表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/364

カーブロの戦い1


「ふん、見ろ。奴ら本当に防御陣地なんか築いているぞ」


 イスファードは馬上からロストク軍の防衛陣地を眺め、嘲るようにそう言った。そしてさらにこう続ける。


「炎帝は勇将と聞くが、実はただの臆病者なのではないか。どう思う、エルビスタン公?」


「はっ……。報告によれば、あそこに立て篭もっているのは二万程度。我等は四万ですので、倍の差があります。それを考えてのことでしょう」


 興奮気味のイスファードを宥めるようにしながら、エルビスタン公爵カルカヴァンはそう答えた。彼にとっても、ダンダリオンがこうして守勢を見せたのは意外である。炎帝ならば野戦を仕掛けてくるに違いないと思い準備もしてきたが、その思惑は外されてしまった。


 ただ守勢を見せたと言う事は、ロストク軍にとっても数の不利は重大な懸案事項であるということだ。あるいは、スタンピードを起こしたというダンジョンの攻略で、少なからず損害を出しているのかもしれない。


「では勝ったな」


 イスファードが嬉しそうにそう言ったが、しかしアンタルヤ軍にも懸念事項がないわけではない。今回のアンタルヤ軍は、一塊の軍勢と言うよりは、複数の貴族による連合軍と言った方が正しい。つまりエルビスタン公爵家を筆頭とする派閥の貴族たちが、それぞれの領軍を率いて集結したのが今回のアンタルヤ軍なのだ。


 中核となっているのは、エルビスタン領軍の一万二〇〇〇。動員可能な兵をほとんど全て集めた。ただ全体から見ればそれでも半分以下で、残りは数千からともすれば十数人程度の領軍の集まりだった。


 烏合の衆、という言葉がカルカヴァンの脳裏に浮かぶ。命令系統の確立や各領軍間の連携にはどうしても不安が残る。しかしその不安を表には出さず、カルカヴァンはこう応えた。


「はい。ですが、炎帝が直率しておりますし、士気は高いでしょう。それにロストク帝国の皇帝直轄軍は総勢十万とも言われております。数の不利を見て立て篭もったのであれば、当然ながら増援の要請も行っているはず。ここは数の優位を保っているうちに叩く必要があるでしょう」


「そうだな。敵に時間を与えるのは得策ではない。すぐさま攻撃に移ろう」


 イスファードがそう答えると、カルカヴァンは全軍に対して攻撃のために陣形を組み替えるよう指示を出した。その命令に従い、アンタルヤ軍は横に広く展開していく。敵の防御陣地に対し、複数の場所へ同時に攻撃を行うためだ。


 陣形を組み替えている間、カルカヴァンは平静を保ちつつ、ロストク軍の様子を窺っていた。今のところ、彼らが動く気配はない。一貫した方針の気配を感じる。ロストク軍は本当に援軍を待つつもりのようだ。


 カルカヴァンは気を引き締めた。なにしろ、相手はあの炎帝。加えてロストク帝国の直轄軍は精強で知られている。その上でああもしっかり防御を固められては、そう簡単に崩すことはできないだろう。


 しかし攻めあぐねていては、援軍が到着してしまう。四万というのは確かに大軍だが、ロストク帝国の全軍を相手にするは到底足りない。つまり勝てるうちにさっさと勝ち、そのまま講和するというのが、カルカヴァンの基本的な方針だった。


 その基本方針を、カルカヴァンはイスファードには話していない。イスファードは「帝都ガルガンドーを落してみせる」と息巻いている。これが初陣なこともあり、彼は気が大きくなっているのでどこまで本気なのかは分からないが、しかし総大将はそれくらい気宇壮大な方がいい。


 引き際を決めるのが、カルカヴァンの仕事だ。もちろん最終的な決定はイスファードが下すことになるのだが、彼を息子として育ててきたのは他ならぬカルカヴァンである。イスファードも育ての親の言葉を無下にはしないだろう。


「準備整いました!」


 その報告にカルカヴァンは一つ頷いた。そしてイスファードと視線を合わせ、もう一度頷く。イスファードは槍を掲げ、そしてその穂先を敵陣へ向けた。


「攻撃開始!」


 鬨の声が上がり、全軍が動き出す。攻防が始まった。



 □ ■ □ ■



 アンタルヤ軍が動き出したのを見て、イーサンは左手に持った弓を握りしめた。彼が立っているのは高い櫓の上で、そのため敵軍の動きが良く見える。彼が率いているのは弓兵部隊。つまり最初に応戦する部隊だ。


(真の王太子、か……)


 イーサンは胸の中でそう呟いた。彼もアンタルヤ軍がこうして再襲来するに至った事情は承知している。他国の話ではあるが、気分の悪くなる話だ。少なくとも、ジノーファと関わっていたときにはこんな気分にはならなかった。


 当初、イーサンはジノーファのことを警戒していた。他国の王太子であり、ダンダリオンに匹敵する聖痕(スティグマ)持ち。その彼が武器を返還され一緒にダンジョン攻略を行うのだ。警戒するのは当然だろう。


『まったく、陛下にも困ったものだ』


 ガムエルなどはそう嘆息していたし、イーサンもまったく同意見だった。もしもダンダリオンが害されるようなことがあったら、そうでなくともジノーファが脱走するようなことがあったら、どうするのか。


『いざという時には、迷わずに射よ。陛下のお怒りは全て私が引き受ける』


『承知しました。必ずや大事に至る前に動きを止めて見せます』


 ガムエルとイーサンはそう心を決めていた。ただ結局、実際にイーサンの矢がジノーファに向けて放たれることはなかった。それどころかジノーファは献身的で、ダンジョン攻略は思っていたよりもずっと順調に進んだ。


 そうなると、イーサンの心境も変化してくる。いつの頃からか、ジノーファの背中に視線で照準を合わせる事はしなくなっていた。立場上、警戒を解く事はしなかったが、彼は間違いなく戦友だった。


 その戦友が全てを失う場面にイーサンは居合わせた。ジノーファが一人で泣いたことも知っている。懸命に戦った人間が、しかし何も報われることなく、切り捨てられたのだ。本当に、胸糞の悪い話である。


 だから、というのは本来褒められた話ではないのだろう。しかしそれが正直なところでもある。イーサンの士気は苛烈に高まっていた。そしてそれは、彼の部下たちも同じである。


(まあ、俺も肉を食わせてもらったことだしな)


 内心でそう呟き、イーサンは矢をつがえた。そして迫り来るアンタルヤ軍を見据える。


「放てぇぇえええええ!」


 命令すると同時に、彼は矢を放った。


 さて、アンタルヤ軍とロストク軍の戦いは、双方共に弓の射掛け合いから始まった。矢が飛ぶ山なりの軌道は徐々に水平へ近づいていく。有利なのは、やはり防御を固めたロストク軍。しかしアンタルヤ軍も盾で矢を防ぎながら、多少の損害は気にせずに前へ進んでいく。


 だが次に、深い空堀がアンタルヤ軍の前に立ちはだかる。跳躍して飛び越えられないほどではないが、今度はすぐ後ろの柵に阻まれて後ろが続かない。一人で空堀を超えても、槍で突き殺されるのがオチだった。


 ならばと木の板などを使い橋を架けるが、空堀全てに蓋をできるわけではない以上、どうしても場所が限定されてしまう。迎撃するのはむしろ楽で、空堀には次々とアンタルヤ兵の死骸が落ち込んだ。戦いの後、この空堀はそのまま彼らの埋葬地となるのだろう。


 ロストク軍の防衛陣地は、隙間なく柵で囲われているわけではなかった。ところどころに隙間が空いている。だがそれはいわば誘導路。意気揚々と乗り込んだアンタルヤ兵は、すべて待ち構えていたロストク兵に始末された。


「何をしているっ! 早く突破口を作れっ!」


 攻略が上手く行っていない様子を見て、イスファードが苛立ったように命令する。確かにこのまま攻め続けても出血が増えるばかり。そう判断したカルカヴァンは、多少強引にでも突破口を開くことにした。


 カルカヴァンはエルビスタン領軍の重装騎兵隊を動かした。この彼にとって切り札とも言うべき部隊を、ロストク軍の防御陣地へ突撃させたのである。


 突撃させるのは、誘うように開けられた柵の隙間。空堀に木の板を何枚も並べて橋を架けて道を作り、そこへ重装騎兵を雪崩れ込ませたのである。


 当然、彼らには攻撃が集中する。しかし同時に別の箇所にも攻撃が仕掛けられていて、迎撃の手は分散せざるを得ない。しかも重装騎兵は乗り手だけではなく馬も鎧で身を守っているから、多少の弓くらいならはね返してしまう。歩兵が立ちはだかって重装騎兵の突撃を妨げるのは難しく、勢いにのった彼らはそのまま柵も薙ぎ倒して防御陣地の内側へ入り込んだ。ついに突破口が開かれたのである。


「この機を逃すな! 突撃!」


 カルカヴァンは会心の笑みを浮かべ、全軍に突撃を命じた。アンタルヤ軍の兵士たちは鬨の声を上げながら激しい攻勢に打って出る。その様子を見て、ダンダリオンは獰猛な笑みを浮かべた。


「なかなかやる。兵の練度も悪くない」


 そう呟く彼の声には、しかしまだ余裕があった。実際、敵兵の侵入を許したとはいえ、ロストク軍の兵士たちは少しも浮き足立ってはいない。侵入した重装騎兵についても、巧みに側面を突いたり馬から落したりして、確実に対処している。


 歩兵同士が入り混じって乱戦気味になっている場所もあるが、ロストク兵はやはり精強で、アンタルヤ軍は思うように切り崩せない。正面の防柵の裏へ回りこめないので、外の味方が思うように中へ入ってこられないのだ。全体の戦況としては、いまだ両軍拮抗している状態だった。


「そろそろか」


 戦況を鋭い眼差しで見守っていたダンダリオンが、不意にそう呟く。彼が見ているのはアンタルヤ軍のさらにその向こう側。そこに突如として騎兵の一団が現れる。その数、実に九〇〇〇。ロストク軍の誇る騎兵隊である。


 防衛陣地に篭るのであれば、その内側で騎兵の出番はほとんどないと言っていい。それでダンダリオンは最初から、騎兵隊を別にして伏せておいたのだ。その目的は当然、敵軍の背後か側面を突くことである。


 この奇襲は、ほぼ完全な形で成功した。アンタルヤ軍の攻撃目標は、当然ダンダリオンがいる防御陣地。場所が決まっているのであれば、移動してくるルートも予測しやすい。また国内であるために土地勘もある。あとは索敵を十分に行いさえすれば、騎兵の機動性を存分に生かし敵軍の背後へ回り込むのは簡単だった。


「全騎、突撃ィィィイイイ!!」


 騎兵隊を率いているのは、ルドガーだった。彼の耳の奥には、ジノーファの泣き声がこびりついて離れない。


 ガムエルやイーサンがそうであったように、ルドガーもまた当初はジノーファのことを警戒していた。いざとなれば自分が真っ先に彼を止めるつもりであったのだが、幸いにもそのような事態は起こらなかった。


 仮に起こっていたとして、本当に止めることができたのかは怪しい。ジノーファの戦いぶりを間近で見て、ルドガーは舌を巻く思いだった。まだまだ動きは荒削りであるものの、しかしそれ以上にダンジョンで戦いなれている。聖痕(スティグマ)持ちということもあり、彼の小さな身体は、しかし何倍にも大きく見えたものだ。


 しかしジノーファ本人はと言うと、自らの戦いぶりを誇るでもない。むしろ恐縮する事の方が多かった。最初はダンダリオンの手前、ことさら誇るわけにもいかないのだろうと思っていたが、しかしそれが彼の性分であることに気付くまでそう時間はかからなかった。


 自分より十以上も年下ではあるが、尊敬に値する武人だ。ルドガーはジノーファのことを、そう高く評価している。少し話せば聡明な人物であることは分かるし、聖痕(スティグマ)持ちであることも含め、生まれる国を違えたことが残念だった。


 しかしガーレルラーン二世は、いやアンタルヤ王国はその彼を泣かせた。それも恥知らずな裏切りによって。それを思うと、はらわたが煮えくり返る。馬上で槍を握るルドガーの手にも力がこもった。


(裏切りの代償を支払わせてやる……!)


 ルドガー率いる騎兵隊は勢いを少しも落すことなく、アンタルヤ軍へ後背から襲い掛かった。アンタルヤ軍はロストク軍の防御陣地を攻略するために左右へ広く展開しており、つまり厚みには欠ける。騎兵隊の突撃を食い止めることはできず、陣形を大きく切り裂かれた。


「散開! 蹂躙しろ!」


 ルドガーが合図を出すと、ロストク軍の騎兵隊は四つの部隊に別れ、それぞれが独自に動いてアンタルヤ軍を翻弄した。各隊の連携は見事で、アンタルヤ軍は分散した敵をしかし各個撃破することができない。むしろいいように引きずり回され、陣形を崩し、損害ばかりを増やした。


 味方の騎兵隊がアンタルヤ軍を手玉に取る様子を見て、ダンダリオンは愉快そうに笑った。後背を突かれたアンタルヤ軍は混乱し、正面への圧力も弱まっている。勝利の女神を振り向かせるまで、あと少しだ。


「陣内に入り込んだ敵を排除しろ! その後、全面攻勢に移る!」


 ダンダリオンがそう命令を出す。兵士たちは鬨の声を上げてそれに応えた。優勢であることを感じ取っているのだろう。兵士達の士気は高い。彼はそれを聞いて満足げに頷くと、傍に控えるガムエルのほうを見やりこう言った。


「余も出るぞ」


「陛下が動かれずとも、勝利は揺るぎないと思われますが……」


「そう言うな。真の王太子とかいう奴の顔を見てやろうではないか」


 そう言って猛々しい笑みを浮かべるダンダリオンを見て、ガムエルは苦笑しつつ「御意」と応えて拱手した。そして二人はそれぞれ馬に跨り、それから一〇〇〇騎ほどを率いて戦場へ向かった。


 馬上のガムエルは、大盾ではなく槍を構えている。彼が大盾を使うのは、主にダンジョンの中だけだ。ただ最近行っていたダンジョン攻略では、彼の出番は少なかった。強力な前衛が揃っていたからである。そしてその一人は、言うまでもなくジノーファだ。


 彼が王太子の地位を剥奪され、あげくにアンタルヤ王国から追放されたことについて、ガムエルは特にどうとも思ってはいなかった。所詮、他国の話だからだ。いや、むしろ内心では喜んでいたとさえ言っていい。アンタルヤ王国はせっかくの聖痕(スティグマ)持ちを失い、逆にロストク帝国は新たな聖痕(スティグマ)持ちを迎えることができたからだ。


 この件に限って言えば、アンタルヤ王国は国力を減じ、ロストク帝国は国力を増した。帝国の利となることなので、ガムエルは喜んだのだ。


(さて、そうするだけの利が、アンタルヤ王国にはあったのであろうかな)


 少々意地悪く、ガムエルはそう考えた。つまり聖痕(スティグマ)持ちたるジノーファを排除するにたるだけの器量を、イスファードとかいう真の王太子は備えているのか。ダンダリオンの言うとおり、それを見極めに行くのも悪くはない。ガムエルはそう思いつつ、馬を駆った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ