シュナイダーのやり方
大統暦六三八年から六三九年にかけての冬の間、ジノーファは騒がしくも穏やかな日々を過ごしていた。ベルノルトが生まれたことで、屋敷の中は賑やかになった。ジノーファもお役目を言いつけられることはなかったし、ダンジョン攻略の時間を減らしてシェリーや子供との時間を増やした。あるいは帝都ガルガンドーで暮らし始めて以来、最も穏やかな時間であったかもしれない。
そして春と結婚式が迫ったある日のこと。久しぶりにシュナイダーがジノーファの屋敷を訪ねてきた。彼は持参した土産をヴィクトールに渡すと、応接室のソファーにどっかりと腰を下ろす。そして用意されたお茶を飲みながら、まずはジノーファにこう尋ねた。
「ベル坊の様子はどうだ?」
「毎日元気に泣いていますよ。わたしが抱っこすると泣くんですよねぇ」
「はは、そんなもんかも知れないな」
楽しげに笑い、シュナイダーはそう言った。それからしばらく、二人は他愛も無い雑談に興じる。そして一杯目の紅茶を飲み干し二杯目が用意されると、そこにミルクを注ぎながら、シュナイダーはこう用件を切り出した。
「実はな、またジノーファ殿に力を貸して欲しいことがあるんだ」
「はい、わたしにできることなら。何をすれば良いのでしょうか?」
「頼みたいことは二つ。まず一つ目だが、アンタルヤ王国のネヴィーシェル辺境伯を紹介してくれ」
シュナイダーがそう言うと、ジノーファの視線が少しだけ鋭くなった。ロストク帝国の第二皇子が、アンタルヤ王国の大貴族を紹介してくれと言うのだ。間違いなく高度に政治的な話であり、アンタルヤ遠征へ繋がる案件に違いない。
ジノーファはすぐさまそれを理解した。ダンダリオンから以前聞いた限りでは、遠征軍の総司令官を務めるのはジノーファ自身であるという。あれからそれに関わる話は何も聞いていない。だがダンダリオンが心変わりしているとも思えないし、恐らくはその方向で進むのだろう。
ジノーファが総司令官を務めるため、マリカーシェル皇女と結婚あるいは婚約することについては、あれから何度もシェリーと話し合い、何とか受け入れることはできた。祖国へ攻め込むことについても、今更大きな葛藤はない。
しかしそれは結局のところ、他人が決めた道を歩むだけのこと。ダンダリオンが期待していたような、「指し手」としての自分の意思を主張することは、ついぞできなかった。それが悔しくもあり、情けなくもある。それで、ジノーファの声は少々暗かった。
「……いよいよ、始まりますか」
「いや、始まらない」
寛いだ姿勢でミルクティーを楽しみながら、シュナイダーはあっさりとそう答えた。彼があまりにも軽い調子で答えたものだから、ジノーファは聞き間違えたのかと思い「えっ?」と聞き返す。そんな彼に、シュナイダーは小さく笑ってさらにこう告げた。
「順を追って話そう。年が変わる前、ランヴィーア王国国王オーギュスタン二世から親書が来た」
シュナイダーはティーカップをソーサーに戻してから説明を始めた。ランヴィーア王国がイブライン協商国への侵攻を控えていること。そのための援軍をロストク帝国に求めたこと。ダンダリオンがそれを了承し、その一方で二正面作戦を避けるためにアンタルヤ遠征を延期したことを話す。
「……ただ延期した分、時間的な猶予が生まれた。それで俺に、アンタルヤ王国の東域を調略しろ、とお達しがきたわけだ」
「なるほど。それでネヴィーシェル辺境伯、というわけですか」
ネヴィーシェル辺境伯ダーマードはアンタルヤ王国の東域に領地を持つ大貴族であり、また独自の派閥を持っている。加えて最近は、主流派である王太子イスファードやエルビスタン公爵と対立が深まっていると聞く。ジノーファとはアヤロンの民の一件で繋がりがあり、確かに調略のターゲットとしてはもってこいの相手だろう。
「もちろん、いきなり押しかけるわけじゃないぞ。すでに、秘密裏に連絡は取り合っている。実際に顔合わせをする時に同行してもらいたい、って話だ」
「殿下がご自身で出向かれて、顔合わせをするのですか?」
「ああ。大事な交易のパートナーだからな。信頼関係はしっかりと築きたい」
「交易?」
思いがけない単語を耳にして、ジノーファは思わず首をかしげた。今は調略の、つまり謀略と政治の話をしていたはずだ。そこへなぜ、「交易」という単語が出てくるのか。話が繋がらない様子のジノーファに対し、シュナイダーはにやりと笑ってこう告げる。
「アンタルヤ王国の東域を政治的に切り崩すのではなく、経済的にロストク帝国の色に染め上げる。それが俺のやり方だ」
それはとてもシュナイダーらしいやり方であるように思えた。彼はすでに交易の世界で結果を出しているからだ。権謀術数を駆使するより、その方が得意でもあるのだろう。ついでに金を稼ぎたいという思惑も見え隠れするが、それはそれとして。
「しかし交易と言っても……。どうやるのですか?」
ジノーファは少々いぶかしげにそう尋ねた。アンタルヤ王国の国境は国によって管理されている。シュナイダーが東域との交易を活発化させれば、それは当然ガーレルラーン二世の知るところとなるだろう。そうなれば、彼は何かしらの手を打つに違いない。
「そりゃ当然バレないようにやるさ。密貿易だ」
シュナイダーはいっそ楽しげにそう答えた。しかしジノーファはますます首をかしげざるを得ない。ネヴィーシェル辺境伯領は密貿易に適した立地ではないからだ。できないことはないだろうが、規模はどうしても小さくなる。東域全体に影響を及ぼすような交易にはならないだろう。
「普通にやろうとすれば、その通りだ。だからこそ、ジノーファ殿の力を借りたいわけだよ」
もったいぶるように、あるいはヒントを小出しにするかのように、シュナイダーは語る。それを聞いてジノーファは少々考え込み、そして「まさか……」と呟いた。
「まさか……、魔の森を使うつもりですか!?」
「正解だ」
笑みを浮かべ、一つ頷きながら、シュナイダーはそう答えた。魔の森を交易路として使う。それは大胆な考えだ。普通なら考え付かないし、考え付いても実行しようとは思わないだろう。魔の森では魔獣やモンスターが徘徊しているし、そもそもまともな道がない。まともな商人なら近づきたいとさえ思わないはずだ。
しかしシュナイダーはまともな商人ではない。彼は根本のところで交易や商売を道具や手段と見ている。その本質はどちらかと言えば政治家に近い。そしてなにより、ジェラルドが行った魔の森での作戦について、彼はかなり詳細なことを知っている。だからこそこのルートでいけると確信したのだ。
「密貿易の話も、すでに辺境伯との間で進んでいる。あちらさんも乗り気だ」
にやりと笑い、シュナイダーはそう言った。さもありなん、とジノーファは思う。辺境伯領は交易地として地理的条件があまりにも悪い。そのためこれまで、交易による恩恵は限定的だった。加えて防衛線の維持費用のこともある。密貿易を持ちかけられれば飛びつくだろう。
「それに密貿易なら関税がかからないからな。素晴らしい」
シュナイダーが取ってつけたようにそう言うので、ジノーファはつられて小さく笑った。そんな彼にシュナイダーはさらにこう言った。
「そういうわけで頼みたいことの二つ目だ、ジノーファ殿。交易のためにシャドーホールを使わせて欲しい。あと、ルート案内も頼む」
「……いくつか、質問があるのですが……」
珍しく頭を抱えながら、ジノーファはそう言った。シュナイダーが「何でも聞いてくれ」というと、彼は顔を上げて質問を始めた。
「まず一つ。使うのは、わたしが見つけたダンジョンを使うルートですね?」
「そうだ。あのルートなら、比較的短時間かつ少人数で抜けられるからな」
「では二つ目です。見咎められませんか?」
シャドーホールを使う以上、物品の受け渡しは表層域、つまり防衛線で行われることになる。だが防衛線は人の出入りが多く、間者や密偵が入り放題だ。密貿易が露見してしまわないだろうか。
「だが同時に、防衛線にはその維持のために多量の物資が集まっている。キャラバン引き連れていくわけでもないし、それを目くらましにすれば、密貿易が露見することはほぼ無いだろう」
シュナイダーはそう答えた。仮に不審に思われたとしても、「防衛線維持のために他の地域から集めたものだ」と言い張ればいい。それでも追求してくるなら「防衛線を弱め、国土を危険に曝すつもりか!?」と問題をすり替えることもできる。理論武装は完璧だ。
「……三つ目。魔の森での拠点をどうしますか? わたしがあのルートを使って比較的自由に行き来できたのは、片方には辺境伯領の防衛線があり、もう片方には遠征軍の陣地があったからです。入り口と出口の両方に拠点がないと危険です。あそこは魔の森なのですから」
魔の森のルートを使うにあたり、最大の問題はコレだろう。辺境伯領の防衛線がなくなることはないが、現在ロストク軍は魔の森で活動していない。入り口側の拠点がない状態だ。万が一、スタンピードでも起こったら全滅だろう。交易どころの話ではない。しかしシュナイダーは落ち着いていた。
「それなら問題ない。ロストク軍は今年も魔の森で活動するからな」
「え……? で、殿下、まさかこのために……」
「違う、違う。親父殿も、さすがにそこまで我がままを聞いちゃくれないさ。交易のことは、完全に別件だ」
わずかに苦笑しながら、シュナイダーはそう応えた。彼の言うことは本当だった。ダンダリオンはランヴィーア王国へ援軍を送る一方で、今年もまた魔の森へ部隊を派遣することをすでに決めていたのだ。
その目的は、表向き調練と言うことになっている。実戦を経験させて兵を育てる、というのだ。ただ、実戦は無理だが、調練はわざわざ魔の森で行わなくとも良いはず。要するに狙いはダンジョンであり資源だった。
「採算があうってことだろ、つまりは」
シュナイダーは少々乱暴だが簡潔にそうまとめた。派兵のための費用をダンジョンから得られる利益で賄えると判断した、ということだ。手ごろな位置にある採掘場が、大きな役割を果しているのは間違いないだろう。
「まあ、そんなわけで、拠点については問題ない。指揮官にも話は通したし、船も手配してある。あとは部隊の派遣を待って、一緒について行くだけさ」
手際がいいな、とジノーファは思った。きっと話していないだけで、他にも入念な準備が進められているのだろう。年が変わる前に親書が来たと言う話だから、それからずっと準備をしてきたに違いない。
放蕩皇子と揶揄されるシュナイダーは遊び人のイメージが強いが、決して無能ではない。むしろいざとなれば兄ジェラルドの代わりとなれるくらいには有能なのだ。もっとも、イメージ通り遊びまわっているのも事実だが。
ともあれ、そのシュナイダーが入念に準備を行い、実際に自ら動こうというのだから、大きな問題はあらかた解決済みと思っていいだろう。実際、ジノーファの懸念についても、満足のいく回答をもらえた。
「そういうことであれば、協力するのはやぶさかではありません。ただ……」
「なんだ、心配事か?」
「いえ、素人が心配するようなことではないとは思うのですが、本当にこれでアンタルヤ王国の東域を、ロストク帝国の色に染め上げるような規模の交易になるのかと思いまして……」
「なるわけないだろう」
シュナイダーは紅茶を飲みながら、あっけらかんとそう応えた。それを聞いてジノーファは思わず「はい?」と聞き返す。シュナイダーは先ほど確かに、「アンタルヤ王国の東域を……、経済的にロストク帝国の色に染め上げる」と言ったはずだ。混乱するジノーファに、シュナイダーはにやにや笑いながらこう告げた。
「よく考えてみろ。密貿易だろうが、そんな規模で交易を行えば、確実に露見する」
そもそも東域と一言で言っても、州にして三十ほどもある広大な領域なのだ。国土で比べると、ルルグンス法国が四二州、旧フレゼシア公国が十五州だから、ちょっとした小国並みである。
当然、相応の人口とそれに付随する内需を抱えている。それを吹き飛ばしてしまえるほどの交易など、どだい無理な話だ。仮にできたとして、シュナイダーの言うように確実に露見する。そうなればガーレルラーン二世も何かしらの手を打つだろう。
だからシュナイダーが目指しているのは、「ロストク帝国による経済的な支配」ではないのだ。彼が目指しているのは、もっと別のモノだった。
「一時的にではあっても、南北の交易路をつなげること。それが俺の狙いだ」
シュナイダーは自身の思惑をそう話した。彼のいう南北の貿易路とは、つまり北海の北からアンタルヤ王国の南の貿易港へ通じる道のことだ。
今まで南北貿易はまったく行われていなかったわけではない。ただ、ロストク帝国とアンタルヤ王国の敵対的な関係が長く続いているから、その影響もあってずっと低調なままなのだ。それで南北の貿易路は細く、物流量も少ないのが現状だった。
逆に言えば、南北貿易が活性化すれば、そこには大きな利益が生まれるだろうという事。シュナイダーはその甘い汁を、アンタルヤ王国東域の貴族や商人たちに一度吸わせてやろうと考えたのだ。
そして南北の交易路を繋げるためには、どうしてもロストク帝国の存在が欠かせない。そうやって帝国を欠くべからざる存在にしてしまえば、それは交易の規模以上の意味を持つようになるだろう。
「一度甘い汁を吸えば、それを忘れることはできない。そして頃合が来たら奴らの耳にこう囁いてやるのさ。『ロストク帝国の一部になれば、さらに多くの利益を、この先もずっと享受し続けることができるぞ』ってな」
意地の悪い笑みを浮かべながら、シュナイダーはそう話した。交易のために魔の森を利用し続けるのは現実的ではない。通常の陸路を使うのが正攻法なわけだが、そのためには国境が邪魔だ。ならばいっそのこと、というわけである。
無論、調略の働きかけはそれだけではないのだろう。より現実的な、所領安堵のような条件も出しているに違いない。シュナイダーはやっていなくても、ダンダリオンやジェラルドがやっているはずだ。
だがそういう工作とは別により稼げる、より豊かになれる未来が見えているなら、それは決断を大きく後押しするだろう。シュナイダーが狙っているのは、むしろそちらなのかもしれない。
「それは壮大な計画ですね……」
「だろう?」
「ところで殿下。わたしも一つお願いがあります」
「なんだ、言ってみろ」
「出資するので、密貿易に一枚噛ませてください。結婚式の費用にします」
ジノーファは真顔でそう頼み、シュナイダーは大笑いした。
シェリーの一言報告書「お宅の放蕩皇子が働くそうですよ」
ダンダリオン「真面目に働いてくれるか、心配なところだ」