに、ジノーファはそう応えた。ここは表層域。優秀な守人と土魔法を使うメイジがいれば、この程度の道は比較的簡単に作れる。それは移住の際にジノーファが証明して見せたことだ。
目的は、十中八九ダンジョン攻略のためであろう。しばらくは指令所に近いダンジョンに注力するのかと思っていたが、こうして道を造ったということは、こちらのダンジョンも攻略を始めているか、少なくともそれを考えているはずだ。
何にしても、こうして道ができているのは好都合だ。防衛線へ向かうのに、未開の森の中を通らなくて済む。なにより道があれば、暗くなっても迷わずに防衛線を目指すことができる。
危険の度合いは変わらないかもしれないが、時間的な制約が大きく緩和されるのだ。密貿易のためにこれからこのルートを頻繁に使うことを考えると、これには大きな意味があるといえる。
「道があるなら、そんなに急ぐ必要もなかったな」
シュナイダーが、いつもの調子を取り戻してそう嘯く。確かに道が通っているとは思っていなかったので、ここまで多少急いでやってきた。ただそれはそれで、決して無意味ではない。
「そうですね。でも、明るい方が色々やりやすいです」
「はは、違いない」
ジノーファの意見に、シュナイダーは小さく笑って同意した。道があれば暗くなってからも移動できるとはいえ、ジノーファの言うとおり明るい方が色々とやりやすいのは事実だ。暗がりの中でモンスターに襲われるのは、それだけで十分に脅威なのだから。
ジノーファは空を見上げた。日は幾分傾いているが、日差しはまだ明るい。道もあることだし、この分なら十分余裕を持って暗くなる前に防衛線へ到着できるだろう。だからと言ってあまりゆっくりしている時間もない。彼らは辺りを警戒しつつ、防衛線へ向かった。
防衛線に到着すると、ジノーファはそこにいた兵士に手形を見せ、防衛線の内側へ入れてもらった。イゼルへの取次ぎを頼むと、彼女はちょうど近くにいたらしく、すぐに姿を見せた。
「お待たせいたしました、ニルヴァ様」
現れたイゼルは、武官の装いをしていた。彼女はジノーファに対しては折り目正しく一礼したが、シュナイダーのことはただの同行人と思っているのか、ちらりと視線を向けただけで意識した様子はない。
普通なら甚だしく無礼な態度だ。とはいえ、ここで彼に注目が集まるのは好ましくない。イゼルがどこまで事情を知っているのかは分からないが、あるいは彼女の対応はそれを弁えてのことかもしれない。それでジノーファもシュナイダーのことに触れようとはせず、一つ頷いて彼女にこう尋ねた。
「イゼルも久しぶりだ。それでダーマード閣下にお会いしたいのだが、取次ぎを願えるだろうか?」
「はっ。ちょうど視察で指令所へいらしているところです。ただ、これからご案内すると向こうへ着くのは夜遅くになってしまいます。明日でもよろしいでしょうか?」
「ああ、かまわない」
「ありがとうございます。それではテントへご案内します」
そう言ってイゼルはジノーファたちを用意しておいたテントへ案内した。テントの中へ入り周囲の視線がなくなると、イゼルはおもむろに片膝をつき、シュナイダーに対して頭を垂れた。
「先程はご挨拶もせず、申し訳ありませんでした。シュナイダー殿下」
「いいさ。今の俺はニルヴァ殿の同行者だからな。その伝手を利用して密貿易を企む、駆け出しの交易商人、って設定だ」
駆け出しの交易商人にしては、ずいぶんとふてぶてしい態度でシュナイダーはそう言った。ユスフもノーラも言葉には出さないが、「無理のある設定だ」と思っているのがありありと顔に出ている。
「それで殿下、お名前はいかがいたしましょうか?」
「シュナイダーのままでいい。それほど珍しくもない名前だからな」
「はっ。ではシュナイダー様。遠路はるばるようこそおいでくださいました。ダーマード閣下も、お会いできるのを楽しみにしておられます」
「ああ。俺も楽しみだよ」
そう言って、シュナイダーはニヤリと笑った。それは凄みのある笑みで、ジノーファは第二皇子としての彼の顔を垣間見た気がした。
ユスフ「銀胡蝶館……!(血涙)」
ノーラ「男って馬鹿ね」