御所
まぁ、そういう訳で、「お友達」から付き合う事としたのだが、なにかと世間の目は気にかかる。変に付き合っていると思われる(?)のも何だし・・・何より、お互い、何が接点で付き合う、いや、友達になったのか分かられるのが何だか、何故だか困る気がする。
「とりあえず高梨さんは、もう部活は終わっていて、放課後、特に用はないんですよね?」袴から学生服に着替えた葵を、人の通らなさそうなピロティの柱の陰で待ち合わせて、靖男は言った。
こうして制服になった葵さんは一層幼く見え、何だか悪い事をしている気もしてきた。
「う・・・うむ・・・」葵は何故だか、声が硬くなってしまう。そして、何か武者みたいな物言いになっているのに気付いてはいたが、何だか「城」の前では、これがしっくりくる気がして、普段の自分に戻せなかった。
「じゃあ、火、金の夕方4時を目途に、S台の食堂で落ち合う事にしませんか?」
「でも、それでは誰かに見られるではないか?」
「だから、お互いの目が合えば、そこで別々にS台を出て、近くの、北に向かうバス停で再度出会う、なら、さり気なくありません?」
「・・・うん。そうだな」
S台は予備校だ。高校生が自習室代わりに食堂を利用している。確かに、そこで直接出会うのでなければ誰も不審に思わないだろう。
「お前は、ズルい事を画策するな」
「いやぁ、友人からの受け売りです」
「友人も悪い奴らだな」
「まぁ、みんな青春ですから」
「・・・じゃあ、次の金曜日に」
「期待せずに待っています」
「どういう意味だ?」
「いやぁ、冷静に考えて、『こりゃ無いな』と思われてもおかしくない関係ですし」
「まっ、まぁ・・・そうだな・・・」
それだけ話をすると、「また、あんまり戻らないと、みんなに色々言われますから」と、城は戻って行った。
葵は何だか分からない気持ちで「城」と別れ、下校した。
正直、男の子と付き合った事はない。小学生から平女に通い出した葵には、幼稚園以来男の子の「お友達」も無い。いや、幼稚園でも男の子とは殆ど遊ばなかった。
冷静に考えてみても、このシチュエーションは理解出来ない。兎に角、何もかもが唐突過ぎる。
高校合同演劇祭で一方的に見掛けたのだが、面と向かって出会ってから、僅か3時間程の出来事だ。とてもじゃないが、現実とは思えない。
何処か足元がおぼつかない、浮ついた気持ちのまま、葵は市バスに乗った。
金曜日、葵は3時半にはS台の食堂にいた。それらしく教科書を開き、ノートに向かっていた。
食事の時間が終わった食堂では、私服の浪人生らしき人達が授業の合間を惜しんで自習している姿が多く見られた。確かに、「城」が言っていた通り、高校生らしき制服姿の人も、夜からの授業に向けて予習をしているらしき姿もチラホラ見えたし、葵がいても違和感はなさそうに思えた。
ただ、エスカレーター式に平女の短大に進学する葵にとっては、取り立てて勉強する事もない。
ちらちらと、一向に進まない時計の針を見ながら、葵はノートに所在なく落書きをしていた。
「城」について分かっている事。
・「AUT」やHぃ「HONT MILK」に投稿している『おたく』らしい。
・でも演劇部と、山岳部(これは、演劇部の後輩に聞いた)に所属している。
・まぁ、身だしなみなんかは、普通と言っていいだろう。
・先輩に対する言葉使いは、まぁ、礼儀正しいと言っていいと思う(・・・そうか?)。
ここまで書いてみて、葵はノートを見ていた。そして、何となく書き続ける。
・「HONT MILK」を読んでいるって事は・・・『ロリコン?』
・「HONT MILK」にHぃ漫画の原作を投稿しているって事は・・・(え?あれ?・・・空想だけで書けるものなの・・・?)
「いやいやいや!」ノートを鉛筆でぐちゃぐちゃに真っ黒にして、思わず出た声に周囲を気にして、まぁ数人こっちを見ていたが、さほど迷惑になってなさそうなので、落ち着いて消しゴムで、真っ黒に塗りたくった箇所を消しながら、時計を見上げた。
ロリコンだから、ちっちゃな(それは確かに自覚している)私に興味を持ったのか?それと・・・なんだ・・・「経験」しているの?
城は高1だ。でも、楽星の学生ならば、無いとも言えない・・・私は・・・するのか?私と・・・するのか!
冷や汗がどっと噴き出した。ブンブンブンと首を振る。なんだか、予備校という場所に似つかわしくない動きばかりしている気がして、居心地が悪い。
城よ、早く来てくれ!煩悩に潰されそうだ!
葵は心の中で叫んでいた。
そうだ、こういう時には丹田に気持ちを入れるのだ。
目を閉じて、深呼吸する。心臓の下に気持ちを入れる。そして目を開けると、食堂の入り口で手を振っている城が見えた。城は、目が合うのを確認すると、すっと姿を消した。
急いで教科書やノートを鞄にしまい、葵は約束していたバス停に向かった。
文庫本を読んでいる城がいた。
「おい」少し息を切らせていた葵は声をかけた。
「あ、早かったですね」
「まっ、まあな」
「じゃあ、歩きましょうか」
S台予備校は、堀川丸太町にある。東に向かえば10分程で御所に着く。
「喫茶店とか、お金がないんで・・・御所でゆっくりしませんか?」
「ああ、それでいいぞ」
「御所の東側には、井戸水の御手水もありますから」
「いや、私は普段から「ハチミツ紅茶」を持っている。部活での経験から手放せないのだ」
まだ秋も半ばではあるが、早くも夕暮れがかってきた夕刻の御所は、散歩している老人や、犬を散歩させている人がちらほらといる程度で静かなものだ。観光客らしき人も殆ど見当たらない。
葵と靖男はベンチに座っていた。
少し間をあけて、ちょこんとベンチに座っていた。
電車なんかで言えば、図々しいおばさんなら「ちょっとごめんよ」と間に割り込みそうな距離感。
葵は、ただただ緊張していた。こんな時に、なんの話をしていいのか、事前情報は何もなかった。でも、自分が年上だ。イニシアチブを取らなければ。
「かっ、風が涼しくなってきたな」差しさわりのない言葉が口を出た。
「・・・そっ、そうですね」どことなく、城の声も上ずっている感じがする。
葵は少しホッとした。城くんも緊張しているんだ。
「し、城くん!その、なんだ・・・今、好きな漫画ってなんだ?」
「唐突ですね・・・」
「私達の共通の話題って、そこだろ?」
「確かに・・・で、なら、高梨さんはどっち系?」
「どっち系、とは?」
「いやぁ、少年漫画が好きとか、少女漫画が好きとか、少女漫画でも出版社で好みが変わるでしょ?そのどれか、と思いまして」
「うむ。なら、城くんは何が好きなのだ?」
「どうだと思います?」
「城くんは・・・」
「あの・・・」
「なんだ?」
「『城くん』に格上げされました?」
ドキッとした。確かにS台の食堂で会うまでは、自分の中でも「城」だったのに、バス停で本当に出会った瞬間から、気持ちが「城くん」になっていたからだ。
そっと風が流れていった。落ち葉がかさりと音を立てて足元を通り過ぎ、髪がふわりと舞った。
「まっ、まぁ・・・城、より、城くんの方が言いやすいかとも・・・」
「ありがとうございます」
「う、うむ」なんとなく葵は口ごもった。暫くして、
「そうですね・・・今は、川原泉なんか好きですかね」
「川原泉か?」
「あれ?知りませんか?『甲子園の空に笑え!』とか『銀のロマンティック・・・わはは』とかなんか」
「お前は私を馬鹿にしているのか!あれだけ『AUT』にも特集されているんだぞ!」
「でしょ?そっから自分も読んだんですが、別段、と言うか、絵は下手だと思っていたんですけど、話の流れが面白くて、そう思って読み返すと、のほほんとした話の流れに、のほほんとした絵柄がマッチしてきて」
「『銀のロマンティック・・・わはは』のラストは凄かったな!」
「クワトラブルですか?泣きましたよ。彼らが「わはは」と踊っている?スキップしている?姿の絵なんか、ぶっちゃけ、大した絵じゃないっすよね。でも、その絵と言葉がシンクロして、素晴らしい絵になって」
「そうだ。あれが漫画の一つの形だと思う」
「他には?」
「うむ、基本的には『ブーケ』派なのだ。ブーケの作品は絵が美しいからな。松苗あけみさんといい・・・」
「内田善美さんなんか見事ですね」
「そうだ!『草迷宮・草空間』なんか見てみろ!あんな絵を描ける人がどこにいる?それでいて、そんな絵を損なわせないストーリーを作り上げる、そして、それらが交わって素晴らしい景色を作る、そんな話を創造出来るって、凄くないか!」
「『草迷宮 草空間』は何度も読み返す、ってか、眺めますね。酒飲みながら。あの絵の美しさは酒の肴にいいんですよ」
「え?」
「漫画の原作書く時には、酒飲まないと書けないんです」
「お前は・・・酒飲むって、何歳だ!」
「煙草も吸ってますよ。まぁ、書く時だけですけどね。お小遣いもそんなにないし。あ、そうだ。自分はわりと花とゆめ派で、ひかわきょうこさんや成田美名子さん、新しい所では山口美由紀さん、なんかも好きなんですよ」
「そうか。私は、花とゆめならば『ガラスの仮面』位だな」
「いつ終わるのか、てんで見当がつきませんけどね」
「・・・まぁなんだ。普通の漫画も読んでいるんだな」酒とか煙草とか、自堕落な城くんに少し唖然としながら、それはおいおい厳しく指導するとして。
「え?」
「私は・・・もっと変だと、趣向が偏っていると、正直思っていた」
「・・・やっぱり?」
「うむ・・・すまぬ」
「ん~・・・それは、やっぱ・・・『HONT MILK』のせい?」
「ま、まぁ・・・それは否めない」
「でも、絵は綺麗だと思えません?」
「そっ、そうだ!『HONT MILK』は、投稿者のレベルも高く、可愛らしく、美しい絵が揃っているのだ」
「・・・でも・・・あれですよね・・・Hぃ漫画と言うか・・・」
「・・・そ、それは分かっている・・・ただ・・・」
「・・・そうです。どうして『HONT MILK』なんかを貴女が手にしたんですか?」
「・・・」葵は言い澱む。暫し考えて、
「・・・まず、何となく表紙で買ってしまった・・・間違いだったと思う・・・ただ・・・」
「・・・ただ?」
「・・・森林林檎さんやとなみむかさんの絵が美しかったのと・・・なんというか・・・雑誌全体がむしゃらに走っている感じがして・・・それは、投稿者も一緒で、なんというか・・・必死で読者も一緒に一人前の雑誌にしようという勢いが感じられて・・・」本当に「なんというか」だ。半人前の雑誌を読者、投稿者も含めた気持ちに引き込まれたとしか言いようがない。
「そこが、他の雑誌と比べていいんですよ」
「それは、私もそう思う」うんうん、と勢いよく頷く。
「特に、投稿者のレベルはけた違いだと思うぞ」
「そう言って頂けると、一投稿者として幸いです」
「・・・ただ・・・絵だけならいいのだが・・・グラビアにあるヌード写真は・・・少し恥ずかしい・・・」
「そうですね・・・あれは僕も止めて欲しいと編集長に懇願しているんですけど」
「しかし、投稿者から、漫画家になる人物もいる。そんな雑誌って凄い事だと思う。そう言えばだな、あの誰だったか、後藤寿庵さんだったかが、『HONT MILK』の前の雑誌の投稿者だったってのは本当なのか?」
「そうですよ。詳しいんですね」
「あの、何気ない不条理さがどことなく好きでな」
「不条理さで言えば、吾妻ひでお先生でしょう」
「もちろんだ!最近、あまり目にしなくなった気がするが、『ななこSOS』なんかは好きだったな」
「準青年誌といいますか、丁度数年前から少年誌と青年誌の中間層みたいな、う~ん、Hくないおたく層向け雑誌、と言っていいのか、そんな感じの雑誌が結構発刊されてましてね、白泉社がその層向けに出版している雑誌に描かれてますよ」
「そうだったのか。さすがにそこまでは目が向いていなかった」
「吾妻ひでお先生が好きなら、竹本泉さんはどうです?」
「竹本泉?」
「御存知ない。講談社のなかよしに描かれていまして、可愛らしい感じの絵で、ほんわか不思議系の面白い作品を描かれています」
「お前は色々な雑誌の作家を読んでいるのだな」葵は嘆息を付いた。
「引き出しは多くないと、他の投稿者に負けちゃいますから」
「どおりで私の投稿など、相手にされぬ訳だ。だがなぁ、例えば、りぼんの佐々木潤子さんなんかは知っているか?」
「初見ですね」靖男は知ってはいたが、そこは葵さんに手柄を譲る事とした。
「なんだか、顔が丸っこいのだが、瞳の輝きの描き方が気に入っている。バレーボールの話なんだが・・・」
最初の出会いなのに、なのか、最初だからなのか、お互いに普段は口にする事の無い話に話題は尽きなかった。
気が付けば日は暮れ、黄昏時も過ぎ、夜の帳も降りていた。ポツンと立っている街灯が松の木を薄っすらと輝かせていた。ほんのちっぽけだけど素敵なイルミネーションに葵には思えた。
「・・・うむ、城くん。随分と暗くなってきた。街灯もともってきた。今日はここまでとしよう」
「そうですね」立ち上がった靖男は伸びをしながら、
「高梨さんには、最初に指摘はされましたが・・・それ以上にもっと穿った見方をされていると思っていました」
「どう?」
「やっぱり、自分で言うのもなんですが・・・概要しか抜粋されていませんが、ああいったHな話を書く奴って、偏見の目で見られてもおかしくないって・・・自覚はしているんですよ・・・」
「・・・それは、否定できないな・・・」
「ですんで、こんな感じに、普通にそんな話が出来るのは、嬉しいというか、楽しいというか・・・」
葵は少し驚いていた。飄々と話をしていた城くん、さらりと話をしていると感じられていた城くんも、どこか気兼ねがあったんだ・・・。
「ふ、普段はあまりこういう話はしないのか?」
「・・・しませんね。あまり、周りに漫画とかアニメが好きな友人が殆どいないんで」
「わ、わたしもそうだ。楽しかった!これからも楽しもう!」
「宜しくお願いします、高梨さん」
「・・・葵、でいい・・・」小声で答えた。
「?」
「お前も、肩肘張った、「高梨さん」じゃなく、「葵」と呼んでいいぞ!」
「・・・葵?」
「あ、いや・・・「葵さん」にしよう。「葵」では、流石にくだけすぎる。私は先輩だしな。そう、「葵さん」だ」
「分かりました、「葵さん」」
「うむ!」
もう7時も過ぎた頃だろうか、2人は御所を後にして、各々の帰路に着いた。
葵はウキウキしていた。これだけ好きな漫画の話を、思う存分出来たのは初めてだった。城くんは思っていた以上に引き出しが多い。少女漫画にも興味の範囲が広いし、自分が知らないマイナー系の作家についても知っていて、もっと知らない作品や作家の話を聞ける気がする。私ももっといろいろ勉強しよう。そう思いながら市バスに乗っていた。
靖男は、内心、少なからず困惑しながら地下鉄に乗っていた。確かに高梨、いや、葵さんは『おたく』に対して理解がある気もする。でも、あんな話は自分にしてみれば、泥水の上澄みを更にろ過した水をほんの少し見せただけで、もっとドロドロした澱が溜まっている事は自覚している。
確かに、これまで付き合って来た女の子よりは、最初の壁、それも乗り越えられなかった壁をあっさりとクリアしてくれた分、気が楽だが、その向こう側にある澱みを理解してもらえるか、いや、そうするべきなのか、この程度の付き合いでとどめておくべきなのか・・・
正直、これまで「付き合った」らしい、気がする女の子には、こんな話はして来なかった。変に思われるのは、分かり切っているし、ほぼ嫌悪されるだろうと思っている。だからこそ、壁を作り、話題にもこの趣味は上げなかった。結果、靖男も気疲れし、これまでそこそこの付き合いで終わってしまい、面白くもなかった。
可愛らしい人だよ?美人だよ?少し、言葉使いが変な気もするが、それだけに、自分の趣味を分かって貰えそうな葵さんには、もっと分かって貰いたい気もするし、でも、この程度の、ほどほどの付き合いが続けばいいとも思ったり・・・
近鉄に乗り換え、下車して夜道を帰路につきながらも、悩みの答えは出なかった。
暫くの間、こうしてS台の食堂で目線を合わせ、バス停で出会い、御所で漫画やアニメの話や、他愛のない話をしていた。もっぱら葵が、様々なジャンルを手広く網羅している靖男から聞いた漫画を読み(と言っても、それ程お小遣いもないので、立ち読みがメインだが)、その感想を伝え、また新しい作家を紹介して貰うのが通例だった。
靖男(城くん)の紹介してくれる作家は本当に多岐に亘っていた。古いと思って読んでいなかった竹宮恵子や萩尾望都だったり、少年ジャンプにふっと出て来た川島博幸「くおん」だったり、そう思えばちばてつやの少女漫画時代の作品だったり、『HONT MILK』に描いている森林林檎が別の雑誌に描いていた、その・・・SMっぽい話だったりした。
ただ、言える事は、どれもが主に今のメジャーな作品を読んでいた葵には、常に新鮮で、漫画の奥深さを感じさせてくれた、と言う事だ。
「どうして、それだけ知っているのだ?」と、問いただした事もある。
「雑誌なんかで仕入れる情報もありますけど・・・匂い、ですかね・・・」
「匂い?」
「言ってみれば、CDなんかのジャケ買いみたいなもんです。いい作品だと編集者が思っていれば、自ずと単行本の表紙にも力を入れます。その匂いを感じると言うか」
「うむ。なんとなくわかる気がする。この間の、私の学校の文化祭の舞台でも、応援で出演した城くんは端役だったが、光って見えた気もするからな」と言ってから、葵は自分の言葉に真っ赤になった。
「・・・ありがとうございます」
「まっ、まぁ・・・そういう、こと、なんだろ?」照れ隠しながら口にする。
「どう言いますか・・・」
「そっ、そういう事にしておけ」真っ赤になった顔を背けたが、そこには夕陽があり、ますます真っ赤になったその顔を、靖男は見ていた。